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第三話


 彼女のもとで多くの知識を得た青年は、彼女からの提案で魔法を使う術を学ぶために図書館を出て行った。彼女も魔女であるから魔法を教えるすべを持っているが、彼女曰く自分は魔法が得意ではないらしい。また特別魔力が強いわけでも無いから学ぶならもっと適切な人を選ぶべきだ、とも彼女は続けた。それを聞いた青年は、今後の革命に備えるために彼女の提案を受け入れ、何人か彼女から聞いた魔法使いを尋ねに行くことにした。

 青年が弟子入りを頼みに行くと決めた魔法使いは、北の魔法使いであるフィガロだった。彼女は彼と一度だけ面識があるらしく、強い魔法使いであり知識も豊富な彼は師として乞うのにふさわしいと考え、青年に紹介した。とはいえ、フィガロは北の魔法使いであり、彼がいる場所は絶対凍土の北の国だ。辿り着くのも困難で、フィガロが弟子入りを承諾するとも思えない。そもそも辿り着く前に死んでしまう可能性だってあるし、フィガロ自身に殺される可能性だってある。そう何度も忠告をするも、青年は彼に弟子入りをしに行くと決めた。強い意志があり、そんな青年を止める権利はないと考えた彼女は、青年に祝福の魔法をかけて旅立つ弟子を見送った。

 見送った青年から便りが来たのは、それから数ヶ月後のことで、それによって青年の無事を知ることができた。知らせにはフィガロの弟子になったことが書かれていて、彼女はそれを最初に読んだ時には思わず驚いて何度も読み返してしまった。人間と魔法使いの共存なんで微塵も興味ないくせに気まぐれで受け入れたのか、と彼女はため息を落とす。しかしそれは自分も同じことで、青年にとって良い方向に進んでいるのならそれでいいだろう、と彼女は手紙を引き出しの中に仕舞った。

 それからさらに一年と数ヶ月後に、青年は再び図書館に現れた。今度は一人ではなく、青年がよく話していた人間の幼馴染と革命軍の一員であり青年の従者をしているというレノックス、そして彼らの革命に参加することにしたフィガロがそこにいた。大勢の人は苦手で思わず彼女が顔をしかめれば、それに気づいた青年が彼らに外で待つように言って、改めて彼女に向き直った。

 青年に、なにをしに来たのか、と問えば、改めて感謝と勧誘を、と青年は答えた。青年は、是非革命軍に参加して欲しい、と彼女に頼み込んだ。それに彼女は一度首を振る。青年としても無理に参加を誘うつもりはない。けれど、今まで彼女と過ごしてきたことや話してきたことを思い出して、青年は一緒に叶えて欲しい、と真摯に伝えた。それは弟子入りを頼み込んできた時とよく似ていて、そんな青年を突っぱねることは、今の彼女はできなかった。

 彼女はけして妥協したわけではない。頼み込む青年に根負けしたわけでもない。青年の弟子入りを許可した時と同じように、青年が目を輝かせて語る話を聞く時と同じように、彼女は青年が夢見る光景を見てみたかったのだ。人間にも魔法使いにも興味はなく、二つの種族の共存にも関心はない。しかし、青年の夢には興味があった。ただそれだけだった。

 そうして彼女を引き入れ、徐々に仲間を増やし戦いにも勝利を重ねて行けば、革命軍は最初の頃とは見違えるほど大きく膨らんで、あっという間に中央の城の目の前まで来ていた。長いようで短かった革命は、どこか呆気ないほど終わりに近づいていたのだ。

 そんな最中で、ある日突然フィガロが姿を消した。誰にも言わずに、勝利を目前にして戦線離脱をしたのだ。フィガロのそれに革命軍の多くは動揺した。それも仕方がない。そんな彼らを立て直したのは青年だった。青年の言葉で、不安に曇った彼らの表情はみるみると活気に満ちて、士気を高めていく。気丈な青年の言葉に奮い立たされたのだろう。しかし気丈に振舞う青年も、彼らの前から姿を消せば一人で顔を俯かせていた。


「ファウスト」
「グリッタ……」


 声を掛ければ、青年は驚いてにぱっと顔を上げた。その表情には、さっきまでの彼らのように不安が滲んでいる。


「気にしても仕方がない。昔からああいう人なんだから、落ち込むだけ無駄よ」


 彼女は下手くそな慰め方をした。けれど彼女の言っていることは真実で、フィガロはもともとそういう質の人なのだ。気にしていたところで仕方がない。そういう人なのだと割り切らないといけない。だから苦手なんだ、と彼女は内心でぼやいた。

