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傷のような恋を負った


 クララが街で刺されてから一ヶ月ほど過ぎ去った。

 街中でオーエンを狙った男は、中央の王子であるアーサーやカインが尽力して身柄を確保することができた。男から話を聞いてみると、やはりオーエンに恨みがあったらしい。オーエンは多くの人間や魔法使いに恨まれ、憎まれている。オーエンにとっては数多くいるそれらのうちのひとりに過ぎず、心当たりなんてあるはずがない。男を殺すと言って聞かないオーエンを賢者やスノウ、カインやアーサーが説得し、最後にクララ自身が口添えをしてなんとかオーエンを落ち着かせることができた。オーエンは納得がいっていない様子で、しばらくの間は不機嫌が続いた。ともかく、男の対処についてはアーサーやカインが受け持つことになり、この一件は取り合えず収束を見せた。

 クララの傷は完全に治すことができなかったが、フィガロが治癒魔法をかけたおかげで数日間で完治することができた。傷の痕も残らず、綺麗に傷は塞がっている。完全に傷が治るまでクララは高熱に魘されていたが、それもすっかり治り、今まで通りの元気な様子で過ごしている。けれどオーエンは心配なのか、クララの傷が治っても部屋の外へ出歩かせず、最初の頃のように一歩も外へ出させなかった。大好きなクララのお菓子も食べることも我慢して、とにかくクララに何もさせないでいた。そんなオーエンに、ブラッドリーが過保護過ぎだと笑って、オーエンの機嫌を損ねさせていた。それほど、オーエンにとってあの一件はこたえたのだろう。オーエン自身もクララから離れようとせず、一日中部屋に閉じこもっていた日が数日ほどあった。

 あまりに心配をするオーエンに大丈夫だとクララは何度も伝えたが、オーエンは頑なに信じようとしなかった。フィガロが治癒魔法で表面だけを治してあとはクララ自身の回復力に委ねたため、目に見えない傷の治りをいくら言葉で伝えても信じられなかったのだ。稀に見るほど心配を露わにするオーエンに嬉しくなる一方、それほどまでに気を負わせてしまったことに反省して、クララはあまり強くオーエンに言えずにいた。もう大丈夫なのだと安心させたい思いとは裏腹に、オーエンと一緒に入れる時間が長く多くなることを嬉しく思ってしまう。だからクララは、オーエンが言葉によって信じるのではなく、オーエン自身がそれに納得するまで、黙って受け入れることにした。

 オーエンと一緒に部屋に閉じこもって過ごす日々は楽しいものだった。

 トランプで遊ぶと、オーエンは顔に出てしまいやすいからとても弱い。何度か勝ちを繰り返すと拗ねてしまい、わざと負けるとそれはそれで怒ってしまうから、トランプ遊びをするときは気を付けなければいけない。チェスも同じ。ナイトの駒ばかりに執着するから、すぐにキングを取られてしまって負ける。ルチルから借りた絵本をふたりで読んだりした。美味しそうなお菓子がたくさん出てくる絵本を、オーエンも案外気に入っている様子だった。教えてもらった現代の文字を綴ったりもした。紙にオーエンの名前をひたすら綴って練習していると、隣で見ていたオーエンも一緒になって文字を書いて、クララと名前を綴った。少し歪で子供っぽい文字で書かれたクララという文字は、なんだか特別なものに感じた。疲れたら一緒にお昼寝をして、話して、聞いて、遊んで、眠る。いつまでもこの日々が続けばいいのに。

 ふと、真夜中に目が覚めた。

 離さないように抱きしめたままオーエンは目を瞑って寝息を立てている。視線を逸らすと、机の上に置かれている飴玉の入った瓶詰が目に入った。魔法舎に来てからは、ずっとあそこに置かれている。クララは瓶詰から視線を逸らして、オーエンの胸元に擦り寄った。動いたクララに反応して、眠ったままオーエンは応えるように背中に回した腕をさらに引き寄せた。ひんやりとした、オーエンの腕の中。自分の体温と溶け合って、じんわりと温かい。

