眠れぬ夜のアダージョ


お風呂に入って、上がって、服を着て。
濡れた髪を拭いて、それでもまだ湿ったままで。
なんだかそこでドライヤーで乾かすのも、何をするのも面倒になって。

でも身体はひどく疲れているはずなのに、目は冴えてこのまま眠ることなんて出来そうになかった。

昨日のまま床に脱ぎ捨てられた服を蹴散らし、電気のついていない暗い部屋の中を裸足で歩く。
狭い家の中、カーペットの上にうつ伏せに寝転がる同居人。もとい恋人。またの名を又兵衛。
暗い中身動きひとつせずに寝ている姿は死んでいるみたいにも見えた。
私が側にしゃがむと薄く開かれた目

「まぁだ寝てなかったんですかぁ…?」
「うん。なんか、眠れなくて」
「仕方ないですねぇ。又兵衛様がぁ、特別に一緒に眠ってあげましょうかぁ?」

ニタっと笑って、又兵衛は私の手を取る。私も素直に横になれば、又兵衛はまた目を閉じてしまった。

繋がれた手が温かい

今日は散々だったんだ。
客からは理不尽なクレームを付けられるし、それを理由に上司は私のことをなじってくるし、先輩からは仕事を押し付けられるし。

(今時『女は家にいることが仕事』だなんて時代遅れだっつーの)

彼らは、私に自分のストレスを押し付けたいだけだ。それがどれ程のストレス解消になるのかなんて知ったことではないが、私にそれが回ってくるなんてとんだ迷惑だ。
最低だ。最悪だ。

それとも、耐えられない私が弱いだけ?


「名前」

「又兵衛様が居るのにぃ、泣くんじゃねぇよ」

繋がれた手と反対の手で、又兵衛が私の頬を撫でる。さらりとして、でも又兵衛の指についた水は私の涙だった。

「お前はよく頑張ってるだろ」
「うん、…うん。又兵衛、ごめんね」
「又兵衛様そんな謝罪がききたいんじゃないんですけどぉ?」
「…又兵衛、ありがとう」
「よく出来ましたぁ」

ぐしゃぐしゃと私の髪を乱しながら頭を乱暴に撫でられる。
又兵衛は怖い顔をしているけど、すごく皮肉屋だけど、捻くれてるけど、でもほんとは凄く優しい人だった。今も、外では絶対に見れないような子どもみたいな顔して笑ってる。
額をくっつけて、温かい又兵衛の体温をもっと感じられるようにする。体温は伝染して、私の心まで温かくなるようだった。

「又兵衛、明日は散歩に出かけようよ。土筆とか、芹とか取って、山菜ごはん食べたいな」
「それ俺に作らせる気ですよねぇ?お前料理出来ねぇんだから。まあ、どうしてもって言うなら作ってあげてもいいですけどぉ?」
「どうしても!この通りです又兵衛様〜」
「チッ、仕方ねぇですねぇ?この又兵衛様が腕によりをかけて作ってやるよ」

もう時期長かった一週間が終わる。外は春の温かな風が吹いている。

脱ぎ捨てられた服も、濡れたままの髪も、そのままで眠ってしまおう。部屋は本が散乱していて寝にくいけど、それはすぐに慣れるし大丈夫。明日2人で片付けるから。
きっと次に仕事に向かう時には、晴れやかな気持ちで歩き出せる。私は頑張ってるから。まだ、頑張れるから。

あんなに眠れないと思っていたはずなのに、急にやってきた温いまどろみに身を委ねる。

「おやすみ、又兵衛」
「…あぁ、おやすみ」



おやすみバイバイまた明日


imagesong:ミュージック/サカナクション




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