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第三話


 それから数日後に、ファウストはグレートヒェンを家に残して魔法舎へと向かった。もう賢者の魔法使いに選ばれてから数十年ほど経つが、毎年こうしてグレートヒェンをひとり家に残して行くのには慣れない。隠れ家には〈大いなる厄災〉に備えて結界を厳重に重ねているし、グレートヒェンが言いつけを破ることもしないと確信しているが、それでもファウストは不安を拭えなかった。何度も自分を見送るグレートヒェンの姿を振り返っては足を前へと進めて、もう振り返っても姿が見えなくなってから、ファウストはきゅっと帽子を深く被って森を抜けた。

 〈大いなる厄災〉が降りかかってきたのは、ファウストが魔法舎に着いてから三日ほど経った頃だった。古参の魔法使いや新参の魔法使いたちと協調性も無く〈大いなる厄災〉と戦うのはいつものことで、襲ってくる〈大いなる厄災〉は脅威であったが去なせないわけでも無かった。それが常だった。

 けれど今年の〈大いなる厄災〉はどこかおかしかった。去年と比べて、今までと比べて、今回の〈大いなる厄災〉は猛威を振るった。毎年犠牲者が出ないわけでは無かったが、今回の戦いでは賢者の魔法使いが半数まで減ってしまった。なにかがおかしい、と誰もが思った時にはもう遅くて、魔力が強い北の魔法使いたちでさえ苦戦を強いられた。そしてファウストも、命の危機にも関わる重傷を負ってしまった。

 ファウストにとっては、ここで終わってしまうのが一番楽なものだった。けれどそれは新しく召喚された賢者によって防がれ、ファウストは不本意ながら一命を取り留めてしまった。まったくお節介なことだ。

 賢者の魔法使いを半数まで減らした〈大いなる厄災〉が過ぎ去ってからも、ファウストは怪我の療養と消耗した魔力の回復のために魔法舎に滞在を続けていた。魔法で隠れ家で待つグレートヒェンに帰るのが遅くなることは伝えたため心配はないが、此処へ来るまで募った不安は拭えなくて、ファウストはどこか落ち着かなかった。それも、新しく召喚された賢者の魔法使いの中に見知った相手が選ばれて、いま同じ屋根の下にいるせいだろう。

 早く下らない戴冠式も済ませてさっさと帰りたい。そう思っていた時、賢者とレノックスに突然『厄災の奇妙な傷』について知らされた。近づきすぎた〈大いなる厄災〉から受けた自分の傷は、どうやら見ている夢が溢れてしまうらしい。それを聞いて唖然とした。

 これを話せば間違いなく魔法舎に残るなんて言わないと理解しながらも素直に『厄災の奇妙な傷』を話す賢者に、お人好しだと呆れた。それを言ってやれば、賢者は頷きながら、出ていくことを引き留めはしないが出来ることなら此処に残ってくれると嬉しい、と真摯に続けた。そんな真っ直ぐでお人好しな人間を拒めない自分も、たいがいお人好しだ。

 此処に残ることを伝えれば、賢者は嬉しそうに喜んで、後ろで様子を窺っていたレノックスもほっと安心したように息を吐いた。それにふっと笑みが零れる。

 けれど無意識に溢れる夢をそのままにしておくこともできない。だから結界を張るための媒介を取りに一度帰ることを伝えれば、賢者は快く頷いた。帰ってこないことを疑わない賢者に、呆れを通り越して笑みが溢れる。けれどもう一つ、言っておかなければならないことがあった。


「……それと一つ、頼みたいことがある」


 そう口火を切れば、賢者は「はい! 私にできることなら言ってください!」と大きく頷いた。


「魔法舎に残ることについて、頼みたいことだ」


 淡々と続ける自分とは正反対に、賢者は真っ直ぐと目を見つめて頷いてくる。なんでも言ってください、と言う賢者に、ファウストはちらりとガラス越しにレノックスを一瞥し、視線を下ろした。そうして間を置いてから、そっと口を開く。


「……一緒に暮らしている子がいるんだ」


 静かに零れ落ちた言葉に、賢者は予想外だったようで目を丸くして首を傾げた。


「一緒に暮らしている人、ですか」
「ああ。ここ十数年、面倒を見ている子がいる」


 繰り返す賢者に、ファウストは頷いて続ける。


「僕が魔法舎で暮らすとなると、彼女をひとり家に残すことになってしまう」


 そう言いながら、ここ数日会っていない彼女のことを思い出す。思えば、彼女と生活をしてからこんなに家を空けたことは初めてだったかもしれない。いつも彼女が気になって、数日間も家を空けることを避けていた自覚がある。

 賢者は、なるほど、と納得したように頷いた。そうして考え込む賢者に少しばかり申し訳なさを覚える。


「自立が出来ない年齢と言うわけではないけど……」
「わかりました。では、その子も魔法舎で暮らす、というのはどうでしょう」


 思わず目を丸くした。反対に賢者はにこりと笑っている。

 魔法舎は、賢者と賢者の魔法使いのための屋敷だ。だから関係者以外が此処に立ち入ることはない。つい先日に魔法舎の手伝いとして人間が一人此処に通うことになったが、ファウストの案件は完全に私事だ。簡単に頷けるものではないと思ったが、賢者が簡単に受け入れてしまって、驚かずにはいられなかった。


「……良いのか」
「はい。無理を言って魔法舎に残ってもらうよう頼んでいるのは私の方ですし、きっとその子もファウストがいないと寂しいと思うので」
「……」


 だから良かったら一緒に来てください、と言う賢者に、ファウストはきゅっと口を噤んだ。

 思い浮かべたのは、また彼女だ。きっとひとりきりのあの隠れ家で、彼女はのんびりと普段通りの日々を過ごしているに違いない。食事を作って、畑の様子を見て、ハーブティーを片手に読書をする。そうやって、彼女はひとりで過ごしているだろう。


「皆さんには私から言っておきます。だからどうぞ、その子も連れてきてください」
「……感謝する、賢者」
「いえ、こちらこそありがとうございます」


 話がまとまり、早速ファウストは自分の隠れ家に一度帰ることにした。それにレノックスが同行すると言って聞かず、隠れ家には二人で向かうことになった。昔のように自分に付いて来なくても良いと言うのに。けれど四百年間、自分を探して彷徨っていたという話を聞いて、ファウストはそれを無下にはできなかった。

 準備を整えて、ファウストとレノックスは魔法舎を出た。箒で飛んでも少し時間はかかるし、あの森は歩いて抜けないといけないから、隠れ家に着くのはきっと夕方ごろになるだろう。それなら事前に帰ると手紙を送らなくても良いか、と考えたところで、背後からレノックスが声を掛けてきた。


「ファウスト様」
「なに?」


 魔法舎の玄関を背にレノックスに振り返る。するとレノックスは、少し迷いながらおもむろに口を開いた。


「ファウスト様と暮らしている人というのは……」
「……」


 レノックスは最後まで言わなかった。それに自分も答えなかった。


「……会えばわかるよ」


 それだけ言って、ファウストは目を伏せるように帽子を深く被りなおした。