「はい。確かに受け取りました。新しい任務はあちらで。」
彼女は俺が提出した報告書に目を通した後、淡々とした口調でそう言うと、右手を差し出して俺の行くべき先を示した。顔も綺麗に整っていて色も白く淡々と仕事をこなす彼女はまるで機械のようで、俺はどうしてもその凛とした顔を崩してやりたいと思っていた。
「さすがにあいつは無理だ!」
陽も暮れ始めた上忍待機所。彼女はどんな子だ、とアスマに聞けばそんな答えが飛んできた。
「なんだ、カカシああいうやつタイプだったか?」
「いや、なんか気になってさ。」
「ふうん。あいつはなー、仕事中も愛想無いだろ?」
「ああ、壁がある感じだよね。」
「壁っつーか、人間嫌いなのか知らないが、仕事終わりも愛想無いんだよ全く。一度飲み会に誘ったことがあったが、遠慮しておきますの一点張り。顔は良いんだから笑顔振りまいときゃ良いのによ。」
口に咥えた煙草を上下に揺らしながらアスマはそう悪態をついた。きっと美人な彼女のことだ。男に誘われるだなんていつものことで、こんなおっさんなんて相手にしてられないとでも思ったのだろう。
「彼女の名前は?知らない?」
「あー、なんてったっけなあ。・・・アイリ、だったかな。」
「アイリちゃん、ね。」
アスマから曖昧に発せられた名前を俺は復唱した。しっかりと頭に刻み込むように。
陽も落ち、そろそろ帰るかと席を立つと、目線の高さになった窓からあの彼女の姿を見つけた。きっと彼女も帰宅時間なのだろう。アスマに別れを告げ、足早に彼女の元へと急いだ。
「アイリちゃん」
先程聞いた彼女の名前を投げると、彼女は表情ひとつ変えずにこちらを振り向いた。
「・・・」
「・・・あれ?アイリちゃんじゃなかった?」
そう聞いたんだけど。と、にこりと笑うと彼女の眉が少し歪んだ。
「・・・そうですけど。何か?」
「用ってほどじゃないけど。仲良くなろうかなってね。」
「結構です。」
彼女はぴしゃりと言い放つと、さっさと歩き始めた。知らない人には付いて行ってはいけません、と母親に言われた少女のようだ。これじゃあ、俺は不審者じゃないか。俺は慌ててその背中を追う。
「待って待って。俺のこと知ってる?」
「知りません。」
「じゃあさ、覚えてよ。俺は、はたけカカシって言うのね。」
彼女の足がゆるりと速度を下げ止まるのを見て、俺も合わせて止まる。正面にいる整った顔はずっと無表情のままで、その顔ににこりと笑顔を向けた。すると、彼女の目がキッと鋭く俺を睨んだ。
「覚えません。仲良くしません。付いて来ないでください。迷惑です。」
文章になることを放棄したように並べられた拒否の言葉に少したじろぐと、その隙に彼女は走ってその場を離れてしまった。
「・・・これは、強敵だねえ。」
ひとりぼそりと呟いた言葉は、虚しく空へと消えた。
****
「はい。確かに受け取りました。新しい任務はあちらで。」
彼女の働く姿はいつもと変わるはずもなく、淡々とした口調に、機械のように皆に道を示すその右手。
「今日も昨日と同じ時間に終わるの?」
「すみません。次の方も待っているので。」
俺の質問に答える気はさらさら無いようで、上げた右手はすらりと伸びたままだ。
「同じ時間に待ってるね。」
彼女の眉がぴくりと動いたのを見て、俺はそう言い残しそそくさとその場を離れた。少ししつこすぎただろうか。しかし、そうでもないと心を開いてくれないだろう。ちらりと彼女を見ると、彼女の担当する受付の列は他の列に比べて少し長いように思う。やはり彼女目当ての男も多いのだろう。誰に対しても機械的な彼女は "顔を見れる" ということ以上のことは与えてくれないというのに。
****
任務終わり、そろそろ彼女も帰る時間だと、昨日彼女と会った場所へと急ぐ。だんだんと陽が落ちて、もうとっくに彼女の帰宅時間は過ぎただろうに彼女の姿は現れない。もう帰ってしまったのだろうか。俺は、少しの諦めも込めてもう人気の無い受付に足を運ぶことにした。
受付所に近付くにつれて誰かの気配と話し声が聞こえた。女と男。女の方は彼女だろう。
「やだってば!」
扉の前に立った瞬間、聞こえた甲高い声。確かに彼女の声だ。嫌がる彼女の腕を力強く掴んでいる手は名前も知らない中忍の男だ。
