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春より秋に青くなる


※社会人設定


「私はアキが好きだなあ」


そんな一言が聞こえて思わずきょろきょろと声の主を探してしまったのは、自分の名前が呼ばれたのではないかと一瞬勘違いしてしまったからだ。
どうやら会話の内容は、春夏秋冬でどの季節が好きか、という、ありきたりでどうでも良いテーマだったようだけれど、俺の座っているところからちょうど対角線上に位置する席に座っている彼女は非常に楽しそうに笑顔で会話を続けている。合コンでの出会いなんて当てにしていなかったけれど、これはもしかしたらもしかするかもしれない。
よくある話だ。数合わせで参加した合コンで運命的な出会いをしました、なんて。もっとも、これが運命的な出会いかどうかは分からないけれど。
男女4人ずつ、8人がけのテーブルの対角線上だから、その距離は意外と遠い。半年ほど前に彼女と別れて以来、いまだになんとなく気分が浮上しないまま参加させられたということもあり、相手の女の子達の名前は申し訳ないことに全く覚えることができていなかった俺は、せめてあの子の名前ぐらい知っておきたいと邪な気持ちを抱いた。
どう頑張っても思い出せそうにないので仕方なく隣の同僚の腕を肘でつつき、小声で、あの子の名前なんだったっけ、と聞けば、覚えとけよバカ、と俺のことを罵りつつも、名字名前ちゃんだよ、と教えてくれた。名字名前ちゃん。自己紹介の時には何ひとつ響かなかったくせに、今は特別な印象を受けるから不思議である。
しかし、一方的に興味を抱いて顔と名前を覚えたところで、そこからの進展はない。落ち込んでいた気分が浮上しつつあるのに、このままではまた元通り沈んでしまいそうだ。
そんなに酒には強くないので、俺がアルコールを摂取したのは最初の1杯のみ。今俺がヤケ酒よろしく一気飲みしたのは女性人気抜群なノンアルコールカクテルだから、間違っても酔うことはない。
このまま何もできずお開きとなってしまうのか。それは避けたい。なんせ、ビビビッときてしまったのだ。……なんて、別れた元カノと出会った時もそんなこと思ったんだっけ。じゃあこの出会いも、同じような結末を辿るのだろうか。
やばい。気分が急激に落ち込んできた。1人で浮いたり沈んだり、ジェットコースターに乗っているみたいな感覚に、気持ち悪くなってきたような気さえする。酔ってるわけじゃないと思うんだけど。
隣の同僚に断りを入れてトイレに立つ。このままフェードアウトしてやろうかな。そんなことを思いながらぼーっと歩く。男子トイレには先客がいたので、俺は薄暗い廊下の隅っこに背中をあずけ、なんの気なしに携帯をいじり始めた。


「あ、」
「ん…?あ、」


携帯画面のロックを解除した直後、声が聞こえて顔を上げる。するとそこには、なんと名字さんが立っていた。どうやら名字さんもトイレのために席を立ったらしい。
女子トイレには男子トイレ同様、先客がいた。廊下は狭い。つまり俺達は、並んでトイレ待ちをしなければならない状況だ。これは願ってもないチャンスかもしれない。


「こっちどーぞ」
「ありがとう」


ほんの少しだけ奥に寄って隣のスペースを空けると、名字さんは緩やかに微笑んで俺のすぐ横に並んだ。この感じだと、生理的に無理、などとは思われてなさそうでホッとする。
お互い合コン相手だということは分かっているものの、いざ2人で何か会話をしろと言われたら難しい。特にトイレ待ちの間だけでは、今日の天気の話みたいなどうでもいいことしか話せそうになくて困る。
どうでもいいこと…どうでもいいこと?そこで思い出したのはトイレに立つ少し前に名字さんに興味を持つキッカケとなった話題のことだった。


「秋、好きなんだっけ」
「え?」
「さっき、どの季節が好きか、みたいな話してた時にチラッと聞こえてきて」
「ああ…そうなんだ」
「ごめん。どうでも良いよね」
「ううん!そんなことないよ」


どう考えてもつまらない話題なのに、名字さんは笑顔を絶やさない。いい子だ。


「そういえばアキノリくんの名前のアキって、季節の秋?」
「へ」
「違う?」
「いや…そうだけど……俺の名前、」
「自己紹介の時に言ってたでしょ。コノハアキノリです、って」
「全員覚えてんの?すごいね」