 そんな彼女の気遣いに、青年はなんとか笑って見せる。


「うん……そうだね。ありがとう、グリッタ」


 そう言った時には、青年の表情から不安は拭い去られていた。完全にとは言わないが、それでも革命の勝利は目前。此処で立ち止まってはいけない、と青年は自ら奮い立たせ、真っ直ぐと目の前だけを見つめた。

 フィガロは革命軍の中で、主に治癒を担当していた。治癒の魔法は、ある程度心得のある魔法使いでないと使えない。その穴を埋めたのは、彼女と青年だった。青年はフィガロの弟子としてその心得を学んでおり、彼女も自分では魔法は得意ではないと言うものの、実際のところは革命軍の中ではフィガロに次いでいた。もちろんフィガロとの差は大きかったけれど、それでも彼女も偉大な魔女だったのだ。

 それからも革命は順調に進んで、とうとう明日が決戦、というところまで来た。決戦前夜である今日の野営はいつもよりも騒がしくて、緊張感はあるもみんな浮足立っていた。宴会のようなそれに、一人を好むグレートヒェンは馴染めず、ひとりで野営を抜け出した。これは今日に限ったことではないが、やはりいつまで経っても人がいる場所というのは落ち着かない。

 摘まむ程度の食料と飲み物を手に抜け出したグレートヒェンは、見晴らしのいい人気のない場所に腰を下ろした。ここ数日の野営中に見つけた場所で、とくに空が良く見える場所でグレートヒェンは此処を気に入っていた。空を眺めながら食料を摘まんで口に放り込み、喉に水を流す。すると、背後でガサガサと音がした。


「グリッタ?」


 顔をのぞかせたのは青年だった。姿の見えないグレートヒェンを探して、此処まで来たらしい。


「ファウスト」
「こんなところで、一人でなにをしてるの?」
「……あそこは人が多いから」


 そう言うと青年は、ああ、と頷いて、野営の方角に視線を逸らした。青年もグレートヒェンが時々こうして野営を抜け出しているのを知っていたし、みんなのところに居ても人を近づけず一人で休んでいるのを知っていた。今日はいつも以上の盛り上がりだから居心地が悪かったのだろう、と納得する。


「それに……星が綺麗だったから」


 青年は改めて空を見上げてみた。彼女の言う通り、今日はよく星が見える気がする。東の国の森から見上げる星空や北の国から見る星空と比べれば、星は遠くて見える数も少ないが、それでも綺麗に輝いて見えた。

 青年は彼女の許可を取ってから隣に腰を下ろす。革命が始まってから、こうして彼女と二人きりでゆっくりとした時間を過ごすのは、久しぶりかもしれない。そう思うと、青年は自然と口元を緩めた。


「まだ人には慣れない?」
「まあ……四百年間も引きこもっていたから」
「そんな貴女がこうして外に出てるなんて、夢みたいだね」
「ふ……本当にね」


 青年が笑ってそう言うと、彼女は眉根を下げて小さく微笑んだ。満面とは言えない添えるような小さくぎこちない笑顔だが、青年はそうやって笑う彼女の顔がひそかに好きだった。

 それからというもの青年は、彼女と二人きりで過ごせなかった時間を埋めるように様々な話をした。その中には北の国で過ごした話や幼馴染の話、信頼してる従者のレノックスの話やここ最近のことなど、内容は様々だ。彼女はそれに一つ一つ相槌を打ちながら話を聞いていた。時々彼女がおかしそうに小さく笑みを零すと、それにつられて青年も笑みを浮かべる。あまりにも穏やかな時間で、青年はほっと息を零した。


「これで……革命が終わるんだ」


 改めて振り返ると、長い時間準備を進めてきた青年にとってもあっという間な時間だった。


「なんだか、実感が無いな……夢みたいだ」


 青年は思わずそう零した。ずっと遠くに感じていたものがいざ目の前に現れると思わず夢だと感じてしまう。それほど革命は順調に進んでいたのだ。確かになかには躓きも苦戦もあった。失った者も多い。


