第二話
フィガロはゆったりとした足取りで食堂に向かっていた。なんでも今日はファウストが連れてきた子が魔法舎に来るらしく、ネロがご馳走を用意しているらしい。一夜の大事件も無事に集結して、戴冠式も無事に終えられて、ようやく腰を落ち着けられる。そんなところに、趣旨は違うがご馳走が食べられるのはありがたい。
ふう、と息を吐きながらフィガロは廊下の角を曲がった。すると、視界の隅で長い髪が揺れるのを見つけた。ゆらりと揺れるそれに引きつけられるように何気なく視線を向けて、そこでフィガロははっと目を見張った。
「え……、きみ……まさか……」
声に反応したのか、彼女はぴたりと立ち止まって、長い髪を揺らしながらこちらに振り返った。彼女の猫のような釣り目と視線が交わる。記憶の中にいる彼女と――まったく一緒だ。
「――グレートヒェン?」
そうだ、彼女に間違いない。一時しか関わっていない間柄だが、彼女を見間違えるほどの交流でもない。もう長いこと会っていなかったけれど、見目も変わっていない。間違いなく、自分が知るグレートヒェンだ。
「えっと……どうして、きみが……」
思わぬ人物との再会、それも魔法舎での再会に、フィガロは驚きを隠さなかった。どうして彼女が此処にいるんだろう。そう思った次の瞬間には、ああ、と自己完結した。
「ああ……そうか。ファウストが連れてきた子って、きみのことか……」
それなら納得がいく。あそこまで人間嫌いになったファウストが連れてきたい子とはいったい誰なのか。その疑問は尽きなかったが、それが彼女であるなら納得だ。フィガロはほっと安堵する。
「まさか、こんな再会をするなんてね。きみも俺も、ファウストもレノも。いや、なにが巡ってくるかなんて分からないね」
はは、とフィガロはおかしそうに笑う。だって今回選ばれた賢者の魔法使いたちは、自分を含めて因縁のある人物が勢揃いしている。それに加えて彼女も此処に来るのだから、本当に人生なにが巡ってくるのか分からないものだ。
ふと、フィガロは彼女に視線を向ける。彼女はぴくりとも眉一つも動かさないで、じっと黙ってこちらを見つめている。その様子がなんだかおかしくて、フィガロは首を傾げた。
「どうしたの、いつもならきつい言葉でも投げてくるのに。きみも、長い年月で変わったってことかな」
正直なところ、フィガロは自分が彼女に好かれているとは思っていない。むしろ昔から嫌われている。初対面からお互い嫌味なことを言ったし、その後に自分がしたことを想えば、ファウストと同じように毛嫌いされても仕方がない。
けれど彼女は一向に嫌味の一つも言って来ない。昔と比べて温厚になったのかな、とも思ったが、そう言うふうにも見えない。自分が知っている彼女とは違う態度に、フィガロは首をかしげるばかりだ。
すると、今まで黙っていた彼女がゆっくりと口を開き始めた。
「……いったい、なんの話をしているのか分からないのだけど」
表情に動きが無いまま、彼女はゆっくりと、そして淡々に言葉を続ける。
「貴方――だれ?」
「――は」
いったいなにを言われたのか、一瞬理解できなかった。
彼女はなにを言っているんだ、とフィガロは無理やり口角を上げる。先ほどから関していた彼女への違和感が、徐々に確信へと変わっていく。
「……ちょ、なに言ってるのさ、グリッタ。俺だよ、フィガロだよ」
「フィガロ? 貴方が?」
目を丸くして、彼女はじっとこちらを見つめる。なんだか嫌な空気が流れる。けれど彼女は、そのまま黙って踵を返して何事も無かったかのように歩き出してしまった。それに驚いて、フィガロは慌てて彼女の後を追う。
「え、ちょっと。どこに行くの」
「ファウストから貴方と話すな、と言われているから」
「え、ファウストが? ちょっと、待っ……」
「それじゃあ」
彼女はそう言って、ひとりで廊下を歩いて行ってしまう。立ち止まることも振り返ることもせず前を歩く彼女は頑なだ。そんな彼女に、フィガロは呆然と立ち尽くした。
廊下の真ん中で立ち止まって、フィガロはもう見えなくなった彼女の後ろ姿を見つめる。そうしてため息を落としながら、フィガロは頭を抱えた。
「……どうなってるんだ?」
返ってくる声は無くて、その問いは空気に溶けて消えた。