さすがに、俺なんかさっき名字さんの名前隣の奴に聞いたばっかりなのに、なんてことは言えないので、素直に驚きと尊敬の言葉だけを送っておく。
ちょうどそこで男子トイレから人が出てきた。本当はもう少し実りある話をしたかったのだけれど、この短時間ではやっぱり無理だった。
俺は、じゃあまた、と、また話せるかどうかも分からないのに曖昧な言葉を落とし、男子トイレの扉に手をかける。


「あの!」
「うん?」
「また後で、話そう、ね」


俺がその言葉に、うん、と返事をする間もなく女子トイレから人が出てきて、名字さんは逃げるようにその空いたばかりのトイレに入ってしまった。しかし俺は、その刹那でちゃんと見たのだ。ほんのりと赤く染まった耳を。
このままフェードアウトなんてとんでもない。トイレをさっさと済ませたら席に戻らなければ。そして幹事の奴に提案しよう。席シャッフルしてみようぜ、って。


◇ ◇ ◇



「そんなこともあったね」
「名前ちゃんって意外と積極的だよな」
「アキくんが奥手なだけだよ」
「石橋叩いて渡るタイプなんだって」
「知ってる」


最近テレビに取り上げられたばかりだというわりに、そこまで混雑した様子のないカフェの一角。正面に座っているのは、およそ1年前の合コンで出会った名字名前ちゃんだ。
話題のふわふわパンケーキは思っていた以上に大きくてクリームもたっぷりすぎるほど盛り付けられていて、俺は見ているだけで胸焼けがしそうだったのに、名前ちゃんはというと、非常に満足げな表情でペロリと全てたいらげていた。甘いものは別腹って本当なんだ、とデートの度に実感させられる。
あの合コンでの出会いから半年ぐらいの月日をかけて、俺と名前ちゃんはゆっくりと距離を縮めていった。石橋を叩いて渡るタイプの俺はなかなか告白する勇気が出なくて、けれども名前ちゃんのことを諦める決心もつかなくて、かなりフラフラしていたと思う。
最終的に俺の意思で「好きです。付き合ってください」と言ったのは事実だけれど、名前ちゃんの方から歩み寄ってくれなければ、こうして顔を突き合わせてデートしている未来はなかった。そう断言できる。


「私は積極的なわけじゃなくてずる賢いの」
「自分でそんなこと言う?」
「アキくん、あの合コンの時、最初は乗り気じゃなかったでしょ?」
「あー…まあ、うん」
「私はアキが好きだなあ」
「え」
「……っていうの、アキくんに向けて言ったんだよ?」


めちゃくちゃ驚いた。驚きすぎて瞬きも忘れてしまうぐらい。
どういうことだ?俺のために言った?アキが好きだなあって?なんで?ちょい待ち。頭ん中ぐちゃぐちゃになってきた。
そんな俺に、名前ちゃんはあの日と同じように、否、あの日より少し大人びた笑みを浮かべる。それを見て悟った。俺は最初から名前ちゃんの策略にハマっていたんだ、って。


「私、秋より春の方が好きだもん」
「マジ?」
「アキくんの名前の漢字が季節の秋の字かどうかは分かんなかったし、アキっていう響きだけで反応してもらえる確証はなかったけど」
「……こわっ」


名前ちゃんは清純派ってイメージだったけれど、俺はまんまと騙されていたらしい。しかし、その裏の顔をここで披露してくれるあたり、俺に心を開いてくれてるんじゃないかな、なんて思ったりして。


「幻滅した?私のこと、嫌いになっちゃう?」
「んーん。ていうか、初対面でそんなアプローチしてくれるぐらい俺のこと気に入ってくれたんだなーと思って、逆に感動してる」
「……だって、ビビビッときちゃったんだもん」
「え」
「アキくん見た時、この人だ!って思っちゃったから、頑張るしかなかったんだもん」


俺から顔を隠すみたいにカップの中のカフェオレを飲み干す名前ちゃんの耳は、あの日と同じようにほんのり赤く色付いていて、口元が緩んだ。
俺もあの日、名前ちゃんと同じようにビビビッときてたんだって言ったら、どんな反応をされるだろうか。照れながら喜んでくれたら良いな、なんて夢見がちなことを思う。


「次は俺が頑張る番かな」
「何を頑張るの?」
「……なーいしょ」


口元に指を当ててニィッと笑ってやる。
それはまだ少し遠い未来の話だから、今は言えない。けれど、いつか必ず、今度は俺の方から踏み出してみせるから。
季節は間もなく名前ちゃんの好きな春を迎える。