私はあの位置を気に入ってた。私がいないと一人では何もできない景吾を、守ってやったり、からかったり、強引に腕を引いて連れ回したりする、あの位置を。景吾は私のかわいい弟で、私達はまるで兄弟のようねと言われて育ったはずなのに。いつから景吾はそんな目で私を見るようになったの。いつから私達、こんなにギクシャクするようになったの。ねえ。教えてよ―、景吾。



私達は毎日、景吾のお城のような家を走り回って遊んだ。あの頃は私の方が身長も高かったし、足も速かった。女の子みたいに可愛くてか細い景吾と、男の子みたいに元気良く活発だった私。景吾の家のメイドさんはそんな私達を見て、「本当に仲良しね」とか、「まるで兄弟みたい」と、口々に言ってはお上品に微笑むのだった。私はそれで満足だった。

小学校高学年になって、お互い見た目が少しずつ大人びてきても、それは変わらなかった。何かと気弱な景吾を、積極的な性格の私が引っ張っていく。遊ぶ時も何をする時も、主導権を握っていたのは私。例え、そこが景吾の方が立場が上になるはずの、景吾の家の中だったとしてもだ。何をするのでも私が先。景吾は後をついてきた。時には同級生からいじめられた景吾の仕返しをしてやったりもした。景吾は私の弟。そういう風に思っていた。景吾も、私を姉のように思っている。―私はずっとそう思い込んでいた。

中等部に入学した私達は、校門の前に揃って写真を撮った。新しい制服に身を包んだ、笑顔の私と、緊張したような顔の景吾。その頃は、まだ身長も同じくらいだった。
クラスは別々だったけど、家が近いのでこれからも今まで通りだろうと、私はそんな風に思っていた。入学式を終え、新入生歓迎会を終え、お互いクラスに馴染み始めた頃、景吾の家へ訪れた私に景吾がこんな事を言うまでは。
「テニス部に入る事にしたんだ」
景吾がずっと長い間テニスを習っていた事は知っていた。私は興味がなかったのだけど、景吾がスクールでいじめられたりしていないかが心配で一度、「私も行ってあげようか」と言った事がある。今思えば、その頃から少しずつすれ違ってしまっていたのかもしれない。景吾は恥ずかしそうに「いいよ、大丈夫だから」と私をやんわり突き放した。
「これから忙しくなるから、もう今までみたいに名前と遊べない…悪い」
私はすごく、ショックだった。
あの日、私は強がって、「私も何か部活入るし、別にいいよ」と笑った――結局その時入った陸上部は一年で辞めてしまったのだけど――。
朝は朝練習。放課後は暗くなるまで部活。休日なんてものはない。景吾の学生生活は慌ただしいものとなった。
明確に自分の未来を見据え、駆け出そうとしている景吾が、私には遠い存在になってしまうような気がした。
一瞬にして景吾が、私だけの景吾ではなくなってしまい、そして私とは違う道を歩み始めた。私と景吾の関係が崩れ始めたのは、そのあたりからだった。12年間ずっと一緒だった、“兄弟”だった私達が、ただの同級生になっていったのは。



言うまでもなく、それから私と景吾が一緒に遊ぶ回数は激減した。というよりむしろ、会って話す機会すらなくなっていた。景吾はどうか分からないけれど、私は気まずかったのだ。廊下で見かけても目をそらすか、別の道を通ったりして避けるようになった。
とは言え、一年の内はまだ良かった。お互い部活を終えて帰る時間が重なったりしていたため、ごくたまにではあるが一緒に帰ったりした事もあったからだ。会話らしい会話もなく、お互いの顔をしっかりと見る事もないよそよそしい帰り道だったけれど、私にはそれでも、景吾との特別な関係が崩れていない証に思え、嬉しかったのだ。

二年生に進級した頃。景吾がテニス部のレギュラーになった事を、風の噂で知った。次期部長候補の一人だと言う事も。私は複雑な気分だった。景吾が頑張ってるのは嬉しい。でも、景吾が私からどんどんと離れていく。遠い存在になってしまうという、あの悪い予感が、的中するのではないかと不安だった。

ある時、母が「あんた最近景吾くんの家に行って遊ばないのね」と心配そうに言った。母の言葉を聞いて私はなぜか無性に腹が立って、「中学は今までと違って忙しいの!ほっといてよ!」と怒鳴った。景吾が遠くに行ってしまったこと。何故か景吾を避けてしまう自分のこと。また昔のように仲良くしたいのに、それが困難なこと。全部が頭の中でめちゃくちゃになって私はどうしたらいいか分からなくなっていたのだ。
何をするでもなく、また一年が過ぎた。景吾と私の間の溝は、きっと今は恐ろしいほどに深い。



