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第五話


 結論を言えば、革命は成功した。見事に中央の城を陥落させ、革命軍は華々しい勝利を収めた。きっと多くの革命者たちが、目指した理想郷をこの時に見ただろう。しかし、それは全員とはいかなかったらしい。

 結果を言えば、革命は成功したが、魔法使いたちは人間に裏切られた。始めは小さな疑心から始まり、不安はでたらめな噂を助長させ、波紋のように広がったそれはとうとう修復が不可能なところまで来てしまった。それを決定付けたのは、人間を率いるもう一人の革命軍の指導者であった青年の幼馴染が、噂に惑わされた仲間の言葉を信じてしまったことが始まりだった。

 それからの流れは、何度も繰り返した歴史と変わらない。人間は魔法使いを信じきれなくなり、迫害し、身柄を捕縛し、命乞いをする暇もなく殺した。共存を夢見た魔法使いたちは、共存を望んだ人間に裏切られたのだ。けれど人間たちは自分たちが作り上げた噂を信じて、裏切ったのはお前たちだ、と魔法使いたちを糾弾した。そして魔法使いたちの指導者であった青年は、『裏切者』として人間たちに捕らえられてしまった。

 なんとか生き延びた魔法使いたちは、この有り様に絶望した。なかには落胆し故郷に帰る者、なかには人間を恨み殲滅を叫ぶ者、泣き叫ぶ者、沈黙する者、様々な者がいた。その中で僅かばかりでも良心が残る者は、せめて指導者である青年を救出するために動き出した。加わったのは青年の従者であったレノックスと青年の最初の師であった彼女、そして数少ない魔法使いと魔女が残った。

 最初はすぐに青年を救出し立ち去るつもりだった。けれど牢に閉じ込められた青年のもとへ向かうと、青年はまだ人間と親友である幼馴染を信じていた。きっと最後には分かってくれる、きっと最後には助けてくれる、まだ分かり合える、と青年は最後まで人間を信じていたのだ。

 馬鹿な子だと思った。だからまだ青臭いのだ、とレノックスから話を聞いた彼女は呆れた。人間は弱い。だから自分たちとは違うものを恐れて攻撃的になる。それを和解で終わらせることは、いつの時代でもできなかった。今回も同じだ。もう止まることができないところまで来てしまっている。どんなに希望を信じても、これだけは叶わない。

 それでも青年は信じていた。その信念を最後まで曲げなかった。そうやって自分を守っていたのかもしれない。そうやって自分を保っていたのかもしれない。なんにしても頑なな青年に、彼女たちは最後のその瞬間まで待ち続けることになった。

 そうして最後まで信じ続けた青年は、結局のところ裏切られたのだ。何人もの魔法使いたちが石にされた場所で、青年は見せしめとして火刑にされた。燃え盛る炎の中でも、青年は最後の最期まで幼馴染を信じた。けれどその願いはかなわずに、希望はそこで打ち砕かれた。

 火刑に処される隙を狙って、レノックスや彼女たちは青年を救出に向かった。人間の数が多くて、また何人もの仲間が石になる。そんななか、彼女とレノックスは青年を助け出して逃げることになる。けれど追手の人間が多くて、レノックスは青年を彼女に任せて囮になることを選び、彼とはそこで別れることになった。彼女は傷だらけの青年の腕を肩に回して、迫る人間たちの目の前でぱっと姿を消した。

 魔法で彼女と青年が移転すると、薄暗い静かな森の中に出た。此処は彼女の住み慣れた東の国だ。移転魔法でも此処まで距離のある移動は通常できないが、もしものためにといくつか仕込んでいたものが此処で役立つことになる。こればかりは慎重な自分に感謝せざるを得ない。

 歩く力も無い俯く青年を木に寄り掛からせて地面にゆっくりと下ろす。青年の目の前に彼女は座り込んで、その顔を覗き込む。澄んでいつもきらきらしていた青年の瞳は、今はひどく濁っていた。彼女は視線を下ろし、青年の怪我を見る。ついさっきまで炎の中にいたのだ。火傷も酷ければ擦り傷もある。


「ファウスト、まずは傷の手当てを……」
「いい……いいんだ……、もう全部……もう僕は……」


 そう言って青年は、手当てをしようと腕を伸ばした彼女の手を掴んで下ろした。青年にもう生気はない。あれほど生き生きとしていた青年は、もう見る影もなかった。

 だからと言って彼女が青年を見殺す道理はない。青年が望まずとも彼女は自分の意思に従う。彼女は力なく掴まれた青年の手を振り払って、傷だらけの青年に治癒魔法をかけた。完治をするには時間がかかる。けれど彼女にそんな時間はなく、青年が一人でも動けるくらいまで治癒を施すと、彼女は俯く青年の頬を包み込んで強引に目線を合わせた。


「ファウスト、聞きなさい。此処は東の国。『迷いの谷』と呼ばれる場所よ。此処なら人間も魔法使いも滅多に立ち入らない。もう少し先に行けば私の図書館があるけど……そこまで行けそうにない。此処からは貴方がひとりでどうにかするのよ、ファウスト」


