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Engagement


 改めて話をしたい、と言ったヒースクリフはその日、アシェンプテルを夜の中庭に呼び出した。あの日、一緒に星空を見た時と同じだ。彼女が勇気を出して自分に伝えてくれたように、ヒースクリフも同じ場所で、二人が一緒に過ごしてきた特別な場所で、この気持ちを言葉にしたかった。


「わ、星が綺麗……」
「うん。空気が澄んでるから、今日はよく見えるね」


 あの時と同じように、二人で一つの毛布を肩に掛けながらベンチに寄り添うように座って星空を眺める。あの日の方が星の数は多かったけど、やっぱり彼女と一緒に見上げる星空は特別で綺麗だった。


「以前も、こうして二人で星を見たんだよ」


 そう言えばアシェンプテルは目を丸くして驚いて、ペラペラと膝に置いてあったノートを捲り始めた。きっとその日のことが書かれたページを探してくれているんだろう。それを嬉しく思いながら「あの時は此処で零時を越したから」と伝えれば、書き残さなかったなんてもったいないことをした、と彼女は落ち込んだ。けどすぐに表情を明るくさせて「でも、今日こうして一緒に見られたから良かったです」と満足げに微笑む。

 ああ、やっぱり。こうした真っ直ぐなところが彼女らしい。


「それで、ヒースが言っていた大事なお話ってんなんですか?」
「あ……、えっと……その……」


 夜空に向けていた視線をくるりと変え無邪気に尋ねてきたアシェンプテルに、ヒースクリフはどきりとして自然と背筋が伸びた。膝に乗せていた手をきゅっと握って、鼓動が早まる心臓を落ち着かせようと顔を俯かせてそっと息を吐く。震える唇をきゅっと結んで、それから口を開いた。


「本当は……頭の片隅で、ずっと前から考えていて……でも、どうしても言えなくて……」


 ずっと前から、彼女に惹かれていた。真っ直ぐ見つめてくれるところや、素直な性格や、花が綻ぶみたいに笑う笑顔に、どうしようもなく惹かれていた。でも、気持ちを口にするのは怖くて、この穏やかな時間が終わってしまうような気がしていて、彼女に惹かれていながらそっとその事実から目を逸らした。でも、彼女は勇気を出して伝えてくれた。きっと自分以上に勇気がいるはずだ。それでも彼女は自分の気持ちと向き合って、あの夜の日に気持ちを言葉にしてくれた。そんな彼女から一度は逃げ出したけど、でも、だからこそ、今度は自分から言葉にする。

 ヒースクリフはポケットに手を入れて、そこから小さな四角い箱を取り出した。それを差し出すように手前に出して、そっと蓋を開ける。箱の中には、小さな指輪があった。

 それを見て、アシェンプテルは目を丸くしてヒースクリフを見上げた。そうすれば、頬を染めながらも真剣な顔つきで自分を真っ直ぐと見つめるヒースクリフの瞳と視線が交わる。その眼差しに、アシェンプテルは心臓を高鳴らせた。


「俺と――結婚してください」


 夜の静けさに溶けるような、それでいて真っ直ぐ意志のこもった声だった。

 アシェンプテルは大きく目を見張って、思わず言葉を失う。言葉の意味も、差し出された指輪の意味も、分からないほど子供でもないし、無知でも鈍感でもない。だからこそ、アシェンプテルは言葉に詰まった。


「……で、でも……私……」


 アシェンプテルの声は震えていた。どうしようもなく嬉しいのに、どうしようもなく鼓動は高鳴っているのに、もやもやとした気持ちが引っかかって素直にそれを受け取れない。

 アシェンプテルはきゅっと唇を結んで、勇気を振り絞るように胸元で手を握り込むと、泣き出しそうな顔をしながら口を開いた。


「私……貴方のことを忘れてしまう……」
「それでもいいです」


 強く言いきるヒースクリフに、アシェンプテルは俯きかけた顔を上げる。そこには頬を赤らめた彼はいなくて、どこまでも真っ直ぐ見つめる真剣は表情を浮かべたヒースクリフがいた。


「忘れられても、俺との思い出をノートに書き留めて、それを頼りにして俺を探してくれて『貴方がヒースクリフですか』って、俺を見つけてくれる。そんな貴女が、俺は好きです」


