第1話 王子様と呼ばれる人

付属の高校にぎりぎりの成績で入学した私は、中学の頃と同じように相変わらず平凡な毎日を過ごしていた。何事もなく終わった入学式、対面式、それから部活動紹介など、新学期の恒例行事いろいろ。言ってみればほとんどみんな中学からの持ち上がりなので、クラス内に友達もいるし、特別困ったことがある訳でもない。運動音痴で、手先が不器用な私はどの部活にも所属せず帰宅部という形になった。本当に、平凡な毎日。平凡だが楽しい、そんな高校生活が始まる。―はずだった。

中間テストを終えた6月初めのことだった。「テストも済んだし、そろそろ席替えでもするか」と、担任ののんきな一言から始まった。学級委員が紙を切って、私達はティッシュの空箱に入れられたそれを引いた。当たった番号の席に移動し、「窓側の後ろだやったー」なんて思っていた矢先だった。
「名字さん…だよね?これから、よろしくね」
そう言って、前の座席に荷物を置きながら話しかけてきたのは幸村くんという人だった。テニス部に所属しているという彼は、かっこよくて人気者で、噂では中学の頃入院していたにも関わらず学年10位以内をキープし続けたとかなんとかで頭も良いらしい。学校内で誰がモテるとかそういうことに疎い私ですら彼のことは知っていた。友達が口を揃えて彼のことをこう言っていたからだ。「王子様みたいで素敵なひと」と―。
そんな幸村くんが私なんかの名前を把握していたということにまず驚きだったのだが、それだけでなく幸村くんはテンパり気味の私に向かってにっこり微笑んで挨拶してきたのだ。私は言うまでもなく、さらにものすごく驚いてしまった。
「え、あ、はい、よろしく…」
もちろん笑顔で返す余裕なんてなかった。そんな私に幸村くんは「ああ、よろしく」と言い、更に続けた。
「名字さん、3年の時は何組だったの?」
「えっと、G組だったよ」
「そうなんだ。道理で話したことがない訳だね。俺はC組だったから」
「あ、そうなんだ」
「…うん、知らなかった?」
「うん、ごめん…」
「別に謝らなくていいよ」
「ごめん…」
まるで誘導尋問みたいだった。自分のことをよく話したがる、というかまるで自分が誰からも好かれる人気者だということを自負しているような態度に少し戸惑った。人気者っていうのはみんなこういう感じなのだろうか?私はそういう人種の人と仲良くなったこともなければ、もちろん自分もそういう類の人間ではないので、どう接すればいいか非常に困った。特別人見知りをするという訳ではなかったが、一方的に喋りかけてくる幸村くんに答えるのは苦痛だった。この人は、何かとんでもないものを隠し持っていそう。どことなくそんな風な感じがして、恐れていたのかもしれない。
「中学では何部だったの?」
「中学も帰宅部で…」
「そうなんだ、俺はテニス部だったんだ」
「…部長だったんだよね」
「うん、それは知っててくれたんだ。嬉しいな」
そう言うと幸村くんはにっこりと笑った。これが噂に聞いていた王子様スマイル…。どこからどう見ても完璧な笑顔は、まるで作られたみたいだった。そんな笑顔に少し寒気がした。友達が言っていたように、笑顔を見るだけで幸せ、という気持ちにはなれなかった。私は正直、彼が苦手だと思った。

