小政 かけるよりぷらす寄り。








「新年ですよ」
「だな」

ずずず、と茶をすすりながら、小十郎は布団から綿のはみ出たこたつに入る。しかしこたつは侵入を拒むように、彼の足に置き場を与えてはくれない。狭い空間の中に家主の足が堂々と占拠しているからである。それもいつものことだと足の間に、潜り込ませるように密着させ、小十郎は暖をとる。
この家はおかしい。こたつに入らなければ、びゅうびゅう雪の荒れ狂う外気と何も変わらないくらいに寒いのだ。足の表面を、そして体の芯をじんわりと温めてくれるその熱にようやく一息ついた後、真向かいに座り半纏を着衣する家主、政宗に話しかけた。生返事が返ってきたのはみかんに夢中のためである。

「さて今年こそは規則正しい生活を送っていただきますからね。分かりましたか?」
それを気にするわけでもなく小十郎は窓の外に目を向けた。

「ん、分かった分かった。あ、みかんちっちゃいの出てきた」
「話聞けや」
「聞いてる聞いてる聞いてますとも…毎年同じこと言ってんぞ小十郎」
「あなたが日々進歩しないからです」
さらりと吐く毒に「sorry. そりゃどうも」と今度は白い皮を向くのに夢中な政宗は気のない返事を返す。

「…………それで」
「? なんだよ」
「一体いつになればあなたは目の前のものに取り組んでくれるのですかと思いましてね」
小十郎はため息をついた。机の上に広がる真っ白な原稿用紙を指差す。

「いい加減仕事をしてください、先生」

先生、と呼ばれた彼は、小説家を生業としていた。
彼の執筆活動の際の名前は『伊達藤次郎』。
毎年行われる、彼の先人の名が付けられた文学賞を見事受賞し、世間から脚光を浴びることとなった、今を輝く時の人である。最新作のドラマ化、映画化が決まり、様々な出版社から原稿を書いてくれ、挙句の果てにはテレビに出てくれとまで言われとの引っ張りだこ。
つまり、非常に忙しい。はずなのだが。

「無理。なんも思いつかねえもん」
「無理でもひねり出すのがプロってもんでしょう」
原稿には何も言葉が載らず、〆切というデッドラインは確実に彼と編集の首をじわり、じわりと絞めていくのだが、彼にはそれを守る気があるのかという程に、作業をしない。作業をしろと急かせばその度に「書くことがない」「眠い」「腹すいたから後で」と非常にたわけた理由で作業をしない。小十郎も24時間いつでもそばで待機をしているわけではないので、電話で原稿はまだかと急かすこともあるが「もう出来るもう出来るあとちょっと」と言っておきながら、実際に家を訪れると、白紙の原稿用紙が出迎えてくれることもある。つまり今だ。

「やる気が出ねえことにはなー…なんかやる気がアップするようなものがあれば俺は真面目に作業するぜ小十郎」
例えば四角いポチ袋に入っててこの時期になると親戚の人の前に行って元気にあいさつしてニコニコ笑ってるだけで必ずもらえる素晴らしいアレがほしいと主張する政宗に。

「……で?」
「なあ、魚心あれば水心ありって言葉知ってるか?」
「甘えんな。というかあなたの今までの正月の過ごし方はよくわかりました」
「たかって何が悪い」
「アンタ自分が今何歳だと思ってんだ」
「さあ?」
鬼編集の顔に、今までなりを潜めていた青筋がうっすら浮かび始める。この男に怒るだけ無駄だ、意味がないから一々目くじらを立てるな落ち着け深呼吸と自らに言い聞かせ、話をそらすことにした。
「……にしても寒いですねこの部屋。ストーブとかないんですか」
「んな贅沢品この家にあるかよ」
「じゃああそこから漏れてる隙間風ぐらい」
「無理。金ない」
「それはあなたが仕事をしないからだ」


本人が入った印税を見た際にRoyalty life cheers(ああ、こんにちは麗しの印税生活)!と銀行で叫んだのが良き実例。そのまま奇声をあげながら、銀行内を走り出そうとした政宗の後頭部を殴って連れ去った男性がいたとかなんとか。