 そう言って、ヒースクリフはそっと目元をやわらげる。その眼差しがあまりに愛おしさを煮詰めていたから、アシェンプテルの鼓動は飛び跳ねた。


「たとえ貴女が俺のことを覚えていられなくても、俺は貴女を覚えています。貴女との思い出も全部、俺が覚えています」


 ヒースクリフは視線を逸らさないまま言葉を続ける。


「そして毎日、貴女と新しい思い出を作って行くんです」


 そっと胸に手を当てて、ヒースクリフは優しく微笑んだ。

 アシェンプテルは体温が上がって頬を熱くなっていくのを感じた。夜のなかでも、きっと星空の光でヒースクリフに見られてしまう。だって彼の頬をほんのりと赤く染まっているのが見える。彼の砂糖菓子を煮詰めたような眼差しが見えてしまう。

 視線を左右に泳がせて戸惑うアシェンプテルを、ヒースクリフはじっと見つめていた。その姿は今まで見てきた照れ臭そうに笑うものではなくて、はっきりと自分の言葉を受け止めて恥じらう姿だった。それがまた愛らしくて、また彼女への想いが溢れていく。

 視線を彷徨わせたアシェンプテルが、眉尻を下げながら上目づかいに視線を向けてきた。そこにはまだ微かに不安が滲んでいた。


「でも……私、貴方のことが好きだったことも忘れてしまう……」
「大丈夫です」


 ヒースクリフは微笑みながら強く頷いた。


「毎日、また俺を好きだって思わせてみせます」


 それは誓いにも似ていた。

 きっと毎日恋をする、と言ってくれた彼女のように、毎日まっさらな彼女に出会うたび好きになる自分と同じように。毎日貴女に好きになってもらえるように、毎日貴女に変わらぬ愛を伝えて、毎日貴女を好きになって、この鼓動が途切れるまで永遠にも似た恋をする。


「だから、この手を取ってくれませんか」


 彼女の瞳から、ぽつぽつと大粒の涙がこぼれ落ちた。星に照らされて反射する涙はきらきらと輝いていて、まるで夜空に浮かぶ星みたいだった。

 アシェンプテルはこぼれ落ちる涙を指でそっと拭うと、まだ涙を滲ませた瞳をそっと細めて微笑んで、静かに頷いた。ゆるゆると左手を持ち上げて遠慮がちに差し出されたそれを掬い取るように片手で包み込んで、その細い指に指輪を嵌め込む。指は彼女の指に馴染んでいて、まるでずっとそこにあったかのようだ。


「綺麗……」
「貴女のために作ったものですから」


 ほっと息を吐いて呟いたアシェンプテルに、ヒースクリフが頷く。


「そのために帰っていたの?」
「実家に帰ったのは、貴女との婚約の話を両親にするためで。指輪は……その……結構前から用意していて……」


 どうやらこの指はヒースクリフの手作りらしい。指輪に彫られた繊細な模様もすべてヒースクリフが手ずから施したのもで、正真正銘この世界で唯一のものだ。それもこれも全てアシェンプテルのために作られたもので、アシェンプテルはどうしようもなく泣きたくなった。

 指ではめ込まれた指輪をなぞって、ヒースクリフを見上げる。自然と視線は交わって、触れ合った手は指を絡めてきゅっと優しく包み込まれるように握られる。


「ヒース。私、貴方に恋しています」
「俺も、ずっと貴女に恋をしています」


 きっと、永遠の恋って、このことを言うのかもしれない。

 アシェンプテルはそう思いながら、幸せを胸いっぱいに抱えて、そっと瞼を閉じた。



 時計の針が十二時を指して、魔法が解ける。



 そっと瞼を開けた彼女は、ぼんやりとしたまあ瞬きを繰り返す。そうして辺りを見渡してから真っ直ぐに視線を向けて、不思議そうに首を傾げる。


「はじめまして、貴方は?」


 寂しくない、なんて言いきれない。でも悲しくはない。だって。


「はじめまして、俺はヒースクリフ。貴女の――婚約者です」


 俺が彼女を好きでいる気持ちに、変わりはないのだから。