第4話 Cute and Happy Girl

その日は朝からだるく、学校に行く気分じゃなかった。理由はもちろん、ひとつだ。幸村くんに告白された。これに限る。
今日も幸村くんに嫌がらせ(本人はそうじゃないと言っていたけれど)をされるのだろうか。返事もせずに逃げ帰った私に彼は何と言うだろう。それから、私はこれから幸村くんとどう接していけばいいんだろう。考えれば考えるほど分からなくなる一方だった。そして頭が痛くなる。
嫌がらせしてるつもりはない?好きな子ほどいじめたくなってしまう?君のことが気になるからやってしまった?あ、ありえない…!私は、昨日幸村くんが言ったことをひとつひとつ思い出しては、一人で赤くなったり青くなったりを繰り返した。
嫌がらせのつもりはないなんて言っても、私をからかってるとしか思えない。告白ごっこをして私の反応を楽しむつもりだったんだ。そうじゃなかったら告白なんて、考えられない。嘘に決まってる。だって、相手は幸村くんなのだから。いくら意地悪で、わがままで、自信過剰だからといえ、やっぱり彼は優しいところもあるし顔は文句なしにかっこいい。将来を期待されているテニスプレーヤーでもある(という噂を聞いた)。そんな幸村くんが私なんかを好きになるはずなんてない。ましてや、昨日始めて話したばかりの、そんな関係であるというのに。

だからといって別に熱がある訳でも、風邪をひいている訳でもないので、私は音楽を聴いたり漫画を読んだりしながら適当に過ごしていた。そうこうしていると、携帯に電話がかかってきた。
「…誰だろ」
見たことのない番号だった。でもちゃんと番号は表示されているし、すぐに切れる様子もない。長く着信し続けている。私はしょうがなく、通話ボタンを押した。
「…もしもし?」
『もしもし!名字さん?俺だよ!』
俺…?私に俺なんて知り合いがいたかな…。それともこれは一昔前に流行ったオレオレ詐欺…?なんて考えていると電話から『俺だよ、幸村精市!』と聞こえた。
「ゆゆゆ、ゆ、幸村くん!?」
私は驚いて電話をフローリングの床に落としてしまいそうになったが何とか阻止した。震える指でそーっと通話終了ボタンを押そうとするとスピーカーから『切ったりしたら後で後悔することになるからね…』と低い声で呟くのが聞こえたので慌てて「もしもし!どうも私です!名字です!名字名前でございます!」と返事をした。
『フフ…思った通り元気いっぱいだね。ズル休みだって事は予想してたよ』
「いやそんな…滅相もない…」
『じゃあ何で休んだの?』
「いや…あの…ちょっと…」
『ちょっと、何だい?言ってごらん』
「実は…あの…、私のおじいちゃんが…」
私は言い逃れるためにとっさに嘘をついた。おじいちゃんは毎日、幸村くんの言葉を借りるなら、私と同じで元気いっぱいだけど、ここは倒れただとか入院しただとか言っておこう。ちなみにおじいちゃんは毎日ゲートボールやら山登りやら飲み会やらで忙しい。私なんかより断然充実した日々を送っている。
『名字さんのおじいちゃん…?』
「う、うん…その、おじいちゃんの具合が…」
『名字さんのおじいちゃんならさっき駅で会ったよ。俺の制服を見てうちの孫と同じ高校だって話しかけてきたから、もしかしてと思って聞いてみたら、フフ、ビンゴだったよ。それで名字さんのお見舞いに行こうと思ってることを伝えたら家の住所を教えてくれたよ。優しいおじいちゃんだね。それでその優しいおじいちゃんがどうしたの?』
おじいちゃんんんんんんんん何してくれてんのおおおおおおお!?
「いや、おじいちゃんは…いやその…っていうか、お、お見舞い!?」
ってどういうこと!私は言わずもがな、混乱していた。
『ああ、そうだよ。あともう少しで名字さんの家に着くよ』
私の焦りを余所に朗らかに幸村くんは言った。心なしか声が弾んでいる。
「いやいやいや…えっ?いやいや…ハハッ」
きっとこれは幸村くんの冗談だ。本当に人をからかうのが好きな人だ。私は幸村くんの冗談にまんまとひっかかるところだった。迂闊だった。危うく本気にしてまた笑われて馬鹿にされるところだった。ハハッ。とにかくここは電話で昨日のことを謝っておいて、そして明日は近づかないようにして…。
そんな事を考えていると受話器越しに幸村くんの『えーっと、あ、ここだ。』という声が聞こえ、その瞬間、ピンポーン―…。ドアホンの無情な音が家中に鳴り響いた。
「ひっ…!」
まさか本当だとは思わなかった。数秒前にハハッと鼻で笑い飛ばしていた頃に戻りたい。戻ってもっと真剣に考えろと私を殴ってやりたい。確認のため窓から玄関を見るとやはりそこには幸村くんが立っていた。私に気が付くと嬉しそうに手を振ってきた。ヤメロ…。
どうしようと頭を抱えながらベッドの上で激しくのた打ち回っているとまだ通話の続いていた電話から『名字さん、早く開けてよ』と悪魔にも似た声が聞こえてきた。いや、この声はまさしく悪魔だ。まさかお見舞いが本気だとは…トホホ…。
「ハイ…」
弱々しくそう呟いて通話終了ボタンを押した。お母さんは今日は近所のおばさん達とデパートのバーゲンセールに出かけている。お父さんはもちろん会社だし、おじいちゃんは外出中。そうすると幸村くんに対応できる人は私一人。だとすると会わずに追い返すことは不可能な訳で。寝癖だらけの髪にだっさいパジャマだという事なんか気にせず、ただ何を話せばいいのだろうという事を考えながら一歩一歩踏みしめるように階段を下りた。この段数が私の命のカウントダウンかのように思えた。

