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être dans l'esprit


 アシェンプテルの特別な懐中時計を修理し終え、彼女との接点を失ってしまったヒースクリフは、その後もずっと彼女のことが気になっていた。アシェンプテルという素直で真直ぐな人柄に単純に惹かれていたこともあるが、毎日繰り返し巻き戻される彼女の記憶が気がかりだった。あの時、自分の残り時間を示した針を見つめる彼女の顔が忘れられない。そんな彼女の力に少しでもなれたらと思ったのも嘘じゃない。だからヒースクリフは、その後も毎日自分から彼女のもとへ通った。

 最初の数日間は、やはり緊張でどきどきしていた。彼女は当然自分のことは忘れてしまっているし、なんて声をかけたらいいか分からない。以前のように懐中時計を直す≠ニいう口実も無い。だから彼女に声をかけようとするたび、ヒースクリフは足踏みをして思考を巡らせていた。

 そんなヒースクリフにアシェンプテルはいつも気づいて、ヒースクリフが話しやすいように声をかけてくれた。言葉に詰まってしまえば会話を続けやすいように言葉をかけ、沈黙が流れてしまえば自分から何度も話を振った。そんな彼女に人見知りなヒースクリフは毎回助けられ、次第に知人から親しい友人のように打ち解けていった。


「はじめまして、アーシェン。俺はヒースクリフ。どうぞ、ヒースと呼んでください」
「はじめまして、ヒース」


 彼女と過ごす日々を重ねれば、もう話しかけるたび緊張することも無くなって、自分から積極的に声をかけることも多くなった。毎日繰り返す同じフレーズは嫌にはならなくて、むしろ合言葉のように思えた。


「今日はなにをしてたの?」
「今日はね、ミチルとリケと一緒に押し花を作っていたんです」


 二人が一緒に過ごすのは、決まって午後の中庭のベンチだった。彼女に初めて声をかけたこの場所は、なんだか必然と彼女と過ごす場所になっていて、麗らかな日差しと頬を撫でる温かい風そして二人の声しかない静かな空間が、まるで秘密の花園のように感じた。

 決まって最初は、彼女の話を聞いた。楽しそうに話す彼女の声音は耳に心地よくて、花が咲くみたいに笑う彼女の表情を見るのが、最近のヒースクリフのお気に入りだった。


「綺麗な花ですね。花壇に咲いてる花ですか?」
「はい。ミチルとルチルさんが育てている花を頂いたんです。よければどうぞ」
「え、いいんですか?」
「はい。なんだかヒースに似ているから」
「じゃあ、お言葉に甘えて。大切にします」


 押し花のしおりをヒースクリフはじっと見つめた。自分に似ていると言われた花は青い花びらで中心に向かうほど白くなる、綺麗な花だった。ヒースクリフはそれが少し照れ臭くて、でも自分よりもアシェンプテルに似ているな、とそっと心の中で思う。ありがとうございます、と言って折らないように慎重にポケットに仕舞い込む。


「ヒースはなにをしていたの?」
「俺は、東の魔法使いのみんなと授業をしてました」


 彼女の話を聞いたあとは、必ず自分のことも話した。自分のことを相手に伝えるのは少し苦手で最初の頃は一言二言で終わってしまっていたけど、なんでもないような話でも、自分がそのとき感じたくだらない話でも、彼女は真剣に耳を傾けて楽しそうに聞いてくれるから、誰かと共有することの良さや楽しさを知った。だから最近は、今日あったことを彼女に話すのが楽しみになっていた。


「そしたら、ネロはズルをしようとするし、シノは実技に変えろって言って。ファウスト先生が凄いため息をついてたよ」
「ふふ。魔法の実技って、やっぱり難しいんですか?」
「どうかな、いろいろな物があるから。でも、俺は座学の方が好きかな」


 小さくくすくすと笑みを零す彼女を見ると、自然と頬が緩んでしまう。きっといま鏡をみたら、締まりのない顔をしているに違いない。

 すると彼女は、魔法を見てみたい、と言い出した。そういえば、彼女の前で魔法を使ったことは今までに一度も無かった。使う機会も無かったし、彼女にそう言われたことも無い。

 ヒースクリフは、いいですよ、と頷いて、手を差し出すように言った。そうすればアシェンプテルは小さな両手で器を作るようにして手を差し出してきて、ヒースクリフは呪文を唱えてぱらぱらと星屑の形をしたシュガーを注いだ。魔法使いが最初に覚える魔法なんですよ、と教えれば、彼女は目をきらきらとさせながら両手に収まったシュガーを見下ろす。

 食べてみていいですか、と聞くから、是非、と頷く。彼女は星屑の一粒を指で摘まんで、そっと口の中に放り込んだ。そしてころころと舌で転がして、彼女は子供みたいに頬を緩めた。


「甘くて美味しい……! それに、なんだかほっとします」
「魔法使いのシュガーには、疲労回復など効果が含まれてるんです」
「だから優しい味なんですね。とっても美味しいです」


 シュガーの甘さは作り出した魔法使いによってさまざまで、形もそれぞれだ。けれど彼女はそれを知らずに優しい味だと口にした。なんだかくすぐったくて、そのことは黙っておくことにした。


「ありがとうございます、ヒース」


 そう言って、彼女は表情を綻ばす。

 こんな優しくて穏やかな時間が続けばいいのに。そう思いながら、ヒースクリフは「どういたしまして」と笑った。