半分の糸 手元の文は、お決まりの挨拶から始まっていた。 書き手の性格にはどこか似合わない堅苦しい文面で、向こうの近況とこちらからの申し入れへの遠回しな断りと、彼の主からの他愛ない伝言。 たったそれきりしか書かれていない。 政宗は横から様子を伺う視線に落胆を悟られぬよう、相変わらずだなと笑った。 相手が一武将である以上、このやり取りが国と国との事にまで発展することは早々ない。 それを知っていて、政宗が幸村へと送り続ける文は、半分どころか粗方が私的なものだ。 取り立てて用件があるわけではない。むしろその用件を作るために、まめに文を送る。 ただ公を装っているがために、直情的に綴る事は憚られ、どうしてもはっきりしたことは書けずにいた。 だが、見る者が見れば、それが恋文であることぐらいすぐに分かってしまうだろう。 幸村がこの手の事に疎いのは分かっている。 それに加えて、遠回しな表現などしたら、馬鹿正直に文面をそのまま受け取った返事が返ってくるのは想像に難くなかった。 正直張り合いはない。 それでも、政宗にとっては、幸村が、自分への手紙のために筆を取った事が嬉しかった。 いつかは感付く事に期待をして、今しがた受け取った返事の返事をしたためようと、机に向かう。 傍らでは、幸村が文を託した猿飛が、次に受け取る物を待っていた。 いつも、彼が運んでくる手紙に、すぐに返事を用意して、持って帰ってもらう。 こちらから使いを出してもいいのだが、幸村が寄越すのはいつでも猿飛だった。 忍の中でもそれなりの役に付いているこの男ならば確実だと、政宗にもそう思えるだけの存在だった。 その信頼の粗方は、幸村が重用しているからという、根拠にするには少し弱い理由ではあったが。わざわざそんな者を遣いに寄越すのだから、幸村もそれなりにこのやり取りを大事に思ってくれているのだろうかと期待してしまう。 武においての好敵手が、読んで字のごとく好きな敵となってしまった今、政宗はあの手この手で、少しでも関わりを持とうと躍起になっていた。 これまで何度、こっちに来いだとか、行きたいだとか書いただろうか。 その度に、嬉しいが今は無理だ。またいずれと、断られる。 嬉しいという言葉に偽りはないだろうという確信はあった。 幸村の様にその文面を正面から捉えた訳ではなかったが、互いに勝負の場をと望む気持ちだけは疑いようがない。 だから手合わせをと望む事の何がおかしいだろう。 それは建前ではないのだ。本音の一部に過ぎないけれど。 ただの稽古、手合わせに過ぎなくても、幸村は真剣に取り組む男だ。 あの真っ直ぐで曇りのない目が、ただ自分だけを見据え、視界に捉え、逸らさずに追ってくる。 この世で二人きりになったような錯覚。戦場で対峙した時に味わったその快感を政宗はまだ覚えていた。 たとえそれが命をかけた戦場であっても、きっと同じ思いに囚われるのだろう。 それにしても、回りくどい事を言ったところで一切通じないとなれば、次はどうするかと政宗も頭を抱えたくなる。 「あいつ、鈍そうだとは思ってたけど、ここまで鈍いとはな」 思わず猿飛に愚痴ってしまう。 「何が? 殺気にはそんな鈍くないでしょ」 「腕の事いってんじゃねえよ」 「へ? じゃあ何」 「分かりやすく惚れたって言わなきゃ通じねえのか、って、あ、いや……」 政宗は慌てて口を噤んだが、もう遅い。 よほど驚いたのか、一瞬猿飛は目を丸くして、すぐに冷やかすような顔になった。 「へぇー、意外……でもないのか?」 「ほっとけ」 「旦那とは刀振り回してる方が楽しそうだけどねえ。で、その鈍感のどこがいいのさ」 「さあな、忘れた」 声の届かない距離にいたって、視界に入ればすぐその姿に目が引き寄せられる。 わざわざ探そうなんて思わなくてもすぐに見つけだしてしまう。 一度見つけたら最後、今度はどうしたって探してしまう。 いつだって向こうが気付いてくれやしないかと、目で追いかける。 「まあ、恋ってのはそういうもんらしいぜ」 機会さえあれば、一度でも多く会いたいと思う。 いつ、その先が消えるか分からない乱世だからこそ。 いずれは真剣勝負で雌雄を決する相手となるだろうから、余計に。 「そっちが平気なら押しかけてもいいんだが……」 「いや、さすがにそれは」 「冗談だ。いくらあいつでも迷惑するだろ。俺もそんなに手が空いてるわけじゃねえし、身軽なアンタが羨ましいぜ」 「身軽でも、勝手は出来ませんがね」 猿飛は困ったような顔で笑うだけだった。 立場をわきまえろだとか、自分の主を巻き込むなだとか、刺々しい言葉をで釘を刺されるかと思ったけれど、何でもないように聞き流してくれた。 「ふざけんなって説教でもされるかと思ったぜ」 「人の恋路を邪魔する奴は何とやらっていうじゃない。俺様そんな事で余計な恨み買って死にたくないし」 ため息をついて、肩をすくめる。 