伊達ちゃんは暑さに弱い。 だというのに、家では電気代をケチってエアコンの電源をいつもオフにしているらしい。甘いものは嫌いだと言って、アイスや清涼飲料水は滅多に買わない。その上、彼は生まれつき汗をかきにくい体質だという。汗で発散出来ない分、熱が体内に籠るらしい。夏場はよく顔を火照らせたまま項垂れる彼の姿を見ることができる。 「はー…今日も暑いねぇ伊達ちゃん」 「……」 「伊達ちゃん?」 今日も、また。彼はじりじりと焼けつく夏に負かされている。 「暑いのなんてお前に言われなくたってわかってんだよバーカ」 俺の後ろの席で、伊達ちゃんは上半身裸で机に突っ伏している。先生達も初めはそんな彼の格好にいちいち小言を言っていたのだが、何度言っても直す様子が無い為に諦めてしまったようだ。 「伊達ちゃん、コンビニでかき氷買ってきたけど」 「甘いもんは嫌いだっつってんだろ」 「そう言う思ってシロップ無しにして貰ったよーん」 「それはそれで萎える」 「気儘」 「うっせ。いーから氷よこせよ」 「はいはい」 氷のカップを手渡す時に触れた、白い指先。彼の指先は熱い。けれど、本当は俺の指先の方がずっとずっと熱を持っているのだ。その熱は、後を引く。伊達ちゃんは、それを知らない。 「はー…冷たァ……」 せめてワイシャツで隠してくれればいいのに。薄桃色に上気した肌は俺には目に毒だ。見た目に反し乾いた皮膚はきっとさらりと滑らかだろう。汗ばむ俺の手が触れたら、そこから彼の内に溜め込んだ熱が溢れ出てしまいそうでこわい。冬の間はなんの躊躇いもなく出来たボディータッチが、今は、そんな風に妙に意識してしまって出来ないでいる。 「喜んで貰えた?」 「おー…まぁ、そーな」 「微妙そー」 ストローでできたスプーンを齧りながら、伊達ちゃんは長い睫を伏せた。たらりと汗が、俺の首筋を伝う。外から絶え間なく聞こえている蝉の鳴き声が頭の中で反響する。なのに何故か、彼の声だけがやけにクリアに聴こえるのだ。 「頭いてーんだよ馬鹿」 「あー…やると思った」 「それに、内が冷えても表面があっちいんだよなあ」 煩悩、だ。 ムラムラしている。同級生に。男に。……だて、まさむねに。ワイシャツで隠してくれと思いながらも、もう全部脱がしてしまいたいとも思っている。 「あー…」 伊達ちゃん程では無いけれど、俺だって暑さには弱いのだ。思考能力が普段の半分近くになってしまっていたって、それは何もおかしなことではない。けれど、こうも一つのことだけを、伊達ちゃんのことだけを考えるのは、あまりに異常だ。 「あつい……」 暑さに喘ぐ彼が可愛いだなんて思うのは。夏の暑さの所為か、それとも、彼が施した熱の所為なのか。触れたら、どうなるのか、なんて。きっとどうにもならないことなど、分かっている。それでも、彼が、俺に触れられる為に乾いた肌を晒しているような気がしてしまう。湿った俺の指が触れれば、彼が閉じ込めていた汗を解放してやれる気がしてしまう。 「あー…、あついあついあついっ…!」 「……暑いって言うから暑いんだよ、多分」 「じゃーなんて言ったらいんだよ」 「寒いとか?」 「んなあからさまな嘘吐いたって虚しいだけだろ。どう言ったって、あついもんはあつい、誤魔化せねーよ」 恋では無いと言ったらこの気持ちは恋ではないのだろう。言わなくたって、恋と呼ぶには熱すぎることくらい知っている。けれど、一夏の過ちと、そう片付けてしまいたくはない。この熱が純粋なものだとは言えずとも、ならばそうなるまで育てたい。気の迷いだったと言ってしまえる程気楽で曖昧なもので終わらせたくない。 その為なら、ひとつふたつ位の過ちを犯しても構わないだろうか。許してくれるだろうか。 「……っねえ」 じわりと額に汗が浮き出した。温い風に煽られたたっぷりとした鶯色の髪がすぐ目の前で揺れている。首筋が、背中が、じんわりと熱を持って汗ばむ。服が張り付いて気持ちが悪い。 「何」 「あー…断られるのを承知で言うんだけど」 「ん、だから何」 「背中、触らせて」 伏せた睫を持ち上げて現れたのは、思いの外潤った瞳。きらきら輝いて、まるで、水面に浮くビー玉みたいに。 「なんで」 「なんでっていうか」 触れることで解放されるのは、なにも彼の熱とは限らない。彼に触れたら、もしかして俺の熱が解放されるのかもしれない。少なくとも俺は、この熱を解放する方法をひとつしか知らない。 彼に触れる以外の解決策、俺は知らない、分からない。 「熱冷ましに」 「はー?」 「……や、ほら。風邪引いて熱出た時ってさ、上がりすぎると下がるでしょ。そんな感じ」 「?じゃあお前俺に触ると熱出んのかよ」 頬杖をつきながら、まっすぐこちらを見詰めるビー玉が、すき。