再会


 二人が沢村の前で誓いをたてて数日後。特に何ら変わりない日常を送っていた相澤は、ふと夜空を見上げた。

月を見ると、先日初めてお目にかかった朧の素顔を連想させた。実際あんな約束をして何か変わったわけではないが、どことなく彼女といつでも繋がっているような気がした。

ただ今思い返せば、自分のとった行動を不思議にすら思う。
沢村から聞かされた朧の情報はそう多くはなかったものの、あの時偶然にも遭遇した零を少しでも変えてやりたい、という気持ちが沸きだって無意識に出た言葉だった。

失った友人と同じ名のヒーロー名。
それなのにほぼ対称的と言っていい存在に、何か強く魅かれるものがあったからなのか、それとも単純に、感情の欠けた彼女を哀れにでも思ったのか…。いくら考えても理由は分からない。それでも自分のとった行動に、不思議と後悔はしていなかった。

 「くっそぉぉ!なんだありゃ!化け物だぁ!!」

ふと耳にした、恐怖に満ちた声。その声と共に徐々に近づいてくる足音の方向に目を向けては、一人の怯えた表情をした男の姿が視界に映る。

一体何に怯えているのか見当もつかない相澤は、ひとまず彼に話を聞こうと口を開けた、その瞬間。
チリン、という鈴の音を耳に掠めたと同時に、突然男の頭上に人影が現れる。男はあっという間に地面に叩きつけられ、怯んだところで自由を失った。

  「逃げられるわけないだろ。大人しく観念しろ。」  

男の上に覆いかぶさり、鞘に収まったままの日本刀を後ろ首に押さえつけて身柄を拘束しては、そう吐き捨てる。
その人物が零であると認識した相澤は、小さく肩で息を吐いて彼女の元へ歩み寄った。

「敵か何かに怯えている市民だと思えば…ヒーローに怯える敵だったか。」

「…えぇ。今追っている闇商人のうちの一人です。全く、逃げ足だけは速いんで、手こずります。」

相変わらず感情の籠っていない声。しかし先日素顔を知ったからか、最初に彼女を見た時に感じた威圧感は、以前よりも薄れているような気がした。
相澤がそれに何かを返そうとすると、彼女の下で必死に抵抗しようとしていた男が再び口を挟んだ。

「あんた、本当にヒーローか?!その目、その威圧感、とてもじゃないが他のヒーローと同じとは思えねぇ!!まるで…!」

相澤はハッと鼻で笑う男の言葉を最後まで聞く事もなく、首元に巻かれた捕縛布でその男の口を素早く封じる。

「…イレイザー…?」

怪訝な顔を浮かべる彼に、不思議そうな視線を送る零。相澤は男が言おうとしていたその先の言葉を、どうしても彼女には聞かせたくなかった。

「…早いところ、こいつの身柄を警察に引き渡すぞ。」

「…はい。」

零はどことなく苛立った様子の相澤に小さく返事をして、男を気絶させる。そしてポケットからスマホを取り出し、この件を担当している刑事に電話をかけた。


***


 男の身柄を引き渡した後、零と相澤は場所を移動し、人気のない屋上のビルで夜の風に浸っていた。
零は仮面を外し、素顔のままで彼の方へと顔を向ける。

「…消太さん、お聞きしてもいいでしょうか。」

「なんだ?」

「さっきのあの男の言おうとした言葉…なぜ、止めたんですか。」

「…なぜって、」

相澤は彼女の質問に、眉を下げる。正直に言えば、あの男が次にどんな言葉を吐き捨てようとしたのか、容易に想像がついたからだ。実際に零を一目見て、自分も最初にそう思ってしまったことがある。しかし今となっては、もしかしたら彼女の心を傷つけるかもしれない。と思うようになり、気づいたら既に体が動いていた。

どう説明したらいいか悩んでいるうちに、零は相澤から視線を前方へと戻し、凛とした声で奴が言おうとしていた言葉を吐き出した。

「…“まるで敵だ”。」

「…っ、」

「敵、化け物…そう言われる事なんて、私にとっては日常茶飯事です。今更、その言葉に対して心を痛めることはありません。だから消太さんがわざわざあんな事をしなくてもよかったんです。」

「…余計なお世話だった、って言いたいのか?少なくとも俺は、あんな風にお前が言われるのを聞きたくはないからな。」

少し不貞腐れた表情でそういえば、彼女は“まさか”とはっきり否定する。こちらの顔すら見ようとしない零が今どんな表情をしているのか気になりつつも、相澤は再び零す彼女の声に耳を傾けた。

「自惚れでなければ、私の事を気にかけてあんな風に動いてくださったのは、貴方が初めてだったので。不思議に思っただけです。それと…」

「…それと?」

続きの言葉を促す相澤に、零はもう一度彼を見つめた。

「優しい人だなぁ、と思いました。」

元々他人に素顔を見せないせいか、それとも表情をあまり変えないせいなのか、こうして小さく口元に笑みを浮かべる零を見ると、何だか飛び切りの貴重なものを見せてもらったような気分になる。

相澤はうっ、と言葉を詰まらせながらも顔に熱を点し、そっぽを向く。零は彼のその横顔を見ては、またひとつ微笑んだ。
一旦目を逸らして冷静になった相澤は、ふと先程彼女が零した発言を思い出し、再び視線を戻した。