「でも、これで……魔法使いが迫害されたり恐れられたりしない、正真正銘の二つの種族が共存する国が誕生するんだ」


 理想は目の前に。夢は目前に。青年は喜びを噛み締めながら言った。

 それを横目で見ていたグレートヒェンは、そっと微笑んで、けれど年長者として浮かれる若者に釘を刺す。


「夢物語はその辺にしなさい。まだ終わっていないのだから」
「少しぐらいは許して欲しいな」


 青年は困ったように笑った。こんな軽口も許されるくらい彼女と歩み寄れたのだと知れて、青年はまた嬉しくなる。


「……ねえ、グリッタ」


 少し間を空けた青年が、さっきとは打って変わってどこか緊張しながらそわそわとした様子で声を掛けてきた。それを不思議に思いつつ、彼女は青年の言葉を聞く。


「グリッタは……この革命が終わったら、どうするの?」


 不安と期待を織り交ぜたような眼差しが、彼女に向く。それを受け止めた彼女は、青年から視線を外して目の前の景色を見つめた。


「貴方が夢見た国を見たら、帰るよ」
「東の国に帰ってしまうの?」
「もちろん。私の目的は終えたのだから」


 この革命に勝利すれば、此処中央の国は人間と魔法使いが手を取り合う国として、新しく生まれ変わるだろう。革命に加わる魔法使いや人間たちは、誰もが明るく前向きな人たちだ。きっと活気のある国になるに違いない。しかしそこに留まろうとは思わなかった。やはり東の魔女である彼女は、長く引き籠っていたこともあって他者との関りは苦手だ。あの図書館でひとりのんびりと暮らすのが性に合っている。

 そう伝えると、青年は迷うように視線を彷徨わせた。


「もし……もし叶うなら――」


 青年の声音は上ずっていて、緊張をしているのが丸見えた。体温が上がっているのか顔色も少し赤く染まっている。そうして青年は忙しなく目を泳がせると、覚悟を決めたようにばっと顔を上げて真っ直ぐ彼女を見つめた。


「――貴女と一緒に、この国で暮らしたい!」


 声を上げた青年に、彼女は思わず目を丸くする。そんな彼女の両手を取って包むように握り、青年は真っ直ぐと見つめながら続けた。


「貴女と一緒に、多くの人間や魔法使いに囲まれながら、平穏で、静かで、でも満ち足りたような日々を。貴女と……ずっと一緒に」


 ぎゅっと握られた手から青年の燃えるような体温が肌に伝わってくる。見つめられる瞳は真剣そのもので、不安と期待でゆらゆらと揺れている。それから逃げるのはとても困難で、彼女は眉根を下げる。


「……私、大勢の人は苦手だと知っているでしょう」
「うん。でも……みんなに囲まれながら笑顔を浮かべる貴女は、きっと綺麗だと思うから。僕はそれを見てみたいんだ」


 そっと微笑む青年のそれは年相応で、彼女は青年の体温と眼差しから逃げるように、握られた手を離して視線を逸らした。青年はそれを拒むことはせず、眼差しとは裏腹にあっさりと彼女を逃がす。


「……嫌よ。だって貴方、まだ二十年しか生きてないぐらい若いんだもの」


 彼女がそう言うと、青年は目を見開いて「た、確かに僕はまだまだだけど……僕は真面目に言ってるんだ」と眉をひそめた。そうやって不満そうに唇と尖らせる青年を見て、彼女は珍しく声を上げて笑う。青年はそんな彼女に目を丸くしたが、子供のようにあしらわれているように感じて、今度は頬を膨らませた。彼女はそれを横目で見つめて、もう一度笑ってやる。


「考えといてあげる」


 上から目線に可愛くない言い方をわざとした。

 すると青年は目を見開いて、徐々に嬉しいような納得がいかないような微妙な顔をして、じとりと訴えるように彼女を見つめる。


「君は……意地悪だ」
「ふふ。私は陰湿な東の魔女だもの」


 そう笑った彼女は、今まで見てきた笑顔の中で一番綺麗に微笑んでいた。





* * *





 フィガロとの一件から、ファウストはグレートヒェンと顔を合わせ辛くなって意図的に避けるようになっていた。けれど彼女のことはどうしても気になって、ファウストは遠くから彼女を見守る毎日をここ最近は送っている。グレートヒェンの行動を制限しておいて自分勝手だとも思うし、彼女に申し訳ないとも思う。しかしどこかで、これでいい、と思う自分がいた。それを自覚して、ファウストは苦々しく顔を伏せる。

 そういえば今日はグレートヒェンの姿を見ていないな、と思い、ファウストは廊下を進みながら何気なく視線を辺りに向けた。すると、ちょうど目の前から歩いてくるレノックスと目が合う。


