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ひたひたミルクでなんもみえないな


 キッチンでお菓子を作る準備を進めていたクララが「あれ?」と棚の中を覗きながら声を上げた。一緒にいたオーエンがどうかしたのかと尋ねると、お菓子の材料が足りないのだと言う。お菓子を作るには買い出しに行かなければならない、と続けたクララに、オーエンは難しい表情を浮かべた。相変わらずオーエンはクララをむやみに外へ出させたくなかったのだ。それが行き慣れていない場所なら尚更のこと。買い出しならキッチンを担当しているネロがいつも率先して出かけている。だからネロに買い出しを任せればいい、とオーエンは言ったが、あいにくネロは任務で数日間魔法舎を空けている。買い出しに行かないとお菓子は作れないよ、とクララが言えば、オーエンは分かりやすく拗ねた表情をした。


「・・・・・・やだ」
「じゃあ一緒に買い出しに行こう、いつもみたいに」


 アタシ、中央の国に行くの初めて。クララは子供みたいにはしゃいだ。

 北の国に居たころは、よく一緒に西の国へ降りて買い出しに出かけていた。クララをひとりで行かせたくなかったオーエンはいつも一緒について来て、外へ出させたくないときは渋々と言った様子でオーエンがお使いに出かけていた。最近はほとんどオーエンがひとりでお使いに行っていたし、魔法舎に来てからは此処から一歩も出たことがない。ふたりで出かけるなんて、久しぶりだ。


「ついでにケーキ屋さんも寄ろう。ね、オーエン」


 腕を引っ張ってくるクララは上機嫌だ。

 納得のいかない表情を浮かべていたオーエンだったが、だんだんと機嫌を取り戻して最後には微笑んで頷いた。


「いいよ。分かった」


 早速ふたりはキッチンを出て、中央の国に向かった。



◆ ◇ ◆



 オーエンの箒に乗って中央の国へ飛んで行き、賑わっている街の中心にふんわりとした足取りで着地する。


「中央の国は人がいっぱいだね、西の国みたい」
「中央の方が能天気なやつばっかだよ」


 西の国の人たちはお祭りごとが大好きでいつも賑わっているが、貧困の差が厳しい。一方で中央の国はどこもかしこも騒がしくて、笑顔を浮かべる人間たちで賑わっている。活気に満ちた街そのものだ。

 見慣れない街の様子に目を奪われながら、人混みの隙間を縫って進んで行く。


「おい、はぐれるなよ」


 前へ前へと進んで行くクララの背に投げかければ、振り返って「オーエンの服、掴んでるから平気だよ」と笑いながら答える。クララはオーエンの外套の裾をギュっと握りながら歩き、あちこちに人だかりができている屋台を覗いていく。国が違うだけあって、西の国と売っているものが違う。見たことも無い食べ物も多く、クララは興味津々にそれらを手に取って確かめていた。


「あれ、美味しそう」
「甘いの?」
「うーん、ジャムにしてケーキに載せたら良さそう」
「じゃあ買う」


 オーエンは料理なんてしないし、食材を見てもどんなものが出来るのか分からない。基準は甘いものかどうかで、それを使ってクララがお菓子を作られるかどうか。クララが作れるというなら、その食材はオーエンにとって買うべきお菓子の材料となる。

 店主に代金を支払って、食材を詰めた紙袋を両手に抱えれば、すぐさまオーエンがそれを奪い去って魔法で仕舞ってしまう。両手に荷物を抱えなくて済むから、とても便利だ。

 クララとオーエンは次々に屋台を除いては、気になった食材を買っていく。あの食材を使ったクッキーが美味しそうだ、あの食材を使ったケーキは美味しい、あの食材を使ったジャムなんてどうだろう。クララが思いついた甘いお菓子を並べるたびに、オーエンは食べたいと言って食材を手に取った。どんなお菓子が作れるだろう、と話すふたりは楽しげで、賑やかな市場に溶け込んでいた。

 話している途中、ふとオーエンの背後の先にいる、ある人間が視界に映った。ただの人間の男が、人混みをかき分けて歩いているにすぎない。しかし、少し雰囲気が違う。重い足取りで、周りの事なんて気にせず歩いている。背中を丸めて、顔を俯かせて、血走った眼でじっとこちらを睨みつけるように見つめてくる。なにかが違う。明らかに様子が違う。荒く上がった息をひそめた男はすぐ目の前まで来ていた。そして、背中に隠していた腕をわずかに上げた。

