頼みごと


 零の専属の医師の拠点は、現場から車で十数分走った先にある小さな平屋だった。

いつの間にか意識を手放していた零を見た相澤は酷く焦りを感じていたが、医師の手に渡り治療が始まった様子を見て、ようやくホッと安堵の息を零した。

リビングらしき部屋に、久我と相澤二人が残される。重苦しい沈黙が流れる中、最初にそれを破ったのは久我の方だった。

「…イレイザーヘッドさん。僕と少しお話しませんか?」

彼の誘いに、相澤は首を縦に振る。久我はさも自宅かのようにキッチンへ行き、飲み物を作り終えるとテーブルの上にのせ、手招きしてソファへと座らせた。

「正直驚きました。…まさかあの朧が、誰かとチームアップをとるなんて…。以前からお知り合いだったんですか?」

久我と零の関係性は、ここにくる道中で軽く聞いていた。なんでも隠密ヒーローである彼女に、警察庁の工作員を束ねる彼が直に仕事を依頼しているらしい。

こうして照明の下でまじまじと久我を見れば、歳もまだ若く、顔立ちも整っているのが同性でも分かる。青い瞳、金色の真っ直ぐな髪、そして褐色のある肌は、とても工作員とは思えぬ目立つ容姿だと思いつつ、相澤はそれに応えた。

「いえ、知り合った…というより、まともに会話をするようになったのすらごく最近です。今回の任務も、偶然街で遭遇した時、俺が勝手にチームアップの要請を申し出ました。」

ハッキリそう告げると、久我は“そうですか…”と呟いて顎に指を絡める。そんな彼に、今度は相澤から言葉を交わした。

「自分から志願しておいて、彼女をあんな目に合わせてしまい、申し訳ありません。俺の力不足でした。」

「……いえ。そんな風には思ってませんから。気にしないでください。」

平然とそう返す久我に、相澤は現場の去り際に耳にした警察達の会話のやり取りを思い出した。


―“あぁ、見ろよ。珍しく朧が負傷してる。”

―“まぁまた治療すればすぐに使えるだろ。なんてったって、この国の中で五本の指に入る強力な治癒系の個性を持つ、専属ドクターがついてるからな。”



そう聞いた時、零が腕の中にいてくれて助かったとさえ思った。もし身軽な状態でそんな言葉を聞いたりしたら、真っ先に感情のままに連中に殴りかかっていただろう。

―“公安の人形”。

以前沢村が彼女のことを話した時に零した言葉だ。そして零が自分の体を心から心配してくれた、と喜びを感じた時の表情を思い出しては、無意識に拳を強く握りしめ、苛立った声を出した。

「……あなた方警察は、アイツの事を“道具”のようにしか、思えないんですか。」

分かりづらくはあるが、よく注意してみていれば少しだけだが表情は変わる。それに仮面をつけている時でも、時折温かみや喜びをのせる声がある。
そんな零は決して、“感情が全くない人形”でも、隠密ヒーローとしていいように使われる“モノ”でもない。

キッと鋭い目線を送る相澤に、久我は少しだけ驚いて苦笑いを浮かべる。そして言い訳をするかのように、申し訳なさ気な表情で言葉を返した。

「少なくとも僕にそんなつもりはありません…。しかし、実際あなたが言うように見ている者も、中にはいます。……あなたは、彼女の個性をご存じですか?」

「…えぇ。」

「それは、彼女の口から直接聞いたんですか?」

「そうですが、それが何か?」

“そうですか”と零すものの、久我はその事実に少しだけ動揺をみせる。
読心の個性を彼女自身が引け目に感じているせいか、零の口から直接個性について聞けた試しは一度もない。自分ですら、彼女の資料に目を通して知ったくらいだ。目の前に座るイレイザーヘッドという男は、一体彼女とどう接しているのだろうか、と不思議に思いながら、再び話を始めた。

