宇宙一嫌いな君




俺はモーツァルトが嫌いだ。
彼が紡ぐメロディはどれも名曲として世に出回る。
そしてそんな彼は周りの環境、世界に愛された。


俺とは正反対。

俺の音楽はいつだって不安定で、グラグラしている。大好きだった筈の作曲が趣味では無くなってしまった時から、音楽を創り出す事に恐怖を覚えた。飛び立つような恐ろしさが込み上げてくる。耳には不協和音ばかりが鳴り響いていて、恐怖が胸の底で蠕動するのだ。


俺は名字名前が嫌いだ。
彼女もモーツァルトと同じだから。


でも少しは感謝をしている。
俺の妹がアイドルを目指すきっかけを作ったのは紛れもなくあいつだから。

テレビの中で、キラキラした笑顔を振りまきながら愉しそうに歌う名前を、ルカは自らの描く遠い夢を見るようにうっとりと眺めていた。それから彼女は人が変わったように明るくなったし、俺だってそれを見て強い喜びを感じた。


でもやっぱり名前は嫌いだ。
だって非の打ち所が無いから。

「書きたくなったら書けばいいんですよ。誰にだってスランプなんてありますから」

朽ち果てた俺に優しく手を差し伸べた名前の笑顔が、あの時の俺には強烈な恐ろしさでしかなかった。
この世の不平等さに気付かされたから。底辺を彷徨っている俺の近くにはこんなにも神々しい天才がいる。
その手をはたき落としても尚、あいつはその真っ直ぐな深海の瞳で俺を射抜くのだ。"何も恐れる事無い"と言うように。


出来れば出会いたくなかった。
テレビの中だけの、理想の存在だけで良かったのに、彼女は俺の前に現れた。


「俺が居なくても、お前がいるからknightsは成り立つよ」
今までのknightsの曲はこの俺が作っていたのに!

「貴方がいなきゃ騎士達は何を守ればいいか分かりませんよ」

どうせお前だって、俺の事を必要としていないんだろう!綺麗事ばっか言って!煩い!黙れ!
どんどんと俺は駄目な人間になっていく。
嫉妬と欲望と不安と無気力の中で俺は必死にもがき苦しむ。











「レオさん」
世界一嫌いな声が鮮明に聞こえ、思わずはっと、目を覚ます。



夢だった。



「魘されてたよ」
人形のように固まった首を声のする方向に動かせば、彼女はピアノの椅子に座って此方を眺めていた。
「俺、寝てたんだ」
「音楽室に来てみたらレオさんが床で横たわってたから」
また奇行途中に疲れて寝ちゃってたみたいだね、とトーンを変えずに話す名前をもう一度見遣る。

気を使って電気を点けずにいてくれたのだろう。
真っ暗な音楽室には、分厚い薄暗い灰色の雲の明るさだけが射していた。

その僅かな光が丁度名前にかかっている。
初めて会った時よりもバッサリと切られてしまった御伽噺に出てくる王子のような輝くベージュの髪は何かの決意の現れだろうか。同じ色の長い睫毛は、重そうに垂れて下を向いている。深々と閉ざす睫毛の隙間から薄青い瞳孔がジロリと此方を向いた。

「私の夢でも見ちゃいましたか?」
「...オマエの名前呼んでた?」
「うん」

それは嘸かし最悪な夢だったんだろうね、と自傷的に笑うその顔は何処かの皇帝と重なるものがあり思わず身震いした。

「レオさん如何にも私の事嫌いって顔するんだもん。露骨でへこむよ」
「別に嫌いじゃ無いって」

またこうして嘘をつく。
夢の中ならこいつに何たって言えるのに。悪態つけるのに。目の前にすると怖気付いて何も言えないんだ。本当に俺は駄目な奴。



「私はレオさんの音楽が凄い好き」
「嫌味?」
「なんでそうやって怒るの?本当の事なのに」

切なげに眉を下げて無理矢理笑う名前を見て、また心臓が締め付けられそうになった。こんなに俺を想ってくれているのに、何で俺はこいつがこんなにも嫌いなんだろう。


「でもそのちょっと捻くれたレオさんが、多分本当の月永レオなんだなって思ったらちょっと嬉しいかも」
だってあのいつもの可笑しな裸の王様のレオさんはもう一つの創られた人格にしか見えないから、と静かに口角を上げる名前は俺から視線を外して、棚から楽譜を漁り始めた。



「オマエといると調子が狂うんだよな」
「でもそれが正常なレオさんなんじゃないかな」


まあ、分からないけど。とグランドピアノを立てかけ始める彼女を背に音楽室を出る。


「レオさん、私の事が嫌いなら毎日音楽室来なきゃいいのに。
それじゃあまるで私に会いに来てるみたい!」




名前がそう言った。絶対にそう言った筈なのに俺はまた聞かなかったフリをして逃げる。
そして明日もこの時間に音楽室に来るだろう。
世界一嫌いな彼女に居場所を求めて、縋るんだ。世界一嫌いな筈なのに世界一心地良いそこに。