水を触る仕事なんて普段しなかったしやろうとすれば侍女に必死で止められた記憶がある。あの時の私は何も思わなかったしそれが当り前なのかと受け入れていたけれど今は違う、きちんと自分から行動できていると思う。あれから的場さんにばかにされないようきちんと帝は続けているけているし御飯を作るときの食材だって洗うのをまかせてもらえるようになった。仕事を預けてもらえるのは嬉しいけれど最近になって手が赤くなって荒れてしまうようになった。慣れないとこうなるのかと思ったけれど我慢して耐えるしかなかった。ただの弱い女だとは思われたくはない。

「いっ…た…」

皮がむけた指に水がしみる、じわりじわりと蝕む痛みに顔をしかめる。手入れなんて簡単だと思っていたのに。塗り薬とかあったら便利なのにな、と思った。

(塗り薬…?そうよ塗り薬があるじゃない)

どうして今の今まで気付けなかったのだろう。薬ぐらいきっとあるはずだ。


「すいません葉月さん、薬とかないでしょうか。その、少し手が痛くて」

「…も、申し訳ございません!やはり名無し様にそのようなことをやらせるべきではありませんでした。明日から何もしなくてだいじょうぶ…」
「いいえ、やります。これぐらいたいしたことありませんでした。気にしないでください」

くるりと背を向けて歩き出す、申し訳なさそうに謝られると彼女が悪いわけではないのにこちらが申し訳なくなってくる。葉月さんはほんとによく気を使うしよく謝る人だ。まだ仮の妻の人物にそこまでかしこまる必要なんてないだろうに。

「……どうしよう、かな」

困った時は近くにいるものに話しかければいいと最初に征十郎さんに言われたけれど今はその案もつぶれてしまった。となると街にいくしかないだろう。
1人で出ても問題はないだろう、今ここには誰も咎める人はいないし少し下におりて薬を買ってくるだけだ。
久しぶりの街に1人気を引き締めた。





活気が良いと言うか、初めて1人でくる街はどれも新鮮に見えた。いろいろな店が並んでいる。よく行った甘味処もあって久しぶりに食べたいなと思ったけれどそれはまた今度にしよう。今は薬屋を探さなければならない。けれども1人で来るのがはじめてな私にとってはいつも後ろをついて歩いていただけなので道がわからないしどこにあるのかもしらない。立ち止まって誰かに尋ねようとあたりを見回すけれど知らない人に話しかけるというのはなかなか最初の言葉すら発することが難しい。


「お譲さん、困ってるのかい?」

声をかけられて振り向くとそこにはにこやかな笑みを浮かべた年の若い男が立っていた。
調度困っているときに声をかけてくれて助かったと安堵する。

「え、ええそうなんです…道がわからなくてその…」

「じゃあ俺が連れて行ってあげるよ、どこへ行きたいんだい?」

「薬屋へ…」

「そこならすぐ近くにあるよ、一緒に行こう」

優しい人だ、普通困っていると知っていてもそう簡単に助ける人がいるだろうか。

「あの、どうして困っていると分かったのですか?」

「君の顔に現れていたよ、お譲さん名前は?俺は氷室っていうんだ」

「あ…名無しです」

氷室さん、氷室さんと助けてくれた恩人の名前を忘れぬように繰り返しているとくすくすと笑われて恥ずかしくなる。

「名無しさんは随分良いところの人なのかな?雰囲気とか着物もこれは高い店のものだろう?模様が特殊なものだから」

よく知っているんだなあと感心する、氷室さんももしかするとどこかの偉い方なのかもしれない。風貌はそれほど良いというわけではないけれどあふれ出るオーラというのだろうか、とにかくどこか変わっているなと感じさせるものがあった。