「やあ、名字さん。一日ぶりだね」
「はは…どうも…」
私は精一杯の苦笑いを浮かべながら玄関先で幸村くんを出迎えた。スリッパも出さずに、廊下へ続く道の真ん中に私は両足でしっかりと立っている。つまり、これ以上奥には入れないぞという決意の表れだ。
「本当に元気そうで良かったよ。心配してたんだよ。ところで上げてはくれないのかな?」
「う、うん!心配かけちゃってごめんねアッハハ!もう全然、元気元気!元気いっぱいでアー焼肉が食べたいなぁ!!」
そりゃあズル休みだからな!と心の中で言いながら、案の定厚かましい申し出をしてきた幸村くんを私は苦笑いをしながらも華麗にスルーした。焼肉が食べたいのは本心だが。
「名字さん、すごく可愛いパジャマだね。似合ってるよ」
「え…?いや…どうも…」
小5の時から使っている“Cute and Happy Girl”と意味のわからないロゴが書かれたいかにも馬鹿っぽそうなオレンジ色したパジャマを指して幸村くんは言った。ウザイ。これは賛美の意味の可愛いじゃなくて可愛い(笑)の(笑)がメインの方のことを言っているのだと、鈍感な私だがこの時ばかりは悟った。
「うん。キュートアンドハッピーガールだなんて名字さんにピッタリだよ。それに髪型も発芽米みたいですごく可愛いよ」
「………」
ここまで言われたらもう何も言えない。私の心はもう傷つくということを忘れたかのように平常だった。もしかしたら後光が差してるかもしれないというくらい安らかな顔をしてたと思う。
「ていうか、何で電話番号知ってるの」
私は幸村くんに電話番号もメールアドレスも教えた覚えがない。あれが幸村くんからの電話だと知っていたら私は絶対に出なかったのに。そして即座に着信拒否にしていたのに。まさかとは思うけど…思うけど…もしかしたらエミコ達が…。いや!友達を疑うなんて最低よ!名前のバカバカ!と、一人自分の世界へ入り込んでいると幸村くんが平然とした声で言った。
「ああ、名字さんの友達に教えてもらったよ」
「………」
珍しく私の予想は的中した。嬉しくない。
「それで、あの、今日はもう大丈夫だから…明日はちゃんと学校行くから…それじゃあわざわざお見舞いありがとうねじゃあね」
とにかく早くに帰そうとしてるのが見え見えだろうけれど、私は必死だった。急にそう切り出して、早口に告げた後、ドアの方へ幸村くんの背中を押す。すると幸村くんが振り返りながら「名字さん、まだ用事があるんだよ」と言うから「それは明日学校で」と言って更にぐいぐい背中を押すと幸村くんが残念そうにため息をついた。
「せっかくケーキ屋さんでお見舞いのプリン買ってきたのに…」
気がつくと私はスリッパを揃え満面の笑みで幸村くんにこう言っていた。
「ヘイらっしゃい!!」



