清々しい朝だ。
店から自宅アパートへと歩む足取りは風のように軽い。
お留守番が得意なあの子が待っている。
俺の帰りを待っている。



喩えるなら、アメリカンショートヘア。
人語を理解できる猫。



あの子の為に俺はなんでもやってきた。
一緒に住める部屋、一日三回の食事の準備、お小遣い。
不機嫌で笑顔が崩れてしまうのが嫌だから。

毎晩男に媚びを売って財布の中身を一杯にして帰る。
苦痛なんてない。
寂しがりのあの子のことを考えたら、そんなこと吹っ飛んだ。





「政宗ただいまー!」



おかえり、が聞こえない時はプレゼントしたおもちゃで遊んでいる時だ。

案の定彼はヘッドホンをして、二台のパソコンの前でケタケタと笑っていた。
右のウィンドウにはニコニコ動画、左のウィンドウには株式推移表。
また貯金を増やす為に頑張っているらしい。



「はは、ははははは、…あ、もうコレ売った方がいいかなー、よし、二百万げっとぉ!」

「二百万?すごいじゃーん!」

「為替はー…、これならあと二時間様子みるかぁ、上がりそう…。」



彼の座る回転椅子の両脇には経済や株、為替取引に関する本が惜し気もなく積まれている。
『コレすっげぇおもしれーの!』と話して聞かせてくれた日が懐かしい。

有名な幼稚園、有名な小学校、有名な中学校、有名な高等学校。
彼は入学だけして一度も通わず、自室に篭って延々と一人で勉強していたらしい。
『学校はつまんねぇ、どいつもこいつも頭が悪い。』
名門大学に入学しても彼は一歩も外に出ず、五倍のレポートをこなして単位を取った。

稀にみる天才。
好きなものは数字と活字、嫌いなものは人間、あとは興味が全く無い。
放っておけば食事もとらない、風呂も入らない、寝ない、一言も喋らない。

日に焼けることを忘れた真っ白い肌が不気味だ。
薄っぺらい肩や組まれた細い太腿が、異常性を物語る。



「動画つまんねー…、モンハンやるかぁ、あ、佐助帰ってたのか?おかえりー。」

「うん、ただいま。」

「なぁなぁモンハンやるからさー、フルボッコするとこ見ててよ。」



またケタケタと笑って、俺が出掛ける前のままのテーブルからゲーム機を引っ張ると電源をつける。
キッチンの流しにも何もない、また飲まず食わずでいたようだ。
冷蔵庫から水のボトルを取って差し出してみたが、もう意識はゲームの中なのか、無反応だ。

黒縁眼鏡の奥の瞳はキラキラしている。
彼にとって、現実は楽しくないし、輝いてもいない。
部屋に散乱している本と漫画、それからパソコンにゲーム、非現実的な仮想世界だけが彼に自由と力を与えている。
彼をこうしてしまったのは、なんなのだろう。



「あーそうだ、アイルーにサスケって名前のやつがいんの!」

「…アイルー?」

「猫だよ、俺のあとくっ付いてきてくれる可愛い猫。アンタみたいで笑えるんだけど!」



腹を抱えて笑い転げる彼の言葉は、俺のこめかみを殴る。

そうだ。
彼にはちゃんと経済力があって、人間らしい生活だって本当に必要なら自分でできるんだ。
俺がいちいち注意しなくたって、眠さのピークがくれば寝るんだ。

彼は守ってやらなきゃいけない動物じゃない。
多少現実が生き難くても、特殊な環境でなら立派にやっていける。
寂しがりの猫は俺だ。

男の下で喘ぐのも、料理を一生懸命覚えたのも、それは彼の為じゃない。
振り向いてほしくて必死なのは、俺だ。



「あ、今思い出した。おもしれー芸人の動画見つけたんだけど、あとで見るだろ?」



デジタル画面だけを見つめている、生温い声音。
彼と俺の間には網膜に映らない赤いリード、持ち手は彼、首輪は俺。

飼われているのは、俺だ。





end.





『みっつ指折り夜になったら、』の松本さんからいただきました!
煮るなり焼くなり好きにどうぞと言われたのでおいしくいただこうと思いますむしゃむしゃごっくん。
某芸人さんのおはなしが元ネタなんですが、


思い込みの恐ろしさとか、飼う飼われるとか、想像すると怖い。
例えば貴方の愛犬は、貴方を"飼っている"と思っているかもしれない。
犬や猫を可愛いといって"飼う"ということは、人間の思い込みが生んだ常識です。


という考えがおもしろいし、それをちゃんと理解してる松本さんは本当にすごいなあと思いました、まる。

松本さんありがとうございました!



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