×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


Sortir


 出掛ける時間は朝にして、朝食を食べたあと、魔法舎の玄関前で待ち合わせることにしていた。シノに出掛けることを話せば、予想通り自分も付いて行くと言い、ヒースクリフは朝食を食べ出掛ける準備をしたあと、シノと一緒に玄関前でアシェンプテルが来るのを待った。

 アシェンプテルが来るまで長くは待たなかった。玄関前に着いてシノと話しながら待っていれば数分後には姿を現し、自分たちの姿を見るなり急いで駆け寄ってきた。

 最初の言葉は、初めまして、だった。昨日のようにお互い自己紹介を交わすと、アシェンプテルは少し不安そうにしながら「あの、今日はおふたりとお出かけをする約束をしたので合ってますか?」と伺った。昨日の記憶が無いから、ノートに書かれた予定しか知らないのだ。

 ヒースクリフは「はい、そうですよ」と彼女を安心させるように笑いかけた。すると彼女はほっと安心して、表情を和らげる。


「今日はよろしくお願いします、ヒース、シノ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「くれぐれも迷子にはなるなよ」
「はい!」


 シノの少しきつい言葉に心配になったが、彼女がそれを気にした様子は無く、明るく笑って頷いていた。彼女みたいな人は、きっと誰とでも仲良くなれるんだろう。

 東の国に向かうのには、箒でないと日が暮れてしまう。アシェンプテルはヒースクリフの箒に乗せてもらうことになり、ヒースクリフは自分の後ろに跨った彼女を確認しながらゆっくりと空に浮かんだ。

 最初こそアシェンプテルは空を飛ぶ感覚に慣れず怖がっていたが、だんだんと楽しげに笑って空の景色を楽しんでいた。

 一方でヒースクリフは、自分から誘っておいて意図せず縮まった距離に緊張していた。危ないからと言って自分にまわさせた腕で、後ろから抱きしめられているような体勢になり、思わず自分の体温が上がっていくのを実感した。そんな様子をシノが揶揄って笑ってきて、ヒースクリフはじとりとそれを睨んだ。けれど後ろから楽しそうにする声を聞くと、騒がしかった気持ちもだんだんと落ち着いてきて、気付いたらはしゃぐ彼女の姿にくすりと笑っていた。

 東の国の近くに来てからは箒を降りて、徒歩で市街地に向かった。中央の国のように人々が行き交うような賑わいはないが、それでも今日は人が多い日だった。

 買い物が終わったら何処かで食事をしよう、と言って、まずは目的の物を探しに部品を取り扱っている店を目指した。向かった店は以前にも何度もお世話になっていたところで、気が知れた場所だ。店内へ入れば、少し気難しそうな年配の男性がいて、ヒースクリフを見るなり「坊ちゃん」と言って笑った。


「坊ちゃん……?」
「なんだ、聞いてないのか。ヒースは東の国の貴族の跡取り息子だ」
「まあ!」


 首を傾げたアシェンプテルがシノからそれを聞くと、目を丸くして驚いた。その反応に、ヒースクリフは居心地の悪さを感じてそっとアシェンプテルから目を逸らして俯く。


「いや……俺自身はそんなに……」
「自分を卑下するのは止めろ、ヒース。いい加減、奥様譲りの美貌と旦那様譲りの才能を認めたらどうだ」


 そうすれば、いつものようにシノが目を吊り上げてそう言ってくる。頼むから今は止めて欲しい、と心の中で呟いても、相手には伝わらないのだからどうしようもない。ちらり、ヒースクリフは盗み見るように視線をアシェンプテルに向けた。すると彼女はじっと自分を見つめていて、ヒースクリフはまた視線を落とした。


「確かに、ヒースはお人形さんのようにとっても綺麗ですし、彫刻や機械も直せるのでしょう? 凄いです!」


 そんななか降ってきたのは、どこまでも純粋な裏表もない言葉だった。顔を上げれば、きらきらした笑顔で見つめる彼女の目と視線が合って、勝手に落ち込んでいた気持ちなんてすっかり消えてしまった。


「ふん、いいぞ。もっと言ってやれ、アーシェン」
「ちょっと! やめてよ、恥ずかしいって」


 まるで自分のことのように自慢げにするシノにはそう言ったが、初めて、褒められて悪い気がしなかった。






 無事懐中時計に合った部品を入手し、東の国で昼食を終えた三人は、魔法舎へと帰宅した。魔法舎に着いた頃はちょうど昼過ぎくらいで、なにも問題なく終えられて良かった、とヒースクリフはひとり胸を撫でおろす。

