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ベリージャムと蜂蜜


 また悠久にも似た時間が過ぎ去ってく。

 辺境の北と西の狭間にあるここでは、新たな時代など関係ない。北の国は永久凍土に閉ざされた停滞した土地だ。一方西の国は、どの国よりもめざましい変化を急速に遂げて行った国だが、辺境の地まで行き届けるのは難しい。時代に囚われることなど、此処ではなかった。

 変わったことと言えば、オーエンが<大いなる厄災>を押し返す役割を担った賢者の魔法使いに選ばれたことくらいだろうか。賢者の魔法使いは、各国から四人ずつ無作為に選ばれる。身体のどこかに百合の花の紋章が浮き出たのなら、それが証明だ。オーエンは舌に紋章が刻まれた。刻まれる瞬間は焼けるような感覚がするらしく、舌を焼かれる激痛に悶えたオーエンを鮮明に覚えている。刻印を剥がそうとして舌を容赦なく切った記憶も新しい。一般的に役割から逃れることはできず、魔力が著しく弱ると解放されると言われている。つまり、死ぬまで解放されないということだ。役割から逃げようとすれば、世界中の魔法使いと人間を敵に回すことになる。世界を破滅させる<大いなる厄災>を押しのける使命は、どちらにとっても生きるために無くてはならないのだ。よほどの破滅願望が無い限り、役割から逃れようとする魔法使いはまずもっていないだろう。オーエンもさすがにそれらすべてを敵に回す選択はしない。ひどく不服そうにしていたが、それ以来一年に一度、襲来する<大いなる厄災>を撃退しに出かけた。オーエンが選ばれて最初の襲来は酷く不安になったが、かすり傷一つもなく難なく帰ってきたオーエンを見てほっと安心した。

 オーエンが<大いなる厄災>の襲来で一日家を空けるのは一年に一度だけ。それ以外はいつも通り過ごしている。とくに変わったことも無く、いつも通りお店を開いて、お菓子を売ったり新作のお菓子を考案する。

 そんなある日だった。
 
 午後に少し出かけてくると言って出ていったオーエンを見送ったあと、夕方になってそろそろ店を閉めようとした時だ。ベルを鳴らして入ってきたのは、正面から帰ってきたオーエンだった。クイっと帽子のツバを掴んでいる。


「おかえり、オーエ・・・・・・」


 なんら変わり映えしない、いつも通りの動作で帽子のツバを持ち上げて、顔を上げた。帽子で隠れていた表情は、愉しげに目を細め、妖しげに口端を上げて薄っすらと笑みを浮かべていた。


「ただいま」


 笑ったオーエンの瞳は、片側だけ蜂蜜みたいな色に変わっていた。

 上機嫌に声を上ずって挨拶をするオーエンとは反対に、クララは口をぱくぱくと魚のように開けて、愕然とオーエンを見上げていた。その様子が面白くて、オーエンはさらに愉しそうに笑みを深めた。


「え、な、なんで・・・・・・!?」
「ふふ、いいでしょ。中央の騎士様と交換したんだ」
「へ?」


 呪われてしまったのか、と顔を一瞬青ざめたが、オーエンはニコニコしながら何でもないように交換したのだと答えられ、思わず素っ頓狂な声を上げる。

 話を聞いてみると、出かけた先から帰る途中でなんとなく中央の国を寄ってみると、そこで中央の国の騎士を見つけたのだという。箒の上から見つけた騎士はオーエンの理想通りで、騎士団長を務めていた実力のある騎士であったらしい。それに加え、魔法使いでもあったという。でも騎士は魔法使いであることを隠していたみたいだ。オーエンはその騎士が気に入って、ちょっかいをかけた流れで自分の瞳と交換し、えぐり取ってお互いにはめ込んだらしい。オーエンの右目に嵌っている蜂蜜色の瞳が、その騎士の瞳だという。その騎士の右目には、オーエンの真っ赤な瞳が嵌っているのだろう。

 良いでしょう、と自慢げにするオーエンに両手を伸ばして、じっくりと瞳を見上げる。うーん、といかにも不満げに唇を尖らせた。


「なに。気に入らないの」


 自分が気に入ったものを気に入ってもらえず、オーエンは拗ねた子供のように不服そうにする。それはクララも同じだった。


「アタシ、オーエンのベリージャムみたいな真っ赤な瞳がすきだったのに・・・・・・」
「は?」


 ムッとして不満げにそっぽを向かれた。オーエンは目を見張って思わず調子はずれの声をこぼしてしまう。相変わらずそっぽを向いて唇を尖らせたまま一向にこちらを向いてくれないのに、居心地悪そうにしながら蜂蜜色も悪くないだろ、と弁明するように小さく呟いたが、意味はなさず、さらに頬を膨らまされた。思わず舌打ちをしてしまいそうになる。返さないの、と今度は残念そうに眉尻を下げて聞いてくる。強請られてキュッと唇を噤んだが、オーエンの方が根負けした。「・・・・・・気が済んだら、返す」仕方なさげにさらに声を小さくしてぼそぼそと呟けば、無邪気に笑って頷いてくる。ふん、とため息を落とすように息を吐いた。