 クララはその温もりを感じながら、ゆっくりと瞼を閉じた。




 外へ出かけよう、とオーエンに言った。

 突然の申し出にオーエンはきょとんと目を丸くしたあと、少し嫌そうに目を逸らした。暗に外へ連れて行きたくないと伝えるオーエンを無視して、クララは少し強引に外へ誘う。オーエンがどこへ行きたいのかと聞けば、クララは家に帰りたいのだ言った。忘れ物でも思い出したのか、なにか用でもあるのか、それはクララ自身が行かなければいけないのか。しつこく質問を繰り返すオーエン。クララはその質問に答えることはなく、にこにこと笑ってオーエンが頷くのを待った。

 クララが一度家へ帰りたいと話しているのを聞いた賢者や双子は、オーエンと一緒に数日間家へ帰ることを提案した。あんな一件があった後だ、住み慣れた家に帰って休むのが良い、と彼らは口を揃えて言う。
 クララを出歩かせたくはないが、家に帰るなら良いだろう。あの家は、クララにとってのマナエリアだ。それに加え、家に帰れば厄介な魔法使いたちもいない、完全にふたりきりの空間を取り戻せる。オーエンは少し考えたのちに頷いて、ふたりは数日間だけ住んでいた家に帰ることになった。

 荷物もまとめないで、魔法舎を出た。

 箒に乗って真直ぐ家に向かおうとすれば、寄りたいところがあると言って、最初はよく買い出しに出かけた西の国に立ち寄った。中央の国とはまた違う賑やかな街のなかを一緒にあるいて、昔からお気に入りだったお店に入って一緒におやつを食べる。食後の運動も兼ねて、店を出た後は目的もなく街を歩き回った。

 次こそ箒に乗って家に向かおうとすれば、今度は夢の森に行きたいと言い出した。なぜ突然あんな場所へ行きたいと言い出したのか分からない。オーエンは夢の森を気に入っているが、それは死を間際にした人間や魔法使いたちが夢見心地のまま最期の幸せに浸ろうと訪れるからだ。夢の森は、童話の世界のように不可思議で可愛らしい場所だが、魔力が混ざった木々は致死の毒を放出する。クララが森に入ったら、間違いなくその毒に侵される。オーエンは連れて行きたくないと言ったが、駄々をこねたクララに根負けして、仕方なく守護魔法をかけて夢の森へ入った。クララは昔の頃の森に行ったきりで今のような森に変化してから一度も入ったことがない、と言っていた。雰囲気も様子もすっかり変わってしまった不気味で神秘的な森に、クララははしゃいであちらこちらに足を運んだ。その後ろを少しうんざりした面倒くさい顔をしてオーエンが付いてくる。

 ようやく家にたどり着き、クララは箒から降りると住み慣れた家を見上げた。


「なんだか数年ぶりに家に帰ってきたみたい」


 そんなことを言って、クララは懐かしそうに自分の隠れ家を眺めた。なにを言っているんだか。此処を出て魔法舎に住んでから、まだ数ヶ月程度しか経っていない。大げさだな、とオーエンは呆れたように息を吐いた。中央の国とは違って、北の国は寒く、年中雪に覆われている。吐き出した息は真白く靄がかかった。


「おまえ、本当に帰りたかったの」


 後ろを振り返ると、真意を確かめるように色違いの眼がこちらをじっと見つめていた。

 真白な雪景色を背景に、溶け込むような白い服と日差しに反射してきらきら光る灰色の髪。そこに色づく真っ赤な瞳と金色の瞳。ふたりの間に冷たい風が吹きつけた。北の国に吹く、身震いするほど冷たい風が懐かしい。ゆらゆら、風に遊ばれて灰糸と金糸の髪が揺れた。

 先に視線を逸らしたクララがはあ、と息を吐いた。白い息は上空へ上がって、消えていく。


「アタシたち、千年もの間、此処で一緒に暮らしてたんだね」


 感慨深く、静かに、クララは思い出に浸るように呟いた。


「なに、いきなり」


 クララが何を言いたいのか分からない。今さらそんな話をして、一体なんだというのだろう。

 くるり、クララが振り返った。それを見て、オーエンは大きく目を見開いた。
 笑顔だった。これ以上ないほどの笑顔で、幸せそうで、細められた瞳は愛しげで、口角を上げた唇は子供みたいで。


