もうそろそろ寒くなってきたね、と声をかける相手は今はいない。水が好きで水のことばかり考えていた彼は少しは私のことを思い出したりしてくれているのだろうか。携帯を持ち歩かないとこも操作だってあまり覚えていないことも知っていたから催促したりはしないけれどここまでなにもないとさすがにあきれてしまう。けれどもそこで面倒な女にはなりたくないと思う自分がいて、結局のところは素直になれなかった。 電話だってメールだって最初のうちはしていたけれどもそのうちわたしのほうばかりの話をしてつまらなかったらどうしようと考えるようになってそれもやめてしまった。 連絡をとらずとも活躍はちらほら耳にするので生きていることは確かだ。けれどもずっと、ずっと距離があいてしまった。大丈夫だよ、と慰められることがいまとなっては憂鬱な気分にさせるものとなってしまった。 大丈夫ならメールのひとつでもよこしてくれるはずなのに。 「寒くなってきたなあ…」 息を吐き出せば白くなる。そろそろこの町にも雪が降るだろうか。 「ねーねーもしかして二人とも結婚考えてるの?」 「はい?」 仕事終わり昔馴染みの友人にばったり会えばそんなことを突然きいてきた。二人といってももう連絡を取り合うような仲でもないのに。 「だってさ、こないだ読んだ雑誌にあんたの彼氏のってたけど、結婚は考えてますか?って質問になるべくはやいほうがみたいなことを答えててさこれ絶対あんたのことだと思ったのに違った?」 気分が急降下して胸が苦しくなる。 「そう…なんだ…」 そういうことなんだ、もう私はいらないってことなんだね、違う人がいたなら言ってくれればよかったのに。期待してた自分が惨めになる。 「それ、きっと違うんじゃないかなあ」 言葉を濁して曖昧に笑うことしかできなかった、うんと言えたらどんなに良かっただろうか。 七瀬遙帰ってきたら覚えとれよ。ただじゃすまさない、ずっと期待を持たせておいてどん底に突き落とすなんてひどいやつだ。絶対に許してやらない、一言言ってくれればよかったのに違う人ができたならそしたら別に文句もなにも言わないしこんなに苦しい思いすることだってなかったのに、帰ってきたらあの綺麗な顔に一発ストレートでもかましたもんだ。 「……なんなのよ」 本当に、なんなんだろう君って人は。 * 冬の海はやっぱり寒いしなんだか今日は風が強かった、来るべき日を間違えたかななんて思ったけれどきてしまったのでこの際もうどうでもいい。 ああそういえばここにもよく来ていた、自然と足が向いたのもそのせいかもしれない。 水が好きで海でもよく泳いでいた、私は海が好きではなかったら今みたいに浜辺に座って眺めているだけだった。綺麗な泳ぎ方をしていたから特別退屈に感じることはなかった、まあ長時間ほったらかしは別だが。 今頃どうしているんだろうか、泳いでいるにきまってるだろうけど、今まで言葉が足りな彼をフォローしてくれた真琴がいない中うまくやっていけてるんだろうか。私がいなくても、彼は別に平気なようだけれど。 「お前、何してんだこんなとこで…」 「り、リンリン…」 突然声をかけられて吃驚して振り向けばそこにはほんのり汗をかいた凛がいた。たぶんロードワークでもしていたのだろう。それはいいとして、なぜ彼が 「その言い方やめろ、あと人をお化けみてえな目でみるのもやめろ」 「だ、だ、だってリンリンここにいないはずじゃ?」 私の記憶が確かならば凛も有名な競泳選手になって、今はここにいないはずなのだ。 「ちょっと休み貰ったんだよ、だから少し顔出そうと思ってな。でもすぐ帰る、ここにきたのは気まぐれだったけどお前何してんだ?」 「見て分からないのリンリン、海を見てるんだけども」 「へえ…そいやお前ハルが、あ、いやなんでもねえ」 今最も聞きたくないワードを出して途中で切るなんて気になってしょうがないけれど、それ以上追及しようとは思わなかった。どうせハルとうまくいってるのか、とでも聞きたかったのだろう。 「リンリン、泳いでみてよ」 「何言ってんだバカ、こんな気温で泳げるわけねーだろ」 確かに今は寒い、もう海で泳げる季節ではないことは分かっている。けれど無性に泳いでいる姿が恋しくなって頭に浮かんだ。海を選んだのはやっぱり間違いだったろうか。 「ハル、もうすぐ結婚するのかな」 思わずぽろりと漏れた本音にしまった、と思うけれどもう遅い。凛は少し驚いた顔をしてから「さあな」とだけ短く答えた。なんなの、知ってるなら言ってくれればいいのに、二人してグルなのか。凛だって水泳の世界にいるわけだしハルとはきっと、いや絶対知ってるに決まってる。言わないでおいてくれるのは凛の優しさなのか、よくわからないけれど。 * 「ただいま」 信じられないことが起きてこれは夢なんじゃないかって疑ったことは人生で一度もなかった、確かに私の頭は覚醒しているしやく3時間前にはもうすでに起きていた。