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第四話


 魔法舎がある中央の国から箒で飛んで東の国にたどり着いたのは、陽が沈む前だった。予想よりも早く着くことができ、日が暮れる前に森にたどり着けたことに、少なからず安堵する。

 ファウストとレノックスは森を目の前に箒を降り、それからは徒歩で森の中を進んだ。


「嵐の谷……こんな場所で暮らしていたんですね」
「人が立ち入らない場所を選んだからね」


 先頭を歩くファウストを追いながら、レノックスは辺りを見渡した。

 東の国にある嵐の谷は、一度足を踏み入れると出てこられないと人間たちに噂されていて『迷いの谷』という別名もある。谷には、谷に住まう精霊たちの強い魔力がみなぎっているため、不可思議で神秘的な現象が起こりやすく、人間は滅多に足を踏み入れない。また隠者たちの『隠れ谷』とも呼ばれ、此処でひっそりと暮らしている魔法使いは他にもいる。だから人里から離れて暮らすにはうってつけの場所だった。

 迷いなく進むファウストのあとをしばらく追って歩いていると、ついに視界が開けた場所に足を踏み入れる。遠くには森に隠れるように建つ一件の小さな家があって、その周りには庭や畑も整備されていた。ふと視線を逸らすと猫の姿をした不思議な精霊を見つけて、視線が交わると猫はそそくさと踵を返して行ってしまった。


「此処が、ファウスト様の隠れ家ですか」
「そうだよ」
「素敵なところですね」


 隠れ家を見渡しながら、レノックスはふっと笑みを浮かべた。森の中に隠れ住んでいるというからとても暗い場所なのかと思っていたが、視界が開けた此処は木々が少ないおかげで太陽の日差しが差し込みやすく、とても穏やかな印象を受けた。それにファウストを長年気に掛けていたレノックスはほっと安心する。

 家に向かって進んで行くファウストの後を追い、背後でファウストが玄関の戸を開けるのを待つ。しかしいつまで経ってもファウストは、玄関のドアノブを握ったままぴくりとも動かず、その様子にレノックスは不思議に思った。


「……ファウスト様?」
「レノ」


 窺うように名前を呼べば、ファウストは語気を強くしながらはっきりと名前を口にした。不思議に思いつつもそれに押し黙れば、ファウストはきゅっと唇を引いて、また黙り込んでしまう。レノックスはそんなファウストを気に掛けながらも、静かに彼が口を開くのを待った。


「なにも……言わないでくれ」


 そうして零されたのは、とても小さな声だった。

 ファウストの言葉の意味をレノックスは理解できない。レノックスは目を丸くしてその真意を尋ねようとするも、それを阻むようにファウストが扉を開け、そのまま家の中へ入って行ってしまう。


「ただいま。いま帰ったよ」


 足を踏み入れたファウストは、少し声を張り上げながら誰もいない居間に投げかけた。すると少し間をあけたあとに、二階で物音がして、誰かが一階へ降りてこようとしていた。


「帰ってきたのね、ファウスト」


 階段から降りて来て顔をのぞかせた彼女は、ファウストの顔を見るとふっと微笑んでそう言った。その姿を見て、数日ぶりの彼女の姿にファウストもほっと安堵する。


「今回は随分と遅かったのね」
「いろいろとあってね。僕がいないあいだ、なにか問題は無かったか?」
「大丈夫よ。ずっと家にいたし、貴方の結界も此処にはあるから」
「そう」


 それならよかった、とファウストは頷く。〈大いなる厄災〉での怪我が原因で、此処に張った結界のことを気に掛けていたが、なにも問題は無かったようだ。

 ふと、彼女の視線がファウストの背後へ逸れた。そうしてファウストの後ろに控えた人物を見ると、彼女はそっと目を細めた。


「珍しい。今日は知り合いを連れてきたの?」


 今まで誰も連れてきたことはないのに、と続ける彼女は、どこか嬉しそうに微笑む。

 そんな彼女を目の当たりにしたレノックスは、彼女とは正反対に目を丸くしてぽかんと口を開けていた。呆然としている、と言うのが正しいだろう。レノックスはその存在に驚いたまま、無意識に口を動かす。


「――グレートヒェン様……」


 呟かれた言葉に、ファウストがひそかに眉を顰める。

 そんなファウストに気づかないまま、グレートヒェンはこくりと首を傾げる。


「知り合い、だったかしら……?」
「え……、あ……」


 眼差しに動揺を滲ませながらレノックスは傍らにいるファウストに視線を向けた。けれどファウストはレノックスからの視線から逃げるように目を逸らし、そのまま知らぬふりをして言葉を続ける。


「グリッタ、彼は南の魔法使いのレノックス。僕とは旧知の仲だ」
「ああ、なるほど。そうだったのね。初めまして、レノックス」
「はじめまして……」


 ファウストから彼を紹介されたグレートヒェンは、それなら名前を知っていてもおかしくはない、と判断してにこりとレノックスに笑いかける。
 レノックスはそれを受け止めつつ、ぎこちないファウストを盗み見たが、やはり視線が合うことはなかった。


「私の名前を知っているようだったし、自己紹介は要らないかしら」
「あ……はい……」
「ところで、なぜ私に敬称を?」
「レノの癖だよ」
「癖……? 貴方の旧友は変わっているのね」


