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秘密はシロップに溶けた


※社会人設定


「なあ、絶対行かなあかんの?」
「うん」
「ほんまに?」
「うん」
「俺が今ここで死にそうになっても?」
「うん」
「嘘やん!」
「うん。……っていうのはさすがに嘘だけど」


彼がうるさいのはいつものことなので適当に受け流しながら支度を進めていた私は、時計を見て慌てて玄関へと足を向けた。今日は職場の人達との飲み会があるのだ。遅れたからといって責められることはないだろうけれど、遅れない方が良いに決まっている。
玄関先でショートブーツに足を滑り込ませている私に背後から覆い被さるような形で抱き付いてきた大きな男は、いまだに私が飲み会に行くことを良しとしていないらしく、「行くな」というのを態度で表していた。
「男がいるなら行くな」なんて命令、無茶にもほどがある。浮気を疑っているのかと不機嫌さを隠さず尋ねると、私にその気がなくても男側が無理矢理言い寄ってくるかもしれないから嫌だ、との返事をもらった時は、どれだけ心配性なのかと呆れてしまった。
ていうか私よりそっちの方が言い寄られる可能性高いし。実際めちゃくちゃ言い寄られてるし。それを黙ってスルーしてあげているこちらの言い分がまかり通らないのだから、余計に納得できない。


「侑。離して」
「なあ……行かんといてや」
「そんな甘えた声で言ってもダメ」
「心配なんやもん」
「何もないから」


私は腰に回されている彼の手をやんわりと解いて向き直った。見上げると首が痛くなるほどの大きな男が捨てられた子犬のような表情でこちらを見ているのは、どうにもアンバランスだ。
正直、可愛いとは言い難い。けれども、そこは惚れた弱味というやつなのだろう。内心では飲み会に行かなくても良いんじゃないかという気持ちが芽生え始めているなんて、彼には絶対悟られてはならない。


「俺と付き合うとること言うた?」
「だからそれは無理だって」
「なんで?」
「侑は有名人だからバレたら困るでしょ」
「何も困らん」
「……兎に角、遅れるからもう行くね」


私はまだぐちぐち言っている彼にひらりと手を振って玄関の扉を開け、冷たい夜の街へと繰り出した。あのまま相手をし続けていたら完全に遅刻してしまう。
私と彼が付き合い始めたのは、彼がプロ入りする前の学生時代のこと。彼は当時から注目されていたけれど、今ほどではなかった。付き合っていることを隠す必要はないのかもしれないけれど、彼の女性人気は絶大なので、自ら「宮侑と付き合っています」と公言するのはどうにも憚られる。
会社の人に「彼氏はいるのか」と尋ねられて「いない」と嘘の返事をするのは、いると答えたらどんな人かと掘り下げられるのが嫌だからだ。私みたいな凡人が宮侑と付き合っているなんて知れたら、世間の女性からどんな風に思われるか。考えただけでも恐ろしい。
しかし彼は、そんなこと気にせず公言しろとうるさい。変な男に寄り付かれないようにするためにはそれが1番だと豪語するのだ。それはまあ確かにそうかもしれないけれど、私に寄り付く物好きな男なんて侑ぐらいのものだろうから心配する必要はないと思う。
飲み会までの道中、何度もポケットの中でスマホが震える。「何時頃に終わるのか」「どこで飲むのか」など、まるで娘を心配するお父さんのようなメッセージの数々に溜息を吐く。
このまま返事をせず放っておいたら、今度は電話が鬼のようにかかってきそうな気がする。面倒事は避けるべきだと思った私は、飲み会が行われる場所と解散予定時刻を送っておいた。「帰る時にまた連絡するから」というメッセージを添えて。
これで大丈夫だろう。私はスマホをポケットに仕舞い込むと、お店を目指して急ぎ足で歩き出した。


◇ ◇ ◇



飲み会は、思っていた以上に楽しかった。私はまだ社会人1年目で周りは同期か先輩しかいないけれど、気兼ねなく飲み食いし、仕事以外の話も沢山することができた。良い職場に就職したと思う。
お店を出る前に約束通り彼にメッセージを送り、幹事の先輩に会費を払い、同期の子と共にお店の外へ。お酒で少し身体が温まっているからか、それほど寒さは感じない。
同期の子に二次会に行くかと確認されて、うーんと悩む。行きたい気持ちがないわけではないけれど、彼の顔が脳裏を過ぎると自然とブレーキがかかってしまうのだ。


「二次会行くだろー?」
「ちょっと悩み中で……」
「なんか予定あんの?」


声をかけてきたのは私より2つ年上の男の先輩。仕事でよく助けてくれる頼れる先輩だから、できるだけ邪険にはしたくない。
私は「そういうわけじゃないんですけど……」と言葉を濁しながら苦笑する。お酒を飲んで少し酔っ払っているのだろうか。先輩は私に張り付くような位置に立っていて、顔を近付けてくるのが少し気になった。
一緒にいる同期の子はその光景をおかしいと思わないのか、普通に先輩と話をしている。私の考えすぎかな。そう思っていた矢先に、先輩に腕を引っ張られた。
バランスを崩した私は危うく先輩に寄り掛かりそうになったけれど、ギリギリのところで踏みとどまる。え、何、何なの。私は今日初めて、不快な気持ちを抱いた。


