『フィオナの横笛 ダルドゥエンの縦笛』冒頭部分
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※初稿そのまま掲載しております。




『フィオナの横笛、ダルドゥエンの縦笛』 起


 種族間の差別は、それぞれが異なる容姿や文化を持つ故に起こる。それがよくないとされているにも関わらず、種族内の差別が存在しているのは何故だろうか。
 それを考えているのはきっと、ラウ自身が差別されている種族の内で差別を受けているから、だろう。
 金混じりの砂色の毛を持つ群の中、黒子のように浮く黒銀色の毛並み。それは、ラウが別の所からやってきたことを意味する。
 見た目の違いは、とても分かりやすい。ラウが周りから浮き、嫌みを言われることはなくとも疎まれるまで、さほど時間がかからなかった。
 自分だけ違う――その事実に、時折子どもながらも居心地の悪さを感じていた。
 今だって、湖の近くで集まっている周りと離れた岩に座って一息ついている。春になり、彼らは周辺国の水源となっているスウェイ湖の東で束の間の休息を取っている。彼らといても、ラウに向く目線はないだろう。
 近づいても離れる。それを繰り返されると、ラウから周りに距離を置くようになるのは自然な流れ。
 そんなラウは狼だ。子どもの狼。向こう側にいる彼らも然り。だが、ラウを含め彼らは普通の狼ではない。その証拠に、岩に腰掛けているラウの姿は到底狼と呼べない。
 耳の尖った、二足歩行のヒト型。この世界ではダルローラ族と呼ばれる者達の姿をとっている。
 人狼《ベルフ》族。この世界の中で一際強い魔力と、ダルローラと狼、二つの姿を持つが故に、ヒト型の種族達から忌み嫌われている。
 嫌われている中の、嫌われた存在。物心付いた時より、ラウは心の中で己をそう評していた。いつ消えても、誰も気には留めないだろう。それに、ラウも彼らも、本当の意味で孤独にはならない。
 ラウの周りに漂う、光の玉。霧のようにも綿雲のようにも見えるが、それらは皆、光を帯びてラウの周りに漂っている。妖精だ。言葉は発さないものの、動きや光の強弱で意志を伝える、この世界の生き物。
 慣れたように、気軽に、ラウは光の玉に手を伸ばし、指先で軽くつついてみせた。淡い黄色の妖精は、一度はされるがままにつつかれたが、次にラウの指先を眺めるように回り始めた。少なくとも、ラウに恐怖心を抱いていない証拠だ。
 次は何をしよう。二つ三つと寄ってきた妖精を目に考えていると、一際明るい金色の毛並みを持つ小さな雌の狼が近づいてきた。
『ラウ、何をしているの?』
「妖精で遊んでいる。ミシャは?」
 集団――二、三十人で動いていると、一人は変わった人物がいる。ラウからすれば、年の変わらないミシャがそれに当てはまる。こうして一人で遊んでいると、時折こちらへやってくるのだ。
『ラウ』
 期待と、どこか不安を滲ませ、ミシャはラウを見上げてくる。
『今、みんなでかくれんぼをしているの。ラウも一緒にしましょう?』
 こんな提案をしてくるのは、ミシャだけだ。
「いいよ別に。おれが参加しても、みんな面白くないだろ。だから、また今度」
 嬉しいと思う反面、ラウは彼らと共にいることに苦しさを覚えていた。どうせ、いたところで邪険にされて終わりだ。
 断りの言葉を返したところで、ミシャは不満そうにラウを見上げてくる。
『だめよ、ラウ。もっと自分から積極的にいかないと』
 と言っても、ラウは既に積極的に動いた。その結果がこれなので、これ以上積極的に動く気にもなれない。しかし、ラウの今までを知って知らずか、ミシャはなんとしてもラウを輪の中に入れようと躍起になる。
「気持ちは嬉しいけどさ、もういいよ。おれ、どのみちこの群から抜けるから」
『ラウ……!』
