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第一話


「厭きないのね」


 図書館内にいくつかあるテーブルの一つを陣取って、本を山積みにしながら本に読みふける青年に、彼女は紅茶を傍らに置きながらそう言った。本から顔を上げた青年は、ありがとう、と笑って紅茶を飲み込んだ。

 彼女の弟子入りを許可されてから、青年は毎日時間が許される限りあらゆる本を読み漁っていた。そうすると、彼女は時々こうして休憩にと紅茶を入れてくれる。ほっと温まるそれが、最近の青年の楽しみだった。


「すぐに嫌になって出ていくと思った」
「まさか。知らない事ばかりで、楽しいです」


 此処にある本はどれも貴重なもので、外ではなかなか手に入らないものが多い。それこそ、王室保管されるような貴重なものや古い文献過ぎてどこを探しても見つからないものばかりだ。きっと研究家や専門家たちがこれを見たら、諸手を挙げて喜ぶに違いない。そんな文献に彼女の弟子として触れられる自分は幸せ者だ、と青年は思った。

 青年が心から楽しいと口にすると、彼女は瞬きをして口元を少し緩めた。それを誤魔化すように視線を左右に泳がせて、彼女は青年が広げる本を覗き込む。


「……それで。目的の知識は得られたの?」


 その問いかけに青年は困ったように笑いながら「正直、本が多すぎてどこから手を付ければいいものか迷います」と正直に答えた。

 此処には、あらゆる知識が保管されている、と言われるほどの文献が大量に保管されている。一つの事柄に関しても、十冊以上の本があり、様々な観点から述べられている。それらから適切なものを見つけるのは至難の業だ。


「時間はあまりないののだから、全てを浚うのは無理よ。欲張らず絞りなさい」


 彼女がはっきりと告げると、なにが知りたいの、と続けて問いかけた。それに青年は、悩みながら拙い言葉で求める知識を口にする。それを聞くと彼女は、わかった、と答えて背後を振り返る。


「《スキエンティア・ポテンティア》」


 彼女が呪文を唱えると、棚に仕舞われた本が何冊かひとりでに動き出して、彼女の手元まで飛んできた。


「それなら、この本がいい。ゆっくり熟読しなさい」
「は、はい!」
「文字だけを追って頭に詰め込むのではなく、噛み砕いて一つ一つ言葉を理解しながら読み進めなさい。そうして得た知識は貴方の財産になる」


 彼女の言葉に、青年は強く頷く。

 拙い言葉で説明したのにもかかわらず、彼女は適切な本を一瞬で探し出してきた。彼女は此処に置いてある本のほとんど、もしくはすべてを熟読している。だから青年の下手くそな説明でも、彼が求めている知識を理解して、それに合った本を探し当てることができた。その事実に、青年は改めて彼女を偉大だと思い知った。

 同時に、青年は嬉しくも思った。彼女に弟子入りをしたとはいえ、彼女はそれについては消極的だ。それに彼女は、好きに本を読んで好きに学べばいい、と言った。だから、まさか彼女自ら手助けをしてくれるとは思わなかった。青年が思っていた以上に、彼女は誠実で優しく、ちゃんと相手に向き合ってくれる。それが青年には嬉しかった。


「……なに」


 表情を緩ませていた青年に、彼女はムッと眉を吊り上げる。


「いえ。ありがとう、グリッタ」
「……ふん。いいから早く読みなさい」


 素直じゃないな、という言葉はみ込んで、青年は彼女が探し出してくれた本の表紙を開いた。





* * *





 今日はなんとなく外へ出てみようと思った。行く場所はもちろん本屋だ。此処の図書室は広くて専門書から童話まで取り揃えてあるが、最新のものは少ない。あるとしても専門的なものばかりで、小説などはあまりなかった。最近は古いものや専門書ばかり読んでいたから、たまには小説が読みたい。そう思って、グレートヒェンはさっそく出掛ける準備をして外へ出ようとした。


「あれ、グリッタ。一人で何処か出かけるの?」


 ちょうど魔法舎を出て行こうとした時、たまたま居合わせたフィガロと玄関先で鉢合わせた。フィガロはじっとグレートヒェンを見下ろして、格好から街に出掛けて行くのだと理解する。


「中央の街? それなら俺が箒で連れて行ってあげるよ。荷物持ちにもなるよ」


 グレートヒェンはその誘いに平気だと言って断った。しかし引かないフィガロににこりと微笑まれながら「それに、一人で出かけたらファウストが心配するんじゃない?」と言われてしまい、グレートヒェンは黙り込んでしまう。過保護のファウストのことだから、きっと一人で出かけたのが知られたら説教をされるだろう。とは言っても、一緒に行くと持ち掛けてくるのは、ファウストが近づくなと言っていたフィガロだ。どちらにしても怒られそうだが、一人で街へ出掛けるよりはマシかもしれない。


