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母胎と猶予期間


ふと、星を見たいと思った。
すっかりと目蓋は重くなっていたが布団の暖かなぬくもりから抜け出し扉を開く。その日の月は真っ黒に塗りつぶされていたためか、空がとても高く感じられた。その代わりにお目当てのものは煌々と輝いている。
思わず口が緩んだ。

俺はサンダルをひっかけて静かに眠る町を歩いた。そこに足音以外の音はなく、不意に立ち止まると耳を圧迫するような静けさが高揚感を与えてくれる。
風が吹いた。電線が小刻みに動く。木々が揺れ、木の葉がコンクリートを転がりからころと音を鳴らして飛んでいった。空を眺めるとちらほらと明かりが点いている。
雨は降りそうになかった。

「こんばんは。」

次いで流暢な英語が聞こえた。ポケットに突っ込ん だ両手を握る。いたのか、そう思った。首を下げると見知った男がそこにいる。その男もぼんやりとなにかを見上げていた。
「奇遇だな。」
首を伸ばし息を吐く男を数秒眺め俺は再び空を見上げた。
「久しぶり。」
数ヶ月ぶりに会うその男へと呟いた言葉は、不思議とよく響いた。


俺がまだ大学というものに在学中であった時、とある暖かな日差しの差す日に彼の自宅へと赴いた。我が物顔で薄暗い部屋のカーテンを勝手に開けると彼はとても眩しそうに目を細める。どうせまた外には出ていないのだろう。
「これからの予定は?」
伊達は言った。それは遊びに誘う言葉ではなく俺の将来を問うものだった。なにも考えていないよと言うと彼は「ニート」と俺のことを笑った。
「じゃ あこれからなにをしたい?」
伊達は言った。なにもしたくないよと俺は言う。彼の思惑を余所にこれからも彼の部屋に出向くためと、俺はくだらない理由を付けては本心を見え隠れさせていた。
自らカーテンを開けることのない男の代わりに、俺がその役目を果たしていくのだと子供のように、馬鹿のように、思い上がっていたのだ。
寝癖もついたままの彼の唇に触れた。
「そんなことするんならカーテン閉じとけよ。」
「いいじゃない。そういう気分になっちゃったんだもん。」
喚気はまた今度と言う俺に彼は無言でカーテンに手を伸ばす。
「アンタは段々屑に変わっていくな。」
ごもっとも。
それでも、幸せな時間だったと思っている。


今日も雲はなく見上げた先には灯り が点いていた。電灯の光に消されることなく強く輝く星はとても綺麗だった。
「数ヵ月ぶりに星を見た」
不意に伊達が呟く。高い夜空に浮かぶ星はとても小さくこのまま消え去ってしまいそうだった。ただただ音もなく光るそれをぼんやりと眺める。
「帰らないの。」
「アンタこそ。」
学生だろうと笑う彼に今はなにもしていないと答えた。
「そうか、もう卒業していたんだな。」
彼は一度だけ俺を見ると、また空を見上げた。
ひとつの星が流れて、消えた。
布団の中で目を閉じ眠ってしまおうとしたあの時見えた目蓋の裏のひとつの光。誰かに優しく肩を叩かれた気がしたのだ。もう起きろと誰かに呼ばれた気がした。
「新しい環境には慣れたか?」
ひとりぼっちの彼を置いて 、俺はひとりになった。彼に触れることはもうないだろう。あの頃に戻りたいとは言わない、それでも行き先は暗く不安定だ。歩き出さなければいけないと、俺の背中を押したのは彼だったというのに。
「……正直、まだ何とも言えないよ。」
「そんなの、お互い様だろう。」
ここに転がっているもの全てが昔、星だった。
そんな戯言を言われても信じてしまうまでに俺は彼に信奉していたし、その目も声も手も顔も髪も爪も、なにもかもに愛を囁いてしまうほどに愛しいと思っていた。
彼の隣は母胎のようにとても静かで、それでいて生ぬるい優しさを感じられた。彼が何も言わないのをいいことに、俺はそれにずっと甘えていたんだ。

(もう、ここには来るな。)

薄暗い部屋の中で、渡された最後の言葉に反論さえも出来ない俺はなんて馬鹿な男だったんだろう。
孤独な俺達に星は馬鹿にするように綺麗に輝く。ひとりきり同士が隣り合わせにいるからだろうか。視界は滲む。それでも俺は星を眺め続けた。それを未練だと認めるにはまだ時間がかかりそうだとはすでに思い知っている。

「綺麗だな。」
空を見たままの彼の目にも、涙が浮かんでいた。




松本さんちの企画(アシス)でのボツ話。
泣き虫でぼっちで自立能力皆無なふたりとかどうだろう。







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