-幸せの数秒間-

轟焦凍はパトロールを終えた後、急いでコスチュームから私服に着替えて事務所を後にした。

急ぎ足で歩きながら、腕時計に目をやる。
約束の時間までにはまだ余裕があり、小さく安堵の息を零した。これならさすがに自分の方が先に到着できるかもしれない、と少し浮かれた気持ちで待ち合わせ場所へと向かった。


しかし、どうやら今回も先を越されてしまっていた。
駅前の銀時計付近まで近づくと、人盛りの多いこの状況でもお目当ての人物はすぐに見つかった。
少しだけ手前で止まり、かっこ悪い姿を見られないためにも乱れた息を整える。
それから時計の真横にある噴水に腰を下ろしている一人の女性の元へと歩み寄り、そっと声をかけた。

「今日は俺の方が早いと思ったんだが…わりぃ、待たせたか?」

騒がしい街の中で自分の情けない声にピクリと肩を揺らした彼女は、手にしていたスマホから目線をこちらへと向ける。

今日こそは…と思っても、いつどんな時だって待ち合わせの時は必ず彼女が先にいてくれる。約束の時間には間に合っているものの、こうして待ってくれていた姿を見てしまった以上、罪悪感は膨れ上がった。

彼女はそんな焦凍の眉を下げた顔を見て、ふふっと声を出して笑いながら立ち上がった。

『全然待ってないよ。今日もお仕事お疲れ様、焦凍くん。』

「なまえこそ、お疲れ様。」

『ありがとう!…よし、まずは夕ご飯食べに行こう。私お腹すいちゃった。』

「あぁ…なまえは何が食いたい?なまえの好きなもん食おう。」

『えーっ、焦凍くんの好きな物食べに行こうよ。私、お蕎麦好きだよ?』

「ダメだ。いつも俺に合わせてばっかりだろ。それに俺だって、なまえの好きなもん食いてぇ。」

『…ほんっと、そういう恥ずかしい事をサラリと言っちゃえるんだから…。焦凍くんは恐ろしいよ。』


隣を歩く彼女は少しだけ頬を赤に染めながら、はにかんだ笑みを見せるから、焦凍はつられて笑った。

この柔らかい笑顔一つで、今までどれだけ救われてきたことだろう。

焦凍は半年間この心に秘めた彼女への想いを、今日こそは彼女に伝えようと強く決意を固めながら、店へと向かった。


ーーー

彼女と出会ったきっかけは、何とも情けない姿を見せた瞬間だった。
ヒーロー社会に足を踏み入れて最初の頃は、緊張とプレッシャーで肩に力が入りすぎて周りもよく見えず、個性の加減が上手くいかなかった。

そんな中、初めての災害救助の現場で事は起きた。

避難者を誘導しようと氷の個性を発動した時、救助に出ているヒーロー達を巻き込むほどの大きな氷柱を放ってしまった。

「危ねぇ…!」

“止まれ!”と心の中で叫びながらそう同時に声に出すと、なぜか個性は彼らの前で突然停止する。

誰にも被害が及ばなかった事に安堵の息を吐き出すも、自分自身も何が起こったのか全く把握できず、数秒間茫然と立ち尽くした。

すると自分が放った氷柱から、見た事もない一人の女ヒーローがひょっこり顔を出した。

『危ない危ない、間一髪だったけど間に合ってよかった…。』

その発言からして、彼女が何か手を施したのだと悟る。

焦凍はその声ではっと我に返り、彼女に尋ねた。

「……っ、悪ぃ助かった…。これ、あんたが?」

『そうだけど、でも気にしないで。私の個性、物質を一定期間“停止”する能力なんだ。なかなか便利でしょう?』

ニカッと笑って得意げにそう答え、隣にある氷柱をコンコン、と手の甲で叩く。
「あの…、」
近付いてちゃんとお礼を言おうと足を動かせば、彼女は“じゃあね!”と軽く告げてフワリと地面に降り、そのまま現場へと向かい、姿を消してしまった。
その時見た華奢な背中がなぜかあまりにも輝かしく見え、太陽のような明るい存在が強く印象に残った。

彼女がいなければ、きっと大ごとになっていただろう救助活動は、その後何事もなく無事終了した。
最後に現場から撤退する前に、どうしてももう一度会って話がしたくて探し回ったものの、この日彼女を見つける事は叶わなかった。

