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Aimer


 それから数日後。一ヶ月の期間付きの滞在を終えたアシェンプテルが少しずつ魔法舎を出ていく準備をし始めたころ。賢者と東の魔法使いたち、そしてアシェンプテルは、魔法舎の外の玄関前に集まっていた。

 その日、ヒースクリフは朝一番にアシェンプテルを探していた。いつもは午後の中庭で顔を合わせるのが日課になっていたが、今日は彼女に伝えなければならない話があった。廊下を小走りしながら彼女の姿を探せば、広い魔法舎の中でも彼女の姿はすぐに見つかって、ヒースクリフはいつもの合言葉を言う。それから今日はすぐに出掛けなければいけないことを伝えて、当日に伝えることになったことを謝れば、彼女は笑って首を横に振って、見送りに出向いてくれた。

 外には、一緒に帰るシノや見送りに来てくれた賢者やファウストそしてネロもいた。ヒースクリフは魔法で箒を手にして、改めてアシェンプテルと向き合う。


「早ければ明日には帰るつもりだけど……もしかしたら一日遅れるかも」
「そう、ですか……」
「ごめん、アーシェン」
「いいえ! 急ぎの用事なんでしょう? ヒースが帰ってくるのを楽しみに待ってます」


 ヒースクリフは、今日は急ぎの用事で東の国にある実家に帰ることを伝えた。大切な用事で、もしかしたら帰りが数日遅れてしまうことを伝えると、彼女は瞬きをしてそっと顔を俯かせる。ヒースクリフとしても、一日しか記憶を保てない彼女とは毎日顔を合わせたい気持ちがあったが、用事が用事のためにそうもいかない。

 少し落ち込んだ様子を垣間見せた彼女にひそかに嬉しくなりながらも、一緒に過ごせなくてごめん、と伝えれば、彼女はぱっと顔を上げて急いで首を横に振った。そうして、帰ってくるのを楽しみしている、と表情を綻ばせながら言うから、ヒースクリフは嬉しい気持ちを隠しきれずそっと目を細める。


「ヒース、そろそろ行くぞ」
「ああ、うん」


 すると、準備も整って急かし始めたシノが声を上げた。それに振り返って頷いてから、ヒースクリフはもう一度アシェンプテルに視線を向け、少し照れ臭くなりながらそっと微笑む。


「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、ヒース」


 うん、と頷いて、今度はファウストやネロに振り向いた。


「先生たちも、行ってきます」
「おう、アーシェンのことは俺らで面倒見てるよ。な、先生」
「君は心配せず行ってきなさい」


 そう言って、ネロとファウストは見送りだした。ちらりと二人が向けた視線の先にはアシェンプテルがいて、ヒースクリフは安心して、はい、と頷く。二人は面倒見がいいから、アシェンプテルのことも安心だ。

 最後に「行ってらっしゃい」と賢者に送り出され、ヒースクリフとシノは見守られながら魔法舎を発った。







 ヒースクリフがいない今日、アシェンプテルは午後の中庭に立ち寄らなかった。最初の頃は意識せずになんとなく訪れていたけれど、いつの間にか中庭はヒースクリフと過ごすための秘密の場所になっていて、ノートに書かれたヒースクリフと中庭で過ごした日々を読んだアシェンプテルは、自然と足先がそこへは向かなかった。

 昼食を食べた後も食堂に残って、ノートに書かれた自分の知らないヒースクリフと過ごした時間を読みふけった。食堂には気遣って話し相手になってくれたファウストやネロもいて、アシェンプテルはヒースクリフがいない時間を寂しい気持ちで過ごすことは無かった。


「アーシェン、作っておいたタルトでも食べる?」
「はい、いただきます」
「りょーかい。先生はどう?」
「僕もいただくよ」


 午後の三時になれば、おやつを作ってくれたネロが美味しそうなタルトと紅茶を持ってきてくれて、アシェンプテルは目を輝かせた。

 ノートには、時々ヒースクリフと一緒にネロが作ってくれたお菓子を食べていたと書かれていて、こんなに美味しいものを食べていたんだな、と自分が知らない自分を少し羨ましくなった。そしてこれは書き留めておかないとと思い、アシェンプテルはペンを取り出してノートにタルトの感想を綴った。

 美味しいタルト食べ終えたあとも、のんびりとした三人でのお茶会は続いた。ファウストとネロはお喋り上手というわけではないけれど、やっぱり大人で面倒見の良い二人はアシェンプテルに程よい接し方をしていた。国ごとに性質が変わると聞くけれど、ヒースクリフといい二人といい、東の国の人たちは優しい人が多いみたいだ。

