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アリアドネの糸は切れた


何かしちゃったのかなぁ、って何度思っただろうか。そして、何も思い当たる節がなくて、特別な理由もなくただ単に私のことが嫌いなだけかも、って答えにしか行き着かず落ち込むのも、一体何度目になることやら。私は無意識のうちに溜息を零していた。
私には密かに想いを寄せている男の子がいる。名前は瀬見英太君。2年生の時に初めて同じクラスになって、3年生になってからも同じクラス。バレー部に所属していて、基本的に誰にでも優しくて人当たりが良く、男女関係なく人懐こい笑顔を見せながら話している姿をよく見かける。そんな彼が、バレーをしている時には怖いぐらい真剣な表情をするから、私はころりとそのギャップにやられてしまった。ありきたりで、よくある恋の落ち方だ。けれども恋愛とはそう上手くいかないようにできているようで、彼の笑顔が私に向けられたことは1度もない。それどころか、彼は私にだけ妙に冷たいのだった。
あの瀬見君が?冷たい?そんなまさか。私だって最初はそう思った。けれども、話しかけただけで目を逸らされたり、明らかに他の子に対するそれより荒っぽい口調で素っ気ない態度を取られたりしたら、さすがに勘違いでは済まされなくて。私は冒頭のような自問自答を繰り返しているわけである。
しかも困ったことに、なぜか私は彼と日直が一緒になることが多くて、休憩時間に黒板を消したり、クラス全員分のノートを集めて職員室に持って行ったり、放課後に日誌を書いたり、そういう作業ごとに話しかけるたびに目を逸らされ短い言葉を返されるだけなのだから、落ち込むのは必至なわけで。
極め付けは委員会。そう、私は彼と同じ図書委員なのだ。最初はすごく嬉しかった。彼との接点が増えるということは沢山話せる機会があるということで、その分、親密になれる可能性があるということになるから。けれども蓋を開けてみればこの有様。つまり今となっては、図書委員会の活動なんて苦痛でしかなかった。いや、苦痛と言うと語弊がある。私はどんな状況であれ彼と一緒にいられて嬉しい。けれども彼は違う。きっと私といてもつまらないどころか、それこそ苦痛でしかないのだろう。その事実を受け止めるのが辛かったのだ。


「名字、俺先に行ってるから」
「え、良いよ!瀬見君、部活あるでしょ?」
「委員会のことちゃんとやらねぇと俺が怒られるから」
「でも…」
「じゃあまた後で」
「う、うん」


珍しくも彼の方から私に声をかけてきてくれたのにはワケがあった。今日は私達のクラスが図書室の本の貸し出し当番になっているから、放課後の貴重な1時間を図書室で過ごさなければならないのだ。と言っても、私は帰宅部だから別に構わない。けれど、バレー部で日々切磋琢磨している彼は1分1秒だって時間を無駄にしたくないだろう。
図書室の当番なんて1人でも全然余裕でできる。そもそも本を借りに来る人間なんて限られているし、そういう人達は図書室を開けてすぐにやって来て用事を済ませてくれるから、1時間も図書室を開けている意味はほとんどないのだ。それなのに彼は律儀にもきちんと図書委員としての役目を全うしてくれるらしい。そういう真面目なところも好きだけど。私なんかと2人で1時間も図書室で過ごさせるのは申し訳ない。
けれどもそう思ったところで、彼はもう先に行ってしまったし、まさか私がすっぽかすわけにはいかないので、私は急いで図書室へ向かった。貸出カウンターの向こうに座っている彼は、私の方をちらりと見ただけで例の如くすぐに目を逸らしてしまい、当たり前のように無言を決め込んでいる。私は鞄を置くと、彼から少し離れた位置に座った。こういう時にこそ誰かが本を借りに来てくれたら良いのだけれど、テスト期間中でもないこの時期の図書室など大半の生徒にとっては近寄る必要がない場所なのだから、そう簡単に来訪者など現れるはずもない。カチ、コチ。学校特有の簡素なアナログ時計が秒針を刻む音だけがやけに大きな音で聞こえる。


「あの、やっぱり瀬見君は部活に行って?」
「なんで?」
「だってほら、全然人こないし。1時間もこんなところで私といるよりバレーした方が時間を有効活用できるっていうか…」
「勉強も委員会も、ちゃんとやらねぇと監督に怒られるってさっきも言ったろ」
「でも天童君はよくサボってるみたいだし」
「なんで天童?」
「え、えっと、天童君と委員会が同じだった友達がそう言ってて…あ、これ内緒にしててって言われたんだけど、」
「ふーん」


必死に会話を続けようとしている自分が情けなくなるぐらい反応の薄い彼に、心の中でがっくりと肩を落とす。まあそうだよね。いつもこんな感じだもん。今更いちいち落ち込んでいたら、私は残りの時間で地中深くまで埋まってしまう。


