キスしないと出られない部屋 エース



 エースはその場に立ち尽くしていた。いつの間にか、なにも無い知らない部屋に閉じ込められ、唯一の扉も鍵が掛かっていて開かない。此処に居るのは自分とアリステアだけ。エースはゴクリと固唾を飲みこんだ。

 こ、これはもしかして……俗に言う、あの部屋じゃないか……?


「ドア開かないねぇ」


 一方で、同じく閉じ込められたアリステアは、エースの様子などちっとも気にしないで、鍵の掛かった扉のドアノブを何度も引っ張ったり押し込んだりしていた。しかしビクともしない扉にアリステアは諦めて、なにも無い部屋を歩き回り始めた。

 そんなアリステアの視界の隅で、エースは悶々としていた。

 これ、アレだよな。あの、○○しないと出られないっていう部屋じゃね? 小部屋でドア開かないし、他になんも置いてないし。ていうか、本当にこんな部屋あんのかよ。なんの嫌がらせだ。さすがナイトレイブンカレッジ。

 衝撃的すぎて、この部屋に閉じ込められる前まで何をしていたかも忘れてしまった。


「困ったねぇ、魔法も使えないや」
「そ、そうッスね……」


 突然そばで聞こえたアリステアの声にビクリと驚きながらも、なんとか平然を保って返事を返す。

 お、落ち着けオレ……ここで動揺したら負けだ。それにまだ『何をしろ』とか出てないし。定番はキスとかアレとかだけど、とりあえずベッドもなにも無いし、それは無いはず。だから落ち着けオレ……!

 淡い期待を捨てきれずに、無意識に高鳴る鼓動を抑えようと、グッと歯を食いしばって胸元を掴む。しかし落ち着こうとしても、鼓動は治まるどころかどんどん大きくなっていく。エースは、アリステアの前で情けないかっこ悪い姿は見せまい、と徐々に上がっていく全身の体温を無視した。


「あれ? あの壁、なんかおかしくない?」


 アリステアの声にはっとして、俯きがちになっていた顔を上げる。


「え、どこ?」


 アリステアは扉の近くの壁を指さしていた。その指先を追って、エースもそちらに振り向く。するとそこには、先ほどまでは無かったはずのパネルが壁に掛けられていた。そのパネルには大きく文字が書かれている。それをエースとアリステアはじっと見上げた。

『キスしないと出られない部屋』

 パネルには、大きくそう書かれていた。


「……」
「……」


 嘘だろッ!! まさかの定番かよッ!!

 思わず、心の中で叫んでしまった。

 いや、オレ的には先輩と合法的にキスできて嬉しいけど! 心の準備は必要だって!!
 好意を寄せている人とキスできることは素直に喜ばしいことだが、思春期真っ只中であるエースには少し難しい。以前に恋人が居たこともあるが、手を繋ぐ段階で止まっていてキスもその先だってしたことがない。そんなエースに、いきなり好きな人とキスすることは難しかった。

 というか、先輩はどう思ってんのかな。先輩でも照れたりすんのかな。オレとキスするの嫌ってこともあるよな……まあ男同士だし……。

 自分で落ち着こうと思って心の中で唱えては、自分で落ち込んだ。そうしてドキドキと高鳴る鼓動を抑えながら、ちらりと隣のアリステアを盗み見る。すると、アリステアはいつものように優しい笑みを浮かべてこちらに振り返った。


「よし、じゃあキスしようか」
「はあ!?」


 ぎょっとして、大きく目を見開いた。そんなエースとは対照的に、アリステアは笑みを浮かべながら首を傾げた。


「え? だって出られないし、丁寧に出る方法まで提示してもらってるしね」


 あっけらかんとして言い切るアリステアに、エースは開いた口が塞がらなかった。


「は、いや……確かに出られないけど!」
「ああ、もしかして嫌? まあ男同士だしね。でもそんなのノーカンだって、ノーカン」
「は、ちょ、ストップ! ストップ!!」


 動揺を露わにするエースに、アリステアは微笑みを浮かべながら徐々に距離を詰めてくる。エースはそれから逃げるように足を後ろに引いて、両手を突き出してそっぽを向いた。

 クソ、慣れてやがるッ!! やっぱ男同士でもそういうことしてたのかよ。つーか、ノーカンってなんだよ! なるかよ、こっちは思春期真っ只中の男子高校生だぞ!!

 悔しさと落胆、苛立ちや羞恥心といった感情で頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、エースはアリステアからそっぽを向いたままぎゅっと目を瞑った。そして、これからどうやって切り抜けて行けばいいのか、上手くまとまらない思考で考える。


「エース」


 そんなことも知らないで、誘惑するように甘く囁いてくる声に、腹が立った。


「〜〜っ! なに――ッ!?」


 怒りに任せて振り返って、そして思考が停止した。

 振り返ると同時に首元のネクタイを掴まれて、勢いよく引っ張っられた。それにつられて身体は少しよろけて、引っ張られるまま身体を寄せられた。そして次の瞬間には視界がぼやけて、唇に柔らかい感触が触れた。

 なにが起こったのか分からず、呆然と目を見開いて立ち尽くす。すると、すぐに唇から感触は離れて、ぼやけた視界ははっきりとアリステアの顔を映し出した。


「は……、え……」


 顔に熱が集まっていくのが嫌でも分かる。目の前にいるアリステアは鼻先がくっついてしまいそうなほど近くにいて、唇の感触もまだ残っている。

 ふ、とアリステアが目を細めた。それと同時に、カチャリと鍵が開く音が響いた。


「うん、ドア開いたみたいだね。じゃあ帰ろうか」


 ぱっと距離を取って、何事も無かったかのようにアリステアは平然と扉に振り返った。

「寮に戻ったら君の好きなチェリータルトでも作ってあげるよ」と、未だに呆然と立ち尽くすエースに言い放ったが、エースからの反応は無い。そのままアリステアは軽い足取りで、鍵が開いた扉に向かって歩き出した。


「ほらエース。帰る、よ……?」


 その時、視界が暗転した。

 背中には固い感触。制服越しからでも、冷たさが伝わってきた。床に仰向けで倒れそのまま見上げれば、目の前には頬を赤く染め上げて熱を孕んだ瞳で見下ろすエースがいた。


「ホント、アンタのせいだからな」


 アリステアは目を丸くしてエースを見上げた。いつの間にか足の間にはエースの片膝があって、両手もエースの手によって床に縫い付けられていた。

 体重を乗せて、身体をかがめる。距離を詰められ、近づいた口から零れた熱い吐息が、肌をくすぐった。余裕を失くした真っ赤な瞳を細め、エースは唇を震わせながら、そっと口角を上げた。


「ねぇ、もう一回。オレとキスしてよ……ね、せんぱい」


 おねだり上手の後輩は、そう言って囁いた。