 すると、青年はぼんやりとした眼差しをゆるゆると彼女に向けた。


「……君は、ひとりで……何処かへ行くのか……?」


 なにも映さなかった青年の暗い瞳に、彼女の姿が映った。なんの感情も無かった眼差しに、わずかな不安が滲んだ。その眼差しを真っ直ぐと受け止めて、彼女は眉根を下げて力無く笑った。


「ごめんね」
「――え」


 その瞬間、彼女の頬に亀裂が走った。

 ピキリ、ピキリ、と音を立てて、彼女の身体にいくつもの亀裂が刻まれていく。亀裂の隙間からぽろぽろと小さな欠片が落ちて、地面にきらきらした石が転がった。

 その様子に青年は呆然と言葉を失くした。


「そろそろ私も……限界、みたい……」
「グリッタッ!!」


 身体を支える力まで失くしたのか、彼女の身体が突然揺らいだ。それを青年が咄嗟に支えて、横たわる彼女を膝に抱える。握った彼女の手の温もりは石みたいに冷たくて、そこに温もりは感じない。


「どうして……だって、さっきまで普通に……っ」


 さっきまで、彼女は何も変わらなかった。傷一つなく、彼女は目の前にいた。なのに今、自分の膝に横たわる彼女の姿はぼろぼろで、身体のあちこちに傷を作っていた。そこで青年は、彼女が魔法で姿を誤魔化していたことに気づく。


「だめ……駄目だッ、グリッタ!!」


 彼女の身体に走る亀裂は止まらない。どんどん彼女の身体が硬くなって行って、彼女の瞼も重くなって行く。それを青年は、ただ見つめることしかできない。


「駄目だ……やめてくれ……どうして、どうして君が……こんな……っ」


 そこで青年は、はっと息を呑んだ。


「僕が……僕が君を、この革命に引き入れたから……僕を……助けたから……っこんな……」


 ぽろぽろと青年の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。止めどなく流れるそれは雨のように彼女の頬を濡らしていく。

 魔法使いにとって、涙も爪の欠片も髪の一本でさえ、相手を呪う触媒になる。だからけして痕跡を残してはいけない。そう教わったにも関わらず、青年は感情のままに涙を流した。


「……そんな、こと……言わないで……」
「グリッタ!!」


 俯いて泣きじゃくる青年の頬に、亀裂の入ったぼろぼろの手が触れる。

 彼女の声にはっと顔を上げれば、彼女はひどく穏やかな表情で微笑んでいた。皮肉なことに、こんなにも穏やかで優しい笑顔を見たのは初めてで、青年はまた涙を溢れさせる。

 そんな困った青年に、彼女はふっと笑みを零す。


「目を輝かせて……真っ直ぐと、前を見つめる……貴方の夢を……見てみたいと思った……」


 いつも青年の瞳は輝いていた。その瞳は夢を見ていて、理想を見つめていた。でも夢を見るばかりではなく、青年は真っ直ぐと物事を見つめていた。その眼差しを向けられるのは、嫌ではなかった。その眼差しを横から眺めるのを、気に入っていた。その青年がいつも夢見る世界が、気になった。青年が見つめる世界がどんなものなのか、興味を持った。その夢を、この目で見てみたいと思った。

 彼女は青年に、夢を見せてもらったのだ。


「素敵な夢をありがとう」


 とても綺麗な夢だった。とても美しい夢だった。図書館に閉じこもって、本を読み漁るだけでは見られないものだった。彼女は確かに、青年を通してその夢を見ていたのだ。


「そんな……っ、だって……だって僕は、結局なに一つ叶えられなかったッ!! なにも君に見せられてないッ!!」


 満足そうに笑う彼女に、感謝を述べる彼女に、青年は初めて感情のままに叫んだ。

 なにも得られない革命だった。夢を語るばかりで、理想を夢見るばかりで、結局多くの仲間を失って、信じた親友にも裏切られた。最初に彼女が言っていた通り、自分が目指したものは夢物語だったのだ。彼女が正しかった。それなのに彼女は自分に付いて来てくれた。そんな彼女を、自分のせいで失ってしまった。


「……嫌だ……いやだ……、グリッタ……」


 どうして彼女が石にならなければならない。どうして彼女を連れ出した自分が生き延びて、彼女が死ななければならない。もう自分には生きる理由も無いのに。此処で終わってしまいたかったのに。どうして、聡明で誰よりも誠実で優しい彼女が砕けなければならない。


「僕を……僕をひとりにしないで……、置いて逝かないでくれ……っ」


 置いて行くぐらいなら、自分も連れて行ってほしかった。彼女が此処で砕け散るなら、自分も此処で石になりたかった。でも彼女はただ満足そうに微笑むだけで、幸せそうに目を閉じる。


「グリッタ、お願い、お願いだ……やめてくれ……僕を置いて逝かないでくれ……っ! 嫌だ……駄目だ、グリッタッ!!」


 どんなに強く抱きしめても、どんなに泣き叫んでも、それを嘲笑うかのように彼女の身体はどんどん欠片になっていく。もう彼女の魔力も僅かにしか感じない。彼女の輪郭が、どんどん形を失っていく。

 最後に、彼女は瞼を上げて泣き叫ぶ青年を見上げた。そうしてふっと口元を緩める。


「貴方の傷になれるなんて――私、幸せね」


 そう言った彼女は、もう二度とその笑顔を浮かべることも瞼を開けることもなく、ただ青年の手の中に美しい石が煌めくだけだった。