第3話  段違いの勘違い

昼休みの騒動が済んだからといって、まだまだ一日は終わりじゃありません。幸村くんは相変わらず、何度も何度も振り返っては後ろの席の私に声をかけてきます。

五時間目、生物。
「ねえ見て、名前」
「…何」
ちゃっかり名前とか呼ばれちゃってるよトホホ…。泣き出したい気持ちを抑えて無愛想に返事をしてやった。
「教科書の64ページに載ってるこれ、微生物を顕微鏡で見た図」
「…で、それが何」
「このアメーバ、名前にそっくりだね、フフ…」
「あ、アメーバ?!」
ガタン!
思わず立ち上がってしまった私に先生が「名字、どうかしたか?アメーバの話なんて今してないぞ」と心配そうに言った。私は恥ずかしさに赤面しながらも、「す、すいません…!何でもないです…」と言い、ささっと椅子を戻し、素早く席に着いた。幸村くんが「名前、あせっちゃって。可愛いよ」と更に私をからかう。アメーバに似ているなんて失礼な!誰のせいだと思ってるんだ!大声で言ってやりたかったけど、今の今注目を浴びてしまったばかりなのでやめておいた。それにしても花も恥らう16歳の乙女に向かってアメーバとは…!とことん失礼な奴だ。失礼を極めてるんじゃないの?
食堂からの帰り道、こんな最低男に少しでもときめいてしまった自分を撲殺したい。

