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第一話


 青年は暗い森をひとり歩いていた。

 此処は大陸の東に位置する、東の国。そこに広がる生い茂る暗い森を、青年はひとり彷徨っていた。迷い込んだわけではない。青年は確固たる目的を持ってこの森に来たのだ。けれどその目的を果たせるのか、青年には分からなかった。しかし諦めるわけにはいかない。絶対に見つけてみせる。そう強い意志を胸に抱きながら、青年は足場も悪い森の中をただひたすら歩き続けた。

 いったいどれだけ時間が経ったのか、青年には分からない。まだ太陽は昇っているが、木々の隙間から零れる日差しだけでは足元は暗く、森の中は不気味だった。そろそろ足が疲れてきた、とどれくらい歩き続けたのかも分からないまま木に凭れるように座り込んで、持ってきた水を一気に喉に流し込んだ。そうしてほっと息を吐いてから、青年はまた立ち上がって森の中を進む。

 長いこと歩き続けたころ、ふと視線の先に機器の隙間からのぞく建物を見つけた。それを見つけた青年ははっとして、駆け足でそれへと向かう。そうして木々を抜けると、四角く高い屋敷が目の前に立ちはだかった。


「此処が、知識の宝庫……」


 それを目前に、青年はほっと息を吐いて口元を緩めた。

 とうとう見つけた。とうとうたどり着けた。青年はようやく目的の場所を見つけたのだ。

 青年は駆け足で屋敷へと近づき、大きな扉の前で立ち止まる。綺麗な装飾が施された豪華な扉を下から上まで見つめて、金属でできた重たいドアノッカーを扉に叩きつける。コンコン、と重たいノック音が扉に響く。けれどいつまで経っても扉の向こうからの応答はなく、物音一つもしなかった。


「あの! 誰かいらっしゃいませんか!」


 もう一度ノックをしてから、大声で呼びかける。けれどやはり反応は無い。青年はドアノブを掴んで扉を開けようと引いてみるが、硬く閉ざされた扉はぴくりともしない。

 すると、扉にあしらわれた翼の生えたライオンの装飾が動き出し、大きく仰け反って頭上を見上げた。それに驚きながらも目を向けてみると、ライオンの頭上に施された細かい装飾が、同じように動き出して形を変えていき、最後には文字となってその動きをピタリと止めた。

 扉には、こう書かれていた。

『朝は四脚、昼は二脚、夜は三脚で歩く動物は何か』

 なぞかけだろうか。

 扉には強力な魔法が掛けられていて、とても中に入ることができない。そんな固く閉ざした扉に、なぞかけの文字が浮かび上がったということは、これに答えれば中に入れるということだろう。此処は『あらゆる知識が保管される図書館』と謳われる場所だ。迎い入れる者の知識を問う、と言われてもおかしな話ではない。

 青年は文字をじっくりと睨みつけながら、その問いかけに挑んだ。

 この朝、昼、夜の三つはなにかの比喩で、おそらく経過という時間を表しているのだろう。そして脚の部分もおそらく言葉通りではなく、真意はなにかを支える脚≠ニいう意味に近いのだろう。言葉通りに受け取れるのは、数字の数と動物と言う表現に違いない。しかし、最初は四脚、次に二脚、そして最後は三脚になるのが不思議だ。減っていくかと思えば、最後にまた一脚減った。

 青年は眉間にしわを寄せながら、うんうんと唸る。そしてふと、視線を下げて自分の足を見下ろした。

 当然のことながら、自分は二脚で立っている。人間は二足歩行をする生き物だ。そこでふと、青年は思った。


「……人間」


 青年がそう呟き落とした瞬間、扉の装飾はするすると最初の位置に戻っていき全てが元通りになると、カチン、と扉の鍵が解除される音がした。どうやら正解だったらしい。

 青年はごくりと喉を鳴らして、もう一度ドアノブに手を掛けた。額に汗が滲んで、身体に緊張が走る。そうして深呼吸をしてから、青年はゆっくりと扉を開けた。

 屋敷の中は外観に比べてもっと広かった。きっと魔法で拡張しているのだろう。青年が屋敷の中に入ると、背後で開いた扉はバタンと締まった。けれど鍵を掛けられ閉じ込められたわけではない。それにほっとしながら、青年はゆっくりと足を進め屋敷の中を見渡した。


