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第二話


 いつものように青年は分厚い本を広げて活字を追っていると、ふと視界の端でなにかが動いたのを捕らえた。それに引き寄せられるように顔を上げてみると、彼女がコートを羽織っているのを見つけた。


「グリッタ、何処かへ出かけるの?」


 明らかに外へと出かける準備をしている彼女にそう聞くと、彼女は、ええ、と短く頷いた。

 彼女はずっと此処に籠っているから、青年は出掛けると言う彼女に驚いた。なにをしに行くのかと問えば、食料や紅茶の茶葉といったものを買いに行くという。彼女はずっと此処に数百年間籠っているが、けして一歩も外に出ないわけではない。極々たまに、彼女は必要な物を揃えに街に降りるのだ。

 青年は急いで自分も同行すると言って、出掛ける準備を始めた。焦らなくていい、と彼女は言うが、青年は彼女と外へ出掛けるのがなんだか嬉しくなってしまい、つい急いで準備をしてしまう。

 そうして二人は歩いて森を抜け、青年が弟子入りをする前まで寝泊まりをしていた小さな街に降りた。図書館の空き部屋で寝泊まりをするようになってからは街に降りていなかったため、青年にとっても久しぶりの外出だった。

 先頭を歩く彼女に着いて行って、順調に食料を調達する。一番彼女が時間をかけたのは紅茶の茶葉選びで、いつも出してくれている紅茶は彼女が拘って淹れてくれていたものだったらしい。それを知って、青年はまた嬉しく思う。茶葉を選び終えた彼女が帰ってきて、二人は帰路につく。

 その時、青年がふとあることに気づいた。


「なんだか、人が少ない印象ですね」
「そうね。確かに今日は少ない」


 店は開いているものの、外出している人間はとても少なかった。青年が街にいた時は、もっと人が行き交っていたが、今日は滅多に人とすれ違わない。いくら小さな街とは言え、この光景は異質に感じた。

 頷いた彼女が、ふいに視線を逸らす。「あれは……」と零した彼女の視線を追ってみると、数人の男が黒い棺を運んでいるのを見つけた。その後を親族だろう人間が数人歩いている。


「……ああ、今日は葬式だったのね」


 それを見て、彼女は納得したように頷いた。

 東の国は調和を重んじる傾向が強く、厳しい規律を設けていることが多い。それは小さな街でも同じで、この街では『葬式の際には、理由がある限り外出してはならない』という規律があった。だから今日は外に人間が出ていないのだ。

 青年は、棺が運ばれる様子をじっと見つめている彼女に気づいた。その表情から彼女の感情を読み取ることはできなくて、青年はおもむろに彼女の名前を口にする。


「ファウスト。貴方は、死した魂を生にぎ止めることができると思う?」


 それは唐突で酷く難しい問いで、青年はすぐに答えることはできなかった。彼女の真っ直ぐな瞳が自分に向けられる。思えば、彼女とこうしてしっかりと向き合うのは初めてかもしれない。


「それは……」


 青年は真剣に考えこみながら、自分の意見を慎重に述べる。


「……強い魔力や思いがあったなら、できると思います。例えば、呪詛とか」


 青年の答えに、彼女は改めて青年と向き合い、続けた。


「もし、貴方がそのすべを持っていたとして、大切な誰かが死したとしたら……貴方はどうする」


 思わず青年は目を丸くして押し黙ってしまった。そんなことは想像したくはない。けれど、生きていればいずれは誰かを失うことがあるだろう。長い年月を生きる魔法使いともなれば、人間よりも多くそれを迎えることになる。そして青年は戦いに身を置く存在だ。