そんな政宗が何故隙間風に耐え忍ぶわびしい生活をしているかというと、理由は単純明確。
執筆速度が非常に遅いのである。非常に遅いのである(大切なことだから二回言いました)。
ちなみに、もちろん政宗にだって締め切りはある。が、守った試しなど、ない。まさに編集者泣かせ。
しかし皆様、数ヶ月ぐらい仕事をしなくたって溜まりに溜まった印税があるから大した問題ではないだろうと思われるだろう。小十郎だってそれくらいは、と目をつぶっていた。文さえ書ければと。ところがどっこい。


「って!また新しいの買いやがったな!」
そう言いひょいと政宗の視線に瓶を掲げる。
「小十郎…地酒はいいよなあ」
酒。地酒。銘酒。
「なにしみじみ言ってんだ!というかいつ買った」
ここ数週間はずっと缶詰で唯一外出したのが昨日の他社の取材だけだったはずだ。仕方なしに外出を認めたがおかげでこちらは家に帰れない。
……ん?
「そういえば昨日はどこに行ったんですか」
「ハポン三名園」
といえば兼六園、後楽園、偕楽園である。
「そうだ。ついでに土産も買ってきてある」
「あ、ありがとうございます」
珍しいこともあるものだと素直に礼を述べようとしたが、手に乗せられた銘菓ともう片方の手に握られた地酒。製造地が同じ生産物。
「」
「んー?」
信じられないというように目を見開いて凝視する小十郎に、にいっと口端を曲げて笑う政宗。
「取材で酒買ってくんなって言ってんでしょうが!」
「はっはっは何を証拠に」
「このやろう……!せめて通販しろ!いい加減アナログから卒業しろ!紙じゃなくてパソコンを買え!」
悪びれる様子もなくいけしゃあしゃあとする政宗にコタツをバンバン叩きながら小十郎は吠えた。

「なんのために私がこんな日にまで仕事してると思ってんですか!あなたが印税を馬鹿みたいに酒につぎ込むだけならまだしも、酒のせいでいつまで経っても書きゃしない!一文書くのに一日使うとはどういうことだ」

政宗は執筆の合間合間に瓶を掴んで酒を飲みまた考えに詰まっては酒を飲み、詰まらなくても酒を飲み、とにかく酒瓶から手が離れない。酒飲みの多い仙台の出身だから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
しかしそんな理由で小十郎が納得するかと言えば
「するわけねえだろ」
だそうで。

「ああもう、いい加減にしてください先生!」
俺の人権を返してくれ!と言わんばかりの剣幕に政宗も思う所があったのか言葉を飲み込む。
「……sorry」
しょぼんとまるで捨てられた子犬のように政宗は落ち込んだ。立ち上がり「シャーシン切れたからコンビニ行ってくるな」と言う。小十郎が自分が行くと立ち上がる前にコートを着込み足早に扉を開けて飛び出した。

「…怒った、のか?」
いやいや、怒りたいのはこっちだ。狭いコタツに顔ごと潜り込み(足が出た。寒い)あのクソ作家と悪態つく。政宗のしょげた背中が頭に浮かぶが、構いもせず目を閉じた。








目を開く。体がだるい。あのまま寝ていたのかとぼんやり思いながら小十郎はのそのそと体を起こす。
「……先生?」
周囲を見渡しても(そもそも見渡すほどのスペースがない)誰もおらず、今は何時だろうかと腕の時計を見た。ただいまの時刻。丑三つ時を過ぎた、明朝四時。寝過ぎた。

寝起きでぼんやりとする小十郎は机の上に見覚えのない茶の封筒が置いてあることに気づく。まさか。
「原稿…!」
慌てて封を開けるとそこには文字の羅列がずらりと並んだ原稿が入っていた。大まかにページ数を確認する。全部ある。思わず叫びそうになるが、明け方なのを踏まえ口をつぐんだ。
「………これで、帰れる…!」
握りこぶしをつくり盛大にガッツポーズをする小十郎。ああ、こんにちは愛しの我が家!