「……すごい……全部、本だ……」


 屋敷の中は本で埋め尽くされていた。壁一面が本棚で、すべて隙間なく本が並べられている。それが高い天井まで続いていて、あちこちに梯子が掛けられ、隅に置かれている椅子やテーブルにも山のように本が積まれていた。『あらゆる知識が保管される図書館』――そう呼ばれるにふさわしい場所だった。


「――この辺境の地に人が来るとは珍しい」


 突然降ってきた若い女性の声に、青年はびくりと足を止め、声のした方へ視線を向けた。

 そこに居たのは、若く美しい女性だった。屋敷の最奥で、壁一面に埋め尽くされた本に囲まれながら、椅子に優美に腰を掛けている。横に長いデスクの左右には分厚い本が積まれていて、彼女は正面に広げた本に視線を落としていた。


「大抵は、辿り着けても扉に門前払いをされるのだけど」


 どこか気怠そうに、女性は淡々と言葉を続ける。その様子をじっと見つめていると、ふと彼女が顔を上げて、真っ直ぐと視線が交わった。


「……貴方、魔法使いね」


 そう言って目を細める彼女に、青年は生唾を飲み込んだ。緊張で手が震えるのをじっと堪えて、真っ直ぐ見定めるように見つめてくる彼女を強く見つめ返す。


「貴女が、知識の宝庫――図書館の守り手、魔女グレートヒェン様ですね」


 青年がそう言うと、彼女はぴくりと眉をひそめて面倒くさそうに視線を彷徨わせた。


「いつからか、そんなあだ名がついていた。私はただ此処に籠って本を読んでいるだけよ」
「貴女に、折り入って頼みがあります!」


 青年は食い入るようにそう言って、一歩二歩と彼女の方へ足を踏み込んだ。

 視線を逸らした彼女の視線が、また青年へと向く。その表情は先ほどと同じように少し面倒臭そうで、どこか怪訝そうだった。そんな彼女を無視して、青年は真摯に続ける。


「僕は中央の魔法使いファウスト・ラウィーニア。魔女グレートヒェン様、どうか僕を――」


 青年の強い眼差しが、警戒心の高い彼女の視線を捕らえる。


「――僕を、貴女の弟子にしてください!」





* * *





「はじめまして、私はグレートヒェン。どうぞ、よろしくお願い致します」
「はじめまして、私は賢者の真木晶です。無理を言って来させてしまい、すみません」
「いえ。こちらこそ、置いてくださり感謝します」


 今日から魔法舎で暮らすことになったグレートヒェンは、礼儀正しくお辞儀をして賢者や他の魔法使いたちと挨拶を交わした。その様子をファウストは一歩引いたところでじっと見守っている。

 あの後、ファウストはレノックスとグレートヒェンを連れて中央の国へと戻った。ついた頃には日が暮れていて、夜には迷惑だからとグレートヒェンは、今夜だけ中央の国の宿に泊まって明日に魔法舎へ出向こう、と話していた。けれど中央の国に着いていれば、街は亡者で溢れていて、人間たちは混乱に逃げ回り、それを魔法使いたちが守っていた。一目でただことでは無いことを察した三人は、一度グレートヒェンを安全な場所へ避難させてから、ファウストとレノックスは他の魔法使いたちの援護に向かった。

 そうして一夜の混乱をなんとか解決し、無事に賢者と賢者の魔法使いの戴冠式を終え、ようやく落ち着いたところで、グレートヒェンを正式に魔法舎に迎えることができた。


「どうぞ、好きなように寛いでください」
「いえ、置いてもらっている身ですので。カナリアさんのお手伝いをさせていただければと思います」
「まあ! 手伝っていただけるなら助かります、グレートヒェン様」
「敬称は結構です。どうぞグリッタと」


 賢者と手伝いとして来ている使用人のカナリアと話すグレートヒェンは、いつの間にか彼女たちと打ち解けていた。数少ない女性同士というのもあって、話しも合うのだろう。とくにこの世界へ連れてこられたばかりの賢者は嬉しそうだ。