だからきっとこれは夢なんかじゃない。突然インターホンがなって出てみたら長い間会っていなかった恋人かもしれない人物が何知らぬ顔でそこにたっているなんて。信じられるだろうか、いや、信じるしかない。 「……え」 おかえり、とかそんな言葉すぐに出てくるわけがなくて、漏れた小さな言葉には反応することもなく黙々と靴を脱いで人の家に上がり込もうとする人物、ちょっと待て。 「待った、待って待ってハルちゃん。おかしいよね」 「ちゃん付けするな。それとなんだ、ただいまってちゃんといっただろうが」 「そこじゃないよ、なんで今帰ってきたの」 「休みをもらったから」 「なんで事前に連絡くれないの」 「……携帯って難しいだろ」 「つかい方教えていったよね」 携帯を普段触らないハルにでも分かりやすくきちんと操作のやり方は教えていったし、メールだって遅れるか確認したのに今のは嘘だ。 「…申し訳ないんですけどもお帰りになっていただけませんか」 「いやだ」 「なんで!」 顔を少し歪められたけどハルがそんなことする意味がわからない、怒りたいのも泣きたいのもこっちだしどうして今更。ぱったり連絡が絶えた今、 「……も、もしかして」 「…もうわかってるんだろお前だって」 行き着いた考えは一つしかなかった、別れを告げられるのだろうか。休みをもらってちょうどいいこのときに、結婚を決めた相手がいるから。 「…やっぱりそうなんだ、だよね。凛だってだから言わなかったのかも」 「他の奴から聞いたら意味なかったけどな、情報はすぐ流れるからな」 すぐ流れるっていってもハルの恋人知らないんだけどな。婚約を約束しちゃうまでの相手の顔だってなんにも知らないんだけどな。 「もっと早くいってくれたらよかったのに、も、もうなんなの…ちょっと待ってよいくらなんでも可能性があったとは言えいきなり言われるのは精神的にキツイし。とりあえず少し待ってもらっても…」 「いやだ」 昔から自分の意見はすっぱりと潔すぎるほどにはっきりいう男だったけれどそんなに別れることをせかさなくたって別にいいのに。 「………ご、ごめんなさい」 こういうときなんていうんだっけあなたと一緒にいられて楽しかった、まだ一緒にいたい、私の何が悪かったの、なんていろいろなセリフが出てくるけれど引き留める言葉を言ってもきっと無駄なんだろう。良い女としてハルの心に残りたいけれどありがとうとか素直に言ってお別れできるほど私の中のハルへの気持ちは消えきっていなかった。 「…なんで謝るんだ、意味がわからない」 「だ、だって……」 ああどうしよう何をいったらいいか全くわからない、こんなときに、人が悩んでるときに帰ってきてこの男は。 「わ、わかった。でもその前にひとつ私だって怒っておきたいことがある」 「……なんだ」 自分でも理解しているのだろうか顔を気まずげにそらすところだけは全く変わらない。 「ずっと連絡くれないし電話もないし、なんで今この時期にこうやって帰ってくるの。テレビでしかハルの情報は分からないし、ずっと私悩んでたのに、結局、私ばっかり好きで、私だけが待ってて……」 唇とぎゅっと噛み締める、くやしいなにもかもなんだか悔しいな。ハルを幸せにできなかったこともハルと結婚する女の人も羨ましい、ずっと隣に入れる人がわたしであれたなら良かったのに。束縛が強いつもりとか全然そんなつもりはなかったし鯖が好きでも水が好きでも文句をつけたことはあんまりなかったのに悔しい。なによりずっと未練がましく待っていた自分に対していちばん悔しい。 「……お前、何言ってるんだ。もしかして別れ話とかだと思ったのか」 「は、違うの」 「違うに決まってるだろ、てっきり凛からもうすでに聞いたと思ってた」 呆れたような顔をしてこちらを向いてため息をつく、背が少し高くなったしなんだか顔つきも少し変わった気がする。やっぱりかっこいいからまた悔しい。 「…世界大会で優勝したら結婚するぞ」 何の前置きもなしにさらっと鯖でも食べるかみたいないつもの会話のように言われて一瞬何のことかわからなくて必死に考える。 「………」 「お前くらいの奴にはこれくらいストレートに言わなきゃ伝わらないと思ったんだが、まだ伝わらないのか」 「な、なんでだってハル他の人と結婚する予定なんじゃ…」 「名無し意外の人と結婚するとか、ないだろ」 「……ハル、今まで何も言わなかったじゃん」 「何かきっかけが欲しかった、それに離れてるのに何の成果もなしに帰るのはカッコ悪いだろ」 「い、意味分かんないし…だって、なんで…」 いつの間にか出ていた涙をハルが拭って、ふっと笑った。 「俺は優勝する、だから結婚しよう」 「…う、うん」 大分くぐもった声で涙でうまく笑えなかったけれど久しぶりにハルに抱きしめられて満たされていく気がした。 |