 どこか、咎めるような、嫌だと言っているようなミシャの声。どうして、ミシャはここまで必死に言ってくるのか。ラウは不思議でならない。
「ほら、かくれんぼなら、もっと別のところに隠れないと」
 気にはなるが、これ以上彼女と一緒にいても、後で彼女の周りが心配するばかりだ。
『ラウ……』
 尾を引くようにミシャはラウの名を口にするが、やがてその場から離れていった。せっかく近づいてきた妖精たちは、いつの間にかてんで違う方向へ散らばっていた。
 さて、これからどうしようか。湖に妖精がどのくらいいるのか探すのもいいし、狼の姿で狩りの練習をするのも手だろう。或いは、妖精に大きな魔法の練習を見てもらうのもいいかもしれない。
 ミシャに言った通り、ラウは共に行動している群から離れたい、と考えている。いてもいなくとも同じなのだから。そのためには、一人でも乗り切れる力が必要だ。だからラウは、こうして一人で行動している。
 これからの計画を脳内で展開させていると、ラウは周りがとても明るいことに気付いた。妖精たちが先程よりも多い。彼らが発するあたたかく柔らかい光は、太陽が近くにあるような気分になる。
 風に乗るように、或いは佇むように飛ぶ妖精は皆、一つの方向を見ているような気がした。
 黄色、橙、桃、赤。あたたかい色味の妖精が多い。湖の近くだと、よく見かけるのは青い色の妖精なのに。
 つられるように、ラウはゆっくりと進む妖精を追いかける。湖から離れ、森の方へ。
 ふと、ミシャが去っていった方向を見る。彼女と同じ大きさの狼が数匹、時折姿を見せては駆ける姿が見えた。だからといって、ラウはそこへ混じろうとも思わないし、共に駆けることへの興味も湧かない。何が楽しいのか、ちっとも分からないのだ。特に抱く思いもなく、ラウは妖精の集う先へと行く。 
 暫く進むと、一層妖精が多く集まる場所へと行き当たる。誰か斬ったのかは分からないが、切り株が一つ、ぽつんとあった。
 そこにある姿に、ラウは我が目を疑った。
 赤子くらいか、それより一回り小さい大きさのヒト型の影が、切り株に腰掛けている。しかし、姿は赤子とは似ても似付かず、大きな頭に反して体は細く、体だけ見ればどこか大人の女性を思い出させた。
 真っ黒で長い髪を真っ直ぐ靡かせ、大きく真っ赤な左目は周りを漂う妖精たちを見ている。右目は閉じられ、薄い緑色の線が瞼から頬へと走っている。
 細い細い腕とは正反対の非常に大きな手は、指を二つに分けるミトンのよう。腕から先は真っ赤な手袋をしているように見え、ミトンの手は妖精をすっぽりと包み込む。
 妖精のような、そうでないような。この世界にいる数々の人種――耳の尖ったダルローラ族、耳の丸いヒユ族、のっぺりした顔と鱗を持つスウェー族、岩肌の巨人ボグド族、そしてラウ達人狼《ベルフ》族――の、いずれにも当てはまらない。
 黙って見ていると、謎の生き物はドレスのような赤い服を髪と一緒に翻しながら立ち上がった。
 ラウを見て、口の端をあげて笑った。きっとこの笑顔は、不敵そうな笑顔、なのだろう。
『あんた、人狼《ベルフ》族でしょ?』
 ほぼ見た目通りの女性の声で、それは言った。
 人狼族は、姿を変えるところさえ見られなければ、正体を知られることはない。狼の時は喋らなければ分からないし、ヒトの姿の時はダルローラ族そのものだ。
 だから、ラウはその場で固まってしまった。謎の生き物は、戸惑うラウを見て楽しげに小さく笑う。
 他の種族よりも強い魔力を有する彼らは、見えないものを見る力が他の種族よりも優れている。例えば、ヒユ族は妖精そのものを見る力が他より劣っており、彼らの大半は妖精の存在を認めていない。
 他の種族に見えて人狼族には見えるものは、ラウが聞いた中で一つ。この世界の力を司る大妖精だけ。
 しかし、大妖精はめったなことで姿を見せないと聞く。どのような姿をしているのかも、ラウは全く知らない。こんな、小さいながらもヒトに近い姿をしているのか。