 けれどこのまま待っていれば、また日が暮れそうだ。そう思い、会話に花を咲かせる彼女たちにファウストが声を掛ける。


「グリッタ、君の部屋は僕の隣にしてもらった。まずは荷物を片付けなさい」


 グレートヒェンの手にはまだ荷物が握られている。それを見て、賢者とカナリアははっとして頷いた。


「そうですね。引き留めてごめんなさい」
「いえ。それでは失礼します」


 ぺこり、とお辞儀をしたグレートヒェンは、そのままファウストに振り返って踵を返した。賢者に見送られながら、ファウストは魔法舎の中を案内しながら階段を上り、グレートヒェンの部屋に連れて行く。魔法舎は広いが、迷路のように入り組んでいるわけではないから迷うことは無いだろう。


「人が好い方ね」


 ファウストの後ろをついて来るグレートヒェンがそう言った。賢者のことを言っているのだろう。


「そうだな。真っ直ぐな人間だと思うよ」


 それにふっと笑いながらファウストは頷く。すると、その様子を見ていたグレートヒェンが一瞬驚いたように目を丸くして、次の瞬間にはふふっと頬を緩めた。くすくす笑う彼女にファウストは若干居心地が悪くなって、じとりと目を細めながらグレートヒェンを見つめる。


「……なに」
「いいえ。だから、魔法舎での共同生活を受け入れたのかと思って」
「うるさいよ」


 図星を突かれてそう言い放てば、また背後で笑みが零れた。それを無視しるように、ファウストは視線を前に向けて無言で階段を上った。

 ファウストの部屋は四階で、他に西の国の魔法使いであるシャイロックとムルがこの階の部屋を使っていた。空き部屋が二つあるうちのファウストの隣の部屋が、グレートヒェンの部屋だ。ファウストはその部屋の扉の前で立ち止まり、扉を開いてグレートヒェンを中へと促した。


「此処が君の部屋だ。なにか困ったら、夜中でも構わないから僕のところに来なさい」
「傷というものがあるから、夜は行かない方がいいのでは?」


 確かに溢れた夢を見られたくはないが、そうならないための準備はしてあるし、扉をノックされれば目が覚める。眠りから覚めれば、必然的に夢も消えるのだから、問題はない。


「結界があるから外には漏れないし、目が覚めれば漏れ出した夢も消えるよ」
「そう、なら良いけれど」


 グレートヒェンは、わかった、と頷いて、部屋を見渡すように視線を動かしながら部屋の中へと足を踏み入れた。広さ的に言えば、隠れ家の自室と同じくらいだろう。不自由はないはずだ。


「僕が居ないときは、レノか東の魔法使いを頼りなさい。それと、絶対に北の魔法使いとフィガロという男には近づくな」


 ファウストが最後に語気を強めて強く念を押すと、グレートヒェンはまた目を丸くして首を傾げた。


「北の魔法使いは分かるけれど、なぜその人だけ名指しなの?」
「君は知らなくていい」


 北の魔法使いが危険という認識はグレートヒェンにもある。けれどそれとは別に、ある人物を名指しするファウストがグレートヒェンには不思議だった。けれどファウストは説明するつもりがないのか、はっきりとそう口にして視線を逸らす。


「とにかく関わるな。話しかけられても無視しろ。いいな」
「ふふ、余程その人が嫌いみたいね」


 あまりにも念を押して徹底的に避けるように言いつけるから、グレートヒェンは思わずおかしくなって笑ってしまった。けれどいつまで経ってもファウストからの反応が無くて、グレートヒェンは不思議に思ってその顔を上げた。すると、目の前にいるファウストはなんともいえない表情を浮かべていて、きゅっと眉根を寄せて押し黙っていた。


「どうしたの、ファウスト」
「……いや」


 ファウストはそう言って、帽子のつばをきゅっと引っ張る。そうして視線を彷徨わせてから、ファウストは廊下の方に視線を向ける。


「……片付けを終えたら、一階の食堂に来なさい。ネロが君のために料理を振舞うと言っていたよ」
「そう。なら、早く片付けて食堂に行くよ」
「ああ。じゃあ、僕は先に行っているよ」
「うん。またあとで、ファウスト」


 ふっとぎこちなく笑って、ファウストは部屋の扉を閉めた。

 部屋から遮断され、廊下に一人立つファウスト。この時間は、ほとんどの住人が食堂に集まっているから、此処はとても静かだ。静寂が流れるなか、ファウストはただ扉の前に立ち尽くす。そうして足元を見つめてから、ファウストは重たい足取りで歩き出した。