【3】


その日は雨が降っていた。じとじとと、細々とした雨が、ずっと降り続いていた。部活が休みになった事を知らせに来た名字が、「今年は梅雨が長くなかったからね」と笑っていた。昨日、あんな話をしたから、名字がどんな風にしているかとても心配していたけど、名字のいつもと変わらない笑顔を見て、俺は少し安心した。


せっかくの休みだったが、何をする気も起きず、放課後、やっぱり部室に向かっていた。資料の整理でもするかな、と思い、扉を開けると、そこには俺と同じように、どうする事も出来ずに部室にやってきたという感じの鳳が突っ立っていた。

「日吉、ちょうど良かった。俺、今ひとりでどうしようかと思ってて」
「何がだ?今日は休みだって聞いただろ?」
「うん、聞いたよ。名字に。だけどさ、やっぱり気付いたら部室に来てて―、」

日吉もそうだろ?鳳はそう言った。きっと俺の、そうだ、という返事を待っている鳳の顔は、幸せそうで、何より楽しそうだった。俺もこいつも、やっぱり部活の事となると、無条件にそういう表情になるのかもしれない。俺もそんな鳳につられて、つい笑いがこみ上げてきてしまった。平然を装い、「資料の整理するから、暇なら手伝え」と言うと、鳳は嬉しそうに「うん、やるよ」と答えた。

大量のファイルと、何枚も積み重ねた紙の山で机はあっと言う間にいっぱいになった。鳳は何かと挙動不審で、ファイルを落としたり、文字を書き間違えたりを繰り返していた。見かねて、「どうした?」と尋ねてやると、鳳は「いや、なんか」と一瞬言葉を濁してから、すぐに「こういうのも、今みたいにもうすぐ俺達だけでやらなくちゃなるんだなーって思うと、さ」と弱々しく笑って言った。
―きっと鳳くん、先輩が好きなんだと思う。
名字の言葉を思い出した。今なら、鳳が何をそんなに不安がっていたのかもはっきりと分かる。もうそれには触れないようにしようと、「そうだな」とだけ答え、再び資料に手をつけた。「日吉は」と言った鳳の声がまるで耳に届いてないように振舞って、返事をしなかった。だけど鳳はそんな俺に気付いているのだろう、躊躇う事なく続けた。

「日吉はさ、好きな子とかいないの?」

思わず手元がぴたりと止まってしまった。鳳の声がいやに楽しそうで、俺は、すぐに鳳の方を見る事ができなかった。いつかは来ると思っていたが、こんなに段階が早いとは、俺も何と言えばいいか迷っていた。何せ昨日の今日だ。名字と同じように、こいつも意外な誰かが自分に好意を寄せてるなんて気付いていないようだった。

「…俺は、」

喉が渇いたような感覚がして、声が出しにくかった。だけどそれは、その感覚のせいだけじゃなくて、きっと、俺自身の心の問題のせいだったのだと思う。名字への気持ちは揺るがないのに、それを押しとどめようとする気持ちが邪魔をする。鳳の視線を感じた。俺の答えを楽しそうな表情を浮かべながら待ってる。俺は、ここで言うべきなのだろう、とどこかで分かっていたはずなのに、どうしても、そう思っている通りに上手くはできなかった。

「別に…」

言えなかった。はっきりと、あいつの事が好きだと。もしかして、もしかしていなくても、俺は逃げていたのかもしれない。思考がぐるぐると渦を巻いていた。決めたはずなのに。昨晩の名字の、「うん」と言った声だけが、俺の中で何度もくり返し響いていた。

「そっか…俺さ、実は由佳先輩のこと、好きなんだ」

知ってるよ。どこか照れくさそうに、ぽつりと呟いた鳳の言葉を、俺は冷静に聞く事ができていた。「そうか」とだけ言って、止まったままの手元をじっと見つめた。俺は、昨日の名字の、切なそうな声だけを思い出していた。まるで真っ白な紙から、名字の言葉がひとつひとつ、浮かび上がってきたように、鮮明に、全部をひとつひとつ思い出していた。

「でも、お前は優しいから、」

鳳が不思議そうな顔で俺を見た。きっと名字が傷つかないように、いつもみたいに笑えるように、そして最後にはいつもの名字に戻れるように―。

「うまくやれるさ」

きっと上手にやってくれる。名字に後悔が残らないように。お前の事だから、「好きになってくれて、ありがとう」とか、そういう風に言うんだろうな。
鳳はしばらく呆然としていたけど、やがて鳳なりに何かを悟ったように、真面目な顔で「うん」と言ってから、いつもの顔で笑った。同じように笑顔で返してやりたかったけど、俺は俺の性格上、ぎこちない笑い方しかできなかった。だけど、鳳はそれも全部分かってくれていて、「ありがとう」と言ってもう一度、名字の好きな笑顔でにっこりと笑った。外で降り続ける雨を忘れさせるような、夏の太陽みたいな笑顔だと思った。



俺は最後の最後の決心をした。もう逃げない。迷わない。鳳は鳳なりに、きっと先輩に思いを伝えるんだろう。そして名字も、きっと正直な気持ちを鳳に伝える。それなら俺も―。俺も、あいつらに負けてられない、と思った。後悔したっていいんだ。名字が誰を見てきたかなんてこと、知ってる。だけど、俺は名字のことをずっと思っていた。きっと、俺も、ちゃんと伝える事ができる。伝えなくちゃ、いけないんだ。
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