「今日の予定がなくなってしまってふらついていたんだけど名無しさんにあえてラッキーだったかな、これで俺の予定はできたわけだから」

「予定になるのでしょうか?」

たかが案内するだけなのにすごく嬉しそうに笑う彼が不思議でたまらなかった。

「なるさ、ああそうだ君の用がすんだ後もし用事がないのなら俺に付き合ってもらえないかな」

薬を買ったらすぐにでも帰ろうと思っていた、いつまでも帰らないと心配するだろうしいくら自分の家ではないとはいえふらふらと出歩いてあまり良いイメージはもたれないだろう。けれども家に帰ってすることは夕飯の食材を洗うことぐらいだし、征十郎さんとは夕食のときにしか会わない、忙しいのか用事があるのかわからないけど2人で過ごす時間というのはすごく短く、少しだ。


「……迷ってるなら行こうか」

「えっ、あの…」

「君は可愛いね。用事はないんだろう?わかるよ」

出会ってすぐの人と親しくなるのはいいことなんだろうか。それに男性となるとなおさらだ、もしかすると氷室さんは悪い人かもしれないし話しにただ私が流されてしまっている気がする。

「…悪い人じゃないよ、そうだなしいていうなら君と同じだ」

「え?それって……」

「それ以上は教えられないな」

聞こうとしてもはぐらかされるだけだった、何がおなじなのだろう。よくわからないけれどそのまま氷室さんは薬屋まで本当に案内してくれた。

「ありがとうございます…」

「店の前で待っているから行っておいで」

「はい……」

どうしてここまで優しいのだろうよくわからない。

中に入るといろいろな種類の薬がおいてあった、自分で選ぶよりは店の人に聞く方が早いのではないかと思い声をかけてみると大分若い顔立ちの店主がいた。


「何を探しているのだよ」

「え、えと…手が荒れてしまって…それで塗り薬が欲しいんです」

表情を動かさない堅く見える人だ。「少し手をみせてもらえないか?」と尋ねられおずおずと差し出す、あまり今の状態はよくないので人に見られるのはなんだか気恥ずかしい。それに目の前にいる店主の手の方が綺麗だった。男の人なのに羨ましいと思った。

「植物によるかぶれもあるだろう…もしかするとお前はそういったものに弱いのかもしれん。控えることをおすすめする。この薬なら塗ればすぐによくなるだろう」

そう言って棚から取り出した1つの薬、植物に弱かったのかと納得するけれどそれじゃあ仕事はできないのかと少し落ち込む。

「誰もできないとはいってない、控えろと言っているのだよ」

「は、はい…」

言葉は優しくはないけれど気遣ってのことだったのだろう、代金を払って御礼を言ってから店をでる。氷室さんが「もういいのか?」と声をかけてきたのでこくりと頷く。


「それじゃあ次は俺の用事だ」

今日はもう用事はないと言っていたのに、と思ったけれど手をすぐに取られてついていくことしかできなかった。
手をひかれるまま連れて行かれたのは団子屋さんだった。良い匂いが店に入る前から漂ってきている。「ここで待ってて」とだけいうと中に入ってしまった。
どうすればいいのだろうと思ったけれど少したつと氷室さんは手にお団子を持ってすぐに出てきた。

「食べられるよね?」

「…はい、あのでも用事って」

「食べたい気分だったんだ」

そう言って笑うと1つ差し出してきた、お金を出そうとするとやんわりと断られたのでおとなしく貰う。ためらった後口に入れると甘い味が広がる。いつ振りだろうか、お団子を食べたのは、それに初めて食べる味だ。

「おいしいだろう?」

「はい……」

「またここに来れば君に会うことができるかな」

「え、…」

「また道がわからなくなったら俺を見つけて聞いてくれてもいい」

この町で限られた人物を見つけると言うのは難しいのではないだろうか。今日会ったのは偶然だしとかんがえていると氷室さんが「冗談さ、そんなに真剣になるなんて思わなくてね」と笑った。


「でも、忙しくてなかなかこられないけれど、また会うことがあるかもしれない。そしたらまたこの町を案内してあげるよ。それじゃあ俺はもう行くよ」

「あ…、」

急に現れてすぐにいなくなった氷室さん。御礼も言えなかったなあ。
そういえば家の人には何も言わずに出てきてしまった。ということを思い出して自分もすぐに帰らなければいけなかった。