「ほら、俺なら手が空いているし。ね?」


 そう言ってフィガロは両手をひらひらとさせる。

 出掛けるならフィガロと出かけるしかない。グレートヒェンは重いため息を吐いて、仕方がない、と渋々頷いた。


「……わかった」
「うん。じゃあ出かけようか」


 本当に毎日毎日この人も厭きないな、と内心でぼやいて、グレートヒェンはフィガロの後をに続て魔法舎を出た。





 中央の街に着くまで、そう時間はかからなかった。もともと魔法舎は中央の国の森の中にあるし、箒で飛んできたこともあって、あっという間に街にたどり着くことができた。徒歩で向かっていたら森の中を抜けなければならなかったから、少し時間がかかっただろう。

 街の中に入れば、こっちだよ、と言うフィガロの後をついて歩いた。グレートヒェンは魔法舎に来る直前に少し街に寄り道をしたぐらいだが、フィガロはもう何度も街を歩いている。だから目的の場所も分かるのだろう。素直にフィガロの後ろを黙って歩いていれば、此処だよ、と言ってフィガロが立ち止まった。そうしてフィガロが指をさす方に視線を向ければ、目の前には本屋がある。

 フィガロは「少ししたら迎えに来るよ」と言って、そのまま立ち去ってしまった。本を選ぶのにはひとりで居たほうが気楽だから、これは有難い。グレートヒェンは、わかった、と頷いて、フィガロの背中を見送ってから一人で店に入った。

 店はけして広いわけではなかった。けれど本棚に隙間なく本が並べられていて、真新しいものから薄汚れた古いものまで揃っていた。なかには需要が無さそうな本まであったから、きっと店主が趣味で経営しているのかもしれない。グレートヒェンは珍しく浮足立ちながら、狭い店内をくまなく見て回った。

 本棚の前で立ち止まって、気になった本を抜き出して、立ち読みをする。最初のページを数ページほど読んで、特に気に入ったものを数冊腕に抱える。それを何度も繰り返していればあっという間に時間は過ぎ去って、少ししたら迎えに来ると言ったフィガロがもう戻って来てしまった。

 店に入ったフィガロはきょろきょろと辺りを見渡して、本に読みふけるグレートヒェンを見つけると、手もとを覗き込むように腰をかがめてくる。


「なにか探しに来たの?」
「持ってきた本を読み終えてしまったから」
「相変わらず、きみは本が大好きだね」


 相変わらず≠ニいう言葉に少し反応しつつも、グレートヒェンは気にせず本を選ぶ。するとフィガロはふっと笑って「終わったら声を掛けてよ」と言って、自分も本を見てまわり始めた。

 フィガロも来てしまったことだし、いつまでも待たせるのは悪い。そう思ってグレートヒェンは読んでいた本を閉じて本棚へと戻した。購入するのは腕に抱えているものだけでいいか、と腕の中にある数冊の本を見下ろして、会計をするために店内の奥を目指す。そうして本棚を横流しにしながら進んでいると、ふとある背表紙の本に目が留まった。

 すっと背表紙に指を掛けて、本を抜き出す。少し古い本は薄汚れていて、タイトルの文字も少し掠れて消えていた。グレートヒェンは『中央の国の歴史』という文字をなぞって、静かに表紙を開く。ぺらぺらと流すようにページを捲って、グレートヒェンは文字を追うこともなく、ただそれを見下ろした。


「グリッタ」


 顔を上げると、フィガロがこちらに向かって来ているのを見つけた。グレートヒェンはぱたんと本を閉じて、裏表紙を表にして本を腕に抱える。


「なにか良いのは見つかった?」
「うん。買ってくる」
「そう。じゃあ俺は外で待ってるから」


 そう言ってフィガロはすぐさま店を出て行った。

 その背中が閉じられた扉で見えなくなったのを確認して、グレートヒェンは再度腕に抱えた本を見下ろす。何気なく手に取って隠すように抱えたその本を指でなぞり、グレートヒェンはそっと目を細めると、今度こそ店内の奥を目指した歩き出した。





 紙に包まれた本を抱えて店を出れば、フィガロが、こっちだよ、と手を振ってくる。それに向かって歩き出しながら、グレートヒェンはフィガロの背にある空を見つめた。

 まだ遅い時間ではないが、そろそろ日が沈むころだ。随分と時間を掛けてしまったな、と思い、グレートヒェンは素直に付き合ってくれた感謝を口にした。するとフィガロは思ってもみなかったのか目を丸くして、次にはおかしそうに笑った。せっかくお礼をしたのに、笑うとは性格が悪い。そう言ってやれば、フィガロは「ごめんごめん」と少し嬉しそうに言う。それにグレートヒェンは不満げにため息を落とした。