「ファウスト様」


 ふっと笑ったレノックスはそう言って駆け寄ってくる。もう従者ではないのにこういうところは変わらない、とファウストは内心で呟いた。


「レノ」
「もしかして、グレートヒェン様をお探しですか?」
「いや、僕は……」
「グレートヒェン様なら、ちょうど中庭で読書をしていましたよ」


 ほらあそこです、と話を聞かずにレノックスは窓の外を指した。まだなにも言っていないのに、とファウストはため息を落とす。

 指された指先を追って外に視線を向けてみると、ちょうど木に寄りかかって日陰の中で読書をしているグレートヒェンを見つけた。いつもは図書室に籠って本を読んでいるのに、外で本を読んでいるなんて珍しい。嵐の谷で暮らしていた時も彼女は窓から差し込む日当たりのいい場所で本を読んでいた。そこまで考えて、いや、と首を振る。彼女が外に出なかったのは、単純に自分がそれを嫌がったからだ。


「本好きなところは、変わりませんね」
「ああ……」


 熱心に文字を追ってページを捲るグレートヒェンの姿を眺めながら、レノックスが懐かしそうに呟いた。


「ああして、お一人で読みふけるお姿を見ると、なんだか懐かしく感じます」
「……」


 そう、彼女はいつも本を読んでいた。それこそ寝る間も食事をする時間も惜しんで、ただひたすらに本を読んでいた。彼女ほど本を愛している人はいない。彼女は紙で束ねられた本と、そこに書かれた文字と、詰め込まれた知識と物語を、なによりも愛していた。本に読みふける彼女の横顔はいつも真剣で、本を撫でる指先は愛おしさを含んでいた。彼女は、そんな愛したたくさんの本に囲まれて、その中心でひとり本に読みふける姿が、なによりも綺麗で美しかったのだ。


「……――違う」
「え?」


 ファウストは窓から視線を逸らすと、レノックスの声も聞かずに歩き出した。かつかつと靴底を鳴らして、帽子のつばを掴んでぐっと深く被りなおす。足早にこの場所から立ち去ろうとしている自分はさぞ滑稽だろう。だが、それでもいい。とにかくファウストは此処から逃げ出せればよかった。


「ファウスト様……?」


 残されたレノックスは、足早に立ち去っていくファウストの背中を呆然と眺めいた。





「やあ。こんなところで読書かい、グリッタ」


 がさ、と草を踏む音がして本から視線を上げれば、フィガロが腰を曲げてこちらを見下ろしていた。あの日の一件以来あまり近づかなくなったのに、またこうしてちょっかいを掛けに来たらしい。この人も厭きないな、とグレートヒェンは呆れてまた本に視線を戻した。

 フィガロは彼女に無視をされるのが分かっていたのか、それとも聞くつもりが無かったのか、なにも言わずにグレートヒェンと真後ろに木に寄りかかるように座り込んだ。少し風が吹いていて、日陰の中は思った以上に心地好かった。


「なにを読んでるの?」
「『中央の国の歴史』という本」
「へえ、なにか思うところは?」
「……別に」


 ぺらり、ぺらり、とページの乾いた音が響く。

 その音を聞きながら、ああそういえば彼女と初めて対話した時もこんな感じだった気がする、と昔のことを思い出した。


「きみは、本当に忘れてしまったのかな……」


 いつも厭きずに聞いてくる問いだ。けれど今の発言は、グレートヒェンに言ったのではなく、ただ独り言を呟いただけのように聞こえた。すると、今度は声の音量を上げて話しかけてくる。


「あいつのために思い出そうとか、きみは思わないの?」
「ファウストは、むしろ嫌な顔をするけれど」
「そうなんだけどさ……」


 あの日のことやグレートヒェンに近づこうとして睨んでくるファウストの顔を思い出して、フィガロは重いため息を零した。あんな表情をするなら、早くどうにかすればよかったのに。でも寂しいとも悲しいとも違う、なにかに怯えて焦るような表情には、引っ掛かりを感じた。


「……白昼夢から覚めたら、どうなると思う?」


 珍しく彼女から話しかけてきた。それに驚いて振り返ってみるが、グレートヒェンは相変わらず本に視線を落としていて、視線は交わらない。けれど、こうして昔の彼女のように問いを投げられるのは懐かしく感じて少し嬉しいと思った。フィガロは振り返った身体を元に戻して、頭の後ろで両手を組んだ。


「うーん、普通に目が覚めるんじゃないかな。昼に見る夢だから、起きたら夜になっているかもね。もしかしたら、時間は全く進んでいないかも」


 きっとなにかの比喩なんだろうとは思うが、フィガロは捻った回答は避けてありきたりな返答をした。昔の彼女ならこれにため息を落とすだろう。けれどグレートヒェンは少し笑って「違うよ」と言った。フィガロはそれに、笑うなんて珍しい、と思いながら何気なく目を閉じた。そうすると、彼女の声がよく聞こえた気がした。


「――現実に戻るんだよ」


 ぱたん、としおりも挟まずに彼女は本を閉じた。