海外で暮らす寮の住所すら教えてはいないのにすごくまめに手紙を尽八くんはくれた。どこから住所を聞き出したかなんていうまでもなく私の母親であろう。結局空港での見送りに尽八君もきてくれたときはなぜかすごく喜んでいたしそれしか考えられない。手紙もただではない、毎回送るたびに送料だってかかるであろうし本当に多く手紙を送ってくれる彼に一度申し訳なくなりあまり送ってくれなくても大丈夫だと遠まわしにかいてみたところ、思惑とは逆に嫌だったのかという云々が綴られていたので何を言ってもだめだと早々に諦めた。とはいっても尽八くんからの手紙が嫌なわけではない、むしろそれを楽しみにしすぎていつ届くかそわそわしているほどだ。周りの人にはやるねえだなんて、ひやかしも少しあったけれどそんなの気にならないむしろ手紙を見せて自慢してやりたいほどだ。そんなやりとりがあったとしても

(…付き合ってないんだよなあ)

付き合ってはいない、私は出国する前に彼を振ってしまったようなものなのだ。それでも尽八君は待っていてくれると、そう言った。本当に彼は良い人だ。手紙の初めはいつも体は壊していないか、とかそんなことばかりから始まるし私がかいたことにはどれも懇切丁寧に返してくれる。綺麗な字で綴られる長文に胸がぎゅうとしめつけられる。こんなにも良い人で、かっこいい彼がこんな天邪鬼で素直になれずにこっちに逃げてきたような女をずっと待っていてくれるというのだろう。もしかしたら、この手紙も建前でもう彼は日本でとっくに次の女の人を見つけていてもおかしくはない。けれど第一私がこんな気持ちになって不安になるのもお門違いというやつだ、尽八君が彼女を作っていようが別に良いだろうそれなのに、どうしようもなく苦しくなる。就職もいっそ英語をもう勉強して海外にでもしてしまおうかと思ったけれどその答えはいまだ出せずにいる、とりあえず少しの間心も体も日本に帰って休めたいと思った。日本に帰るまで後少しだ。その時彼ははたしてあの時の言葉をそのまま覚えていてくれているんだろうか。




「あんた帰ってくるときも伝えないできたの?」

空港におりたつなり母親に邂逅一番に言われたのはそれだった。まずはおかえりとかそういうのではないかと言いたくなったけれどぐっとこらえてまあね、と曖昧に返せば盛大なため息をひとつもらした。

「尽八君あんたが帰ってくる日を聞いてきたけどあんたが教えないでっていうからてっきり自分で伝えたいのかと思って黙ってたけど失敗だったわね」

「どうせ会えない距離じゃないんだし、お土産を届けるつもりだしその時でもいいでしょう?」

「…あんたって本当に……」

わかっている、素直じゃないといいたいのだろう。何度も自分でもそう思ってきた、今ここに尽八君におかえりと言われたらどんなに嬉しかっただろう、心の中の自分もそれを望んでいるしそうであったらいいなと現に思ってしまったけれど彼はここにいるはずがない。いたとしても心の準備もなにもできていないしなにより怖かった。私だけが期待していたことだとしたらどうすればいいかわからなくなってしまいそうだったから。

「とりあえず、ファミレスで御飯でも食べていきましょうか」

かけられた言葉に笑顔でうなずく、某国は飯マズだとは聞いていたけれどまさにその通りで口に合うもののほうが少なく最初はどうやって暮らしていけばいいか本当に悩んだ。なんとか一年、自分でも本当によくがんばったなと思う。そのおかげで料理の腕は上達したはずだ。日本の料理をやっと食べられる、そう思うと不思議とお腹もすいてくるものだった。


母親と御飯を食べ終えて店をふらりと適当に見て回ってから疲れているだろうという配慮ですぐに家に帰ることになったのは有難いと思った。そこでお土産を整理してから尽八くんにも渡しに行こうと思ったけれど私と彼の間にメールというやり取りはあまりなかった。何か用があれば電話をしたし、海外でも今や無料電話というやつもあるしそれでなんとかなった、なのでメールをすべきかどうか今猛烈に悩んだ。ただお土産を渡しに言ってそれでただいまと一言いいたいだけなのに、考えるだけで心臓の鼓動は早くなりどうしようもなくなるのだ。そして結局はメールはしなくていいかと思った、もし尽八君の家にいって尽八君がいなかったらいなかったでその時はその時だ。
そしてそこまで考えてふと気付いた、彼は今どこで何をしているのだろう。大学に通っているのかそれとも家の跡継ぎとして頑張っているのかそれとも別の道に進んでいるのか、私は本当に彼のことを何も知らなかった。

(やめよう)

彼のことを考えてネガティブになってしまうのはもうどうしようもない癖なのだろうか、こんな自分も嫌だったしうだうだ悩むのも嫌だった。バスを乗りついで行く彼の家までの道のりはなるべく考えないように、流れていくもう何度も見慣れた景色をながめてただただつくのをじっと待っていた。もうすぐ咲きそうな桜の木を眺めて今年も私の嫌いな春がやってきたんだなと実感する。