それから数日間、焦凍はその一人のヒーローが気になって仕事が手につかなくなり、当時の現場担当の名簿から彼女の所属事務所と名前を確認し、後日改めて会いに行った。

彼女は突然やってきた事に驚いた顏をしつつも、“謝罪なんていらないから、友達になってよ。”と陽気に笑って返してくれた。

それから時折ヒーロー活動中に姿を見かける事があり、普段からの物腰や柔らかい様子や、市民に優しく声をかける彼女の姿を見て、“ひとりの女性”として惹かれるには、さほど時間はかからなかった。

最初に出会ってから早くも半年の月日が流れ、こうして今は時間さえ合えば一緒に過ごしている仲だ。そろそろこの募った想いを彼女に打ち明け、今の関係性から一歩前に踏み出したい。

焦凍はそう言を固めて、向かいに座る彼女に話を切り出した。

「…なぁ、なまえ。」

『ん?なぁに?』

自分よりも一つ年上で、社交的で明るい性格のなまえ。ころころと表情が変わる可愛らしさと、時折隠れて落ち込んだり、寂しそうな背中を見せる様子も…いろんな表情をたくさん見てきた。

―誰よりも彼女の近くにいたい。誰よりも彼女を知っていたい。

―誰よりも、なまえを守りたい。

そう思うと今まで溜めていた彼女への想いは、案外すんなり口から零れた。

「…俺、なまえが好きだ。」

『えっ、…?』

自然と零れた想いに、彼女は大きく目を見開けて硬直した。

「俺はなまえより歳もし下だし、まだヒーローとして頼りねぇ部分もあるかもしれねえけど…でも、これから先ももっとなまえと一緒にいたい。だから俺と…」

『ま、まままま待って!』

「え、」

突然聞こえてきた彼女の気迫ある声に、思わず間の抜けた声が漏れる。なまえは何も言わぬまま腕を引き、慌てて会計を済ませては店を飛び出した。



※※※

会話もなく、強い力で焦凍の腕を引いてやってきた先は、店からすぐ近くの人通りのない海岸沿いにある灯台だった。

「…なまえ?」

焦凍は気を害してしまったのだろうかと不安になりつつ、ようやく手を離した彼女の名を呼んでみる。

なまえはほてった顏を隠すように、少しだけ彼の方を向いた。その恥ずかし気な表情が外灯の薄暗い明かりで焦凍の目に映ると、オッドアイの瞳が静かに大きく開いた。

『ご、ごめん急に…。でも、あんな公衆の場で突然“好き”なんて言われたら、顔に出ちゃって恥ずかしくて…』

「…、悪ぃ。」

焦凍は素直に謝り、顔を俯かせる。しかし今の彼女の言葉が決して自分の想いに困っているものではないと頭で理解すると、もう一度勢いよく顔を上げた。

「…なら、ここだったらいいか?」

彼女はその問いに、小さく頷いた。

「なまえが好きだ。」

彼の冷たい手のひらが、言葉と共になまえの頬にそっと触れてくる。まるで焦凍から目を逸らせないように顔を固定されたなまえは、彼の真剣な表情を見て、とくん、と大きく心臓が跳ねた。

普段からストレートに物を言う焦凍だが、その目に映る彼の表情から、今回の“好き”がどれほど強い思いなのかは十分に伝わってくる。

けれど、なまえにとってはそれを素直に受け取れない部分があった。

『待って…ほ、本当に私なんかでいいの?』

「…どういう意味だ?」

『だって…年上なのに頼りないし…、何も取り柄ないし、焦凍くんにふさわしいとは思えない…』


なまえの目から見れば、彼はNo.1ヒーローの息子という肩書もあり、これから期待されている輝かしいプロヒーローだ。
しかしその点自分はとりわけ目立つ個性も持ち合わせていないし、孤児院で育った生い立ちも正直言って引け目に感じる事すらある。

こんな人間が彼といていいものか…と不安に思う部分が強かった。
だからこそ、彼に告げられるよりももっと前に抱いていたこの好意を、ずっと打ち明けられずに隠し続けるつもりだった。