 青年は彼女を見つめた。変わらず彼女は感情が読めない表情で、じっと自分のことを見つめている。それから逃げることは、けして叶わない。


「――僕は……」
「駄目よ」


 答えを言う前に、彼女は強くそう言って言葉を切り裂いた。こんなにもはっきりと否定をする彼女は、初めて見るかもしれない。

 目を丸くする青年をそっちのけに、彼女はまた彼らを見つめながら続けた。


「死は一度きり。どんなに生きたくても死にたくても、最後にはそれがやってくる。それをどんな理由があったにしろ、奪い去って、あげく魂を繋ぎ止めるなんて、赦されない」


 そっと彼女は静かに目を細めた。


「すべては一度きりなの、二度目はあり得ない」


 強く主張する彼女に、いったいどんな考えがあって、いったい何があって、そう言っているのか、青年には分からない。冷たいとは思わない。むしろ誠実だと青年は思った。


「たとえ繋ぎ止めても、その人は貴方には生きているように見えるだけで、もう死んでいるの。貴方の傲慢さが導いた、ただの自己満足」


 言い方はきついけれど、なんとなく彼女がなにを言いたいのかは理解できた気がした。実際のところはどうだか分からない。でも彼女の言葉を青年は自然を受け入れることができた。


「ありのままに死を受け入れなさい。それがどんなに辛く、どんなに大切な人だとしても」


 彼女の視線がもう一度青年に向く。青年はやはり彼女の感情を読み取ることはできなかった。そして青年は、この言葉を強く胸に刻みつけることになる。


「死は――けして悲しいことではないのよ」





* * *





 何気なく本から顔を上げて時計に目を向けた。時計の針はちょうど午後三時を指していて、今がおやつ時であることを知る。グレートヒェンはいつものように図書室に籠っていた。そこで数日前に買った本に読みふけり、今に至る。

 本にしおりを差し込んで、グレートヒェンはぐっと腕を上げて背筋を伸ばした。本を読むのに疲れたわけではないが、ちょうどおやつ時であるしお茶でも飲みに行こう、と閉じた本を抱えて椅子から腰を上げる。そうして図書室を出て、食堂に続く廊下を少し歩いたところで背後から珍しい声に呼び止められた。


「おお、ちょうど良いところに」


 声を掛けてきたのは、北の魔法使いであるホワイトだった。双子の彼らはいつも一緒にいるのに、目の前にはホワイトしかいない。ファウストには、北の魔法使いに近寄るな、と言われているが、それは主に双子以外の彼らを指しているのだろう。だからホワイトと話しても構わない、とグレートヒェンは判断し振り返って向き合う。


「ホワイト様。私になにか御用ですか?」
「うむ。そなたとお茶会でもしようと思うてな、探しておったのじゃ」
「私と……ですか?」


 うむ、とホワイトは可愛らしい笑顔を浮かべて頷く。けれどグレートヒェンには、なぜ自分が誘われるのか理由が分からず、不思議に首を傾げた。


「他の方々のほうがよろしいのでは? とくに会話も弾まないと思いますし」


 たいして自分は話し上手では無いし、ホワイトと親しいわけでもない。まともに会話をするのは今が初めてなくらいだ。だから自分では役不足だろう、とグレートヒェンは口を零す。それに対してホワイトは、スノウは他の北の魔法使いたちのお仕置き中で手が空いておらず、他の人たちもなにかしら用事があって捕まらない、と話した。賢者様も今は仕事で出かけている。それなら暇な自分を誘ってくる理由にも、少し納得がいく。


「それに、そなたとはあまり話したことがなかったからのう。新しい交友関係は必要じゃ」


 ホワイトはそう言って、にこりと愛想良く微笑んだ。そうまで言われてしまえば、断るにも断れない。


「……そう言う事でしたら。お付き合い致します」
「うむ! ではお茶会に出発じゃ!」


 れっつごー、とよく分からない言葉を放って、グレートヒェンはホワイトに腕を引っ張られるままに廊下を再び歩き出した。





 ホワイトが用意した紅茶とお茶菓子をテーブルに広げて、二人は中庭でお茶会を始めた。基本的にホワイトが一方的に話していて、それをグレートヒェンが相槌を打ちながら静かに話を聞いていた。話の内容は主に双子の片割れであるスノウのことが大半で、二人がどれほど仲が良く互いを大切にしているのかが窺えた。


「仲がよろしいのですね」
「そうじゃろう、そうじゃろう!」


 そう言うとホワイトは嬉しそうに何度も頷いた。けれどそれも一時だけのことで、ホワイトは持っていたティーカップをテーブルに下ろすと「……だがいつまでも仲良し≠ニいうわけではなかった」と寂しげに目を伏せて零した。