 三人で談笑をするなか、ふとアシェンプテルが視線を窓の外へ逸らした。


「ヒース、なんの用事なのかな……」


 独り言のように呟き落としたそれに、ファウストとネロは話をやめてそっと互いに視線を合わせた。


「凄く大事な用事だったみたい……」
「うーん……まあ、帰ってきたら分かるんじゃない?」


 どこか含みのある言い方をするネロにアシェンプテルは視線を向けたが、ネロの視線はそっぽを向いていて目が合うことは無かった。ネロの言葉に、それもそうだな、と一人で考えても仕方ないと諦めて、アシェンプテルは手に持ったティーカップに唇を触れさせた。

 それ以降からヒースクリフの話題で三人のお茶会は持ち切りになった。ファウストやネロから聞くヒースクリフの話は楽しくて、ノートに書かれているものを読むだけでは分からない、同じ東の魔法使いから見る新しいヒースクリフのことが聞けて、アシェンプテルはわくわくした気持ちで耳を傾けた。

 しばらく二人からヒースクリフの話を聞いていると、今度はネロが話を振った。


「ヒースとはいつもなにしてんの?」
「ネロ」
「え? ……あ」


 話を振ったネロはファウストに強く名前を呼ばれると目を丸くして、それからはっと気づいて気まずそうに視線を泳がせた。今日のことしか覚えていないアシェンプテルにそれを聞くのは失言だと思ったのだ。


「あー、えーっと……」
「ヒースとはいつもお喋りしてます。たまに街に出かけたり、ヒースの作業を見させてもらったり」


 けれど、アシェンプテルは気にした様子も無く楽しそうにしながらその話題に答えた。もちろんアシェンプテルがそのことを覚えているわけはなく、すべてノートに書かれていたことを言っているにすぎないが、このノートに書かれたものは彼女の思い出で記憶そのものだ。たとえ自分が覚えていなくても、そこに書かれた事実をアシェンプテルは真っ直ぐ受け止めていた。

 ネロとファウストはそんなアシェンプテルにほっと安心して、そっと安堵の息を零した。ヒースクリフに任せておけと言った以上、それを破るわけにはいかない。

 ネロは楽しそうにヒースクリフの話をするアシェンプテルを見て、ここで不自然に話題を変えるのはアシェンプテルに悪いと思い、頷きながらそのまま話を続けた。


「へー、全部それに書いてあんの?」
「はい! ヒースとの思い出がいっぱい詰まってるんです」


 アシェンプテルは宝物を見せびらかすようにノートを掲げて、はしゃぐ子供のように笑顔を浮かべた。それを見て、なんだかヒースクリフがアシェンプテルに惹かれた理由が分かった気がした。


「ヒースのこと大好きじゃん」


 はは、と笑いながらネロは話しの延長戦で軽くそれを言い放った。するとアシェンプテルは驚いたように目を丸くして、それからみるみると頬を赤く染め上げた。さっきまでの元気な調子はどこへ行ったのかと思うくらい小さく縮こまって、恥ずかしそうに視線を落とすアシェンプテル。

 それを目の当たりにした二人は、なんとも言えない表情を浮かべた。


「……どうしよ、先生……俺、今すっごくこそばゆい……」
「君が招いたことだろ……」


 なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。どこか居心地が悪くなって、自分たちまで赤面が伝染してしまった二人は、ティーカップを片手にそわそわと居住まいを正す。


「あ、あの……思い出に恋するなんて……おかしい、ですか……?」


 すると、まさか本人からその話題の続行をさせられ、二人はぎょっと目を見張った。

 アシェンプテルやヒースクリフは二十代にもなっていたい年齢だが、片や自分たちは五百歳前後だ。今どきのそういう色恋は範囲外であるし、この歳になってそんなくすぐったい恋愛話をされても困ってしまう。けれどここで答えないのは明らかにまずい状況であり、下手なことを言ってしまえば二人の今後の関係も変わってしまう恐れもある。

 そんな責任重大なことを自分は答えられない、とネロは助けを求めるように隣のファウストに視線を向けた。ファウストはそんなネロを睨みつけ、目の前のアシェンプテルに視線を向けてから、そっと息を吐いた。


「……別に、おかしいことではないんじゃない」


 正直に言って、当たり障りのない返答だっただろう。けれどファウストにとってはそれが真実であり、これ以上どう言葉を尽くして伝えればいいかも分からない。

 二人は盗み見るようにアシェンプテルの様子をどきどきとしながら窺う。


「そ、そっか……」


 ファウストの言葉を聞いたアシェンプテルは、そう言って小さく頷く。そうして徐々に頬を緩ませて、ふふ、と小さく笑みを零した。まさにそれは恋する少女そのものだ。


「……今の子って控えめだなあ」
「この二人が特殊なんんじゃないか……」


 少し前にもヒースクリフを相手にこんなことがあったな、と思い返しながら二人は渋く出した紅茶を飲み込んだ。