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ラズベリーとブラックベリー


 その日、クララは珍しくオーエンと一緒にいなかった。

 リケやミチルに連れられてルチルのところで一緒に遊んでいたのをしばらくは遠目で眺めていたが、それに飽きたのかオーエンはふらりと姿を消した。オーエンはすぐ姿を消す癖もあるし、魔法舎にオーエンが必ず居ると理解しているため、オーエンの姿が見えなくなってもクララは動揺することはなく、ルチルたちと一緒にお遊びを続行した。

 最初にしたのはお遊びではなく、文字の勉強。クララは文字が読めないわけでも書けないわけでもない。しかしクララは、千年近くあのお菓子屋に引きこもっていた。他者との関りはオーエンしかおらず、文字を書くなんて商品の値段かレシピのメモをとるぐらい。それだけならいいが、千年もの時が過ぎれば言葉の体系は変わっていく。つまり、現在各国で使われている文字も文法もクララの知っているものではなくなっているのだ。それで今の文字が読めず書けなかったクララを見て、ルチルたちは一緒に文字の勉強をすることを提案した。ルチルは教師をしているらしく、教えるのが上手だ。リケは読み書きをしたことが今までなかったらしく、此処へきて文字の勉強をし始めたらしい。ミチルは時々間違えることがあるが、丁寧で読みやすい文字を書く。それを横目で見ながら、クララは見様見真似で文字を綴った。

 しばらく経ち文字の勉強が終わると、ルチルに良いものがあると言われた。渡されたのは絵本だった。甘いものが好きならきっと気に入るだろう、とルチルは続ける。ぺらぺら捲ってみると書かれた文字は簡単なものだが、今知った文字を読むのには時間がかかりそうだ。文字を読む勉強にもなるという意図でルチルは絵本を渡したのだろう。クララは絵本を読むような年齢ではないが、魔法舎の大抵の住人はクララを小さな子供と勘違いしているし、クララやオーエンもそれを否定したり訂正しないため、こうして子ども扱いされるのは仕方がない。クララ本人も子ども扱いされることに不愉快な思いをしているわけではなく、寧ろ楽だと思っているため、問題はない。

 クララは渡された絵本を両手に抱えて、オーエンを探しに彼らと別れて魔法舎を歩き回った。あまり魔法舎をひとりで歩いたことは無いため、少し迷子になりそうだ。広い魔法舎の廊下や図書室などを見渡したり覗いたりして、長い廊下を歩いて行く。


「おい、そこのオーエンとこのガキ」


 すると背後から突然声をかけられた。なんだ、と後ろを振り返って、クララは後悔する。「げっ・・・・・・」思わず声が出てしまった。背後には北の魔法使いであるブラッドリーとミスラが立っていた。オーエンに散々ふたりには近づくなと釘を刺されていたというのに、見計らったかのようにひとりになった途端出くわしてしまうなんて。とくにミスラはオズに次いで強い魔法使いで、いつ彼の気分で殺されるか分かったものじゃない。「げ、ってなんですか。生意気ですね」そんなクララの内心を知ってか知らずか、ミスラは面倒くさそうにぼんやりとした様子で、嫌そうな顔をするクララに呟いた。

 ふたりに対面したクララは、じりじりと後退る。さっさとここを立ち去ってしまうのが正解だろう。最大限警戒をしながら逃げ出すように駆け出す。しかし、それは難なく阻止されてしまった。駆け出した瞬間に長い腕で首根っこを掴まれ、ひょいっとミスラに持ち上げられる。まるで犬猫のような扱い方だ。


「ふーん、こんなのがオーエンのお気に入りか」
「は、放せってば・・・・・・!」
「煩いなあ。少し黙っててくれません?」


 ブラッドリーは観察するように、持ち上げられたクララを覗き込む。あっという間に掴まったクララはすぐにでも逃げ出そうとするが、そう簡単には行かず。じたばたと暴れればミスラがさらに面倒そうな表情を浮かべた。

 どうにかして抜け出さなければと思考を巡らすクララをじっと観察していたブラッドリーが、ふと気づいた。「こいつ、よく見れば魔女じゃねえか」普段は全く感じ取れなかったが、よく観察してみると微かな魔力が宿っている。ブラッドリーにつられてミスラも確かめてみると、確かに魔力が宿っていた。「確かに・・・・・・ほとんどオーエンの魔力で、気が付きませんでした」ミスラの言う通り、クララはオーエンの魔力を纏っていた。長年一緒に過ごしたせいでオーエンの魔力がクララにも染みついていたのだ。それだけではなく、オーエンは守護魔法もいくつかクララへかけている。それらが邪魔して、じっくり感じ取らないとクララ本人の魔力に気づくのは困難だった。

 オーエンが気に入っている子供は人間ではなく魔女ということが判明し、ふたりはさらにクララという存在に興味を示す。完全に逃げ場を失くしたクララが途方に暮れていると、ぱたぱたと音を立てる足音と甲高い声が聞こえてきた。