 ――ピキリッ。
 身体に、亀裂が走った。


「――ックララ!」


 傾いたクララの身体を雪の上に倒れる前に受け止めた。抱えたクララの身体にはガラスがひび割れたような亀裂が大きく走り、ピキリ、ピキリ、と音を立てて亀裂を増やしていく。亀裂の隙間からは、きらきらした宝石のような輝きが覗いていた。


「あ・・・・・・なんで・・・・・・どうして、ねえッ!」


 ああ、だめだ、間に合わない。頭の隅でそんな言葉が浮かんだ。亀裂からポロポロと砕けた欠片が雪に落ちていく。きらきら輝くそれは石となって、雪の上に転がる。欠片になっていく。欠片になっていく。止める手立てがない。魔力を感じない。クララからはなにも感じられない。


「ごめんね、オーエン・・・・・・アタシ、ずっと一緒に・・・・・・いられなくて・・・・・・」


 瞼を開けて、大きな瞳で見上げてくる。困ったように微笑んで。向けられた視線には、なにが込められているのだろう。愛しさ、慈しみ、寂しさ、悔しさ。分からない。わからない。それに応える感情を知らない。それに応える言葉を知らない。


「うるさいッ! 聞きたくないッ!!」


 ずっと聞きたくなかったのに。ずっと知りたくなかったのに。

 何度も呪文を唱えた。何度も何度も魔力を注いで。それでも、亀裂は治まらない。砕けていく。徐々に砕けて、欠片になっていくクララ。どうすることもできなかった。魔法が効かない。注いだ魔力が亀裂から溢れ出して流れていく。


「・・・・・・泣かないで、オーエン」


 亀裂の入った腕を伸ばして、頬を撫でる。頬に触れる手は小さくて、いつもなら心地良い温もりが伝わってくるのに、今はなにも感じない。石みたいに冷たい肌で、濡れていない目元を拭うように指で撫でられる。クスリと笑みを零したクララは、晴れやかで、穏やかで。後悔なんてひとつも無くて。さいごまで、幸福に満ち足りた顔をして。


「やだ・・・・・・クララ、クララ・・・・・・クララ・・・・・・」


 子供みたいに、何度も名前を重ねた。何度も名前を呼んだ。縋るように、離さないように。抱きしめて、手を握って。どこにも連れて行かないで。どこにも連れて行かないで。母親に縋る子供のように、愛した人と抱きしめるように、胸の中に強く閉じ込めた。


「・・・・・・約束、する」


 まるで最後の贈り物をするように、クララは呟いた。
 今にも泣きだしてしまいそうな瞳で、オーエンはクララを見つめた。


「必ず・・・・・・また、会いに行くから・・・・・・約束だよ、オーエン」


 その瞬間、見えない糸で縛り付けるみたいにキュッと首元を絞められた感覚がした。糸はクララとオーエンを繋いで、消えていく。誓われ、結ばれたのは、約束。魔法使いにとっては、呪いのような言葉。破れば魔力を失い、魔法使いで居れなくなるそれは、絶対に結んではいけない呪文。

クララは結ばれたそれを見て、目元を和らげた。

 そんなもの要らない。そんなもの欲しくない。だって、意味がないじゃないか。今さらそんなものを結んだって、意味がない。不確かな物なんて要らない。言葉なんて要らない。呪いなんて要らない。そんなものが欲しいんじゃない。そんなものは要らないから。だから。だから。


「オーエン」


 鈴みたいな声。飴玉を転がしたような響き。聞きなれた音。
 その音を、ずっと聞いていたかった。


「――大好き」


 ――パリンッ!


 きらきら、砕けた。
 ぱらぱら、割れた。

 綺麗な宝石になって、落ちていく。
 砕けた宝石はきらきら輝いて、雪の上に落ちていく。

 美しい宝石。角度を変えて違う色の輝きを放つ。
 砂糖を溶かしたみたいな金色の輝き。
 金平糖みたいな薄いピンク色の輝き。

 その温もりさえ残さず、石と化した。

 雪に散らばった欠片をかき集める。
 両手いっぱいにきらきら輝く欠片たち。

 涙を零すことも、声を上げることもできず。
 オーエンはひとり、真っ白な雪のなかに蹲った。