「跡部くんってかっこいいけど、ちょっと無理してるように見える」
もうちょっと気楽にしてればいいと思うよ、と名字は言った。沈黙の後、すぐに頭に浮かんできたのは、大して、というより全く話をした事のないような奴にどうしてこんな事を言われなければならないのだろう、という疑問だった。「それじゃあ、また明日ね」と言って、名字は俺の返事も聞かずに教室を出て行った。机の上に置かれた日誌を見ると、感想の欄にきれいな字で、“跡部くんがほとんど仕事をやってくれたのでとても楽でした。ありがとう。”と書かれていた。


腹立たしさや悔しさなどには到底及ばない、何なのかはよく分からない不思議な感情が俺の中に起ち込めていた。

「また明日ね、じゃねえよ。クソ・・・」

名字とは三年になって初めて同じクラスになった。だから、それまで名字の事なんかまるで知らなかった。名前すらも知らなかった。初対面でいきなりあんな事を言った、変な女の事を色々な奴に聞いて回ったところ、やっと名字の存在がどんなものかっていうのが見えてきた。

「名字さん?あー名字さんはね、おもしろい子だよ」
「おもしろい?おかしいの間違いじゃないだろうな、慈郎」
「ううん、そんな事ないよ。おもしろい子!よく屋上で会うんだ」

俺、眠くて屋上に行くんだけどさあ、名字さんといると眠たくなくなってくるんだよね。普通の女の子とちょっと違う感じでさ、すっげー楽しいの。と、慈郎は楽しそうに言った。クラスでは目立たない存在だったが、意外にも名字の事を知っている奴は多かった。宍戸とか、なぜか日吉も知っていた。去年同じ委員会だったらしい。しかも、みんな口をそろえて、あいつはおもしろい奴だ、なんて言いやがる。慈郎はその中でも一番熱心だった。

「・・・お前、名字の事が好きとか言うんじゃねえだろうなあ。アーン?」
「俺が名字さんの事を?あ〜そうかもしれない・・・ていうか、それでもいいかなあ」
「チッ・・・本気かよ、趣味わりーな慈郎」
「はは、そんな事言って、跡部も名字さんの事気になるんじゃないの?」
「はあ!?」

俺が名字の事を気にしている?そんな事ある訳ない。この俺が?あの変な女を?絶対にそんな事はない。

「んな事ある訳ねーだろ、バーカ!」

俺は少し動揺していた。慈郎がにやついた顔で俺を見つめていた。「はっは〜ん」と言った慈郎の悟ったような口ぶりに無性に腹が立った。「慈郎!今日部活中に一回でも寝たらグラウンド50周させるからな!」と吐き捨て、貸していた辞書を奪い取ると、慈郎のクラスから足早に出て行った。後ろの方から「えーそんなの無理!」と慈郎の情けない声が聞こえたような気がしたが、そんなの知った事ではない。



廊下を出ると、ちょうど名字が向こうから歩いてきた。噂をすれば何とやら。俺が名字に気付いたのと同じように、名字も俺に気がついたようだ。実はひそかに緊張していた。あんな事を言われたからか、慈郎にからかわれたからか、それがどっちなのかは分からなかった。

「跡部くん、こんにちは」

名字はそう言うとにこりと笑うと、他に何を言うでもなく、呆然としている俺の横をただ通り過ぎようとした。昨日名字が言った事で、俺はこんなにやきもきしているというのに。

「は?あ、おい名字!」

慌てて、つい名字の腕を取ってしまった。

「え?どうしたの?」

名字が驚いた顔で俺を見ていた。そりゃそうだ。「あ、悪い」と勢いで掴んでしまった名字の腕を放した。「ううん、大丈夫だけど」、どうしたの?と名字が不思議そうな顔をした。どうしたもこうしたもない。聞きたいのはこっちの方だった。だけど、そんな事は言わなかった。取り乱した俺をこれ以上、見せたくなかったからだ。というより、そんな俺を周囲に見せてはいけない、と思っていたから。

「い、いや・・・何でもない」
「そっか。・・・あ、でも、今日の跡部くんさ」

こないだまでとは違うね、と町田がそう言って笑った。
その時、名字が俺に言った事が、あながち間違っていなかったことに気付いた。人前だとどうしても強がってしまう俺を、名字は見抜いていたんだ。そして今の余裕のない俺のことも。いつも俺はどこか無理をしていたのかもしれない。良いところばかりを見せようとして、頑張りすぎていたのかもしれない。だけど、名字には気付かれていた。そう思った瞬間、心がふわっと軽くなった。

「その方が、跡部くんらしいよ」

それじゃまたね、と言って、歩いて行ってしまった名字の姿が見えなくなるまで、俺はぽかんとしたまま名字を見つめていた。はあ、と溜息をつく。だけど、それはいつもの溜息とは違った。心底からの疲れ、と言ったようなものではなく、この胸の高鳴りをどうすればいいのだろうという思いの。こないだまでは全く知らなかった、不思議な女にどきどきしてる。その方が俺らしい、か。たしかに、名字はおもしろい奴だ、と思った。

(2007)
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