「二次会行かないなら俺と2人でどっか行くってのはどう?」
「……帰ります」
「俺、実は名前ちゃんのこと結構いいなーと思っててさあ。彼氏いないなら付き合わない?」


思ってもみなかった展開。私は咄嗟の反応ができず固まってしまった。先輩は私に断られるだなんて考えていないのか、私の腕を離さないどころかぐいぐいと皆と逆方向に引っ張って行こうとする。
どうしよう。他の先輩達はガヤガヤ雑談していてこちらに気付いてくれない。同期の子は邪魔しちゃいけないとでも思っているのか、事の成り行きを見守っているだけ。
やだ。離してほしい。逃げたい。でもここで振り払って先輩に失礼な態度を取ってしまったら、これから仕事の時にやりにくくなってしまうのではないだろうか。それは困る。じゃあどうすれば。そんな時だった。


「名前」
「え……え!?」
「迎え遅なった」
「な、なんで侑が……え……?」


名前を呼ばれてそちらを向けば、そこに立っていたのは夜の黒によく映える金髪の長身男。見間違えるはずもない、我が彼氏の宮侑だった。
迎えに来る予定なんてなかった。そんな話は一言もしていない。というのに、さも当たり前かのように、そういう予定があったかのように、彼はそこにいる。表面上は笑顔。しかし私には分かった。彼は今、めちゃくちゃ怒っている。
突然の彼の出現に、私の腕を引っ張っている先輩だけでなく、同期の子も、周りで雑談をしていた他の人達もこちらに注目している。今まで色々考えて周りに内緒にしていたというのに、全てが水の泡だ。


「名前ちゃん、その人……」
「彼氏の宮侑言いますけど。名前がいつもお世話になっとるみたいでどーも。…で、その手離してくれます?」


彼は一体何者なのかを私に確認しようとしたらしい先輩の声は、彼の威圧的な声音によって掻き消された。お陰で私の腕は先輩から解放されたけれど、その場の空気が一瞬にして凍り付く。
私自身、何がどうなっているのかさっぱり分からないので、他の人達はもっと状況が把握できていないだろう。この場で淡々としているのは彼だけだ。


「名前。帰んで」
「ちょっ、待って……!」


私の手を引いて歩き始めてしまった彼に、制止の言葉は届かない。とりあえずぺこぺことお辞儀をしながらその場を離れたけれど、明日は会社で質問責めにあうだろう。
いや、その前にこの状況、週刊誌とかで写真に撮られたりしない?大丈夫?思わず辺りをキョロキョロしたけれど、暗闇の中では何も見えない。
ずんずん歩く彼に引っ張られている私は、その歩幅に追いつかないので小走りになる。そして私の息が弾みかけてきた頃になって、彼が突然立ち止まった。勢いが殺しきれなかった私は、大きな背中にぶつかる。地味に痛い。


「急に止まんな、っ……、」
「あの男誰やねん。ほんまコロス」


大通りを1本入った路地裏。人通りがほとんどないとは言え公共の場であることに変わりはないというのに、彼は身体をくるりと反転させたかと思うと、場所などお構いなしで私をぎゅうぎゅうと抱き締め、情けない声で物騒なことを言った。
彼のことだから、本当だったら先輩を睨みつけ、これでもかと見下ろし、暴言のひとつやふたつ吐きたかったことだろう。けれどそうしなかったのは、私の今後のことを考えてくれたからだと思う。まあどちらにしても非常に働き難くはなったかもしれないけれど、あの場で助けてくれたことは素直に嬉しかったから咎めるつもりはない。
大きな身体を曲げ、私の首筋にぐりぐりと顔を埋めて、はあ、と息を吐く彼の頭を撫でる。「ありがとう」。「ごめんね」。その二言を囁けば、彼はまた、はあ、と溜息を吐いて顔を上げた。ごつんと額を合わせて、ついでに視線も合わせて静止。


「ちゅーしてくれるまで許さへん」
「ここで?」
「おん」
「写真撮られたらどうするの?」
「どうもせぇへん」
「ほんとにもう……そういうところ、昔から変わんないね」


彼の方が女の子にモテモテで私はヒヤヒヤしっぱなしだっていうのに、逆の立場になったら独占欲が強くて心配症。それから、自惚れでもなんでもなく、私のことを呆れるほど好きでいてくれる。私のことそんなに好きなんだ?って揶揄うつもりで尋ねたら、当然のように、当たり前やん、と返してくる。そんな彼のことが、私も好きだ。
だからいつも、最終的に折れてしまう。鼻先をぶつけて、ちゅっと口付けて、これで良い?って確認して。自分から強請ったくせに、あかん!と頭を抱える彼を見て笑ってしまうのだ。


「やばい今のめっちゃ可愛い。もっかい」
「やだ」
「なんでやねん!」
「ここ外だもん」
「帰ったら続きしてくれるん?」
「それは分かんないけど」


再び、なんでやねん!とつっこむ彼の手に自分のそれを重ねて指を絡める。すると彼は静かになってゆっくり歩き出したから、私の気持ちはちゃんと伝わっているのだろう。


「私、明日絶対質問責めだよ。どうしてくれるの」
「彼氏は超有名人のイケメンバレーボール選手、宮侑ですって堂々と言えばええだけのことやんか」
「……そうだね」


もう会社の人達にはバレちゃったし。もしかしたら写真も撮られちゃったかもしれないし。
世間の目なんてどうでもいい。……とまで開き直ることはまだできないけれど、彼が隣にいてくれるなら大丈夫って思えるから。今日の夜は、さっきの続き、付き合ってあげても良いかな。