六時間目、公民。
公民の先生は年配のおじいさんのような先生だったので、大きな声で騒いだりとか、周りに迷惑をかけなければ、特に注意されたりすることはない。だから真面目に授業を聞いている子は少ない。大体の子が寝ていたり、携帯を出したりしている。
幸村くんも例外ではないらしく、この授業を退屈に思っていたようで、椅子を座りなおし、こっちに両足を出し黒板に背中を向けた。完璧に今から私に構おうとしている様子だった。
「…前、向きなよ」
私が(自分の身の危険のために)幸村くんを促すと、幸村くんは「大丈夫だよ」と小さな声で言って、自身の人差し指を唇にそえ、私にウインクをした。
「でも、ゆき…あ。せ、せい………幸村くん」
いつものように名前を呼ぼうとして、そういえばさっき精市と呼んでやれと促されたことを思い出した。しかしそれは三人でいたからだったのかもしれないと思い、今は柳くんもいないし、結局今までどおり「幸村くん」と苗字で呼ぶことにした。するとそのことに目ざとく気が付いたらしく、幸村くんは不服そうな声で「今何で迷った結果苗字で呼ぶことにしたの?」と聞いてきた。
「え…ごめん、何となく」
「さっきは精市って呼んでくれたのに」
適当に言い訳をすると、なんと拗ねられてしまった。幸村くんはつまらなそうな顔で、唇を尖らせていた。
「………精市くん」
こいつを不機嫌のままにしておくと危ない。私はさっきの大惨事を思い出しひやひやしながら、ご機嫌をとろうと名前を口にする。するとやっぱり直前の不機嫌が嘘だったかのように、幸村くんはニカッと笑って「うん、何だい?名前」と言った。何名前で呼び合う仲になってんだよ…恋人同士か!私は鳥肌が立ちそうなのを必死で我慢した。
「いや、何でもない…」
「そっか。何でもないときに呼んでくれても、俺は全然構わないよ」
えぇ…何この和やかな雰囲気…。寒気がする…。幸村くんを見るとやっぱりニコニコと笑いながらこっちを見てた。先生!いい加減気付いて!こいつを注意して!なんなら平常点20点くらい引いて!そんなことを思っていると幸村くんが「ねえ、名前」と話しかけてきた。
「な、なに?」
「何でいきなり俺のこと名前で呼んだの?」
そう言った幸村くんは、私の机の3分の1以上を分捕り、頬杖をついて身を乗り出しては、らんらんと輝かせた目で私を見つめている。
「い、や…。柳くんがそう呼んでやれって言ったから、だよ」
正直に答えると、幸村くんは「え?蓮二が?」と素っ頓狂な声を出した。うんと頷くと「そうか…蓮二か…。己の身を案じたか、純粋に俺のためにやったのか、あとで真意を確かめないと」とか何とかとぶつぶつ呟いていた。
「なんだ。俺のこと好きになったのかと思ったのにな」
幸村くんが残念そうにそう言った。私は驚いて大きな声を出しそうになったけど、授業中だということを思い出してなんとか防げた。
「ないないない…ないから。悪いけど…」
静かに言い返すと、幸村くんはちょっとムッとしたようで、「ないとは言い切れないじゃないか」と早口に申し立てた。
「俺はモテるからね、名前と違って。モテるのには理由があるんだよ。名前が俺のこと好きになるのも時間の問題だね」
自信過剰…そして余計な一言…!私がイラッとして幸村くんを睨みつけると、幸村くんはそんな私の様子を見て、余裕の笑顔で「怒った?」と抜かしやがった。プチギレながら「怒ってないよ!」と言うと「怒ってるじゃない」と言って更にクスクス笑った。
「怒るともっとブサイクになるよ、顔が」
「なっ…!?」
何コイツ!!そりゃあ私は、十人に聞いたら十人全員が可愛いと口を揃えて言うような容姿の持ち主ではないけれど、いくらなんでも辛辣すぎる。ひどい!勝ち誇ったような顔でニヤニヤと笑う幸村くんに、「あ、あんたね…!」と文句を言ってやろうと口を開いたちょうどその時。キーンコーンカーンコーン…。私達の間にチャイムが鳴り響いた。6時間目が終わった。「それでは、号令はなしで。終わり」と先生が言って、教室が一気に騒がしくなる。私は怒るタイミングを掴み損ねてしまった。悔しい。そう思っていると、椅子から立ち上がった幸村くんが私を見下ろして、「それとも、あれかな」と何かを言い出した。
「可愛い顔が台無しだよ子猫ちゃん、とか言えば満足だったかな?」
言って、ニヤリと笑った幸村くん。侮辱に耐えられなくなって、私は机をバン!と叩き立ち上がった。我慢の限界だった。
「何?何なの!?初めに悪口みたいなこと言ったのに対して怒っるのなら、謝るからもう構わないでよ!ごめんね!ほらこれでいいでしょ!もう私に構わないで、ほっといて!!」
私は大声でそうまくし立てた。教室全体が静まり返り、クラスメイトの視線が一斉に私のそそがれていたけど、そんな事はどうだって良かった。今はそんなこと気にしている場合じゃない。私という一人の人間の尊厳に関する問題なのだ。これ以上、嫌がらせをするというなら、とことん戦ってやる!そんな気持ちだった。私達はしばらく見つめ合い、私が眉間に最大限に皺をよせたとき、幸村くんがようやく口を開いた。
「ちょっと待って…」
何を待つって言うの!その程度の謝罪じゃ許すことはできない、とか言うんじゃないでしょうね!そうなったらこっちも全面戦争を覚悟してやる。もう謝らない!そう思っていると幸村くんが更に言った。
「それって一体、何のこと?」
思ってもいなかった返答に私は驚きと怒りとで頭がこんがらがって、思わず「はぁ!?」と間の抜けた声を上げてしまった。クラスメイトの誰かが「おい、修羅場だぞ」とか言ってる声が聞こえた。
「な、何のことって…!だって、昨日…!」
「昨日…?あ、もしかして帰りのこと?」
あたふたを慌てふためく私をよそに、幸村くんは落ち着いた様子で言った。
「そ、そうだけど…!」
「そんな昔のことをくよくよと気にしていたのかい?そんなこともう忘れてたよ」
「え!?」
「悪口とかそういうのなら、言われなれてるからね。あの程度じゃ全然痛くも痒くもないよ。それに変な建前を並べられるより正直に言われた方が楽でいいし、言われるこっちとしても目の前ではっきり言ってくれた方がすっきりするじゃないか。だからそもそも昨日の帰りのことは怒ってなんかないよ、俺は」
幸村くんが淡々と言った。挙句の果てに、「何か勘違いさせてたみたいで、悪かったね」とか謝ってきた。ど、どういうこと…!?理解できない私は、珍しく深刻そうな表情を浮かべる幸村くんに反論する。
「だ、だって朝だって“俺のことが苦手な名字さん”とかイヤミなこと言ってたじゃない…!忘れてた?じゃあ、今日の半端じゃない数の嫌がらせは何だったっていうの!?」
慌てて意見を述べると、幸村くんは驚いた顔で「嫌がらせ?」と少し上ずった声で言った。
「勘違いだよ、嫌がらせなんてしてるつもりはなかった」
幸村くんは眉尻を下げ、申し訳なさそうな顔で言った。あ然として何も言えないでいる私をしっかりと見つめて、幸村くんは話を続けた。その目は確かに、熱意というか真実とかいうか、とにかく真剣だということを感じさせるようなまっすぐな目だった。
「俺は、ちょっとばかし口が悪くても、面と向かって意見を言える正直な人の方が好きだ。正直ついでに俺も隠していたことを言ってしまうけど、俺は名前のことが好きだよ。なんていうか、好きな子ほどいじめたくなってしまうっていうのかな?別に嫌がらせをしてたつもりはなかったんだ。ただ単にちょっかい出したくて…。全部、君のことが気になるからやってしまったことだったんだ」
涼しく、柔らかな声で、さらりととんでもないことを言った幸村くんは、いつものようにやんわりと微笑んではいず、至って真面目な顔つきだった。
「………!?」
その思いがけない事実と、見慣れない光景に、私は驚きすぎて声も出せず、まるで石になったかのように固まってしまった。教室内ではひゅーひゅーと口笛が鳴り出し、誰かが「幸村が告ったぞー」とはやし立てていた。例の幸村ファンの女子も、キャーキャー騒いでいるようだった。みんな、とにかく何でも騒ぎたい年頃なのだ。他人事にも関わらずやたらと興味を示してくる。そりゃそうだ、あれだけ事前に注目を集めていれば仕方がない。私は恥ずかしくなって、この場に存在していたくないという気持ちになった。こうなったら逃げてしまうしかない。
「か、帰る!!」
そう思った私は素早く鞄を持ち、のんびりと教室に入ってこようとしていた担任をタックルで倒すと、早退覚悟で猛スピードで走った。教室内から幸村くんが、「待ってよ、名前!返事は!?」と叫んでいたような気がしたけど、そんなことにも構わず走り続けた。
どういうこと どういうこと どういうこと…!?自慢じゃないけど私は今まで異性から告白されたことなんて一度もなかった。もちろん同性からもだ。そんな私が、どうして!あの意地悪でわがままで何考えてるか分からない男、幸村くんに告白されているのだ!
考えれば考えるほど分からない、うんうんと頭を悩ませながらも私は、織田裕二もびっくりのスピードで走り続けた。

(080526)
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