「でも、そっか・・・・・・騎士様を見つけたから、オーエンもついに出てっちゃうのか・・・・・・」
「・・・・・・は?」


 寂しくなるなあ、と肩を落とすクララとは反対に、オーエンは二度目の的外れの声を零した。なにを言っているんだ、とでも言いたげに見下ろしてくるオーエンを不思議そうに見上げるその反応が、オーエンの機嫌の急降下を助長させる。鋭く睨みつけてくるオーエンに戸惑っていると、問い詰めるように一歩また一歩と着実に追い詰めていく。


「いつ、僕がそんなこと言ったよ」
「オ、オエーンが此処に来た時だよ・・・・・・」


 さらに眉間にしわを寄せて、記憶をたどっていくか、オーエンにその記憶はない。オーエンは昔のことをあまり覚えていない。クララに連れられてここで暮らすようになった流れは覚えているものの、細かなことは思い出せず、あやふやだ。助け船をだすように、昔のことを覚えていないオーエンにその時のことを説明する。
 オーエンを見つけたとき、すぐさま此処を出て一緒に暮らそうと持ち掛けたが、オーエンは頑なに頷かなかった。騎士様が来るから、と何度も口にして一緒に来てはくれない。それでもオーエンをその場から連れ出したかったクララは、慰めるように言った。「じゃあさ、その騎士様が来るまでで良いからさ、一緒に暮らそうよ。それまではアタシが騎士様の代わりに守ってあげる」約束をしたわけではないが、そう言って連れ出した。だからクララは、いつかオーエンが望んだ騎士様が現れたら此処を出ていくのだと思っていたのだ。

 黙って聞いていたがオーエンだが、当然そんなことを言われた記憶も、そもそもそんなことがあったのかさえ思い出せない。治まらない苛立ちのまま、冷たく言いつける。


「じゃあなに。おまえはさっさと僕を騎士様に押し付けて、出て行って欲しかったってわけ?」
「そんなわけないでしょっ! オーエンのバカっ!!」
「ばっ・・・・・・! はあ?」


 カッと顔を真っ赤にして怒ったクララに、勢いのまま大声で暴言を吐かれる。それに驚きながらもオーエンも苛立っていく。

 怒りに任せてクララは暴言を交えながら立て続けに言いまくる。どうしてそんなこと言うの、オーエンの意地悪、ずっと一緒にいたいのに、騎士様なんて来なければいいとずっと思っていたのに、自分にはオーエンしかいないのに。怒りながらポロポロと大粒の涙をこぼして子供のように泣き喚くクララを目の前に、オーエンは苛立っていたことなんて忘れて、ただただ目の前の状況に戸惑った。どうすればいいのか分からず、あちらこちらに視線を泳がせる。それで勝手に治まってくれることなどなく、延々と泣き続けられ、思わず苦々と舌打ちをした。


「ああ、くそ・・・・・・っ」


 纏った外套を掴んで乱暴に投げつける。顔面に直撃して少し痛いと思いながら顔を覗かせると、そのまま片腕で持ち上げられ腕に座らせるように抱えられる。次には帽子も頭に乗せられ、自分には大きすぎる帽子のせいで深くかぶりすぎてしまう。オーエンの行動に驚くが、そちらに気をやっている余裕はなく泣きじゃくって両腕を首に回して自分からも抱き着く。はあ、とため息をついて、空いた片手で小さな背中を撫でる。
 しばらくたってちらりと視線を向けてみるが、未だに泣いているようでギュッと首に回された腕の力が抜けることは無い。いい加減泣き止めよ、と言い放ってみるが反応は一切なく身動きすらしない。それにオーエンは大きなため息を吐いた。


「出てなんて行かないよ」


 実際、此処から出ていく気なんて毛頭なかった。

 耳元で小さく呟かれた言葉に、ようやくぴくりと動き出す。まわした腕を緩めて、オーエンを覗き込んだ。


「ほんとう・・・・・・?」
「ホント」


 子供に言い聞かせるように、同じ言葉を反復する。そうしてようやく、安心したように笑みを浮かべる。単純だな、と内心で思いながらも、泣き止んだことにほっと安堵する。前から自覚していたが、どうやらクララに泣かれるのは苦手なようだ。目頭に溜まった涙を、紋章が刻まれた舌で掬いとる。温かいそれは、溶けたシュガーみたいに甘かった。