 そして、じゃあな、と別れたシノの背中とそれを見送るアシェンプテルを見ながら、二人が仲良くなれて良かった、と嬉しくなった。むしろ予想以上に仲良く話す二人を見て、自分の方が驚いてしまっていた。ともあれ、彼女が楽しそうにしていて良かった。


「それじゃあ、俺は時計を直してきますね」


 購入した部品を手元に掲げながら、たぶん明日にでもお渡しできると思います、と付け加える。それに彼女が「ありがとうございます!」と言ったあと、昨日の時のようにおずおずとまた口を開いた。


「あの……よかったら、ヒースが時計を直しているところを見てみたいです」
「え?」


 そして昨日と同じように、ヒースクリフは目を丸くした。見下ろせば、好奇心を滲ませた瞳で窺うようにこちらを見上げてくる瞳と目が合う。


「い、いいけど……でも、そんなに面白くないと思いますよ?」
「ヒースの好きなことを私も見てみたいです」


 どきりと心臓が跳ねた感覚がした。

 どうして彼女はこんなにも真っ直ぐなんだろう。


「えっと……じゃあ」


 そう言ってぎこちなく頷いてみれば、彼女はまた嬉しそうに笑った。





 自室から懐中時計を直すための道具を持ち出して、二人は食堂のすみの席に座った。ちょうど昼を過ぎたばかりの時間なら誰もいない。キッチンにはいつものようにネロがいて、事情を話せばおやつ時には早いけれど紅茶と茶菓子を用意してくれた。それらテーブルの傍らに置いて、ヒースクリフは黙々と懐中時計の修理に取り掛かった。

 その間、アシェンプテルはじっと目を輝かせながらヒースクリフの手元を眺めていた。彼女にとっては珍しいことで、手際よく部品を外してまた取り付けるヒースクリフの手元が気になって仕方がなかった。

 一方でヒースクリフは黙々と作業をしているが、内心は緊張と照れ臭さが混ざって落ち着きがなかった。普段はひとりで作業をしているから、誰かにじっと手元を見られることなんて無い。それを目の前でされるのは、なかなか緊張するもので、耳元が熱くなるのを感じながらヒースクリフは平然を保とうと気が散る神経を懐中時計注いだ。

 静かな食堂には、静かな物音だけが響いた。時々、見ていて楽しいのかな、とこっそり視線を上げてみたが、彼女は興味深そうに自分の手元を静かに眺めていて、ヒースクリフはまた照れ臭くなった。そんなことを繰り返していくうちに、修理はとうとう終わりの目前まできた。


「あの、この針のことだけど……」


 あとは針を合わせれば完成というところで、ヒースクリフは時計の中にあるもう一つの小さな時計を指さして、彼女に尋ねた。


「これがなにを指しているのか分からなくて。時字が二十四つもあって、針も一つだし」


 すると、彼女が質問を返してきた。


「今って何時でしょう?」
「えっと……ちょうど三時ですね」
「じゃあ十五本目の時字に針を合わせてもらってもいいですか?」


 そう言った彼女の意図が分からず、ヒースクリフは瞬きを繰り返した。疑問に思いながらも小さな時計の針を十五本目の線に合わせて、大本の時計を三時の時刻に合わせる。そして正しく針が動いているのを確認して、綺麗に拭ってから懐中時計を差し出した。


「出来ました」
「ありがとうございます、ヒース!」


 受け取った懐中時計を両手で大切そうに包み込みながら、時間を刻み始めた盤面をアシェンプテルは嬉しそうに見下ろした。

 彼女の大切な物を直せてよかった、と思いながら、ヒースクリフはやっぱり小さな時計の針が指す意味が気になって、彼女に聞いてみることにした。


「あの、それはなにを指しているんですか?」
「これは私の残り時間を指しているんです」
「残り時間?」


 意味が分からず、ヒースクリフは首を傾げた。

 聞いてみると、その時計は彼女の記憶がまっさらになるまでの残り時間を指しているらしい。一日は二十四時間、だから時字も二十四つある。その時計は、一時間ごとに時間を刻んでいくのだ。

 それを聞いて、ヒースクリフは思わず目を見開いて驚愕してしまった。自分のなかの認識と違っていたのだ。


「記憶って……眠って、次に起きた時に忘れてるってことじゃないんですか?」
「いいえ。夜の零時、二十四時きっかりに全部忘れてしまうんです。起きていても、眠っていても」


 言葉を失くしてしまった。

 彼女の記憶はぴったり二十四時間しか本当に保てないのだ。夜中の零時から次の零時までの時間しか、彼女は覚えていられない。たとえ夜中の零時まで起きていても、その時間を過ぎればすべて元通りになってしまう。まるで魔法にかけられたみたいに。


「時計、ありがとうございます、ヒース」


 その残り時間を示した針を見つめるとき、彼女はどんな思いでそれを見ているのだろうか。