相も変わらず立派な佇まいでそこにある東堂旅館の文字はどことなく私に緊張感を持たせる。古くから歴史ある旅館だからこそそこに入る人も礼儀正しく品が或る人でなければならないという固定概念が今でも頭にこびりついている。けれどもそんな私にいつも旅館の人はそう強張ることはないと言ってくれていた。懐かしい思い出が次々と出てくる、けれども今日の目的は思い出に浸ることではない。旅館へと続く道を踏みしめながら心臓が早く動いていくのがわかった、やはり緊張してしまう。もしも尽八くんも今日ここにいたならどんな顔をすればいいだろう、うまく笑えるだろうか。

「す、すいません……」

「ええと、あら?すいません予約していたお客様で…」

出てきた若い女の人には見覚えがある、いつでも美しい容姿で態度も堂々としている女の私でも憧れてしまうようなその人は尽八君のお姉さんだ。

「もしかして#name#ちゃんだな?」

久しぶり、元気にしてたか?なんて声をかけてくれることも嬉しかったけれどそれと同時にきちんと覚えていてもらえて認識されたことも嬉しかった。

「海外から帰ってきたのでお土産を持ってきたんです」

「わざわざすまないな、ここで本当ならば私ではなくてあいつがいた方がいいのだろうなでもすまないあいつは今いなくてな…」

困ったように笑って見せるお姉さんに首を傾げる。

「春休みでもあったらよかったんだけどないかんせんあいつも忙しいらしくな」

「ええと、尽八君は今…どこにいるんですか…?」

お姉さんがきょとんとした表情を浮かべて「あいつ言ってないのか」と少し不機嫌そうに眉をひそめた。手が熱をもって汗ばんでいく。

「高校を出た後すぐに就職してな、今家にはいないんだ」

意気消沈とはまさにこのことだろうか、いないという事実がこんなにも自分を落胆させるとは思いもしなかった。表には出さないようそうですか、と笑顔を取り繕って御礼を言う。お茶でもと誘われたけれど長居するものきっと迷惑だと思い断ってもう一度御礼を言ってからふらふらとあてもなく歩いた。
また彼は私に何も言ってはくれなかった。今の住所もきっとこの旅館のままであると思っていた。どうしていつも彼は私に隠し事ばかりするのだろう、そんなに知られるのが嫌なのだろうか。私が彼を知りたいと思うのはいけないことなんだろうか、知りたいと思えばまた離れていくような気がする。






____________




街頭にならぶ服を少し見てから人ごみでごった返す場所を抜けてだんだんと人通りが少なくなる場所へ足を運んでいた。考える時間を無意識に欲していたのかもしれない。いくら一年たてども場所は覚えているもので懐かしいと思う。まわりが静かに鳴って行くほど心がだんだん安らいでいくような気がした。今歩いてる場所も中学の頃昔尽八君と一緒に来たことある場所だ。帰りに二人で寄り道をしようという彼に強引に連れて来られおいしいお菓子屋があるんだと紹介してもらった。そこで食べたお団子は本当においしかった、自分に自信がある彼がいつでも羨ましいと思っていた。自転車と出会ってから彼はますます輝いてきらきらしているように見えた。一緒に帰ることも少なくなり、彼の話題の中心もいつしか自転車で、私は全くわからなくなっていつもマシンガントークを飛ばす彼が最後にはすまなそうに謝るのがつらかった。そのせいで自転車も始めてみようかと悩んだものだったけれどいかんせん値段も結構するものでそうほいほい親には頼めない、それに普段インドア派である私が始めたところで尽八君と走れるならそれはそれで嬉しいけれど続けられるような気がしなかった。
彼の浮ついた話を一切聞かなかったわけではない、かっこよければそりゃあ女子にはモテるだろうし中学生というものは一番面倒な時期でもある。誰と誰が付き合っているということに敏感にもなるしありもしない噂もよくたてられていた。けれど彼はそんなの気にしていないといった素振りでいつも明るいままでいた。
本当に私は彼が羨ましかった、だからこそ私みたいな人に彼のように魅力をたくさん持った人がとらわれたままではだめなのだ。

(良い機会かもしれない)

彼と中学のころ帰り道何度も見た、もうすぐ咲くであろう桜の木を前にふとそう思った。良い機会かもしれない、もうすでに自分の道へ歩み始めて進んでしまった彼を追いかけることもしなくていい。もう一度この大嫌いな春に今度こそきっぱりとお別れをしてしまうのも、いいかもしれない。



「見つけ、たぞ!!」

静寂に包まれていた空気を一瞬にして壊した声はまるであの日のようだと思った。落ち着きがない様子であわただしく自分の家に転がり込んできたまるで、彼のようだった。

「尽八君…」

「名前ちゃんの母上がな気を利かせて帰ってきたと連絡をくれてな、急いで行ったが入れ違いになっているしあげくには俺の家にまで来ていたときいて驚いた。携帯は電源を入れていないようだったし本当に探した…それでも今日、会えてよかった」