風に舞う鶯色が、すき。期間限定でさらけ出される白が、すき。触れる指先の熱が、すき。 「そうだよ、って言ったら?」 恋ではないと言えば恋ではない。けれど、恋だと認めてしまえばそれは恋以外の何物でもない。 「……」 「……、伊達ちゃん?」 伊達ちゃんの白い手がひとつしかない目を覆う。細い指の間から覗く頬が赤く火照っている。熱を帯びたくちびるが僅かに脹れている。 「好きにしろよ」 腹の奥の方に燻った熱の塊が込み上げてくる。額を汗の粒が伝う。どくどくと高鳴る鼓動が耳を狂わせて、他に何も聞こえない。指先が微かに震えている。いま、吐いている息はきっと邪な熱を孕んでいるだろう。とっくに、俺の邪欲など、気付かれているのかもしれない。 「っじゃ、」 立ち上がり、伊達ちゃんの後ろに回る。伸ばした手が、指が、みっともなく震えたまま、彼の白い皮膚に触れた。ぴりりとあまい戦慄が走る。ぞくりと背中が粟立った。駄目だ、分かっているのに彼を撫でる手が止まらない。背中から項、首筋へ。 「っ、」 自分の指先が熱すぎて、あんなに焦がれた伊達ちゃんの熱が解らない。白い皮膚が、俺の指が辿った軌跡通りに薄桃色に染まっているように見えるのは、ただの幻像か、それとも、或いは、 「……」 「Don't touch me so thickly...」 「は」 「俺が何の為に、堪えてきたのか、知りもしない癖に、そんな触れ方、すんのかよ…」 「だ、てちゃん」 白磁のような肌が色付く瞬間はとても綺麗だ。同時に、ひどく淫欲的でもある。夏のさわやかな熱がねっとりとした欲望に変わる瞬間は汚穢でしかない。けれど同時に、砂糖のような甘さを孕んでいる。 「でも、ごめん、もうちょっとだけ」 どうしても、それを、味わいたくて。彼の制止の声は確かに耳に届いているのに、脳が、掌が、指が、拒絶する。 「−…っ!」 どんな、色に触れても。どんな、熱に触れても。上り詰めた欲がすべて指先から溢れても。彼の白磁が壊れても。 指先の感覚が麻痺しつつある。手のひらをぺたりと彼の背に当てた。じっとり濡れた掌が乾いた彼の皮膚をするりと滑る。 伊達ちゃんがじりじり焼けつく夏に負かされているように、俺は彼の熱にじわじわ蝕まれているのだ。「それ以上っ…!」 あ 「……うん、分かった」 その、腕に、手に、手首に、脚に、膝に、爪に、髪に、頬に、額に、鼻に、瞳に、くちびる、に。触れてしまいたい。 一度触れてしまったら止まらないと分かっていて、触らせてと彼に懇願し、実際に触れたらやっぱり止まらなくて、でも、水気を帯びた瞳に貫かれれば、体は、止まってくれた、手は、彼から離れてくれた。 離れられないのは頭だ。脳味噌が、もう、伊達ちゃんのことしか考えられない。 「さると、び」 「あ…ごめ、…つい」 「話、聞け」 「だめ、聞けない」 彼から目をそらす。欲で霞む視界に一度でも彼を映せば、きっともう歯止めが効かなくなるだろう。 「いーから」 「っあ!ば、」 腕を掴まれて、そのまま引かれる。彼に触れることで麻痺してしまったそれは、容易く持ち上げられ、力の抜けた体は、ずるずると半ば引き摺られるようにして彼のされるがまま進むがままについて行くしかない。 「ちょ、伊達ちゃん…?」 「好きにしろって言っただろ」 「え…、ああ、うん」 「場所さえ変えてくれれば、それで良いんだ。やめなくていい」 「は?」 「お前のしたいようにすればいい、なあ」 長い廊下を歩く。白い背中。汗をかかない背中。普段はだれて猫背になっている背中が、いまはしゃんと伸びている。触れたい。全身に触れてしまいたい。そう意識して、自分の手首には彼の手が触れていることに気付く。その手が、小さく痙攣していることに、気付いてしまう。 「だ、」 夏が終わって、彼がワイシャツを着るようになれば、こんな欲などなくなるのだろうか。震える乾いた掌をいとしいだなんて思わなくなるのだろうか。 汗が頬を伝い、首筋へ垂れた。 焼けつく夏が終わったら。この汗を、熱を、欲を。恋と、呼んでも、構わないだろうか。 「お前の熱は冷えたか、猿飛」 「おれは、熱いよ」 「あついよ」 辿り着いたの空き教室の扉を勢いよく開くと、噎せ返るような熱に襲われた。ふたりぶんの、欲望の、温度だ。 110923 彼の白磁は熱かったろう ◇ 5000打記念に『磊落』のあゆむさんからいただきました! うぎゃああああなんだこの青春を謳歌しすぎている二人は!かっちょいいな!かわいいな!悶える!素敵! センチメンタル系うざ佐助とか新ジャンルを開拓したあゆむさんに、敬礼。 5000打おめでとうございます!そしてなんとも書きづらいリクエストをしたのにこんな素敵なおはなしありがとうございました! |