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鈴蘭の福音


※社会人設定


おめでとう、なんて心から言えるほど、俺の精神状態は良好ではなかった。
大学時代にそこそこ交流があった友人に招かれて訪れたのは結婚式場。幸せの絶頂にいるのであろう友人は、純白のドレスに身を包んだ花嫁の隣でヘラヘラと締まりのない顔を晒していた。結婚式のド定番。純白のウエディングドレス。それを見て俺が思い出したのは、1人の女のことだった。


「私、ウエディングドレスを着るのが夢なんだぁ」
「それ、夢って言えんの?」
「言えるよ。一生着れないかもしれないんだから」
「へぇ…ウエディングドレスねぇ…」


当時の俺は彼女の言葉に生返事をするのみで、その先の未来のことまで頭が回っていなかった。現実味がなかったのだと思う。ウエディングドレス=結婚という方程式が成り立つ以上、俺にはまだまだ縁遠い話だと知らず識らずのうちに尻込みしてしまっていたのかもしれない。
その時、俺の隣で彼女はどんな顔をしていたのだろう。今となってはもう知る術などないけれど、きちんと見ていてやるべきだったと後悔はしている。まあその表情を確認していたところで俺に言えることなんてたかが知れていたと思うし、未来が変わったとは思えないのだけれど。
彼女は、世間一般の女に比べてかなり引っ込み思案というか、控えめなタイプだった。統計を取ったわけではないから正確性は欠くだろうけれど、俺と彼女の共通の知り合いならば、大半が俺の見解に賛成してくれると思う。だから、俺と彼女が付き合っていると知った時の友人達の反応ときたら、皆揃いも揃って「それはお前の押しが強すぎて断りきれなかっただけじゃないか」と言ってくる有様だった。まったく、失礼な奴らである。
そんなことを言われながらも、俺達はなかなか長く付き合えていたと思う。大学時代に知り合って社会人になっても関係が続いていたのだ。なかなかの長期恋愛ではないだろうか。だから、そこまで長続きするということは、つまり、彼女もきちんと俺のことが好きだという何よりの証拠だと思っていた。しかし後に、それは俺の自惚れに過ぎなかったということを思い知る。
別れは唐突に訪れた。まさか彼女の方から「別れよう」と言われるとは思っておらず、俺は柄にもなくかなり動揺を見せてしまった、と思う。実は正直なところ、フラれた時の記憶はなかった。あまりにも衝撃的過ぎて、脳が一時的に機能することを拒否してしまったのかもしれない。
その時の俺と言ったら、別れたくないとは思いつつも引き留めたりするのは縋り付くみたいでカッコ悪いという心理が働いて、彼女の「別れよう」の言葉に「好きにすりゃいいだろ」というなんとも素っ気ない返事をしてしまったのだった。そうして、あっさりと別れてしまったすぐ後に列席した結婚式の会場で、まさか彼女に会うことになろうとは。誰が予想できただろうか。
彼女は新婦側の友人として列席していたらしく、俺と目が合うなりすぐに顔を逸らした。そりゃあそうだろう。自分がフった元カレと再会なんて、永遠にしたくなかったに違いない。そう思っていたのに、彼女は意外にも披露宴が終わった二次会の席で俺に話しかけてきた。お酒を飲んで、多少酔った勢いもあるのだろう。久し振りだね、と声をかけられた俺は、嬉しさ半分、苛立ち半分で、そうだな、とぶっきらぼうな反応しか返せなかった。
腫れ物に触れるみたいに避けられるのは嫌だったから話しかけてきてくれたこと自体は嬉しいのだけれど、よく能天気に元カレの俺に話しかけてこれるよな、という苛立ちがあったのも事実。じゃあどうしたら正解だったのかと尋ねられたらそれは分からないのだけれど、兎に角、俺は非常に複雑な心境だったのだ。


