キスしないと出られない部屋 トレイ



 アリステアとトレイは、二人並んでじっと扉の上に設置されたパネルを眺めていた。


「どうします? トレイ先輩」
「うーん、まいったな……」


 パネルを見つめながらアリステアが問いかければ、トレイは眉根を下げて困ったな、と苦笑を零す。


「魔法使えます?」
「いや、まったく魔法が発動しないな。お前は?」
「僕も無理ですねぇ」


 トレイは、そうだよな、と相槌を打った。

 二人は見覚えのない部屋に閉じ込められていた。此処に来る前までは、新作のお菓子について話し合っていたのだが、突然辺りの風景が変わって、気付いたらこの部屋に閉じ込められていた。部屋にはなにも無い、ただの空き部屋だ。扉は一つだけだが、鍵が施錠されていて出られない。それに加え、魔法さえも封じられていた。

 どうにかして外に出る方法を探して数十分が経過した頃、ふいに扉の上にパネルが現れた。それを不思議に思って見上げれば、徐々に文字が浮かび上がってくるのに気づく。二人はじっとパネルを見上げた。

『キスしないと出られない部屋』

 そして冒頭に戻る。


「……どうします?」


 いつまでもパネルを見上げているわけにもいかないと、アリステアは隣のトレイを見上げた。トレイは眉根を寄せて、重いため息を落とす。


「これ以外、他に手立てがないからな。やるしかないだろ」
「ですね。それじゃあ……」


 アリステアもトレイも決断が早い。そうと決まればさっさと終えて外に出るに越したことはない、と二人はどちらともなく向かい合った。そして一歩距離を詰めたところで、パネルに浮かび上がっていた文字が変化した。

『年下から年上へキスしてください』

 繰り返し要求してくるパネルに、思わず無言になった。ため息をついたアリステアが、改めてトレイと向かい合う。トレイはスッと深呼吸をするように片手で顔を覆いながら息を吐くと、次には満面な笑顔を浮かべた。


「よし、じゃあお前からだな」
「清々しいほど良い笑顔ですねぇ。はいはい、別にいいですよ〜僕は」


 腹が立つくらい良い笑顔を浮かべるトレイに、アリステアは唇を尖らせた。

 条件が追加されたのなら仕方がない。アリステアはトレイと距離を詰めて、自分よりも身長の高いトレイに届くように踵を上げた。しかし、距離は依然と近づかず、唇には届かない。


「……ちょっと、しゃがまないとできないでしょ」
「はは、悪い。見上げてくるお前が可愛くて、ついな」
「笑ってないで、いいから腰かがめてください」


 相変わらず清々しい笑顔を浮かべるトレイにカチンとくる。ムッと眉根を寄せて、唇を尖らせながら必死に背伸びをする。けれど一向にトレイは腰をかがめてくれる様子はなく、ジャケットを引っ張っても上から見下ろしてくるばかり。アリステアは眉間にしわを寄せた。

 そんなアリステアをトレイは笑顔を浮かべながら、そっと目を細めた。

 ああ、ホントに可愛いな……こいつ。必死に背伸びして、俺に寄りかかって。でも、ちょっとムカつくな。変な部屋に閉じ込められて、好きでもない奴といきなりキスしろなんて言われてるのに、全く気にしてる様子もない。嫌がらずに簡単に了承して。きっと、一緒に閉じ込められたのが俺じゃなくても、こいつは同じことをするんだろうな。

 トレイは秘かに思う。

 アリステアはこういった事に慣れている。リドルに不純だ、と言われるような交際を学園の生徒としているし、ころころとその相手も変わる。だから今の状況にも動揺することは無い。相手は誰でも良いのだから、気にすることも無い。いつもの延長戦。それに少し、トレイは眉をひそめた。


「――っ!? んっ……!」


 一瞬触れ合った唇。それが遠ざかるのを防ぐように、片手を後頭部に回して抱き寄せた。アリステアのくぐもった声が零れたが、それを無視してさっきよりも深く唇を合わせる。そしてアリステアが驚いて身体が硬直している間に、片腕を腰に回してさらに身体を密着させた。

 アリステアから息苦しそうな吐息が零れるが、それさえも食むように唇を覆う。離れようと胸を両手で押されるが、あいにくアリステアはそれほど力が強いわけではない。その抵抗にフッとトレイは笑む。


「はあ……っ! なに、するんですか……」


 唇を離せば、アリステアは大きく息を吸い込んだ。そして目尻に涙を溜めながら、じとりとこちらを睨みつけてくる。ゾクゾクとした感覚が身体中に駆け巡ったのを、トレイは感じた。


「なにって……俺は指示通り、おまえとキスしただけだろ?」
「せいかくわるい……」


 もう絶対やんない、と零しながら口を拭い、アリステアはとぼとぼと扉に向かって歩いて行く。そんな姿を、熱を孕んだ眼差しでトレイが見つめていたことなど、アリステアが知ることは無かった。