「いえ、朧が誰かに個性を明かすというのは、相当珍しい事でしたので…。どうやら貴方には、無意識のうちに心を開いているようですね。イレイザーヘッドさん、貴方は口が堅い方ですか?」

「は……?まぁ、そうですが。」

「でしたら、今からあなたに伝えることはどうかここだけの話で留めてください。本来ならば、朧に纏わることは基本的に口外禁止としていますから。」

背筋を伸ばし、凛とした声でそう告げる久我に、相澤は“はぁ…”と力のない返事を零す。

しかしこれから彼に聞かされる話は、相澤が思っていた以上に残酷で、衝撃的な内容のものだった。


***

久我から零の素性、服部家からの扱い、そこから出来上がった今の“朧”に繋がる経緯を聞かされたあと、相澤はしばらく空いた口が塞がらなかった。

思っていた以上に、残酷な道を歩んできている零に、胸が締め付けられる。そして同時に、沢村がなぜあそこまで気にかけていたかの理由が、ようやく理解出来たような気がした。

「朧…。虚ろでぼんやりした存在の様子を意味します。彼女がそれをヒーロー名につけた意図…。もうお話しなくてもわかりますよね?」

久我のその言葉に、相澤は更に心を痛める。
憶測にしか過ぎないが、きっと零自身が自分の存在を認めていない。そう思うほどの扱いを受け、追い詰められてきたのだろう。
少しだけ自分と似ている考え方に、無意識に拳を握った。

久我はそれを目で確認すると、ふっと笑って目を伏せる。そして向かいに座る彼に、こう告げた。

「これは一個人として僕の意見ではありますが、朧が個性を自ら明かし、まだ一度とはいえ手を組んだ貴方に、恥を承知でお願いします。今後も朧を、いえ…零から目を離さないでやって下さい。」

「……っ、」

「きっと彼女は、あなたになら心を開くかも知れない。失った感情を取り戻せるかもしれない。確かに隠密行動をとる面では優秀かもしれませんが、一人の女性として見るには、あまりにも残酷すぎる。せめて普通に、自分の意思を持てるようになるくらいにはなって欲しいんです。そしてできれば、自らの意思で今の仕事を選んで欲しい。」

相澤は彼の真っすぐな青い瞳に、一瞬言葉を詰まらせた。屈託のないその眼差しは、彼自身の強い意志と彼女への想いを物語っていたからだ。
そして同時に、彼の言葉に同じような事を言った沢村の姿を思い出しては、はぁ…と大きくため息を吐き出した。

―なんでこうも周りの奴らは、朧の事を俺に頼むんだ。

思わず心の中で悪態を吐く。しかしそうは言うものの、それに返す答えはとうに決まっていた。

「俺は別に、アイツを救ってやりたい…みたいな大層な事が言えるような人間でもない。俺はただ俺自身と、お世話になった人が見たがっていた、あいつの笑顔を見届けてやりたいだけです。」

久我は相澤の言葉に、酷く驚かされた。
自分の出した頼み事に彼は“違う”と否定しているものの、結果として宣言した内容自体は、ほとんどそれを満たしているに等しいものだ。

「…なるほど、屁理屈が得意のようですね、イレイザーヘッドは。」

「…え?」

「いえ、何でもありません。あなたのお気持ちはよくわかりました。この話はこれでお終いにしましょう。それからくどいようですが、朧本人にも、それ以外にも他言無用でお願いしますよ。」

「わかってます。」

何度も同じ事を言うな、と言いたげにムスっとしている相澤に、久我は思わず笑みが零れる。

久我という男の中には、彼女を救ってやりたいと願う個人的な感情を持つ自分と、また、国を守るために今のままの朧を必要としている公安としての立場を貫く二人の人格がある。

これまで葛藤してきたその複雑な感情は、どうやら相澤のおかげで少しだけ気が休まりそうだ。

久我は相澤から目を逸らして天井を見上げては、ふっと静かに目を閉じた。




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