 今までラウの中にあった大妖精のイメージは、大きな獣のような姿。だからだろう、いくら考えても目の前の生き物が大妖精とは思えなかった。
『こらあんた、質問に答えなさいよ』
 ずっと黙ったまま立っていたからだろう。謎の生き物は喋らないラウに痺れを切らせたのか、答えを催促してきた。しかも、喋り方が随分と軽い。ラウが想像する大妖精の口調は、もっと、言ってしまえば厳かなもの。益々、目の前の生き物が大妖精とは思えない。
 否。そもそも、この生き物は自らを大妖精とは名乗っていない。ラウが勝手に考え、勝手に戸惑っているに過ぎない。
 そのことに気付き、ラウは小さく言ってみる。
「えっと……おれが人狼族なのは認める、けど……その、きみは一体」
『あたし? あたしは大妖精ティティ様よ』
 あっさりと、目の前の生き物は自らを大妖精だと名乗った。
 ラウは、ティティと名乗る自称大妖精の前へ、近付く。丁度切り株まであと一歩の所で立ち止まり、しゃがんでみた。ダルローラよりも長い耳、ヒト族にしては白すぎる肌、細い手足に、手はやはりミトンの形だ。首もとには、赤い花が咲いている。
 凝視して、ラウは改めて思った。こんな小さくてヒトに近い姿の存在が、この世界を司っているとは到底思えない。
「……えっと、冗談はやめたほうがいいとおも」
『冗談じゃないわよお馬鹿』
 言い切る前に、ラウはミトンの手で叩かれた。ラウの頬より大きな手だ、至近距離でもしっかりとした痛みがある。思わず、ラウは叩かれた左頬を押さえた。
『なーに勝手に大妖精の見た目作ってんのよ。世界の力司っているからって、すっごい大きな獣の姿をしているとでも? あんたのおつむの中で完結させてんじゃないわよ。現実を認めなさい』
 俗っぽい喋り方の上に、凄まじく饒舌な大妖精に、ラウは何も言えなかった。
 大妖精は、全ての妖精達を管理し、魔力の流れを操り、全ての生命の循環を司る存在。話を群の端で聞いていたラウでも、凄い存在なのだと思っていた。そして、唯一それらの姿を見ることが出来る人狼族もまた然り。
 しかし、世の中見えないまたは見ない方がいいこともあるのだと、子どもながらにラウは思った。この事を――大妖精が小さいヒト型だと言っても、誰が信じるだろうか。
『あんた信じてないでしょ?』
「うん」
『素直でよろしい。けれど、ちょっと腹が立つわね』
 腰に手を当て、ティティが威嚇らしきものをしてくる。見た目が小さいので、威圧感はさほどない。
「だ、だったらさ」
 小さく、ラウは手を挙げた。
「どうして、きみ、こんなところにいるの? おれの聞いた話だと、大妖精ってあんまり姿見せない、って……」
 目の前の生き物ティティを大妖精と思えない最大の要因。大妖精は滅多に姿を見せない、という言い伝え。
 現実と言い伝えが、目の前で合致しない。
『あー、そのこと? あんたたちの目が節穴なだけ、でしょう? 言い伝えとやらを鵜呑みにしているから、案外側にいた筈なのに見落とすのよ』
 あっけらかんと話すティティに、ラウは目から鱗が落ちたような気分を知る。
 彼女の言ったこと全てを理解できた訳ではないが、なんとなく、見落としているかも、というのは分かった。人狼族が唯一大妖精を見る力を持つ、というなら、見ようと思えば見えるし、探そうと思えば探すだろう。
『ま、それはさておき。あたしがここにいる理由、ちゃあんと話してあげるわ』
 改めてティティは切り株に腰掛け、細い足を組んだ。何故だろう、小さい姿なのに足を組む動作が見ていてしっくりきた。
『ひなたぼっこしていたの。以上』
「それだけ?」
『それだけ』
 こんな人気の少ない湖の近くにいるのだから、何かあるのだろうと思っていた。想像以上に実のない返事に気の抜けたラウへ、ティティはすっと左目を伏せた。よく見たら彼女、垂れ目だ。