 気を取り直して、早く帰ろう、とグレートヒェンが言えば、フィガロは、うん、と頷いた。けれどフィガロは歩き出そうとしない。それに怪訝な顔を浮かべながらフィガロを見やれば、フィガロは少し考えるように視線を彷徨わせて、にこりと笑った。


「ねえ、少し寄り道に付き合ってくれない?」





 そう言ったフィガロに連れてこられたのは、丘の上にある大きな墓地だった。聞けば此処は、中央の建国に関わる歴史的重要な場所とされているらしい。陽が沈み始めて夕焼け色に染まる丘の上は、どこか寂しげだ。


「全然ロマンチックじゃないのね」
「はは。きみは別に、俺にロマンチックなんて求めてないだろう」


 べつになにを期待していたわけではないが、まさか連れてこられる場所が墓地だとは誰も思わないだろう。そう暗に伝えて嫌味らしく言えば、フィガロは軽く笑い退けて、じっと丘を見つめ始める。

 その横顔を見て、グレートヒェンも黙って丘を見つめ始めた。二人の間には珍しく沈黙が流れて、少し冷たくなった風が吹き付ける。


「此処で多くの魔法使いや魔女が殺された」


 思わずグレートヒェンは隣にいるフィガロを見上げた。けれどフィガロは相変わらず丘に視線を向けていて、その表情から感情を窺うことはできなかった。


「英雄になるはずの彼らが、罪人として裁かれた」


 淡々と語るフィガロはわずかに声を沈ませる。そうしてそっと息を吐くと目を伏せて「まあ、俺は直接目にしたわけじゃないけど」と無責任に言った。声音や言葉は薄情に聞こえたけれど、上手く読み取れない表情から、わずかに気にしていることだけは読み取れた。

 グレートヒェンはもう一度丘を見つめる。此処が寂しげに見えるのは、夕焼けのせいではないかもしれない。


「ねえ、グリッタ。きみは本当に、覚えていないのかい」


 見下ろしてくるフィガロはきゅっと眉根を寄せている。射貫くような眼差しがこちらを見つめる。


「あの目まぐるしい革命の日々を。きみがファウストと過ごした日々を」


 そこには怒りがあるのかもしれない。悲しみがあるのかもしれない。後悔があるのかもしれない。困惑があるのかもしれない。綯い交ぜなそれに、正しい解答は見つからない。


「きみは本当に――覚えていないのかい」


 それに答えを与えることは、グレートヒェンにはできなかった。





* * *





 結局、魔法舎に帰ってきたのは陽が沈んだ頃だった。こんなに遅くなるつもりはなかったが、寄り道もしてしまったから仕方がない。

 玄関先まで持ってくれた荷物をフィガロから受け取ってお礼を言う。フィガロは、部屋まで運ぼうか、と言ってくれたが、グレートヒェンはそれを断った。するとフィガロは、そう、と珍しく引き下がってくれる。

 お互い向き合ったまま無言になる。その空気にお互い居心地の悪さを覚えた。それを打開しようと最初に口を開いたのはフィガロで、フィガロはいつもように笑みを浮かべて見送ろうとする。


「じゃあ、俺は此処で――」
「グリッタ!」


 突然鋭い声で呼ばれ、グレートヒェンは驚いて背後を振り返った。そこにいたのはやはりファウストで、ファウストは目を吊り上げながら足音を鳴らしで足早にこちらに向かってきた。


「……ファウスト?」


 小首を傾げるグレートヒェンを無視して、ファウストは彼女に腕を伸ばす。そのままグレートヒェンの腕を掴んで、ファウストは力強くそれを引っ張った。よろけるグレートヒェンを自分に引き寄せて、彼女を自分の背後に追いやる。そうしてファウストは目の前にいるフィガロを強く睨みつけた。


「彼女には近づくなと言ったはずだ」


 怒りを隠さないまま、ファウストは感情的に声をあげる。そこには焦燥も混じっていた。

 それを見ていたフィガロは、冷静に二人を見つめた。ちらりと視線を移してファウストの背後にいるグレートヒェンを見れば、彼女はぼんやりとファウストを見上げていた。それを見てフィガロは、まるで憎むように睨みつけてくるファウストを改めて見下ろした。


「……ファウスト。やっぱり、俺は黙っていられないよ。見ていられないよ、今のきみたちは」


 そう言って自分たちを見下ろしてくるフィガロをファウストはさらに強く睨みつける。まるでお節介だ、なにも言うな、と言っているように感じる。それを分かっていながら、フィガロは言葉を続けた。