「名前」
低い、見知らぬ声に呼ばれて、私はハッとする。ゆっくりと振り返ると、そこには成長した景吾がいた。
「………景吾?」
身長は私より何十センチも高くなり、顔立ちも凛々しくなっていた。変わっていないのは優しい色の髪と、目の下のほくろだけだった。女の子のように可愛かった景吾は、もうどこにも見受けられない。
「ああ。久しぶりだな、話すの」
「うん…久しぶり」
長い廊下には、そんな景吾と私以外の誰もいなかった。
私達は三年生になっていた。景吾はテニス部の部長になり、そして生徒会長にもなった。景吾は学校の中心だった。私はと言うと―。帰宅部で風紀委員。成績もそこそこで特にこれと言って目立つ人物ではない。景吾と私が幼馴染だということを知っている人はわずかしかいない。傍から見れば、全く関係のない他人。赤の他人同士なのだった。兄弟だった私達の面影は、もうどこにもなくなっていた。
「なあ、名前。俺、変わっただろ?」
景吾の声を聞いただけでは、もう誰だか分からないくらい違った。そして喋り方も、態度も雰囲気も、私の知っている景吾ではなくなっていた。泣き虫で弱虫でいじめられっこの景吾は、もう一人で何でもできてしまう、立派な男の子になっていたのだ。
「変わった、よ。びっくりした。ぜんぜん、違う人みたい」
久々に景吾と話せたせいか、それとも景吾がまるで別人になってしまったせいか。どちらかは定かではないけれど、私はひどく緊張していた。そのせいで言葉が途切れ途切れになってしまった。

「………俺、名前に似合う男になろうと思って、中学に入学してから、今まで、頑張ってきた」
似合わない。中学生の青春ごっこみたいな景吾と私のやり取りが、自分でも歯がゆくてしょうがなかった。
私に似合う男?何それ。意味がわからない。景吾は私の弟でしょう。
「好きなんだ、お前のこと…」
嫌。景吾は私のこと、“お前”なんて言わない。上から見下ろすみたいに話さないで。
「今日こそ聞かせろよ、返事」
命令しないで。強要しないで。景吾は私の後を付いて来るだけの景吾でいいのに。自信満々な態度が鼻に付く。私の景吾はどこへ行ったの?こんなの嫌。景吾は私の言いなりでいてよ。私の言う事を聞いてればいいのに。何で。何で私より上にいるの。

泣きそう。

「似合う男とか、好きとか、そんなの全然分からないよ…」
景吾が一度俯いて、それから上目遣いになって私の方を伺うように見た。眉間に皺を寄せて、怒ってるんじゃなくて、不安そうな顔をして。
「景吾は景吾のままでいてほしかったのに…」
ぽつり、と口にした。数年間の胸のつかえ。そう、景吾は景吾でいてほしかった。そして私は私で、二人は二人でいたかったのに。
「…俺は変わってないよ」
見知らぬ人になった景吾の、小さな小さな声が耳に届いた。
ゆっくりと景吾が近づいてくる。私達の距離を埋めるみたいに?それは分からないけれど。でも景吾は一歩、一歩、確実に私に向かって近くなる。その歩幅じゃあっという間に届いてしまうね。
「名前こそ、外見に惑わされるなよ。俺は変わってないよ。昔と、名前と家の中走り回ってた頃の俺と、何も変わってない」
肩を掴んで、顔を近づけてきた、その力と行動は景吾のものじゃなかったはず。でも。景吾の目が近くて、泣きそうになってるのに気付いた。その時やっと分かった。景吾が離れていったんじゃなくて、私が立ち止まってしまっていたこと。私の後についてくるはずだった景吾は、とても困ったんだろうって。泣き虫で、私がいないとダメな景吾。変わってなかった。変わったのは声や外見だけ。景吾は、変わっていなかった。
「ずっと好きだったんだ、昔も、今も」
涙で潤んだ目。泣きそう、じゃなくて、景吾はきっともう泣いてる。子供みたいに、私の弟だった頃みたいに。今思えば、あの頃から私は景吾の姉じゃなかったんだね。
「………泣き虫景吾、今度は誰に泣かされたの」
ああ、私まで泣きそう。涙で視界が霞んだ。私達の間にあった深い溝は、涙のせいで見えない。きっともう飛び越えた。きっともう無くなった。一瞬にして二つの世界が一つになるような、そんな素晴らしく、誇らしいこの感覚。景吾の頭を撫でる時のような。景吾は頬を赤くして、もっと泣きそうな顔して、「名前」と呟いた。

(090219)
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