『或いは――探してたのかも』
「探して、いた?」
『そ』
 組んでいた足を解き、ティティは切り株を軽く蹴り、ラウの目の前に浮いてみせる。
『あんたみたいな奴を』
「えっ?」
 おかしげに笑うティティを見て、ラウは背筋がかすかに粟立つ感覚を覚えた。何故だろう、少しだけ、こわいものを感じる。
『誰にも見られないということは、どこにもいないことと同じよ』
 胸の奥が凍った。ような気がした。どうしてそうなったのかは分からない。ただただ、胸が軽く締め付けられるような感覚が彼を襲う。
 動きを止めたラウを、ティティは何も言わず見つめるばかりで、彼女が少し距離を取ったこともラウは気付けない。
『何をそんなに驚いているのかしら?』
 分からない。頭の中で答えを出そうにも、どうしてティティ曰く驚いているのか、ラウは自分のことながらさっぱりだった。
『ま、そこはどうでもいいわ。それより』
 今度は、宙に浮いたままティティは足を組む。何故か、目は爛々と輝いている。
『あんた、暇?』
「え、っと」
 結論から言うと、暇といえば暇だ。しかし、そのまま返してもいいのか、ラウは戸惑う。
『どうなの?』
「暇、かな……」
 しかし、きらきら光る瞳で繰り返し聞かれると答えを出さなくては、と思ってしまう。答えると、ティティは『よろしい。じゃあ、ちょっと座って』と言い、ミトンの手で柔らかい草の地面を示す。
 言われるがまま腰を下ろしたが、彼女は一体何をするというのだろうか。
『ちょっとさ、あたしの話し相手になってよ』
 座った瞬間、そう言われた。
「話し相手? おれが?」
『そうよ。だってあたし、妖精以外の誰かと話すこと自体、久し振りなんだから!』
 想像以上に嬉々とした声が返ってきて、ラウは目を丸くした。
「ひさしぶり、って、どのくらい?」
『さぁ、忘れちゃった』
 ティティは無邪気ささえ感じる笑い声を上げつつ、口元はミトンの手で押さえている。
『けど、そんなことどうだっていいわ。あんたに会えたもの』
「そ、そうだね……」
 誰かと話すだけで、そんなにも嬉しいものなのか。ラウからすれば、それは時折心苦しくさせることなのに。
『ふふっ、何を話せばいいのかしら。そうね、笛のお話は知ってる?』
 女、という生き物は人狼族以外でも勝手に話し出すものらしい。唐突に出てきた単語を思い出そうと、ラウは首を捻った。
「確か、古い伝説でそういうのがあったよね……おれ、ちゃんと聞いたことないから、分からないけれど……えっと」
『――フィオナの横笛、ダルドゥエンの縦笛』
 その場で軽く一回りし、ティティは恐らく手のひらであろう面を空に向けた。
『古い古い、この世界にダルローラもヒユも、スウェーもボグドも、そしてあんた達人狼も生まれていない、昔々のお話』
 謳うように語り始めたティティの周りに、光が集まる。妖精達だ。いずれもはっきりした光を放ち、暖かい色を纏っている。
『この世界を作った神様は、手のひらいっぱいの妖精を放ち、光を生み出した。妖精を集めて大きくして、彼らを纏める大妖精達を育んだ。大妖精が一通り育った頃、神様は力を残して別の世界を作りに旅立った』
 大きな身振り手振りを入れるティティの言葉に反応しているのか、妖精は散らばったり集まったり、まるで彼女が動かしているかのように見える。
『さて。神様の力を貰った大妖精達は、様々な生き物を作ることで、世界を豊かにしようとした。それは上手く進み、大妖精達は神様に代わってこの世界を司り続けるため、残った神様の力を二つの笛に変えたの。それが、フィオナの横笛と、ダルドゥエンの縦笛』
 笛の名前を言いながら、ティティはミトンの手を顔の横に持ってきて動かし、次は顔の下で手を動かす。これがきっと、笛を吹いている、ということなのだろう。