「なーにやってんの。」
「は、はたけ上忍!」
素早く男の腕を力強く掴むと、案外あっさりと彼女の腕を離した。俺の名前を叫んだ男の表情はみるみるうちに青くなる。
「嫌がってる子に手を出しちゃダメでしょ。」
「ち、ちがいますよ!ただご飯に誘っただけで・・・!」
「ふうん?」
じろりと睨み付けると、よほど俺にビビっているのか男はそそくさと逃げて行った。ふう、と一息ついて彼女を見ると、先程男に掴まれていた部分を汚らわしそうに払っている。
「大丈夫?」
「嫌がってる子に手出しちゃダメでしょ。」
「ん?」
「昨日のあなたに聞かせてやりたいと思いまして。」
「ひどいなあ。助けてあげたのに。」
こちらを見ようともせずそんな嫌味を言いはなった彼女に苦笑すると、彼女はちらりと目線だけこちらに向けた。
「あー・・・でも・・・あ、ありがとうござい、ま、す・・・」
すると、蚊の鳴くような声でそう言ったのだ。
「はは。アイリちゃんは素直になった方がかわいいんじゃない?ま。アイリちゃんは何していてもかわいいけどねえ。」
なんだかとてもかわいく思えてきて、そんなことを言ってみれば、彼女の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「そ、そういうことを簡単に言うから男の人は嫌いなんです!!」
真っ赤な顔の彼女が突然大きな声を出した。こんな声初めて出したのではないかと思うくらい、彼女は少し震えていた。
「に、苦手なんです・・・。そういう、かっ、かわいいとか、薄いこと言われるの・・・」
「薄いこと・・・」
だんだんと彼女の顔が俯いていく。いつもの機械的な彼女はどこに行ったのだろうか。男に誘われることに慣れていたのではなく、苦手だったのだ。いつも不器用な彼女なりに "冷たく対応する" という努力をしていたのだ。今の彼女は、実に人間らしくて、とてもかわいらしい。
「仕事でもなんでもないのにかわいくない子にかわいいだなんて言うほど男もサービス精神旺盛じゃないと思うけど。」
「・・・え?」
「少なくとも俺はアイリちゃんを本当にかわいいと思うし、本当に仲良くなりたいと思ってるよ。」
俯いていた彼女がゆっくりと顔を上げた。
「だから、もっと素直に受け取っていいんじゃない?」
「・・・素直・・・。」
俺の言葉を繰り返すと、彼女はじっくり考え、ゆるりと口を開いた。
「じゃあ、本当に私と仲良くなりたいの?」
「もちろんだよ。」
にっこりと微笑むと、彼女の頬も自然と上がった。
****
次の日も彼女の受付の列は相変わらず周りより少し長くて、彼女と世間話をしようとする者は次々と撃沈しているようだった。彼女の機械的な対応はやはりすぐには変わらないか、と俺は溜息をひとつついた。長い列なのに並んでしまう自分にも溜息だ。彼女と話したいのは他の男と変わらないのだ。やっと俺の番。報告書を彼女に提出すると、無表情でさらさらと目を通し、判を押す。そして、「はい。確かに受け取りました。」綺麗だけど機械的な声。そして続いて、俺を促すように白くて細い右手を上げるのだ。
「カ、カカシさん」
そう、思っていたのに、彼女の右手はまだ報告書を持っていて、代わりに俺の名前が呼ばれた。
「きょ、う、は、ごっ、ごはんに行きませんか。」
「え、」
あまりにも驚きすぎて、間抜けな声が出た。きっと顔もだ。
「え、あ、すっ、すみません!嘘です。わ、忘れてください。」
相当な勇気を出して言ったのだろう。何も答えない俺に不安を感じたのか、爆発しそうなくらいに顔を赤くして、前言撤回と言わんばかりに慌て始めた。その姿は昨日までの彼女とは大違いで、思わず口元が緩む。
「はは。行こうか、ごはん。」
「あ、は、はい・・・!」
すると、彼女は自分の仕事を思い出したようにハッとして「新しい任務はあちらです。」とすらりと右手を伸ばした。いつものセリフなのに、かわいいと思ってしまうのは、彼女の顔が笑顔だからだろう。
そして、彼女の見せるこの姿がまだ俺にだけということに優越感を感じながら俺は彼女の右手の先へと進んだ。
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