放課後―。別のクラスの友達、ユリとエミコが私の教室まで私を迎えに来てくれるのが毎日の決まりとなっていた。私達はみんながいなくなった教室でだらだらとくだらない話をするのが好きだ。
今日の話題はもちろん、席替え、及び、前の席の幸村くんについてだ。
「えー!名前、幸村くんの後ろの席になったの?良かったじゃん!」
「ねぇねぇ、どうだった?近くで見た幸村くんは。やっぱかっこいい?」
きゃーきゃーと騒ぐ二人を余所に、私は居たたまれない気持ちになっていた。
「えー…。そんな、良いもんでもないよ。たしかにかっこいいけどさー…」
「かっこいいけど、何?」
「う…。何って言われると、ちょっと困るけど」
エミコに聞かれて言葉を濁した。うーん、言おうか、言わないか…。でもこんな所で嘘をついていても仕方がない。そう思った私はありのまま自分の思っていることを言うことにした。
「私、幸村くんのこと苦手だなぁ」
「え、なんで?」
ユリが間髪なく聞き返した。いかにもありえなーい!という顔をして、なんでなんで?とはやし立てる二人の姿が私には悪魔のように見えた…。聞かれるとは思ったけど…友達なだけあってさすがに遠慮っていうものが微塵も感じられないよ、二人とも。あんまり悪口めいたことを言うつもりはなかったから、適当に私の意見を述べて適当に流してもらおうと思っていたのだけど、この様子じゃそうもいかないみたいだった。私は一息ついてからそろそろと話し出す。
「なんか笑顔がこわいんだもん」言った。私は言ってやった。えー?という顔をして二人が私を一斉に見る。続けて、「裏に何かありそうでさ、あと自分が好かれているのが当たり前って思っていそうなところがなんか嫌な感じだった」と思ったことを素直に述べる。
現実を見た方がいいよ、二人とも。幸村くんは王子様でもなんでもない、ただちょっと顔が良いからって調子に乗っちゃってるってだけのごく普通の男の子だよ。たしかに物腰柔らかそうだから、優しそうに見えるかもしれないけど。一方的に話を続けるあたり遠慮というか人に対しての配慮がないよ、彼は。
私が一人うんうんと頷いていると、ゆりと笑子は何かまずいものを見たような顔をして私の後ろの教室のドアの方を見つめていた。
「なに二人とも、面白い顔しちゃって」
「名前…ごめん…でも、私達何も言ってないから…」
「うん…私達は聞いてただけだから…悪いけど…」
口をそろえて、ごめん、でも私達は無関係、と繰り返す二人を変に思い、「何?二人とも…まさか幸村くんがいたとかじゃないでしょうね〜でも残念でした!幸村くんが部活に行ってるってのは知ってるんだから!ありえないありえない」と笑いながら振り返ると……幸村くんがものすごい顔してこっちを見てた。殺気立った目つきで。
ユリとエミコは「そうだ私達用事あったんだ!だから帰るね!名前、また明日!」と目にも止まらぬ速さで走って行った。
「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも!」
この薄情者!おいてかないで!戻ってきてお願い〜!そんな願いも届かず、ひとり取り残された私はというと、恐怖で幸村くんを直視することができずにいた。おそるおそる振り返るとやっぱり幸村くんがそこにいた。夢じゃなかった…。いつものように微笑んでいたけど私の目には鬼のような顔に見えた。ついでに角があるようにも見えた。錯覚だといい。
「やあ、名字さん。奇遇だね。ちょっと忘れ物をしちゃってね。あと、今日は月曜日だから部活はミーティングだけで休みみたいなものなんだ」
幸村くんが微笑みながらそう話しかけてきた。オーラが完璧に黒い。
「何か楽しそうな話をしていたね、何の話をしていたんだい?」
幸村くんはずんずんと私の席まで近づいてくる。
「ぜひ教えてほしいな。あ、良かったら一緒に帰らないか?一人で帰るより二人で帰った方が楽しいだろ?」
だめだ、殺される。直感的にそう思った。今すぐにこの場から逃げ帰りたい、と思っていても幸村くんの笑顔から逃れる方法を私は知らない。思ってもいないことを言うのは性質に合わないと常日頃から正直に生きてきたのだけど、今はそんなこと言ってられる場合ではなかった。彼をこれ以上怒らせては危険だ、確実に。私はどうにか生き延びようと必死なのである。