「どこに行ってたんだ?」

帰るなり家の前にいた征十郎さんにそう尋ねられた。まさか待っているだなんて思わなかった。もしここで本当のことを言って薬を買いに行っただなんてばれたら仕事を取り上げられてしまうだろう。

「…その、少し散歩がしたかったの」

後ろに薬を隠して必死に笑顔を作る。征十郎さんにはすぐばれてしまいそうで怖かった。

「……1人でか?」

「……違うわ」

「けれどこの家のものは誰も君と一緒に出かけた人はいなかった」

「………征十郎さんはいじわるですね。もうわかってるんでしょう?私が1人で出かけたこと」

自分は嘘をつくのが昔から下手だと言われていた。自分ももちろん嘘をつくのは苦手な自覚があったけれどこうして追い詰められていずればれるんだろうなと思うと白状するしかない。

「君に確かめてからでないと確信がなかったからな」

「でも、1人でこの家を出たのは確かだけど、1人で出歩いていたわけじゃないです。優しい男の人がいて、それで案内してくれたんです」

思うと氷室さんは本当に優しい人だったなと思う。知らない女なのにわざわざ道案内をしてくれてそのうえお団子まで奢ってくれた。

「……知らない奴についていったのかい?」

「もう知り合いです」

「…ここで話をするのもなんだ、中に入ろう。1人で散歩は疲れただろう?」

最後の方は少しの嫌味がこもっていたような気がするけれど、言葉通り中に入ってすわって話がしたかった。少し歩いただけなのに体力がそれほどない自分にとっては疲れてしまった。



「必ずしも出会う人間すべてが良い人とは限らない。それにそれが上っ面だけの人で実は君を誘拐していた可能性だってあるんだ。自覚を持て、そして1人で出歩くことは今後禁止する」

覚悟はしていたけれどやはりお説教されてしまった。それと薬を買いに行ったこともばれてしまった。私の手を見ると顔をしかめて、優しくなでた。

「どうしてそこまでこだわるんだ。君がやるべきことではないのに、こんな思いをしてまで続けたいことなのか」

「…はい」

「俺は賛成できない、君は変わった人だな」

1人で出歩くことが禁止されてしまった今、することはもっとなくなってしまうだろう。植物を見るのは楽しいし、それを育てるのなら別に苦ではない。アレルギーなのかそういったものに弱いと言われたけれど薬屋さんの人も控えるだけでいいと言っていた。

「……もう外に行けないのですか」

「1人で行くなといったんだ、だから俺でもいい誰かと一緒にいろという意味だ」

「…ですが皆仕事で忙しそうですし」

「君は侍女より立場が下なのか。違うだろう、気を使うことはない」

「……征十郎さんは」

征十郎さんはいつお暇ですか、とそれだけ聞きたいのに言葉を出すことができなかった。的場さんに言われた言葉でもしかすると自分もそう思われてしまう、いやもしかするともうすでにそう思われているかもしれないという考えが纏わりついていた。

「どうした?」

「何でもないです」

何かと忙しそうな彼に私のためだけに予定を開けてもらうのは申し訳なかった。また今度出かければいい、見つかって怒られても言いわけを考えてうまくやりすごせばいい。


「君の考えることは手に取るようにわかるな、1人で出歩くことをやめないのなら四六時中監視をつけるぞ」

「そ、そんな……」

それはあんまりだ、と思って不満をもらすが聞き入れてもらえなかった。

「君は女の身であるのに、危機感がなさすぎる。この家から出ると誰の目も届かないんだぞわかっているのか」

「わかっています…けど、征十郎さん。仮にも1カ月、夫婦なのですからもう少し…、」

言いかけて「やっぱり何でもないです」とすぐに否定した。
不満はないけれど征十郎さんともう少しお話をすることができたらいいのにと思った。

「…部屋に戻ります」

頭を下げてその日はその後ずっと部屋に閉じこもっていた。