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第二話


 太陽の日差しも差し込まない暗い森の中を、ファウストは迷うことなく歩いていた。背の高い木々は空に昇る太陽の光を遮って、足元が暗い。加えて、木の根っこや凸凹した土に足を取られて歩きづらい。精霊や魔力の気配も漂っていて、一歩間違えれば森の中を彷徨うことになりそうだ。そんな森の中を、ファウストは慣れたように迷うことなく真っ直ぐと進んで行く。

 東の国にあるこの森は、隠れ家がある嵐の谷に近いところにある。此処も不思議な森で、迷い込めばなかなか森を抜けられず、けれど引き返せば簡単に森から出れた。来る者を拒むこの森を抜けるには、道を知っている者か忍耐のある者にしか抜け出せない。ファウストも昔、長い時間この森に惑わされたが、強い精神を認められたのか、森を抜けることができた。そして今のファウストは、この森を抜ける道を知っている。

 しばらく森を歩き続けると、遠くに高い建物が見えてきた。ファウストはそこを目指して、確実に前へと進んで行く。

 森を抜けると、大きな四角い建物が目の前に現れた。昔は綺麗だっただろう建物は、今は廃墟のように薄汚れていて、壁には蔦が絡んでいる。けれどどんなに古びて汚れていても、威厳はけして消え失せていなかった。


「此処に来るのは、いつぶりだっただろう……」


 ファウストは建物を見上げて、そっと目を細める。

 此処に立ち入るのは、ずっと避けていた。昔は何度か足を運ぼうとしたけど、結局怖気づいて帰ってしまっていた。けれどようやく、此処に来ることができた。記憶の中にあるそれと少し姿は変わっていても、本質は何も変わっていない。

 見上げた顔を下ろして、ファウストは建物の扉の前で立ち止まる。扉は壁に張り付く蔦で固く閉ざされていて、ファウストはそれを魔法で取り除いた。そうすると、細かい装飾が施された扉が姿を現す。

 扉の装飾は汚れて錆びていた。昔は煌びやかな金の装飾だったのに、今ではその美しさは失われている。けれど厳格な態度は一切廃れていない。

 ファウストは錆びた装飾を指先で撫でた。途端に扉の装飾は生きているように動き出して、扉に文字を描き出した。

 中に入る者の資格を問うこのなぞかけは、いつも一つのことを問う。だから扉に描かれた文章は、ファウストが初めて此処を訪れた時と同じだった。この答えを知っているファウストは、静かにそれを口にする。すると再び装飾が動き出して、時間が巻き戻ったように元の位置に戻って行く。そうして最後の装飾がぴたりと元の位置に戻ると、扉の鍵が開く音がする。

 ファウストは冷たいドアノブを掴んで、立ち止まった。ゆっくりと瞼を下ろして、深呼吸をする。そして顔を上げると、ファウストは重たいドアノブをゆっくりと引いた。

 中に入れば、外観よりも広い空間が目の前に広がった。壁一面に本がずらりと並んでいて、それが高い天井にまで上っている。それぞれ高さが違う梯子がいくつも本棚に掛けられていて、所々にあるテーブルには無造作に本が積まれている。中は少し埃っぽかったが、外観のように汚れてはいなかった。むしろ昔となにひとつ変わっていない。

 ファウストは懐かしいそれを見渡して、足先を図書館の奥へと真っ直ぐと進んだ。

 図書館の奥には、横に長いデスクと椅子が設置されていて、デスクの左右には本が積まれている。引かれた椅子の目の前には開かれた本が放置されていて、まるでついさっきまで人がいたような痕跡があった。

 ファウストは思い出をなぞるように、指先をデスクの上に滑らせる。そうして空っぽの椅子を見つめて、ファウストは内ポケットに仕舞ったそれを取り出した。

 彼女の瞳と同じ色に煌めく石は、彼女の魔力が残留している。ずっと手放せなかったそれを、ファウストはそっと開かれた本の上に置いた。そうして一歩二歩を後ろに下がり、その光景に目を細める。


「ああ、やっぱり……君には此処が似合う」


 数多くの本に囲まれてその中心に佇む姿は、昔の彼女と何ひとつ変わらない。欠けていた物がようやくあるべき場所へと戻って、本来の姿を取り戻したようだ。美しく煌めいていた石は、より一層美しく見える。

 ふっとファウストは満足そうに微笑む。これで良かったのだ、と頷いて瞼を閉じる。

 振り返ったファウストは、真っ直ぐと出口に向かって歩き出した。一歩一歩足を踏み出すたびに、此処で過ごした日々や彼女との思い出を思い出す。それをひとつひとつ胸に抱えながら、ファウストはドアノブを掴んだ。重い扉はどこか軽い気がして、ファウストは最後にそっと微笑んで、二度と振り返ることはなく図書館を後にした。

 扉は閉じ、外界から遮断された図書館に再び静寂が流れる。忘れ去られた此処に二度と人が立ち入ることはなく、閉ざされた図書館にはいつまでも美しい石が佇んでいた。







――『傷を抱く』END.