 オーエンが背後の男に視線を向けた。

 オーエンならすぐに対処できた。相手は人間だ、魔法使いではない。ナイフごときでオーエンを傷つけることも、殺すこともできない。そんな当たり前のこと、確認しなくても分かる。でも気づいたら、ありったけの力でオーエンを押し退けていた。


「・・・・・・は」


 鮮血が飛び散った。
 甲高い悲鳴が耳を刺激する。
 ドタバタと煩く足音を鳴らして人間たちは怯え去っていく。

 オーエンは目の前の状況が理解できなかった。目の前で何が起きたのか、読み込めない。

 目の前でクララが蹲っていた。額に汗を浮かべて、顔を歪ませている。腹部をグッと抑えて、そこから赤い液体が流れていた。一方で赤い液体がこびりついた刃物を片手に持った男は、呆然と立ち尽くしていた。過呼吸のような短い荒い息を繰り返して、全身が震えている。我に返った男が恐怖に飲み込まれて、情けない声を上げて走り去ろうと背を向けた。その瞬間、ようやく事を理解したオーエンが、人を殺す殺気を立ててその男に振り返った。しかしそんなオーエンを止めるかのように、振り返った背後で靡いた外套を弱々しい力で掴まれ、オーエンは逃げる男を追うことができず、そこに縫い付けられた。


「オー、エン・・・・・・」


 痛みに耐えながら、外套を掴んでオーエンを止める。此処でオーエンがあの人間を追えば、きっとあの人間を殺すだろう。それはダメだ。賢者の魔法使いたちは、人間たちに信用されようと人間たちから頼まれた任務をこなしている。此処で殺せば、その信用は地に落ちる。そしたら、オーエンが怒られてしまう。オーエンが悪く言われるのは、嫌いだ。

 外套を掴んだ手から赤いシミが滲んでいく。せっかく真っ白で綺麗な外套だったのに、赤く汚れてしまった。クララは真っ白な外套に血が滲んでいく様子をぼんやりと眺めていた。


「っ、おい!」


 ぐらり、クララの身体が傾いた。

 慌ててオーエンが身体を受け止める。腹部にはべっとりと血がついて、ドクドクと身体から流れていく。ギュっと目をつむるクララの表情は苦しそうだ。


「クララ、ねえ、ねえってばっ!」


 焦燥感に駆られてオーエンはクララの身体をゆすった。痛みに耐えていて声が出せないのか、言葉を発することもできないくらい意識がもうろうとしているのか、クララからの返事はない。オーエンはこれ以上ないほど焦っていた。


「《クーレ・メミニ》ッ!」


 急いで箒を取り出して、クララの身体を手繰り寄せて空中へ上がった。片腕でしっかりとクララを支え、空いた片手は箒を握りしめる。クララの身体に負担がかからないよう魔法をかけ、飛び上がった箒は加速して魔法舎を目指した。早くクララを治すためにフィガロのもとへ連れて行かなければ、と焦燥の渦にいるなかそれだけを目指す。

 街を飛び去り、森を飛び去り、結界で守られた魔法舎にたどり着く。動揺するなか、せわしく辺りを見渡してフィガロの姿を探し、魔力を辿ってフィガロの居場所を突き止める。フィガロはルチルやミチルと一緒に魔法舎の中庭に居た。。オーエンはすぐさまそちらへ箒を向け、談笑する彼らの間に何の前触れもなく降り立つ。驚いて目を丸くするルチルたちや文句を言いたげな表情浮かべるフィガロだったが、オーエンが抱えたクララを見て一変させた。

 すぐにクララを横にさせて《ポッシデオ》と呪文を唱えて治療する。ルチルとミチルは慌てて包帯やタオルを取りに駆け出し、オーエンは膝をついて治療されるクララに寄り添った。


「早くして、このままじゃ死んじゃう」
「わかってるよ、ちょっと黙ってて」


 治癒魔法をかけながらフィガロは難しい表情を浮かべた。ナイフで深く刺されているうえ、出血も多い。とにかく早く傷を塞がなければならないのに、治癒魔法の効き目が遅い。

 クララの瞼がゆっくりと持ち上がる。それに気づいて顔を覗き込むが、意識がもうろうとしていて視線は交わらない。ぼんやりとした意識のまま、途切れ途切れの掠れた声でオーエン、と呟かれた。


「――・・・・・・」


 名前を呼ぼうとして開いた口は、音を発さないまま閉じられる。代わりにオーエンは投げ出された小さな手を救い上げた。皮手袋が覆った手で包み込んで、ギュっと握る。痛いくらい強く握った手は、震えていた。