 そんなホワイトの様子にグレートヒェンも持っていたティーカップを下ろして、慎重にホワイトを見つめ返す。


「行き違いのすえ、我らは殺し合いに発展し、最後に我はスノウに殺された」


 ふっと静かに微笑むホワイトに、グレートヒェンが一瞬だけ息を止めた。


「――……殺された」
「うむ。我はすでに死んでいる」


 ホワイトはこくりと頷いて、優しい手つきで下ろしたティーカップを両手で包み込むように持ち上げた。その表情はとても穏やかで優しい。哀愁はあるものの、そこに恨みや怒りは存在しなかった。


「……では何故、貴方はこうして生きているように動いているのです?」
「石となって砕けた我の魂をスノウがぎ止めた。我はスノウの魔力で魂を繋ぎ止められ動いているにすぎぬ」


 静かな問いに、ホワイトははっきりと答える。

 グレートヒェンはすっと目を細め、ティーカップの水面を見下ろした。


「……そんなことも出来るんですね」


 驚きに感嘆を零す様子ではなく、どこか冷めた物言いでグレートヒェンは相槌を打った。

 それにホワイトは、いや、と首を振る。


「誰にでも出来るわけではない。それだけスノウの思い≠ェ強かったのじゃろう」


 思い、と聞き返せば、ホワイトは深く頷いた。


「魔法使いは心で魔法を操る。心とは思い≠カゃ」


 我はそう思う、とホワイトは続け、にこりとこちらを見つめて微笑む。

 グレートヒェンはそれを見て、目を逸らしながらカップに口を付けた。


「グレートヒェン、そなたに聞きたいことがある」
「……なんでしょう」
「そなたは聡明じゃ。それは、そなたの瞳を見れば分かる」


 ホワイトの大きくてまん丸な瞳が、真っ直ぐに向けられる。まるで猫にじっと見られているようで、しかし逸らすこともできない。これが四千年以上生きてきた魔法使いの気迫というのだろうか。


「我は本当にホワイト本人そのものなのか……それとも、スノウが作り上げたホワイトなのか。我自身にも分からぬ。自分が本来の自分であるのか、スノウが描いたホワイトであるのか……」


 小さな指先でカップの形をなぞるように、縁に指を滑らせる。目を伏せた表情がカップの水面に映る。その表情は複雑で、感情は読み取れない。そうしてホワイトは静かに瞼を閉じると、ゆっくりと顔を上げ口元に笑みを浮かべた。


「そなたにはどう見える?」


 ホワイトの問いに、グレートヒェンは視線を逸らした。


「……私はホワイト様の生前を知りません」
「そうじゃのう、そなたは生前の我を知らぬ。けれど、それでも良い。そなたから見て、我という存在がどう見えるのか。そなたの考えを聞かせておくれ」


 ちらりと視線をホワイトへと移し、グレートヒェンはまた目を伏せた。沈黙が流れる中、グレートヒェンは手に持ったティーカップの水面を見下ろす。水面には自分の顔が映り込んでいて、カップを少し揺らせば、その反動で水面は揺れて映り込んだ姿は歪む。


「――私は」


 歪んでは消えてまた映り込む自分の姿を見つめながら、グレートヒェンはそっと口を開いた。


「私は、死は一度きりだと思います」


 グレートヒェンは淡々と語る。そこに感情は乗っていなくて、声音はどこまでも静かだった。


「死は一度きり、二度目はない。誰も、その死を避けることはできず、奪い去ることもできない」


 ホワイトは、うむ、と頷く。


「そうじゃのう。我も、そなたと同じ考えじゃ」


 同意を示したホワイトも手元のカップを見下ろして、そこに映る自分の顔を見つめてはカップを揺らして自分の姿をかき消した。少し手を揺らしただけでいとも簡単に消える姿が、とても儚い。


「……死は――悲しい事じゃない」


 独り言のように呟き出したグレートヒェンにホワイトは顔を上げた。彼女は相変わらずカップを見下ろしていて、その表情は読めない。


「死は、生物にとって事象に過ぎないから。生も死も、生きているものにとっての、ただの動作に過ぎないから」


 抑揚のないグレートヒェンの声が続ける。


「死は、悲しい事ではないの。ただ傷を残すだけ」


 そう言って、彼女は静かに瞼を下ろした。


「それは――悲しいことではないのよ」