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鬼さんこちら、捕まえた


こんなはずじゃなかった。というか、こんな未来が待っているなんて、私じゃなくとも誰しもが予想できなかったと思うのだ。特定の彼女を作らないことで有名だったあの宮侑になぜか気に入られてしまい、あれよあれよと言う間に彼女になってしまうなんて、そんな馬鹿げた展開、どう考えたっておかしいのだから。


「飯一緒に食べよ」
「ここで?」
「おん」
「すごく食べにくいから…せめて場所変えない?」
「名前のその弁当って誰が作っとんの?」
「え?私が作ったけど…」
「ちょうだい!一口でええから!」
「いや、ちょ、落ち着いて!あげる!あげるから!」


昼休憩に私のクラスまで押しかけてきたのは、勿論、彼氏である宮侑だ。彼は私の前の席の人の椅子に、何の断りもなく跨るようにして座ったかと思ったら、私の発言を無視して前のめりに弁当箱を覗き込んできて、挙げ句の果てに全部食べますと言わんばかりの勢いで詰め寄ってきた。
こういうキャラじゃないと思っていた。彼はなんかこう、もっと冷めた感じというか、釣った魚に餌はやらないタイプというか、自分から「好きですオーラ」みたいなものを出したりしないのかなって、そう思っていたし、噂でも、女の子に対しては適当に優しく対応するものの自ら近付いていくことはないと聞いていたから。結局のところ噂は噂でしかなかったということなのか。目の前に座って私のお弁当の中身がもらえるのを今か今かと待ち侘びている男は、私が知る宮侑ではないように思えてならない。
私は箸を取り出し、どうぞ、とお弁当箱を彼に勧める。すると彼は箸を受け取ることなく、あーんと大きく口を開けた。これはつまり、食べさせろ、と。そういうことなのか。大勢のクラスメイトがいるこの教室のど真ん中で。…嫌だ。ただでさえ宮侑の彼女というだけで睨まれているというのに、これ以上敵を増やしたくはない。


「自分で食べて」
「卵焼きぽいっと口ん中入れてくれるだけでええのに」
「そんなの、自分で食べた方が早いでしょ」
「名前に食べさせてほしいんやって」
「……また今度ね」


せめて誰の目にも触れないところで、という意味を込めて箸を押し付ければ、今回は渋々自分で食べてくれたのでヨシとしよう。うま!と、それほど美味しいわけでもないであろう平凡な味の卵焼きを幸せそうに食べる彼は、ちょっと幼く見えて可愛いなと思ってしまったりして。最初はこんな女たらしっぽい男と付き合うなんて真っ平御免だと思っていたくせに、今となってはなんだかんだですっかり彼にご執心の私も大概どうかしている。
彼のやりたいことは分かる。なんなら、私も彼と同じようなことを考えているぐらいだ。けれども、例えどんなに好きだったとしても、やっぱり人前でイチャイチャすることには慣れなくて抵抗がある。そんな私とは違い、彼はこうしてTPOってものをわきまえずに気持ちの赴くまま行動するから困っているのだ。彼の気持ちに応えたい、けれどそれは私の性格上どうしても難しい。このジレンマを、彼はきっと理解できないのだと思う。
周りからどんなに冷やかされたって大丈夫。侑の彼女は私なのだから堂々としていれば良い。何度もそう言い聞かせてきたし、周りの目なんて気にしないつもりだったけれど、所詮、私はごく普通のどこにでもいる女の子で。そんなに胸を張って彼の傍にいられるほど強くはなかった。ましてやイチャイチャするなんて以ての外。だからその重圧に耐えられなくなった私は、とうとうある行動に出てしまった。


「名前、侑君と喧嘩でもしたん?」
「ううん」
「そうなん?最近全然一緒におるとこ見てへんけど…」
「まあそれは…ちょっと、ね」
「ふーん?」


女友達に指摘されて苦笑しつつ答えを濁せば、彼女は何かを察したのか、それ以上は追求してこなかった。何とも有り難い。
そう、私はかれこれ1週間ほど彼とまともに話をしていないどころか、顔も合わせていなかった。理由は簡単。私が休憩時間のたびに教室を出て、女子トイレや特別教室、もしくはそれ以外の場所で過ごしているからだ。彼のことが嫌いになったとか、一緒にいたくなくなったとか、そんなことは一切ない。むしろその逆で、私は彼のことが好きだからこそ距離を置くようにしたのだった。
一緒にいたら、彼は今まで通りぐいぐい私に絡んでくるだろう。周りの目が気になるのもあるけれど、それだけではなく、私は彼の気持ちに応えられないことが何より嫌だった。2人きりになったら…なんて思いつつも、そうなったらなったで私は素直になれないに違いないのだけれど、それでもその時が来るまではどうしても彼に会いたくなくて。気持ちの整理をする意味も込めて一方的に距離を置いた結果がこれだ。
勿論、彼には何の説明もしていない。メッセージも電話も、当たり前のようにその手の話題にしかならないだろうと見越してスルーしているから、次に彼とまともに話す機会が訪れたら怒られるのは確実だろう。まあそれも覚悟の上…と思っていたら。