 実はラウ、笛がどの様な形をしているのかを知らない。答えは単純明快、不要なもので尚且つ音を出す道具だからだ。人狼族は移動し隠れて生きる者達。笛を吹いて誰かに見つかることは避けたかったし、笛がなくとも遠吠えで意志の疎通は可能だ。
『二つの笛を、優れたる奏者が正しい譜面で音を奏でる時、願いは叶う。……というより、神様の力が宿るって感じのお話。知っていた?』
「そんなに前置きが長いお話なんだったんだ」
 それが、ラウの率直な意見だった。初めて聞いた事が多く、疑問も降って湧いてくる。
「どうして、笛にしたの?」
『強すぎる力は、争いにしかならないもの。そういうことにならないようにしたんじゃないの?』
「ふぅん」
 と言ってから、ラウは気付く。
「そういえばさ」
『なに?』
「笛を作ったのって、ティティ達大妖精……だよね? なのにどうして答えが曖昧」
 またもや、言い切る前に頬を叩かれた。先程より高い威力のビンタを繰り出したティティは『お馬鹿』と、ミトンの指で器用にラウを指す。
『大妖精が不老不死だとでも?』
「えっ、違うの?」
 ラウの返答に、ティティは白々しい視線を投げかけてきた。『違うわよ。妖精もそうだけど、大妖精も転生しているんだから。しかも、都合よく転生前の記憶を持っている、ってこともないの』
「そ……そうなんだ」
 世界を司る存在だから死ぬことはない、と思っていた。しかし、先程からラウの短い人生で培われてきた知識が、根から丸ごと掘られている気がしてならない。
 少し話題を変えないと。
 そう思いつつも、問いかける言葉が見つからない。ラウは、この数分で起こっている出来事を頭の中で思い出す。
 目の前の、ヒト型の小さな生き物はティティという大妖精。だからといってずっと生きている訳ではない。彼女は昔の大妖精が作った、伝説の笛――“フィオナの横笛”と“ダルドゥエンの縦笛”に興味がある……?
「だ……だったらさ、ティティ」
『何かしら?』
「その……きみは、うぅんと……昔の、きみのご先祖? っていうのかな、大妖精が作った笛に、興味がある……の?」
 あまりにもたどたどしい言い方に、自分でもいやになる。しかし、ティティはそこを指摘することは全くなく、『そうね、興味はあるわ』と、質問に答えてくれた。
『例えば……そうね、どうして笛の形にしたのか、ラウはどう思う?』
 薄らと緑の線が縦に走る右の瞼が、ゆっくりと開く。左と全く同じ赤い目だったが、どうしてだろうか、両目で見られると、より一層目を逸らせない。
 笛自体が頭の中で描けないラウは、ティティの真っ直ぐな視線を受けながら、頭の中で考える。
「分からない。ティティは……どう考えているの?」
『そうね。剣とかの武器もいいと思うけど、笛だと平和的だから、かしら。それにほら、音楽は心を穏やかにして豊かにする、っていうじゃない』
 ラウは眉間に皺を寄せた。ティティの言っている意味が、よく分からない。
 急に表情の変わったラウを、ティティは腰に手を当て不思議そうに見る。
『どうしたの?』
「音楽、っていうか、笛、っていういの、実は見たことがなくて」
『え?』
 気の抜けたティティの声で、ラウは何か取り返しのつかないことをしたような、そんな気分に襲われた。
『笛を見たことがない、ねぇ……世の中広いってこういうことなのね。説明してあげるから、ちょっと待って、えっとね』
 と言いながら、ティティは周りに漂っている妖精達を手招きし、集める。そのうちの一匹を手にして、無造作に引っ張った。あっという間に、きれいな丸から棒のような形になる。
 妖精は丸くてふわふわしたもの。ラウの中に固定されていたイメージが、一気に破壊された。
 座ったまま軽く後ずさったラウの前で、ティティは『ちょっとこのままの形でキープお願い』と妖精に言い聞かせている。心なしか、形を変えられた妖精が少し辛そうに見える。