「名字って」
「は、はい」
「俺のこと怖いと思ってる?」
「へ、え、うん?いや、そんなことないよ!」
「どっち」
「怖いっていうか…嫌われてるのかなって…思ってる…」


あれだけ向けてほしいと思っていた瞳がいざこちらに向けられると、こんなにも緊張するものなのか。あまりの緊張で、私は折角交わった視線をあからさまに逸らしてしまった。しかもプチパニック状態だったものだから、思っていることをオブラートに包むのも忘れて直球で伝えてしまったことに気付く。これで益々嫌われてしまったらどうしよう。そんなことを心配したって、もう言ってしまった後だからどうすることもできないのだけれど。


「…ごめん」
「何が?」
「こんな態度しか取れなくて」
「それはあの…まあ…嫌いなら…仕方ないんじゃないかな…」
「嫌いじゃない」
「え?」
「名字のこと、別に嫌いじゃねぇから」


今の彼の言葉に私はどれだけ救われただろう。彼に嫌われているわけじゃなかった。その事実が分かっただけでも、私にとっては大きな収穫だ。けれども、それならばどうして私にだけこんな態度を取るのだろうか。私の頭の中には新たな疑問が浮かぶ。


「あ、あの、きいてもいい?」
「…いいけど」
「嫌いじゃないなら、どうして私にだけ、その、ちょっと冷たいのかなって…思って…」
「……やっぱそうなるよな」
「あ!言いにくいことなら全然!大丈夫!私そんなに気にしてないし!」
「気にしてねぇの?」
「へ、」
「俺がこういう態度でも名字は全然気になんなかった?」


少し離れた位置から彼の視線が注がれているのをビシバシと感じる。もの凄く居た堪れない。
気にしてないなんて勿論嘘だ。ずっと気にしていた。気になりすぎてそのことばっかり考えてしまって1人で落ち込む程度には気にしまくっていた。けれど、そのことを彼に伝えたからってどうなるというのだ。私には彼の考えていることがちっとも分からない。けれど、なあ、と私の返事を促すように声をかけられてしまったら黙っていることはできないような気がして。私はぽそりぽそりと小さな声で答えるしかなかった。


「気にしてたよ…ずっと。私、瀬見君に何かしちゃったのかなあって。ずっと悩んでた」
「ごめん」
「理由、ちゃんとあるんでしょ…?」
「…あるよ」
「私には言えないこと?」
「言えないわけじゃねぇんだけど…なんていうか…あー…」


やけに歯切れが悪い彼の様子が気になって、ずっと自分の手元ばかりに向けていた視線を横にスライドさせてみる。すると、片手で顔を覆ってうんうん唸っている彼の姿が目に入った。どうやらかなり言いにくい理由のようだ。それならばと、無理して言わなくていいよ、と口を開きかけた時、彼が声を発した。好きだから、って。空耳でなければ確かに、彼はそう言った。好き、って。何が?誰が?突然のカミングアウトに、私の貧相な頭は順応できない。


「好きだから、どう接していいか分かんなくて。ごめん」
「…好き、って、」
「名字のこと、結構前から好きだった」
「え…え?」
「分かってる。急にそんなこと言われても困るよな。俺も言うつもりなかったし」
「そ、そうじゃなくて、いや、びっくりはしてるんだけど、困ってはなくて、」
「でもなんか、言ったらすっきりしたから。たぶん今までより普通に話せると思う」


勝手なことばっか言ってごめんな、って。何度目になるか分からないごめんの言葉とともに添えられたのは、1度で良いから傾けてほしいと思っていた笑顔で。今まで傾けられなくて良かったと思った。だって私には眩しすぎる。そんな笑顔見たら、ほら。口から飛び出しちゃうよ。


「好きです」
「ん?」
「瀬見君のこと、好きです」
「え。…もしかして気遣ってくれてんのか?」
「違うの。ほんとに、好きで。だから今までの冷たい感じとか、結構ショックで、嫌われてるわけじゃないなら良いやって思ったんだけど、瀬見君、急に好きとか言うから…」


もごもご喋る私の発言を一言一句聞き逃すまいとでもしているのか、少し私に近付くような形で前傾姿勢になっている彼の様子を恐る恐る窺ってみる。すると、ごめん、という聞き飽きたセリフを吐き出して項垂れた彼は、暫くしてから赤く染まった顔を上げて尋ねてきたのだ。マジで?って。それはそれは嬉しそうに。
図書委員の仕事が終わるまであと30分少々。邪魔者が現れる可能性が極めて低いこの場所で私と彼の距離が近付くのに、そう時間はかからない…はず。