「やっと、見つけた」
「あ、つむ、」
「…なんやねん自分」


昼休憩が始まって5分。特別校舎の裏側にある小さな中庭のようなところが、私の秘密の場所だった。友達にすら居場所を教えていないから見つかるはずもないここで、1人静かにお弁当を食べるのが私の日課だったのに。どうして彼がこんなところにいるのだろうか。
逃げ場のない私は、彼が無表情でズンズンと近付いてくる度に後退りすることしかできない。ヤバい。これは相当お怒りだ。あまりにも自分勝手に彼を避け続けてしまったから、怒られるだけでは済まずに別れ話を切り出されてしまうかもしれない。それならそれで、楽になるかも、なんて。好きだけど、上手くいかない。それならばもういっそ、恋人をやめてしまった方が良いんじゃないだろうか。
そこまで考えたところで、壁際に追い詰められた私。彼は相変わらず無表情のまま無言を貫いていて、だん、と私の顔の横に左手をついた。思わずギュッと目を瞑ったのは、驚きと恐怖のためと言うより、彼の顔をまともに見る度胸がなかったからだ。


「俺のこと急に避け始めたんはなんで?」
「これには色々理由があって…」
「嫌いになったん?」
「そういうわけじゃ、」
「ほんま、勘弁やわ…」


もの凄い剣幕で怒鳴られるか、ネチネチ責められるか、そうでなければ愛想を尽かされて冷たく突き離されるかだと思っていた私は、彼の信じられないほど弱々しい声に耳を疑った。ぱちりと目を開けたと同時に視界に金色が映り、肩に重みがのしかかる。彼の額が私の肩にのせられているのだ。


「侑…?」
「避けるんは禁止」
「ご、ごめ、」
「めっちゃヘコむ…」


ぐりぐりと肩に頭を擦りつけてくる男は、いつも自信満々で余裕たっぷりな彼とは別人のようだった。こんな彼は今まで見たことがない。
私は罪悪感とともに込み上げてくる愛おしさに背中を押されるように、少し硬めの金色の髪に手を伸ばした。よしよし、と。赤ちゃんの頭を撫でるみたいに触れてみたけれど、彼からは何の反応もない。こういうことをされるのは嫌だろうか。今更のように不安になって手を止めれば、やめんとって、という声が聞こえたので再び手を動かす。
私はそのまま、彼に自分の考えていたことを正直に打ち明けた。避けていた理由も、素直になれない私の気持ちも全て。彼は相槌すら打ってくれなかったけれど、きちんと聞いてくれていたのだろう。話が終わると大きく溜息を吐いてから顔を上げ、私の顔を見つめてきた。


「ほんまに、めっちゃ傷付いたんやけど」
「まさかそんな反応されるとは思ってなくて…ごめんね」
「許さへん」
「え、」
「なんかお詫びしてくれんと気ぃ済まんわ」
「お詫びって、急に言われても…」
「ちゅーでええよ」
「無理無理!」
「だーれもおらへんのに?」


つい先ほどまでとは打って変わって、にこにこと機嫌良さそうに私に顔を近付けてくる彼を確認して咄嗟に目を瞑ったけれど、期待していたことはいつまで経っても起こらない。様子を窺うようにおずおずと目を開ければ、あとほんの少しで唇がくっ付くというところで動きを止めて、これでもかといやらしく口角を上げている精悍な顔付きの男と目が合った。ちゅーしたくないん?と、彼が声を発するだけで感じる吐息に、頭がくらくらする。
したいよ。だって好きだもん。そんな気持ちをぶつけるみたいに私は決死の覚悟で、えいっ、と勢いだけで唇を押し付けて離れた。と、思ったのに。離れたはずの唇はすぐにまたくっ付いて、私の酸素を奪っていく。いつの間にか後頭部に回されている手のせいで逃げることはできない。


「んっ、ふ…んん…!」
「は…全然足りんなぁ…」
「ここ学校…!」
「知っとる。けど、そんな可愛い顔されたら無理やもん」
「な、なに言って…」
「もーちょい。ちゅーだけやから」
「まっ、あつ、むぅ…ッ」


足りない、という言葉通り、今まで会えなかった分の時間を埋めるみたいにちゅうちゅうと執拗に吸い付いてくる唇に、頭がふわふわしてくる。一体どれだけの時間そうしていたのか定かではないけれど、漸く解放された時には、私はもうフラフラだった。酸欠。たぶんそれだけじゃないけれど。
ぎゅうぎゅうと抱き締められても抵抗する力は残っていない。というか、抵抗する気もなかった。だって、こういうことがしたいって思っていなかったわけじゃないから。その気持ちがほんの少しでも伝われば良いなと思って彼の腰に控えめに腕を回せば、フッフ、という特有の笑い声が聞こえてきてぞくりとする。


「顔色悪いやん。次の授業休んだ方がええんちゃう?」
「誰のせいだと思って…、」
「保健室行こか」


まだお昼ご飯は食べていないのだけれど、どうやら私がご飯にありつくのはまだまだ先の話になりそうで。でもまあ、ずっとオアズケを食らっていた野獣にこれ以上「待て」をさせる方法は見つからないので、ここはひとつ、これまで避け続けていたお詫びも兼ねて彼に従ってあげることにしよう。2人きりなら許してあげる…なんて。本当は私も、彼ともっと一緒にいたいだけなんだけど、それは秘密ということで。