『笛っていうのは、そうね、色々形や大きさがあるんだけど』
 原型を留めていない、細長くなった妖精を手にし、ティティは先端を口元へ持って行き、妖精自体を横にして持つ。
『これが横笛で』
 口元の位置は変わらず、今度は妖精を縦に持つ。
『これが縦笛。細かい形も全然違うから、正直言って一回実物を見た方が早いわよ』
 ティティが手から妖精を解放すると、無理矢理細長い形にさせられていた妖精は元の丸い姿に戻る。しかし、光が弱くふらつくように漂う。心配になって、ラウはその妖精へ手を伸ばした。
 沈むようにラウの手のひらへ乗った妖精を指の腹で撫でつつ、ラウは咎めるようにティティを見る。
『笛の形を知らないあんたが悪い』
 本当にこれが大妖精なのか。百歩譲って大妖精だとしても、これが大妖精の言うことなのだろうか。しかし、手のひらの妖精は違うことを伝えてくる。言葉とも動きとも違う、感覚で。
 彼女は本物だ。と。
「って言ったって……」
『あら、流石は人狼族、ってとこかしら。けど、人前で妖精とお話したら正体バレるから気を付けなさい。他の種族は、そこまで流暢に妖精と会話出来ないから』
 ラウが漏らした一言を、ティティの長いながい耳がしっかりと拾っていた。地獄耳はきっとティティのように突き抜けて長い耳のことを指すのだろう。
 楽しそうに笑うティティは、流れるように言う。
『さっきも言ったけれど、あたし達大妖精も、どうして神様の力を笛にしたのか、笛が揃ったらどうなるのか、全然知らないのよ』
 つい先程聞いた話なので、「知らないの?」という粗相は回避出来た。ラウは手のひらの妖精を軽く撫でながら、ティティの言葉に耳を傾ける。
『けどさ、笛の在処は全く持って謎。譜面はかろうじてダルローラ国の城内にあるって話があるくらい。それ以前に、あたし一人じゃ何も出来ないもの。誰にも見られないし、笛は二本で一つ。はっきり言って、一人じゃ無理』
 そこで、ティティは笑みを深くさせた。笑顔の裏で、何かを考えていそうな。
『ねぇラウ。あんた一緒に笛探さない?』
 ラウはその場で硬直した。
 何を言われたのか、理解するまで長い時間がかかった。
 考えることは多々ある。どうして、つい先程出会った子ども相手に言うのか。どうして、ティティは笛の存在を強く考えているのか。どうして、ここにいるのか。本当にひなたぼっこをしているだけだったのだろうか?
 ――どうして、自分なのか。
 答えのないラウを、ティティは訝しげに見上げている。微かな苛立ちも感じ取られ、漂っている妖精は、彼女から僅かに距離を置く。
「あの……えっと、唐突だと思う」
『そぉ?』
「うん」
 恐らく、大妖精はものの考え方が自分とは全く違うのだろう。この世界でも偉大な存在だと考えられているのもあって、即決で物事を判断している、のかもしれない。そうでなくとも、ラウの言葉を遮って平手打ちをしてくる時点で、きっと気が短い。
 これらの考えを口にすると、またもや途中で強引に遮られそうなので、心の中に秘めておくことにした。
『それじゃあ、ラウ』
 片手でもう片手の肘を支え空中で頬杖をするティティが、器用に思えた。
『仮に、あんたに今のあたしの申し出を断る理由があるとするなら、それは何?』
 仮ではなく、本当にラウにはティティの申し出を断る理由が思いつかない。それが、すぐに返事を返せなかった最大の理由。もし、ティティの申し出を断れる何かしらの理由があるなら、ラウは既に言っているだろう。
 それに、先程ミシャに言った通り、この群を離れようと考えていたのだ。断る理由を探す方が難しい。
 これでは答えが出ないのだろうと判断したのか、ティティは別の質問を投げかける。
『質問を変えるわ。あんたなんでひとりぼっちなの? ダルローラに紛れて暮らす人狼もいるけれど、各地を移動する人狼は基本、団体行動よね?』