なんだかんだで一緒に帰ることになってしまった。駅に向かうまでの15分間ずっと幸村くんの拷問を受けなくてはならない。はたから見ると「二人きりで帰るなんてそうとう良い仲なのね、うらやましい!」といった感じなんだろうけどもちろん私の心中はそんな穏やかなものではなかった。
「で、俺のことを何だって言ってたの?」
相変わらずにこにこしながら尋ねてくる幸村くん。殺される…と思い口をつぐんで視線をそらす私。
「…何黙ってるの?」
声のトーンが低くなった。こわっ!このまま黙っているのも危険だと感じた私は、慌ててさっきの失言を取り繕うと言葉を探した。
「えっ、いや、えっとあの…えーと」
「遠慮せずに言いなよ、怒らないから」
絶対嘘だ。私がさらに失言を重ねようものなら取って食ってやろうみたいな邪悪なオーラを醸し出している。うっかり本音を言ったら本気で命が危ない…。ここで私は、さっきのは友達の前だから照れちゃって思ってもいないことを言っちゃたんだ、本当は幸村くんのこと憧れてて尊敬してるのに私ってばあまのじゃくだから〜略して“あまのじゃく大作戦”を実行することにした。もちろん今考えた、この場で。本当はあまのじゃくでも何でもないまっさらな本心である。
「えっとさっきのは…友達の前だから照れちゃって思ってもいないことを言っちゃったっていうか…」
こんなことを言われて嫌な気がする奴はいないだろう、さすがに幸村くんでも…。一筋の希望を胸に、私の持てるだけの演技力を持って、そらもうしおらしく大人しくもじもじと切り出してみると、幸村くんは少し驚いた顔をした。それからフフ…と微笑んで「なんだ、そうだったのか」と言った。あれ…思いのほか上手くいったか…?
「そうだったんだ。俺はてっきり本心で喋ってるのかと思ったよ。裏に何かありそうとか、自分が好かれているのが当たり前って思っていそうで嫌な感じだったとか、顔が良いからって調子に乗っちゃってるとか、人に対しての配慮がないとか、すごく具体的なことを言っていたからね」
バレてるーーー!しかもさっき私が言っていたことをほぼ間違いなく覚えていらっしゃる!全然上手く行ってなどいなかった。これだから頭の良い奴は嫌いだよ…私は思った。でも今はそんな悠長なことを言ってる場合ではないのだ。この誤解、いや決して誤解ではないのだけど、むしろ図星なのだけど、とにかくこの誤解をとかなくてはならない。
「いや…あれは…」
「それに名字さんはバカ正直者って聞いてたからね、そのへんのミーハーな子達と全然違うし」
バカ正直者!?何その嫌な名の知れ渡り方…!
「だからあれが本心だったとしても俺は別になんとも思わないよ」
そんななんとも思っていそうな黒い笑顔で言われても…。天下のテニス部部長(元)にしては説得力のない言葉だと思った。さてこれからどう答えようと思った時、駅の建物が見えてきた。チャンス!これ幸いと思い私は鞄を肩にぐっと背負い込み、すぐにでも走れる体制を作った。
「ご、ごめん!本当のこと言うと私、幸村くんのことちょっと、本当にちょっとだけだけど、苦手だなって思ってた!ほんとにごめん!それじゃ!」
逃げるが勝ちだと思った私は、本心を五重ぐらいにオブラートに包んでそう言うと、一目散に駅のホームに走った。ちょうど来ていた各停の電車が出るところだった。ラッキー!私は急いで乗り込む。幸村くんの家がどこなのかは知らないけれど、立海の生徒の大半は反対方向に住んでるので多分幸村くんもあっちだろう。これで今日のところは命拾いした。明日どうなるのかは分からないけど、とにかく今日は無事に帰れたのである。良かった。つり革につかまり、ほっと一息ついていた私は、何気なく横を見てみた。
「!!!!!」
目をひん剥いて驚いてしまった。いる!!奴が!!何故ここにいるこの悪魔!!倒れそうになるのを堪えてそこにいるはずのない幸村くんを凝視する。は、反対方向じゃ…それにさっき私がものすごい勢いでおいてきたはずなのに…何故…!
「やあ、名字さん」
「ゆ…幸村くん…な、何でここに…」
「何でって。俺、こっち方面なんだ。名字さんも?一緒だね」
「あ、ああ…こっちなんだ…ハハ…そう、なんだ…奇遇だね…」
冷や汗たらたらで作り笑いを浮かべる私の姿は、さぞ滑稽だろう。今ならチャップリンにも勝てる気がする。
それにしても、問題はそれだけじゃない。さっき駅の前で幸村くんをおいて走って来た私はこんなにも息切れしているのに、その幸村くんと言ったら息一つ乱さないで平然とした顔でここにいる。どうやって来た…まさかテレポーテーション…?
そんなことを思っていると幸村くんが「フフ…名字さんは本当に面白いことを言うなあ」と笑った。
「これでも元部長だからね。体力にはそれ相応の自信があるよ。超能力は残念ながら使えないけどね」
幸村くんはまるで私の心の中を読んだかのように、簡単に私の疑問に答えてくれた。いやお前…絶対超能力使えるだろ…。
「ところで名字さんはどこで降りるんだい?」
「え…えっと、あと5駅で…幸村くんは…」
「俺はあと3駅。急行でも停まるんだけど、たまたま各停が来ていたからね。それに名字さんも乗るみたいだったから、ついでだし送って行こうと思って」
送って行こうと思って!?敵に住処を教えろと!?私はものすごい勢いで首を横にぶんぶんと振った。すると幸村くんはそんな私をよそに「遠慮することなんかないのに」と言った。遠慮じゃねえ!!言ってやりたかったけど今言ったらさっきの私の頑張りがまるで意味をなさなくなってしまう。それに私にそんなことを面と向かって言える勇気がある訳もなく。
「部活とか、色々疲れてるだろうし…あ!あと駅から近いから大丈夫だよ!」
だから早く帰れ!私に構うな!そんなことを思いつつ、この上ない笑顔で言った。幸村くんは「そっか…」と諦めた様子だったので安心した。と思った矢先、「駅から近いんだ。じゃあ今度遊びに行ってもいいかな」と笑って言うもんだから私は卒倒しそうになった。あ、ありえない…。しかしもちろん断れる訳もなく「はは…今度ね…」と作り笑いで言った。
「そうだね。今度、か。楽しみにしておくよ」
幸村くんが笑顔で言った。この人には勝てない…。私は思った。そうこうしてる間に、幸村くんが降りると言っていた駅に着いた。
「それじゃ、俺はここで。本当に送っていかなくていいのかな?」
幸村くんが再確認したので私はさっきと同じように首を横にぶんぶんと振り、「大丈夫、大丈夫だから!それじゃ!またね!うん、ばいばい!さよなら!」とまくし立てた。幸村くんは相変わらず笑顔だったけど残念そうに「そっか。それじゃ、また明日ね。名字さん」と言うと駅のホームから去っていった。
嵐は去った…。そう一息ついていた私は、明日起こる惨事を少しも想像していなかった。そう、この日から私の平凡な毎日が失われてしまうということにも気付かないまま…。

(080523)
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