徐々に自信を無くして俯いていく彼女の言葉を聞いて、焦凍は少しだけ眉を顰め、不満の声を漏らした。

「ふさわしいってなんだよ…。っていうか“私なんか”って言うな。俺はありのままのなまえがいいんだ。」

彼の真っすぐな言葉を聞いたなまえは、声にならないほどの喜びと同時に、そこまで言ってくれる彼に、どうしても素直に応えたいと思った。

そして、なまえの口から彼の想いの返事が消えそうで震えた声で零れた。

『…わ、私も…焦凍くんが好きです。』
「…ほんとか?」
『うん…』

「…よかった。」

焦凍はくしゃりと微笑み、嬉しさに身を屈ませて彼女の口元にそっと自身の唇を触れさせた。

なまえは焦凍の突然の大胆な行動に驚き、全身の血液が沸騰しているような熱を感じた。

あまりにもの衝撃に、身体を支えていた足の力がかくん、と抜け落ちる。

焦凍はすかさずなまえの細い腰に手をまわして抱き留めると、彼女はぱくぱくと口を開閉させながら、ようやく詰まらせていた言葉を吐き出した。


『〜〜ッ、焦凍くん!!』

「…悪ぃ。嬉しくてつい…」

頬を真っ赤にさせていつもより早口で話す彼女が、どうにも可愛らしいと思えて更に頬が緩む。
なまえは焦凍のその愛おしそうに見つめる視線に気づき、更に狼狽えながら必死に声を絞り出した。

『な、なんでそんなに余裕なの?!私、自分の気持ちを伝えただけで一杯一杯なんだけど…』

「余裕なわけねぇだろ。でも、それ以上に嬉しいんだ。ようやく俺の気持ちに気づいてくれた事が…なまえの気持ちが聞けた事が。…なまえは違うのか?」

『や、違わないんですけど…』

今度は少しだけむすっと膨れる焦凍に、なまえは困惑する。
なぜならいつもの性格からは想像つかない程“男”の強引さを見せてくる彼に、もはやどうしていいのか分からない。

しかしそんな戸惑っている隙に、気付けば彼の顔が再び近づいてきていた。

オッドアイの綺麗な瞳、サラサラで真っ直ぐな髪と整った顔立ちから、なまえは目が逸らせない。

“なまえ…”と小さな声で名前を呼ばれる度に、心臓が飛び跳ねて体全体が麻痺するような感覚が走る。

心臓が破裂してしまいそうな程、どくん、どくん、と自身の心臓の大きな音が聞こえるこの状況に、なまえは焦りを感じて目をぎゅっと瞑り、近づく彼に向けて咄嗟に個性を発動してしまった。

『あ、』

ピタリと動きを停止した焦凍を前に、思わず間抜けの声が漏れる。

しかし、本来対物質に効果がある能力だ。人間相手ではそう長く続くものではない。

ものの数秒で効果が切れてた焦凍は、驚いた顔をしては直ぐに自分の身に何が起きたのかを理解し、不機嫌そうな表情を浮かべた。

「…なまえ。」

『ご、ごめん!あまりにも動揺しすぎて個性を…』

「…嫌ならちゃんとそう言ってくれ。」

『いや、嫌じゃなくて…その、本当に恥ずかしくて…、し、心臓が持たない!!』

仮にも一つ年下の彼に、ここまで動揺していいものかと情けなくなる。

両手で顔を覆うようにしたなまえに、焦凍は少しだけ考える。

そして遮る彼女の両手に触れ、その表情が見えるように優しい力で引き離した。

「隠すなよ。…全部見せてくれ。恥ずかしがる顏も、そうやって不貞腐れた顔も。」

『…っ、』

そんな殺し文句を言われて、流石に逃がれられるはずがない。

なまえは寄り添おうとする彼にそっと身を任せて、再び口づけを交わした。

何度も相手の好意を確かめるように重ねた唇は熱を帯び、ようやく離した先に視界に映る焦凍は、はにかんだ笑みを見せた。

「…なまえ、案外こういう強引さに弱いんだな。…そういうとこ、可愛い。」

『な…ッ、!?』

「…好きだ、なまえ。ずっと傍にいてくれ。」

『うん…』

焦凍は優しい力で、もう一度彼女の全身を包み込むように抱きしめた。

なまえはどうしてもこの幸せを感じる瞬間に少しでも浸りたくて、もう一度だけ個性を発動させた。

それに気づいた焦凍は驚いた様子で見つめては、フッと微笑んで小さく零した。

「なまえの個性が、もっと長く時間が止められたらいいのにな。」

『…私も、今そう思った。』

「『…この幸せな瞬間が、ずっと続いてくれたらいいのに。』」

一字一句重なった声に互いに驚いては、そっと額をピタリとくっつけ、小さく微笑み合った。



---END



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