「ブーケ、見た?」
「ブーケ?」
「花嫁さんが持ってたでしょ?」
「ああ…あの花のやつか」
「そう。あれね、私が用意したんだよ」


その言葉をきいて、そういえば彼女は花屋に勤めているということを今更のように思い出した俺は、へぇ、と気のない相槌を打った。急にそんなことを言われたからといって気の利いたコメントができるほど、俺はできた男じゃないのだ。ましてやブーケなんて、ちっとも見ちゃいない。なんなら花嫁の顔すらうろ覚えである。
彼女もそんなことは分かっていたのだろう。見てないよね、と笑っていた。その後も彼女は、本当にくだらない話をぽつぽつと俺に振ってきては黙るということを繰り返していて、何がしたいのか分からなかった。けれど、彼女が隣に座っているだけで付き合っていた時の記憶が沸々と蘇ってきて、話をしているうちにその声が懐かしくて心地良くて、もっと聞いていたいと感じてしまうようになっていた。
そう。俺は過去を清算しきれていなかった。女々しくもずるずると、彼女への好意を捨てきれずにいた。好きにすりゃいいだろ、と突っ撥ねて、未練なんてないと言わんばかりの態度をとっておきながら、俺は何ひとつ捨てきれていなかったのだ。だからつい、尋ねてしまったのだろう。それこそ酒の力を借りて、というやつである。


「今いんのかよ…彼氏」
「え?」
「俺と別れて、新しい彼氏できたのかってきいてんの」
「……できてないよ」
「あっそ」
「堅治君は?」
「そういう話題を持ち出した時点で察しろよ」
「できたってこと?」
「その逆」
「…まだできてないの?」


どうして?と言わんばかりに、心底不思議そうに尋ねてきた彼女に、まだお前のことが好きだからだよ!と言えたらどんなに楽だろう。けれども残念ながら俺はそんなに素直な性格じゃないので、いくらお酒が入っていようとも、自分の気持ちをこんなところで吐き出すことはできなかった。
けれど、ここで何も言わなかったら、何かしらのアクションを起こさなかったら、俺達はもう本当にこれっきりになってしまうだろう。そう思ったらプライドやらなんやら全部どうでもよくなって、気付いたら口走ってしまっていた。


「もう一回やり直すって選択肢はねぇのかよ」
「え…堅治君と?」
「他のやつなわけねぇだろ」


こんな時でもしおらしい態度なんて取れなかった。なんで急に、とか、どうしてそんなことを上から目線で言われなければならないんだ、とか、言いたいことは山ほどあったはずなのに、彼女はなぜかはにかみながらこう言った。堅治君がそうしたいならいいよ、と。
お前の気持ちは良いのかよ、と問わなかった俺は卑怯だろうか。この際、卑怯でもなんでもいい。彼女ともう一度やり直せるなら、なんでも。


「堅治君にこんなこと言ったら、きっと怒られちゃうと思うんだけど」
「何だよ」
「別れたくて別れようって言ったんじゃないの」
「はあ?」
「面倒臭い、女心ってやつで…」
「いや、意味分かんねーし」
「……堅治君、」


引っ込み思案で控えめなはずの彼女が、俺の腕のシャツの裾をくいくいと引っ張って見つめてきた。この顔は数えるほどしか見たことがない気がする。女の顔。ごくりと唾を飲み込んだのは無意識だ。


「その話は、2人きりでしたいん、だけど…」
「…それって誘ってんの?」
「ちっ、違…!」
「違うのかよ」
「堅治君はいつも自分の気持ちを言わずに私の気持ちばっかり確認してきてズルい!…と、思う……」


酒が入っているせいかいつもより饒舌で素直に感情をぶつけてくる彼女は新鮮だった。そして衝撃的で、魅力的だと思った。図星を突かれたとも思った。確かに彼女の言う通り、俺はいつも何かと理由をつけて自分の感情をストレートに言葉にすることを避けてきた。だから失った。きちんと理解している。学習している。それならば、今ここで俺が言うべきことは何なのだろう。