 ふふっとグレートヒェンはおかしそうに笑みを零した。

 その様子を見て、レノックスは呆然と丸くしていた目をそっと細めた。そうして上品に笑っているグレートヒェンとそれを見ているファウストの後姿をじっと眺めて、レノックスは思わず口を噤んだ。


「疲れたでしょう。いまお茶を淹れるから、どうぞ座って」


 ひとしきり笑った彼女はそう言って、レノックスを居間のソファへ促した。そのまま彼女はお茶を淹れにキッチンへ向かってしまい、この場にファウストと取り残されてしまう。少し気まずい空気が流れるも、ファウストはレノックスを家へ招き入れて、同じように今のソファへと促した。レノックスはそれに従って、お邪魔します、と口にしてからそっとソファに腰を下ろした。

 二人の間に会話はなく、居心地の悪い沈黙が流れた。ファウストは相変わらず視線を逸らしていて、一向に視線は交わらない。


「ファウスト様、あの……」
「……」


 沈黙を破ったのはレノックスだった。けれど言葉を続ける前に、三人分のお茶を淹れ終えたグレートヒェンが帰ってきてしまい、レノックスはまた言葉を飲み込む。

 どうぞ、と差し出されたそれを受け取って、ファウストとレノックスはそれを喉に通した。温かいそれはほっと身体を温めて、柔らかい味は居心地の悪さをわずかに緩和させた。


「それで、どうしたの。帰ってきた、という雰囲気ではないけれど」
「ああ、そのことについてなんだが」


 お茶を飲んで落ち着いてから、ファウストはグレートヒェンに促されるまま本題へと入った。

 まず、今回の〈大いなる厄災〉が以前とは違っていたこと。以前にもまして脅威となった〈大いなる厄災〉に立ち向かうために、賢者と賢者の魔法使いたちと魔法舎で共同生活をすることになったこと。〈大いなる厄災〉が近づきすぎて負ってしまった不思議な『厄災の奇妙な傷』のこと。その傷が見ている夢を溢れ出してしまうこと。

 一つ一つ順序立てて、ファウストはここ数日にあったことをグレートヒェンに説明した。


「それで、媒介を取りに来た、ついでに君を迎えに来たんだ」


 ファウストからの説明を黙って聞いていたグレートヒェンは、なるほど、と頷いて一口お茶を飲み込んだ。


「魔法舎って、賢者様とその魔法使いたちが暮らすところでしょう。私なんかが良いのかしら」


 それに人が大勢いる場所は苦手だし、と零すグレートヒェンに、それは僕もだよ、とファウストも苦々しく零した。

 ファウストは人間嫌いで、一人で居ることを好む。それは相手が魔法使いであっても変わりはない。そしてグレートヒェンも大勢の人間がいる場所にいるのは苦手だった。それも、長いあいだファウストとこの隠れ家で暮らしていることが原因だろう。単純に、彼以外との他者に慣れていないのだ。

 それに加えて、グレートヒェンは賢者たちとは全く関係のない間柄だ。そんな無関係者が無理を言って一緒に住まわしてもらうのも忍びない。そうグレートヒェンが言うと、ファウストは開いた口を一度閉ざしてから、ゆっくりと言葉を続けた。


「……君をひとりにしておくのは、僕が心配だ」
「貴方は心配性ね」


 そう言って、グレートヒェンが困ったように笑う。すると彼女は空になったカップを持って、ソファから腰を上げた。


「わかった。なら荷物を詰めてくるから、もう少し待っていて」
「急がなくていいよ。すぐに行かなければならないわけじゃない」


 踵を返してカップをキッチンへ置くと、グレートヒェンは荷造りをしに二階へと上がって行った。

 そんな彼女をファウストとレノックスは見送って、姿が見えなくなると手元にあるカップに視線を落とした。そうしてまた沈黙が流れるが、レノックスはそれを早くに打ち破った。


「ファウスト様」


 レノックスの声に、ファウストは一瞬だけ視線を上げた。けれどレノックスを一瞥すると、また視線を彷徨わせて手元に落としてしまう。そんなファウストに、レノックスは静かに続ける。


「……言いたくないのなら、無理には聞きません。言いたくなければ、それでいいです」


 それはレノックスの本心だった。ファウストが言っていたなにも言わないでくれ≠ニは、きっとこのことだったのだとレノックスはもう理解している。そしてファウストの過去を知っているレノックスが、それ以上ファウストを問い詰めようとする意志も無かった。話さないのなら、それでいい。自分はなにも知らなくていい。


「けど……良かった」


 ほっと安心したように頬を緩めて、レノックスはそう零した。心からの安堵が口から零れだした、そんなものだった。

 それにファウストは目を見張って、俯いていた顔を上げた。


「良かった……?」
「はい」


 ファウストの問いに、レノックスははっきりと頷く。


「ちゃんと、ファウスト様のおそばにグレートヒェン様がいられたのだと知れて、安心しました」


 そう、まるで自分のことのように嬉しそうに微笑むレノックス。そこに嘘偽りがないことは、ファウスト自身が良く知っていた。けれどファウストはそれを素直に受け取ることができず、また視線を逸らすように顔を俯かせるばかりだった。