 心に、冷たいものが無遠慮に突き刺さった。ような気がした。自分の境遇など、ティティは知らなくて当たり前なのだ。
 もしかしたら。不意に、ラウの頭の中で何かがひらめいた。今までの自分の境遇――一人だけ違う所からやって来たこと、まわりに馴染めずにいたことをティティに言えば、何か変わるかもしれない。
 思ったまま、ラウはティティに今までの自分の事を口にした。ずっと饒舌だったティティは、一度も口を挟まず、頬杖のポーズを器用に保ったまま聞いてくれた。
「――そういうことで、おれ、割と一人でいる事が多いんだ」
『そうだったのね』
 右目を閉じ、ティティは少し考える素振りを見せた。そして。
『なら、尚更今がいいわ。早速行きましょうラウ』
「わ、分かるけどさ、早すぎるよ」
『そうでもないと思うわ』
 あっけらかんと、ティティは言い放った。
『群を離れるつもりだったら、あたしの提案を蹴る理由がどこにあるっていうの? 本当に出るつもりだったら、そもそも悩まないわ』
 確かにそうだ。あまりにもいきなり言われたので戸惑ったが、ティティの言う通りかもしれない。
『それに、やりたいやりたいって言っても、チャンスが来たときに躊躇する奴は大抵口だけなのよ。実行する気がないのよ』
「そういうものなの?」
『ええ、そういうものよ。よく聞く言葉かもしれないけど、中々に心臓をぐさっと刺してくる台詞でしょ? それとも、子どものあんたには少し難しかったかしら?』
 冗談めいた笑みで返され、ラウは口を噤んだ。難しくない、と言ったら嘘だが、それでもティティの言葉は真実だと思えた。悩むことも迷うことも、きっと必要ない。
「ティティの言ったとおり少し難しいって思ったけど、合っていると思うよ」
 ラウは立ち上がった。
「おれ、笛のこと分からないし、それ以前に一人で歩けるのかな、って不安があって、群を出るんだって思っても、思っていただけで」
 いくら一人で狩りや魔法の練習をしたところで、出来ることは僅かだ。身についているのかどうかすら分からず、よって自信もあまりなかった。しかし、それらを理由にしていたらいけないような、そんな気がしたのは事実。
 ラウの視線に合わせたのか、ティティが丁度ラウの目の前にいる。
「おれ、行くよ。一人でどうすればいいのか分からないし、足手まといになるかもしれないけれど、今晩にでも出よう、ティティ」
 ティティの大きな目が見開かれた。驚いているように見えている。
「ティティ?」
『あ……あぁ、ごめんなさい。まさかこんな早くに、本当にいいって言ってくれるとは思っていなかったから』
 どこか夢見心地なティティの声。誘ってきたのはティティからだというのに、そんなに驚くほどのものなのだろうか。
「それじゃあ、これから宜しく、ティティ」
 挨拶がどんなものなのか、ラウはよく知らない。たまに他の種族がやっているのが、互いの手を握る、握手というもの。ラウはティティに向かって、右手を差し出した。
 ティティは、差し出されたラウの右手をじっと見ている。妖精や大妖精には、このような習慣がないのだろうか。否、それ以前に彼女はこの世界の力を司る大妖精のうち一体。失礼だったのかもしれない。
 手を引く方がいいのかどうか、考えているラウの手が僅かに震えてきた。そこに、ティティのミトンの手が押さえるように触れてきた。とても暖かい。
『今更びびった?』
 品のある笑みを唇に乗せ、ティティはラウの右手をしっかりと握った。
『それじゃあ、今からあんたには色々と知識を付けてもらわないとね。笛すら知らないっていうんだから、覚えて貰わないといけないことがうんと沢山あるんだから』
 一気に、いやな予感が背筋を走った。




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