「ねえ、ファウスト。きみはいいの? ずっと彼女に忘れられたままで」
「黙れ」
「きみだって、本当は今のままでいいなんて思ってないだろ」
「うるさい。お前には関係ない」


 思わずグレートヒェンの腕を掴んでいた手に力が籠って、強く握り込んでしまった。けれどそれに気づかないくらい、今のファウストは目の前のことしか見えていない。


「ファウスト」
「っ……、あ……」


 そっと掴む腕に手を添えて名前を呼べば、ファウストははっと息を呑んで振り返った。そうして自分を見上げてくる彼女を見ると、ファウストは掴んでいた手を緩める。でもその表情は申し訳なさではなく、なにかに怯えるようなそれで、ガラスの奥にあるファウストの瞳が不安げに揺れた。


「ほら」


 フィガロはそう言って、困ったように笑う。


「きみは彼女を見つめるたび――そんな顔をする」


 口を噤んで、きゅっと唇を引く。堪えるように目を細めて、ファウストは逃げるように顔を伏せる。


「ねえ、ファウスト。きみは本当に、このままでいいの」


 それに答えることは、ファウストにはどうしてもできなかった。





 ファウストに腕を引かれて歩くグレートヒェンは、黙って足を動かし続けた。逃げるように踵を返したファウストは無意識なのか駆け足で、歩幅が違うグレートヒェンは時々転びそうになる。けれどグレートヒェンはなにも言わずに、黙ったまま駆け足でファウストの後を歩き続けた。

 無言のなか、二人分の足音だけが響いて、それが妙に耳に付いた。ぴたりと突然足が止まって、それに比例してグレートヒェンも足を止める。ふと視線を逸らせば、ちょうど自室の扉の前で、部屋に着いたのだと理解する。


「ファウスト」
「フィガロには近づくなと言ったはずだ」


 振り向いたファウストが眉をひそめながら強く言い放つ。それを正面から受け止めながら、グレートヒェンは首を横に振った。


「近づいてないよ。無視しても付いて来るんだもの」


 申し訳なさそうにするでもなく、はたまた苛立つこともなく、グレートヒェンは普段の調子でそう言い切った。

 それにファウストは眉根を吊り上げて口を開きかけるが、ぐっと堪えて自分を落ち着かせるようにぎゅっと目を瞑った。ファウストも彼女に怒るのはただの八つ当たりだと理解しているし、そもそも彼女の制限を設けている自分がもっとも悪いのだと分かっている。けれど溢れる感情にどうしようもなく振り回される。だから落ち着こうと、ファウストは静かに息を吐いた。


「ごめんね、ファウスト」
「……いや」


 聞こえるか分からないくらい小さな声で、ファウストは首を振る。さっきまで表情は怒っていたのに、今はすっかり鳴りを潜めて、今度はひどく落ち込んだ表情を浮かべている。ふと掴まれた腕を離されて、ゆるゆるとファウストの手が遠のいてく。


「強く握って……すまなかった」
「大丈夫。痛くないよ」


 気にしてない、と言ってグレートヒェンは腕を下ろした。痛みを感じているわけではないが、強く掴まれたからきっと跡になっているだろう。でも跡はすぐに消える。掴まれたところが熱くなっていたけど、離された今はすっかり熱を冷ましている。

 ファウストはなにを言うでもなく、ただそこに立ち尽くした。俯く顔から上手く表情を窺えないが、きっと思い詰めている表情をしているに違いない。ファウストは優しいから、そうやって相手を気にしてしまう。だからいつまで経っても他者を捨てられないのだ。

 言葉を発さず動かないファウストの代わりに、それじゃあ、と言ってグレートヒェンはドアノブに手を掛けた。


「グリッタ」


 けれど扉を開ける前に名前を呼ばれて、それを阻まれた。顔を上げれば、情けない顔をしたファウストがまるで縋るようにこちらを見ていた。


「君は……、僕を……」


 そこまで言いかけたところで、ファウストはまた俯いてしまった。痛みに耐えるような顔をして、何度も口を開こうとするも、そこから言葉が零れることはない。時間だけが無情にも過ぎて、どうしようもなく惨めだった。


「……いや。僕も……部屋に戻るよ」


 顔を上げたファウストは不器用に笑みを作って、そう言った。

 それにグレートヒェンはただ頷く。冷めた態度のようにも見えるが、けしてそういう訳ではない。グレートヒェンは開きかけた扉を引いて、部屋に入って行く。それをファウストは、完全に扉が閉まるまで黙って見届けた。

 ぱたん、と冷たく扉は閉ざされる。廊下にはファウストしかおらず、まるで真夜中のような静けさだった。そこにファウストはひとりきりで、しばらくただ立ち尽くしていた。