2010年4月10日


『兄上、言われた通り深海寿永を処理してきました』

 高級マンションの最上階、目の前には中国の夜景が広がっている。きらきらと光る地上の星の先に目を向ければ漆塗りの海。上から下まで壁の代わりにはめ込まれたガラスの向こうの世界が綺麗過ぎて眩し過ぎて、照明の落とされた部屋の中に居るにも関わらず私は目を細めた。報告は済んだ、もう私はこの場に必要とされていない。そう判断し、綺麗な世界から目を背けるように動いた瞬間――がしゃりと鋭い音を立てて綺麗な世界が濁った。

『紅陽』

 地を這うような重い声。私は……動くことすらできない。それほど重い。

『俺は足が付かないようにと言った。そうだろう?』

 鳳琴が先程まで手にしていたはずのグラスが真っ赤な絨毯の上に無残な姿で横たわっている。長い毛の絨毯に埋もれた破片が月光に反射していた。

『申し訳ありませ、』

 私の謝罪の言葉はいつも最後まで紡がれることはない。気付けば口の中は血の味でいっぱいだ。

『ふん、どうせ痛みを鈍くする薬が入ってるんだろう?この程度では何の罰にもならないな』

 確かに痛みはさほどない。――だが、何かが痛い。

『今日はもう下がれ。明日また指令を出す』

 傷口から溢れる血を床にこぼさないよう注意しながら動く。慣れてしまった血の味が舌を通り過ぎ胃へと下がって行った。
 部屋を出るとき、割れたグラスが目に入った。私はいつ壊れるのか――また何かが痛いと訴えてきた。おかしい、薬はきちんと効いているはずなのに。――もしかしたら最近取った子宮のせいでホルモンバランスが崩れているのかもしれないな、と、薬の効かない理由を作れば痛みは自然と治まっていった。

「有問題、有問題――我更想要力量……」



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