キスしないと出られない部屋 ケイト



 ケイトはちらりと隣にいるアリステアに視線を向けた。すると、アリステアもこちらに視線を向けて来て、意図せず二人の視線は交わった。いつも飄々としているケイトは、わずかにぎこちない笑みを浮かべて、苦笑を零す。


「えーっと……なに此処?」
「さあ?」


 二人はいつの間にか知らない部屋にいた。部屋はなにも無く、鍵は施錠されている。さっきまで普段通りに廊下で話していた気がするが、どうしてこうなったか見当もつかない。


「とりまマジカメにアップして……って、ここ電波つながってないじゃん!?」


 片手に持っていたスマホをタップして見ると、どうやら此処は圏外らしい。これでは誰かに連絡して助けを乞うこともできない。なによりスマホが使えないことに、ケイトはため息を落とした。


「ん、なにこれ?」


 そうして視線を落とした先で、床に小さな紙切れが落ちていることに気が付いた。拾い上げてみると、紙切れは二つ折りにされていて中になにか書かれているようだった。ケイトはおもむろにそれを開き、そして中身を見てぎょっと目を見開いた。


「なんて書いてあるんですか?」
「ッ!? ダ、ダメッ!! アリステアちゃんは気にしなくていいからっ!!」


 咄嗟に紙切れを背中に隠してアリステアから距離を取る。その様子に、紙切れを覗き込もうとしたアリステアは目を丸くして驚き、不思議そうにケイトを見上げる。その視線を受けながら、ケイトは目を泳がせる。

 『キスしないと出られない部屋』ってなにこれ〜っ!? なんでこんな部屋があるワケ!?

 ケイトはこれ以上ないほど動揺していた。

 え、ていうか……これ、オレとアリステアちゃんがキスしないといけないってこと!? いきなりそんなこと言われても無理なんですけどぉ〜!!

 決してアリステアとキスすることが嫌なわけではなかった。むしろ喜んでいる自分がいた。しかし、突然自分の可愛い後輩とキスしろという指令を出されては、動揺もしてしまう。そして、この部屋にアリステアと共に閉じ込められたのがトレイやエースではなく自分であったことに、ケイトは秘かに安堵していた。


「――隙あり!」


 その時、悶々と考え込んでいた隙にアリステアに紙切れを奪われてしまった。一瞬なにが起きたか分からず、ケイトは呆然としてしまった。


「あっ! ちょ、待って! 中見ないで!!」


 しかし、紙切れを奪い取ったアリステアが中身を見ようと指をかけたのを見て意識が戻った。急いでそれを止めようと手を伸ばすが、あと一歩遅く、アリステアは紙切れを開いてしまった。

『キスしないと出られない部屋』

 アリステアは紙に書かれた文字を読んで、瞬きを繰り返した。そのまま顔を上げてみると、目の前には顔を真っ赤にして両手で顔を覆うケイトがいる。そして再び紙に視線を落としてから、にこりと笑った。


「……じゃあ、仕方ないですね。キスしましょうか」


 それを聞いてケイトは「えっ……」と零した。顔を覆っていた両手を下ろして、愕然と微笑むアリステアを見つめる。


「なんでそんな平然なわけっ!?」
「え? だって魔法も使えないし、此処から出られないのは困るでしょ?」
「う……そ、そうだけどさぁ〜……」


 少しぐらい動揺したり、焦ってくれたりしてくれればいいのに……。

 平然としたままの態度を取るアリステアに、ケイトは脱力してしまった。しかし心の何処かで、アリステアならこういった反応をするだろう、と思っていた。アリステアの交際関係を知っていれば、自然とそう思う。


「アリステアちゃんは、キス……したことあるの?」


 自分ばかりが気にしているのは、なんだか悔しい。そんな思いから、ケイトは遠慮がちに言った。交際関係からこんなことぐらいで照れるはずは無いだろう、と思いながら、少しは狼狽えてくれるのを期待した。しかし、アリステアの様子は相変わらずだ。


「彼女とってことですか?」
「えっ!? 彼女いるのっ!?」
「今はいないですねぇ」
「じゃあいたのっ!? 学外に!?」
「さあ、どうでしょうねぇ?」


 学園内の生徒との、あまり肯定されない交際関係を複数持っていることは知っていたが、まさか学外にまで広がっているとは思わなかった。愕然とするケイトをそっちのけに、アリステアは「あ、でも今は男も女もフリーですよ」と軽い口調で続ける。それに思わず、ケイトは頭を抱えてしまった。


「まあ、男同士でキスなんて嫌かもしれないですけど、他に手段がないですし。こんなのノーカンですよ、ノーカン」


 頭を抱えたケイトに、アリステアは勘違いをしたのか、片手をひらひらと振りながらそんなことを言った。ケイトはきゅっと口を噤んで、じっとアリステアを見つめる。


「……アリステアちゃんは、オレとキスしてもいいの?」
「え?」


 へらへらと笑っていたアリステアが素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。


「オレとキスするの、いや?」


 いつになく真剣な顔つきで、真っ直ぐと視線を向けるケイト。普段とは違うケイトの様子に、思わずどぎまぎとしてしまう。


「えっと、嫌じゃないですけど……」
「じゃあ、オレとキスしたい?」
「え、えっと……」


 一歩一歩確実に距離をつ得てくるケイトから逃げるように後退っていれば、いつの間にか壁際まで追い詰められていた。とん、と背中に壁が当たる。すると、ケイトが左右に壁に手をついて、それに挟まれてしまったアリステアは逃げ場を失くしてしまった。


「オレはね」


 おそるおそる顔を上げると、ケイトは鼻先が触れそうな距離まで迫っていた。


「キミともっと先までしてみたいって思ってるよ」


 フッと笑むケイトに、アリステアは目を見開かせた。呆然とケイトを見上げるアリステア。その表情は驚きに満ちていたが、徐々に頬を赤らめて、動揺に目を泳がせていく。それを見て、今度はケイトが目を丸くした。


「うわ、耳まで真っ赤。可愛い」


 ふは、と吹き出すように笑ったケイトは、どこか得意げだ。自分に似合わないことをしている、と自覚しているアリステアは、そんなケイトに眉根を寄せる。


「もう、揶揄わな――……んぅ!」


 突然強い力に引っ張られたと思ったら、次の瞬間には唇が塞がられていた。反射的に腰が引けたが、背中には壁で、目の前にはケイト。必然的に逃げ場は封じられて、壁に押し付けられる。

 けれど行動とは裏腹に、唇はすぐに離された。互いの吐息が零れ落ちて、肌を撫でる。薄っすらと瞼を上げれば、ケイトはそっと微笑んだ。


「……ね。もっかい、キスしていい?」