不協和音

時計の無機質な音だけが部屋中に響く。
逆にこの定期的なリズムが嫌に反響して鬱陶しい、と苗字は耳朶を抓った。

彼女が朝出社してからこの黒革の椅子に座って何時間経っただろうか。
お昼は木之本がドラミちゃん弁当を買ってきてくれたから朝8時からオフィスの外へは1度も出ていないということになる。

因みにドラミちゃん弁当を電話で注文した木之本は人生で一番恥ずかしかったと苗字へ態々報告をした。

兎に角この部屋を出たのは4.5回お手洗いと一服しに立った時位という事だ。それに気付いてしまった瞬間、彼女は思わず無意味に椅子から立ち上がる。


「考えただけで急に酸素が足りない気がしてきた」


さて、無機質なリズムを刻む元を視線で辿れば23:58の文字。


「怖い。時間の流れがこの頃怖い」
「俺何日家に帰ってないんだろう」
「そして終わらないこの仕事量、怖い」



向かいに座る木之本と隣で半分船を漕いでいる柳瀬は揃って目の下に青白い影をつくっている。
あまりにも形の整った隈に苗字は思わず吹き出すが、スマートフォンの液晶に映る己の目の下にも同じものが現れていて彼女は背筋を凍らせた。


苗字が第三班の壊滅的な容姿の惨状を払拭する為にもパソコンの嫌な光から暫くぶりに目を背けてみると、辺りはもう真っ暗になっていた。
ガラス張りの窓の外は、ビルのキラキラとした人工的な明かりで広がっており、彼女が日本に帰ってきたことを改めて実感するには充分すぎる光景だった。


「まじ眠ぃ」
「仮眠室でゆっくりしといで」
木之本がデスクでコンビニの蕎麦をつつきながら欠伸を噛み殺している最中の柳瀬に視線を送る。

「いや、まだここにいます!仕事ちゃちゃっと頑張って先輩達と同じ地位まで登りつめてやるッスよ」
「社畜の鑑ね」

俺偉いっすか?と柳瀬が隣の上司に輝いた目を向ければ一定のトーンで「まあね」とだけ返ってきた。言葉のキャッチボールにならない二人を見て、飼い主に構ってもらえない犬のような絵面を木之本は錯覚した。

「まあ苗字も来年には警視だしな」
「あの降谷って人も警視ですよね」

早くあんな奴抜かして出世しちまいな!と割り箸を振る木之本に、「それは何か、あれだな嫌だな」と苗字は真顔で静止する。

「柳瀬は暫く出世はないな」
「警視庁の風見って人よりは上っすよ」
「能力はどう考えても柳瀬の方が下なんだよな」
「木之本さん、てめえ...!」


負け確の柳瀬とヤクザ宜しく木之本の熱きバトルに苗字が釘付けになっていると、真ん中のデスクの電話が鳴った。



部屋の中が静寂に包まれる。





全員がその電話を見つめ空気は一瞬で張り詰めた。




公安部の中には「出てはいけない電話」というものがある。






人知れず国内の過激派・テロ組織などを監視し、犯罪が起こる前に取り締まる部署である公安では、組織潜入や組織監視業務において、活動内容は同じ警察官でも限られた人しか知らない。


「出てはいけない電話」とは、危険な団体等に潜入している捜査官が、緊急時にかける専用回線だ。
その電話が掛かってくる電話機器こそ、この真ん中のデスクにある普段使われていない子機。

この子機が着信を受けた場合、誰も応答してはいけない。電話の相手が話せない状態にかかってくる回線だからだ。

電話に応答しない代わりにコール数で状況を判断しなくてはならない。
コール1回は危険な状態、コール2回は応援を要請など、暗号になっている。



今かかってきたコール回数は2回。
つまり応援を要請している状況である。
何かに巻き込まれたか追われているか、考えられる状況は何れにしろ最悪なものだ。



「柳瀬、発信端末先の特定」
「...、了解」
さっきまでふざけていた三人は顔を顰め素早く立ち上がった。

「木之本は警視庁に連絡」
「了解。発信端末先報告待機」

冷静に、冷静にねと苗字が二人に声を掛ける。
初めての事態だがここで慌てれば本末転倒である。



警視庁公安部にも同様のコールが鳴り響いているだろう。急いで視庁と察庁の玄関口でもある公安部に電話を掛け、警視庁の数名にも合流するよう呼び掛ける。



「第三班インカム付けて待機。第一班出動態勢完了、柳瀬は発信源の特定まだか!?」
「出ました!番号0521。繰り返します、番号0521。場所の特定お願いします」
「私がやる」

苗字が右耳にインカムを付けながら、GPS装置を起動させる。その後ろで電話発信源のナンバーを調べていた木之本が目を見開いた。

番号0521。
この番号は紛れもない彼のことを示す。
パソコンに打ち込みそこに出たパーソナルデータは、






「降谷零」





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