「こらこら、やめんか!」
「オーエンに怒られても知らんぞ!」


 この状況を見て急いで駆けつけてきたのは、双子のスノウとホワイト。ふたりが何かをしでかす前に止めなければ、と双子は慌てて仲裁をした。そんな双子にオーエンのお気に入りなら弱点になるかもしれない、と口を揃えるふたり。それを聞き、双子は呆れたように肩を落とした。常に相手を蹴落としていく北の魔法使いらしい回答だ。

 一体いつまでこの状態を続けなければならないだろう。自分では抜け出すことはできないし、ミスラの機嫌を損ねれば一瞬で殺されてしまいそうだ。はあ、とクララは重いため息を落とした。


「《クアーレ・モリト》」


 なんの予兆もなく、突然ミスラに向かって一直線に魔法が放たれた。ブラッドリーや双子は一目散に距離を取り、ミスラは難なく魔法を防ぐ。その直後、ミスラは魔法で弾かれ片手で捕まえていたクララから手を離した。重力に従って落ちていくはずだったクララの身体は空中でふんわりと浮き、次の瞬間には真白な外套に包まれてオーエンの腕の中に居た。

 片腕でクララを抱えたまま、オーエンは左右で色の違う目を細め、鋭い視線をミスラとブラッドリーに向けた。


「これは僕のだよ。勝手に触らないで」


 いかにも不機嫌で、不愉快な思いをしたオーエンが目の前のふたりを睨みつければ、ブラッドリーが面白げに口角を上げた。


「へえ、随分とその魔女に執着してるじゃねえか」


 珍しいものを見た、とニヤニヤとした笑みを浮かべるブラッドリー。不機嫌なオーエンとオーエンに守られるように抱えられたクララを交代に視線を向ければ、クララに視線が向いた瞬間、身体を逸らして少しでもクララを視界に入れさせないように庇うオーエン。その様子を見て、ブラッドリーはさらに笑みを深め、オーエンは眉根を寄せる。

 ブラッドリーとミスラにひとりずつ視線を送り、魔道具のトランクを出現させる。それに応戦するようにふたりもそれぞれの魔道具を出現させた。流れる空気は不穏そのもので、いつ爆発して殺し合いが始まるか分からない。此処に他の誰かが居れば冷汗を流し、息を飲んで、顔を青ざめただろう。しかし此処に居るのは右から左まで全員北の魔法使いたちだ。動揺することなく、今にも戦闘を始めようとする三人を双子が改めて仲裁する。此処で戦闘をすれば魔法舎は甚大な被害を受けるだろう。今すぐやめなければ最終手段としてオズを呼ぶ、と言えば嫌そうな顔をして仕方なくブラッドリーとミスラは魔道具を納める。興が削がれた、と戦意が無いことを確認してからオーエンも魔道具を納め、腕に抱えたクララを抱えなおす。


「ふん、《クーレ・メミニ》」


 そのまま後ろを向いて呪文を唱えれば、次の瞬間には煙のように姿を消した。

 姿を消してしまったオーエンを背に、双子が改めてふたりに手を出してならないと口うるさく注意を口にする。お説教をされているブラッドリーは面倒くさそうに舌打ちをして、ミスラは他の事に気を取られて全く聞いていない様子だった。そんなミスラが、ふと言葉を零した。


「あの魔女、ほとんど魔力を感じませんでした。本当に魔女なんですか」


 クララを魔女であるのかを疑うミスラ。

 クララ本人の魔力は全くと言って感じ取れなかった。それは染みついたオーエンの魔力が覆って邪魔をしているせいでもあるが、そんな仄かな魔力ですら隠れてしまうなんて、魔力が無いのに等しい。ミスラが言った通り、魔女として存在が成立できないほど、クララの魔力は無かった。

 ミスラに回答を求められたスノウとホワイトは、お互いに視線を交わしそっと視線をそらしながら、そうじゃの、と口にするだけだった。



◆ ◇ ◆



 すとん、地に足が着く。

 視界に広がった景色は外だった。どうやら魔法舎の中庭に転移したようだ。抱えられた状態のままオーエンを見上げれると、明らかに怒った表情でこちらをじろりと睨みつけるように見下ろしていた。


「おまえ、近づくなって言っただろ」
「近づいてないよ、向こうから来たんだもん」
「だから嫌だったんだよ」


 ため息をつきながら吐き捨てるオーエンに、クララは唇を尖らせて頬を膨らます。クララはオーエンとの約束をしっかりと守り、近づかないようにしていた。しかしひとりになった途端、向こうからやってきたのだ。向こうから来てしまえば、いくら約束を守ろうとしたところでどうしようもない。

 中庭にある大きな木まで来ると、オーエンは背を預けるように座り込んだ。座り込んだ足の間にクララを下ろし、お腹に両腕を回して小さな肩に凭れ掛かる。その状態のまま、無言の時間が通り過ぎる。木陰のなか気持ちのいいそよ風を受ける。反応を示さないオーエンをそのままに、クララは両手で抱えていた絵本を膝の上で開く。すると、肩に凭れ掛かったオーエンが少しだけ顔をあげてそれを覗き込んだ。