とりあえずリビングへ通して、お客さん用の座布団の場所がわからなかったので仕方なくいつも私が使っているキティちゃんクッションを貸してあげた。
「わあ、ずいぶん下膨れた猫だね。最近はブサイクキャラが流行ってるんだね」
「…キティちゃんは下膨れてません。それは私が日々愛用し続けた成果がにじみ出ている代物です!」
悪かったね重くて!!イラつきながらもお茶を出すために台所へ向かう。えーっとお母さんがお湯はポットにあるって言ってたから…。急須は…。お茶っ葉は…。
私がお茶の準備をしてる間プリンは、おっと違った幸村くんは、ニコニコしながら静かに座っていた。私の家のリビングで私のキティちゃんクッションの上に正座する幸村くん。あ、ありえない…。でもこれが現実なのだ。私は16年の人生の中で初めて現実の辛さを痛感した気がした。
いやしかしそれにしてもお茶っ葉が見つからない…。お母さんはいつもどこからお茶を捻出しているのだろうと考えてしまうほど見当たらない…。私は台所を泥棒に荒らされたのかと思うほど辺りをひっくり返しながら探し回った。
「…どーぞ」
「!」
「…」
「名字さん、これは…」
「…お湯です」
日頃家事の手伝いどころか些細なことすらもやらない私はお茶の葉がどこにあるのか分からなかった。そのため、別に嫌がらせをしようとかウケを狙おうとかそんな気持ちは全くなかったが結果的にお湯だけを幸村くんに出すこととなった。さすがの幸村くんもこれには少し驚いたようだった。
「あの、決して嫌がらせをしようとかそんなんじゃなくて…」
「いや、分かってるよ。お茶っ葉がどこにあるのか分からなかったんだろう」
「はぁ…すみません…」
「大丈夫だよ。そんなに落ち込まないで、名字さん」
そう言うと幸村くんは、お茶にしたらさぞ美味しかっただろう…しかしダメ女代表のような私のせいで美味しいお茶になることができなかった可哀想なお湯を手に取りズズ…と啜った。
「うん、まあ、味はお湯だけど…でも」
幸村くんは相変わらずニコニコしながら私を見て言った。
「名字さんが俺のためにお茶を淹れようとしてくれたっていうことが、俺にとってはすごく嬉しいことだよ」
思いもかけない幸村くんの言葉に、どうにかして早く帰ってもらおうと躍起になっていた自分が馬鹿みたいだ、と少し思った。そういえば一時の間忘れていたけど、この人は私のことが好きだと言ってくれたんだということも思い出した。何だろうこの気持ち。おかしいな。
机の上にある湯気の立つお湯とおいしそうなプリンが、何ともアンバランスだった。まるで私と幸村くんみたいだ。

何だかんだで色々な話をした。でも、お互い昨日の出来事については少しも触れなかった。まるで忘れているかのようだった。もちろん本当はしっかり覚えているけれど。その話題に触れたくないという一心で私が必死に、そして巧みに話題を操作した訳ではない。幸村くんがどことなくそのことについて気を使ってくれているように感じた。幸村くんなりに昨日のことを気にしていたのかもしれない。
プリンを食べながらそんなことを思っていると、幸村くんが突然「名字さん」と話しかけてきた。そうえば今気付いたけれど呼び方も名前から苗字に戻っている。もしかして、遠慮してる?
「俺、そろそろ帰るよ」
「えっ?」
別に幸村くんにもっと居て欲しかった訳じゃないけど、あまりにもあっさりとそう言われたので私は驚いて声を上げてしまった。
「残念だけど、長い間いたら迷惑だからね。それにお見舞いが目的だったんだから」
「あっ…うん…」
「プリンは名字さんが食べていいよ、好きみたいだし」
ありがとう、と言いながらさりげなく机の上を見ると手をつけていないプリンと空っぽになった湯のみがあった。お湯、全部飲んだのか…。
幸村くんは「お大事に。また明日、学校でね」とだけ言うと帰っていった。私はてっきり昨日のことを色々と問いただされるものとばかり思っていたので、そのあっさりとした去り方に驚いて開いた口がしばらく塞がらなかった。
リビングに戻り、幸村くんの残したプリンを頂く。おいしい。幸村くん、何しに来たんだろう。もしかして本当に、私のことを心配してくれてたのかな。昨日は黙って逃げてしまって卑怯だったかな。やっぱり返事くらいはちゃんとした方がいいかな。明日はちゃんと学校に行こう。学校に行って幸村くんにお見舞いのお礼と、昨日の返事をしよう。
そんなことを考えながらプリンの最後の一口を口に運ぶ。その一口はやっぱりおいしかった。

(091116)
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