背ものびてちょっと声も変わって、それでもいつもつけていたカチューシャはいまだにつけていて顔が大人びてもよく似合っていていつまでも端整な顔だ。急に現れたことにいまだ現実だという実感がなかなか湧いてこないせいもあるかもしれない、なぜか彼がここにいるということが可笑しくてたまらない。

「…どうしてここだと思ったの?」

「む、何を笑っている。俺が名前ちゃんのことで分からないことがないわけがなかろう?」

自信満々に笑うところも変わらない、そうやっていつも私が決心したときにまるで邪魔するようにあっさりと壊してしまうように現れるんだ。ずるいなあ、本当に。


「……尽八君、お手紙ありがとう」

「…ああ名前もわざわざ返事をありがとう、書くのも読むのも楽しかったよ。それと、」

隣に歩み寄ってきた彼の手が私の頭に触れる。するりと撫でる手つきは優しい。

「綺麗になった」

それは尽八君じゃない、と言い返したかったけれど赤くなった表情を隠すので精いっぱいだった。笑った彼の方が私には何倍も美しくて綺麗に見えた。


「……わ、私ね尽八君ちゃんとお別れをしないとって決めたのここで」

微かに彼の目が見開かれた。

「もう、自分の道へ尽八君はちゃんと進んでるんでしょう?私はまだあやふやで、全部これからなの。それでどうしようかって悩んで、それでね」

「もう一度、行ってしまうというのか」

「……まだ、わからないけれど」

海外に行くのをやめてしまおうかとたった一人の人間のせいでゆらいでしまうほどに私は弱い。同じ春を繰り返しているようだと思った。周りが変わろうとも私は何も変われない。自分一人だけが置いてけぼりをくらったみたいだ。


「…悪いが今回は何としてでも止めるぞ」

尽八君がぎゅっと手を握り離さないようにきつく握りしめている。

「……尽八君、前も止めようとしてくれたね」

「また手遅れだなんてことになるのはもうまっぴらだ、言っただろう俺は一年も待った。もう充分だ、もう離れることなんてできない。どれほど待ち焦がれていたかわかるか、ずっと一年の間お前だけなんだ」

「なんで、尽八君は私なの…?私、何も言わずに海外に行っちゃうような女だし素直になれないし今日だって尽八君に日にち教えなかったんだよ?ひどいって思わないの?嫌なやつだって思わないの?ずっと待ってくれた尽八君をまた、置いていこうとしたんだよ?」

じんわりと視界が歪んで目頭が熱くなる。彼は本当にずっと私のことを思っていてくれていたのだろうか。握られた手が熱をもってじんわりと広がる。

「…それでもちゃんとこうして帰ってきてくれただろう。俺はそれだけで充分なんだ、今度はもう行かせはしないさ、今度の俺の我儘はどうか聞いてほしいんだ。素直になれないところも昔から一緒にいればわかるさ、そんなところも含めて俺はかわいいと思うし好きだと思うんだ」

「……で、でも」

「何を悩む必要がある、この東堂尽八ならば絶対に名前ちゃんを幸せにできるぞ。進路があやふやならば俺と一緒にいればいい、俺の妻になってくれればそれで解決だろう?」

あの春と同じように自信満々に微笑んで見せた彼に涙がまた零れる。もう泣くなとなだめる彼の声にすら泣きたくなる、尽八くんの言葉は私が欲しいもの全部もっている。


「尽八君はかっこいいし、素敵だし、女の子にモテるだろうし、もう仕事もしてるし、山も登れるし、トークもきれるし、だから…、私じゃない子を選んでほしいって言ったのに」

「それは、褒められいるんだな…嬉しいが、まだ言うかそれは無茶だ。一年の間ずっと名前ちゃんのことしか考えられなかったのだ、今更他の子を選べなど無理だ。……俺のことが嫌いか?」

視線が交わってむっとした表情の中の彼の瞳が不安げに揺れる。嫌いだなんてそんなことあるはずがない、だって私だって一年の間ずっと尽八君だけしか考えられなかった。

「…嫌い、なわけないじゃない」

「ならばいいではないかもう名前ちゃん、もう行かないでくれ。…好きなんだ」

次の春、もう一度告白しようと告げた日の約束をきちんと彼は覚えていた。もう一度受け取ったその言葉に今ならば素直になれるだろう。

「…幸せにしてくれるの……?」

依然としてはなれる気配のない手をこちらもぎゅっと握り返してそう尋ね返せば「もちろんだとも」と言ってから腰に手を周しぎゅうと抱きしめてくれた。

「好きだ、好きだ、大好きだ名前ちゃん」

「うん、私も」


さようなら大嫌いな春、私は大好きな人と一緒に前にもう前に進むわ。