「なに、それ」


 ルチルから貰ったのだと答えれば、オーエンはふーんと相槌を打つ。興味がなさそうな反応だが、視線は絵本に向けられている。ページをめくると、ルチルの言った通り様々なお菓子が描かれたページが延々と続く。どこかで見たことがあったり、全く見たことの無い創作お菓子。どれも甘そうなお菓子ばかりが描かれている。「これ、美味しそう」後ろからオーエンが絵本に描かれたあるお菓子を指さして言った。確かにとびきり甘そうで美味しそうだ。今度作ってみる、と言えば作れるの、と返される。勿論、と自信満々に応えると、オーエンはニコリと笑ってやった、と機嫌良く喜んだ。

 視線を絵本に戻して、ぺらぺらと捲る。すると、後ろから覗き込んでいたオーエンが再び肩に凭れかかってきた。先ほどよりも体重を預けられ、少し重い。「オーエン、眠いの?」反応は無い。少しずつお腹に回された腕の力も無くなっていく。疲れてしまったのだろうか、としばらくオーエンの様子を伺っていると、ひょこりとオーエンが顔を上げた。


「あれ、クララ?」
「え?」


 気配が、雰囲気が、変わった。

 顔を上げたオーエンの表情はあどけなく、両眼を丸く見張ってこちらを見下ろした。声色も普段よりも高く、言葉遣いが少したどたどしい。まるで幼い子供に逆行したよう。


「わあ、クララだ!」


 オーエンは花が満開に咲くように笑顔になって、力いっぱい嬉しそうに正面から抱きしめてきた。加減のない勢いで、思わず倒れてしまいそうになった。

 昔のオーエンだ。昔の、出会った頃のオーエンそのものだ。なぜ突然、なんの前触れもなく昔のオーエンに戻ってしまったのかは分からない。見当もつかない。まるで、一瞬でオーエンの時間だけが逆行したよう。突然人格が入れ替わってしまったようだ。

 少し動揺しながらオーエンの背に腕を回して受け止める。クララにしては、どちらのオーエンも大好きなオーエンに変わりはない。

 抱きしめていた身体を離して、あのねあのね、と話を聞いて欲しい子供のように言葉を繰り返す。「僕、騎士様に会えたんだよ」騎士様、というのはカインの事だろう。嬉しそうにするオーエンとは反対にクララは少し気持ちを沈め、相槌を打つ表情も硬い。嬉しそうにオーエンは続ける。騎士様が僕に会いに来てくれた、騎士様が僕を迎えに来てくれた、クララが連れ出してくれたおかげで会えた、ありがとう。頭の中に騎士様がいっぱいなのが嫌でもわかる。普段のオーエンは昔の記憶がおぼろげで覚えていなかったが、今のオーエンは昔のオーエンそのものだから、連れ出した時のことも鮮明に覚えている。約束をしたわけではない。魔法使いは約束をしない。約束は心に誓うものだ。約束を破ることは、心を裏切ること。心で魔法を使い魔法使いが心に嘘をつけば、神秘の力は従わない。約束を破れば、魔力を失うのだ。だから魔法使いは約束をしない。それはクララも同じだ。だから『約束だ』と口にしなかった。けれど、今のオーエンは約束ではなかったとしてもそれを信じて一緒に来たのだ。それを裏切ることは、オーエンを傷つけることにつながる。それはクララの望むことはではない。

 頬を染めて嬉しそうに騎士様の話をするオーエンに、クララがぽつりと呟いた。


「もう、アタシはいらない・・・・・・?」


 騎士様が現れたということは、つまりはそういうこと。あの言葉はそう言った意味が入っていた。『騎士様が来るまで』と確かに口にしたのだから。

 クララの言葉に、オーエンは目を丸くしてポカンとする。クララの言葉を理解できていないようだった。


「クララ・・・・・・どこか行っちゃうの・・・・・・?」


 オーエンの言葉に首を振ることも頷くこともせず、視線を逸らして曖昧な反応を示す。途端、オーエンは顔を歪めて今にも泣きそうな表情を浮かべた。縋りつくように抱きしめて、隙間がないくらいギュっと力がこもる。


「クララがいなくなっちゃのは、もっとやだ・・・・・・」


 ぐりぐりと肩口に頭を押し付けて、駄々をこねるように言う。少し笑いながら「騎士様よりも?」と聞けば、悩むように唸ってから「クララも一緒が良い」と我儘なことを言った。そういう欲張りなところも、オーエンの好きな部分だ。


「クララはずっと、僕と一緒にいてくれるよね?」


 少しだけ身体を離して、不安げな表情を浮かべながら覗き込んでくる。迷子の子供みたいに。
 そしてクララは、オーエンを連れ出した日と同じように言った。


「うん。ずっと一緒だよ、オーエン」