「そういやお前、さっき闇商人達を追っていると言ってたな。まだ他にも対象者はいるのか?」

零はその質問をする相澤を不思議に思い、キョトンとした顔で彼を見つめる。そして真剣な眼差しを向ける彼に“えぇ。”と応えた。

「奴らも闇に潜んでいるだけあって、なかなか手強くて。半数くらいは捕らえましたが、まだあと数人居ます。」

零は少しだけ眉を下げる。相澤は心の中で、彼女から逃げようとするなんて浅はかな奴らだ、と思った。実際にこの目で見た彼女の移動速度は、人間の目では追えない程の速さだ。

しかしそこで新たな疑問が生まれる。隠密ヒーローが一体どこまで自身の事を他人にうちあけていいのかの基準は分からないが、敢えてそんな立場を気にせず訊ねてみた。

「気になってたんだが…、お前の個性ってなんだ?」

「………えっと、」

その質問に対し、初めて零は動揺した様子を露わにした。相澤はそれを見てハッとする。
やはり聞いていけなかった事だと悟っては、髪をわしゃわしゃとかきながら“すまん”と零した。

「やっぱ、立場上そう無闇に話せる事じゃないよな。」

零は酷く申し訳なさそうな表情をする相澤を見て、慌てて左右に手を振った。

「ち、違うんです。そういう事じゃなくて…」

「…?違うのか?」

不思議そうに見つめる相澤に、零はどう説明したらいいのか悩む。実際彼の言うように、隠密という立場を利用して口外しなければ話は丸く収まるだろう。しかし、あの日約束して自分の笑顔を沢村の代わりに見届けると言ってくれた、相澤だけには隠し事はあまりしたくはない。

ただ同時に、恐れてもいた。この個性を知る者は、大抵自分を避けるか蔑んだ目で見るか、の二択に分かれる。せっかくこうして話せるようになった唯一の彼を、そんな事では失いたくない。
零は、どうしていいか分からなくなり、拳をぎゅっと握り、更に眉を下げた。

相澤はそんな彼女を見て、何かほかに理由があるのだと悟る。あの人の心にズケズケと入り込み、気づいたら仲良くなるような沢村が手を焼いていただけの事はある、と思いつつ、何かと抱えている彼女の小さな頭にそっと手のひらを添えた。

「悪い。困らせるつもりは無かった。言いたくないなら言わなくていい。ふと気になって聞いただけで、大した理由もないしな。」

零はフワリと頭の上に感じた慣れない温かい体温に、顔を上げた。眉を下げた表情と彼のその声から、心の底から申し訳ないと思っている様子が窺える。この人にそんな顔をさせたくないと咄嗟に思った零は、気づけば先に口が動いた。

「“音速”なんです。私の個性…」

少しだけ力んだ零の声に、相澤は驚きつつも穏やかな表情を浮かべる。普段は大人びているように見えるせいか、必死に明かそうとしてくれた彼女は、いつもよりとても幼く見えた。

「なるほど。そりゃ目に追えない速さで動くわけだ。隠密ヒーローに相応しい立派な個性じゃないか。そんな引け目に感じる必要ないだろ。」

頭の上に乗せられた相澤の手のひらが、左右に揺れる。零はまだ明かしていない個性がある事に、複雑な気持ちになりながら、もう一度彼に告げようとした。

「いえ、実は……っ、」

しかしその時、零のポケットの中にあるスマホがタイミング悪く着信を知らせた。

相澤はその音ではっと我に返り、子供のように接していた自分が無性に恥ずかしくなって手を慌てて退け、背中を向ける。零は相澤の反対の方向に身体を向け、その電話を取った。

 しばらく彼女が電話のやり取りをする中、相澤は頭を冷やすため夜空を見上げながら風にあたる。
しかし、なるべく会話を聞かないようにしていても、徐々に零の声色が深刻な様子になっていくのが分かった。

「…問題発生か?」

相澤が静かな声でそう訊ねて振り返ると、その先には零の冷ややかな表情が目に映った。圧倒的な威圧感に吸い込まれそうになる相澤は、思わず息を呑む。少し前まで微かに色があった零の声も、最初に出会った時と同じ冷たい“朧”の声色で、その質問に返した。

「えぇ。連中が私の動きに気づき始めたみたいです。早いところ対処しなければ、更に捕らえ辛い状況になりかねない。そうなる前に終わらせろ、という指示でした。」

なるほど、と短く相澤は呟く。
零は名残惜しさを感じながら、早急にその場を去って任務を再開しようと仮面を戻す。
しかし彼に背中を向けると、“なぁ”という声に再び振り向いた。

「俺に手伝わせてくれないか、その仕事。」

「……え?」

突然の相澤の驚くべき発言に、零は一瞬緊張感を解いてしまう。真っ直ぐに見つめる彼の瞳に呑まれそうになり、慌てて目を逸らした零は、ようやく彼のそれに答えた。

「…本当に、変わった人ですね。私の仕事に自ら首を突っ込もうとするなんて。」

「……そうだな。俺もそう思うよ。」

相澤はくしゃりと苦い笑みを浮かべてそう返した。



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