「じゃあ、今でも好きだからヨリ戻したいっていうカッコ悪ぃ理由でも、お前は受け入れてくれるワケ?」
「!…勿論、です……」
「なんでそっちが照れんだよ……恥ずかしいのはこっちだっつーの」


アルコールのせいではなく俺の言葉によって顔を赤らめて俯く彼女につられて、俺も顔を手で隠しながら項垂れた。二次会の席。皆の視線は主役である新郎新婦に注がれていて、俺達を見ている者は誰もいない。そのことに安堵した。


◇ ◇ ◇



「堅治君、何見てるの?」
「ん?なんか最近やったばっかなのに懐かしい感じがすんなと思って」
「あ!それ、結婚式の時の?」
「そう。これ選ぶのにすげぇ時間かかったよな」
「だって全部可愛かったんだもん」


引っ越ししてきたばかりの新居で段ボール箱を開けて片付けをしていた俺は、一際厳かなアルバムを開いていた。そこに写っているのは、俺と彼女が、緊張と喜びを滲ませている姿。ウエディングドレスを着るのが夢だと言っていた彼女の夢を叶えたのは俺だった。…なんて言い方をするのが似合わないことは分かっている。だが、それが現実なのだから仕方がない。写真の中の彼女は、それはそれは幸せそうに破顔していて、この表情を引き出したのは俺なのだと思うと気分が上がる。結婚式というのは面倒臭いばかりだと思っていたけれど、今こうして見てみると満更でもなさそうな顔をしている俺がいるのだから、やって良かったと認めざるを得なかった。
新妻らしく白いエプロンをひらりと靡かせてパタパタと駆け寄ってきた彼女は、胡坐をかいて座っている俺の背後からアルバムを覗き見ながら顔を綻ばせていて、飯はできたのかよ、と問いかけることを忘れてしまう。
あの二次会での再会と復縁を機にめでたくゴールインした俺達が結婚式を挙げたのは、ほんの3ヶ月ほど前。名字名前改め、二口名前になった彼女とは、先週からやっと同居を始めたところである。
彼女の言っていた面倒臭い女心というのは、自分のことを本当に好いてもらえているかどうか分からなくて不安だった、だから気持ちを確かめたくて別れ話を切り出した、というよくあるアレで、そんな古典的な策に嵌った自分がアホらしくて頭を抱えた。まあつまり、俺はそういう分かりやすい引っかけ問題にまんまと引っかかってしまう程度には、彼女に夢中だったのだろう。認めたくはないし、彼女にはそんなこと言ってやらないけれど。
それでも、以前よりは気を付けて彼女に言葉を伝えるようにした。好きだと毎日囁くなんてことはさすがに有り得なかったけれど、必要に応じては言えていた…と思う。とりあえず、彼女は俺の妻になった。それが俺の努力の結果である。


「お昼ご飯できたよ。食べよう」
「ん」
「そういえば今日飾ったお花は結婚式の時にも沢山使ってもらったんだよ」
「へぇ」
「昔から花には全く興味なさそうだよねぇ…堅治君は」


まあいいけど、と言いつつ台所に戻って行った彼女の後をゆっくり追う。彼女が今日飾ったと言っていた花は台所のテーブルの上に控え目ながらも鎮座していて、ああこの花か、と1人で理解した。
興味なさそう。彼女はそう言ったけれど、花屋に勤めている彼女と一緒に過ごしていれば否が応でも花についての知識が増える。だから、興味がなさそうであっても何も知らないわけではなかった。例えばこの白い鈴のような形をした花は鈴蘭という名前だとか、その花ことばの意味とか、勝手に脳内にインプットされてしまうのだ。ゆらりゆらり。窓から吹き込んできた柔らかな風に吹かれて揺れるその花は、あの結婚式の日と同じように俺達を眺めてくすりと笑っているようだった。