「勝手にすれば」 「Thank you……」 「玉砕したら教えてよ。いくらでも慰めてやるぜ?」 猿飛は、そうからかうように笑うが、別に嫌味と言うほどの調子でもなく、政宗は笑い飛ばした。 案外この忍は理解があるようだ。 あるいは、主の色恋沙汰にまで首を突っ込む心算はないときっちりと線引きをしているだけなのかもしれない。 それでも、幸村のすぐ側にいる人間には変わりない。止められなかった安心と、いつでも近くにいられる特権への嫉妬は消えない。 やっかみから、ここに来るたびにからかっていたのに、今度からはこちらがからかわれる番かと思うと、少し悔しくもある。 「Ha、流石に手伝ってくれる程ほど暇じゃねえってか」 「当たり前でしょ、俺様は旦那の忍じゃないんですから」 政宗は書き上げた文を猿飛に手渡す。 「頼んだぜ」 「はいはい、分かってますよ、これがお役目ですから」 改めて念を押した政宗に、しつこいとでもいいたいのか、お座なりな返事をすると猿飛は姿を消した。 いつもより無駄口も少なくあっさり帰ってしまったので、政宗は少しつまらなく感じたが、驚かせたのはこっちの方だ。 この次は、素っ気ない文を受け取る覚悟のついでに、少しはからかわれる覚悟も必要かもしれない。 ****** たかが紙切れを大事そうに手渡してきた政宗を、佐助は直視できなかった。 平然としていられただろうか。 様子がおかしいとは思われなかっただろうか。 そんな事見抜かれた時点で忍びとしての手腕が問われてしまうだろうが、事が事だけに佐助も驚きは隠せない。 政宗と幸村とは同世代ではあっても、立場が違う。 互いに好敵手として認め合っているのは傍から見ていても嫌という程分かっていたが、こう頻繁に文のやり取りがあるのは、佐助の目から見ても少し不思議だった。 友誼を結ぶのはいいが、刃を向け合う相手と親しくなりすぎても辛いだけではないのか。 それとも、いざというときには無視できるほど、形ばかりのやりとりなのだろうかと、思っていた。 ただ、佐助が顔を見せた時に政宗の表情が明るくなるのに気付いた。 育ちや役目の影響かもしれないが、幸村のような若さをあまり感じさせないあたり、可愛げないと思っていたが、そうでもないと知ってからの佐助は自分でもわかるほどおかしかった。 そうでなければ奥州へ文を届けるだけの任務に自ら志願することなどありえないだろう。 佐助も自分が長である自負はある。 簡単な仕事は出来る者に任せていかなければ、体がいくつあっても足りはしない。 全ては、政宗に会いたいがためだった。 文が書き上がるのを待っていたのも、その間ぐらいはどんなに中身がなくても話ができる貴重な機会だったからだ。 忍の自分には手の届かない存在だが、顔見知りになれば世間話の一つも出る。 政宗が喜ぶので、障りのない程度に幸村の失敗談を笑い話として提供したりして、そんなわずかな時間が嬉しかった。 帰りに持たされていた幸村宛の文の中身など、知りもせずに。 自分を待っていてくれる訳じゃないと、知ってしまえば苦しいだけだ。 政宗が心待ちにしていたのは、自分が携えてくる文だけ。 たとえ、自分が向かわなくても、幸村からの文が届けばあんな顔を見せるのだろう。 想い人の恋路の手伝いなど、喜んでする奴がこの世のどこにいる。 手元の文も、恋文同然と知れば今すぐ細切れに引き裂いて川にばらまいてしまいたいぐらいだ。 「それができりゃ、苦労はしない、か」 忍の本分を外れたことまでは出来ない。思い通りに動けない自分のどこが身軽なのか。笑ってしまう。 思いの丈をそれとなく綴る事が出来る政宗の方が、行動に移すのは早いだろうに。 幸村の鈍感さは佐助もよく知っている。 そのまま気付かずにいてくれないかと願ってしまう。 (勝手にしろとは言ったけど、邪魔しないなんて約束もしてないしね) 帰ったら、信玄に相談してみようかと、佐助は企んだ。 そろそろ旦那にも、お似合いの娘を紹介してあげてくださいよ、と。 恋に破れて打ちひしがれる政宗を、慰める機会がもしあれば、一時でも自分のつけ入る隙が出来るんじゃないかという汚い打算もあった。 佐助とて、政宗の幸せを願わない訳ではない。 戦が絡めばまた別だが、そうでなければ平穏に過ごしていてくれればいいとは思う。 ただ、他人の手で幸せになるのは見過ごせない。 己の汚れた手は届きはしないと分かっているからこそ、せめて誰の物にもならぬようにと願う。 それが間違っているなんて、どうしても佐助には思えなかった。 「そういうもんらしいぜ、って……なんだよまだ餓鬼のくせして偉そうに」 少しはにかんだ顔で語る彼の顔を思い出しては、軋む胸に苦笑いする。 「そんなこととっくに知ってるっての」 どうか、彼の恋が報われないように。 そう願ってやまない。 → |