にこにこ笑顔の小十郎はおもむろに自身のセカンドバックと封筒を掴み、急いでボロアパートから出た。どうせ盗られるものもないだろうと判断し、鍵は開けっ放しである。酷い。
今なら始発で会社行って、編集長に渡して(どうせいないから机の上にでも置いときゃいい!俺の仕事はそこまでだ)さっさと家に帰って寝る!

そんなささやかな期待に胸を膨らます小十郎は気づかなかった。たとえ気づいていたとしても、テンションが上がりに上がっていた小十郎は深くは考えなかっただろう。政宗が家にいなかった理由を。




まさに今着いた始発に駆け込んで電車に乗り込み、最寄りの駅に着いたら今度は編集部まで走る。会社に着いた頃には小十郎は肩で息をするほど疲弊していた。それほどまでに、小十郎の帰宅願望は強かったのである。そう思うようになってしまった過程は各々考えてもらいたい。

「編集長!」
封筒とセカンドバックを片手に、ふらふらする足腰を酷使して自身の仕事場に入り込む。
「久しぶりに来たと思ったら、いきなり騒がしいねえ、片倉さん」
新年明けまして、と間延びした声で話しかけるのは今年入った新入社員の猿飛である。

どんなに難癖つける作家でも期日までには必ず原稿を書かせ、悠々と定時に帰る。そんな男。一回でいいから俺と担当変われ。

「…猿飛か」
「猿飛です」
にへらと笑って猿飛は他よりも少し華美な編集長の椅子に座った。どうやら編集長はいないらしい。
「新年早々会社人間なんて、仕事熱心!」
「お前もだろうが」
「俺は暇だったんですよ」
やることもないし。座りながら椅子をくるくる回す猿飛は少し寂しそうにも見えた。

「まあ、彼女にもふられたし。そんなもんでしょう」
どうやらふてくされてるだけだったようである。しかし、このまま話していたら別れ話やら愚痴やらに話が流れていきそうなので小十郎は原稿を眺めることにした。

「あ、伊達先生の原稿、持ってこれたんですか。ねえ、片倉さん、伊達先生ってどんな人なのか良い加減に教えて下さいよ」
あの人テレビでも顔出ししてないし、立ち上がり猿飛が後ろから覗きこむ。その顔にはありありとした期待と興奮が見えた。伊達藤次郎の文が好きだと純粋に思えているこの男が少々羨ましいのかもしれない。そう思った。
内面を知った今となっては中々素直な感情を向けたくない。なにせ相手は人間的にはただただクソ生意気な男で、話もまともに聞かない、原稿もぎりぎりまで出さない、本気を出せばもっとはやく終わらせることもできる癖に中々作業をしない、プロ意識の皆無な小説家で。
それなのに、いいもん書くんだよ、あの男。

「……ん?」
おい、ちょっと待て。まさか。どしたの片倉さんと聞いてくる猿飛に返事を返す余裕もなく、小十郎は最終ページに書いてある言葉を眺める。猿飛もそれに気づいた。

俺が真面目に言うこと聞くと思ったら大間違いだ。本当の最終ページは俺が持ってる。悔しかったら追ってこい。馬鹿編集。
PS.最近寒いから南国に行きます。 A good New Year(よい正月を).

読み終えた小十郎はわなわなと体を震わせ、しかしすぐに動きが止まる。後ろからは猿飛の押し殺した笑い声(酷く楽しそうである)が聞こえた。
「…あんの、クソ作家ぁああああ!」




その後、石垣島にて泡盛を煽るように飲んでいた政宗を見つけた小十郎は、とりあえず銀行の時のように後頭部を殴り、ぐったりした政宗を連れて帰ったそうで。売店のおばちゃんが目をまんまるにさせてふたりを見ていたが、そんなもの気にする余裕もなかった。
今度こそ帰れる。もう、それしか小十郎の頭にはなかったのである。






人気作家政宗(貧乏)と編集者小十郎。
かわいそうな編集者。

(頼むからアンタは余計な知恵をつけるな!)

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