八岐村には、千年に一度――人と人の間に産まれながら、水神様の血をその内に宿した"水見の神子"が現れると云う。



 目を覚ますと、そこは薄暗い部屋だった。

 空気を吸うたびに埃が肺に充満し、嫌に湿ったかび臭さが鼻につく。 裏板がはられた窓の隙間から入ってくる光に小さな粒子が舞っているのがよく見えた。 天井や床の隅にはクモの巣がいくつも張られており、この部屋が長らく使われていないことを物語っている。
 どうしてこんなところに。 私は唇だけ動かして呟いた。 いつものように食事をとっていたはずだ。 だが、……そうだ。不意に襲ってきた強い眠気に意識を手放したのだ。
 その影響か分からないが、身体は重く、妙に気怠かった。頭蓋骨を叩くような鈍痛に視界がチカチカする。 それでも動かそうとした瞬間、頭上でみしりと縄の音がした。
 見ると、両手首が麻縄でぐるぐる巻きに固定されており、さらにそれは天井にわたされた一本の太くがっしりとした木の柱へくくりつけられている。 私が数回引っ張ってみたところでびくともしない。 床には両足がぺたりと付いているから「吊り下げられている」感覚はない、が……。
 私は自分の中の何かが急速に冷めていくのを感じた。
 また、か。
 息を吐き出す。 しかし、まぁマシな方かもしれない――こんなこと、何度も経験したくないことだが。
 ようやく和らいできた頭痛に、思考がゆっくりと動き出す。 ひどく冷静な頭で今後を考えながら何の気なしに視線を巡らしたところで、埃を薄く被った姿見に自分の姿を見た。
 そこに写っていたのは、裸体。
 色白を通り越して死人に近いような青白い肌。 一目で日本人だとわかる黒髪からのぞくのは、ギョロリとした赤いトカゲ目の右眼と、Y字型の白い角が二本。
 右半身は少女らしさを残した人間のそれを保っているが、左はすでに、魚よりも硬そうな尖った白銀の鱗に覆われ始めている。 膝から下など最早人のものとは言えまい。 それは例えるなら恐竜の足のようにゴツゴツしており、伸びた鉤爪には殺傷能力が十分備わっていた。 退化した名残であるはずの尾てい骨は立派な尾となって尻から伸びている。
 私の部屋に鏡や映るモノは一切置いていないから、こうして改めて自分の姿を見ると"人"ではないのだと突き付けられる。 そんな時、大抵脳裏に浮かぶのは彼の姿だった。
 私が人ではないという、遠い昔に受け入れたはずの事実が胸をきゅっと締め付ける。 こんなにいきぐるしいのはどうしてだろう。
 鏡の中の自分を見つめてみる。 先日味わった文字通りのたうち回るような苦痛は、どうやら目が竜化したせいのようだ。そっと指先を伸ばして目元に触れる。
 こうしてまた、私は、人から神へと近付いていくわけか。
 ……あぁ、そういえばと、それを望んだ巫女が一人いたことを思い出した。
 名前も、顔さえももう思い出せない。 記憶の中の朧気な巫女は全身"人"だった頃から献身的に世話をしてくれた一人だった。
 「あなたが羨ましい」と、「私も神になりたい」と、そう言いながら刃を振り翳してきた、人――ヒト。
 目を伏せたところで、金属が外れるような重たく鈍い音に我に返る。 前を見ると、ちょうど、閉められていた両開きの扉がゆっくり開いていくところだった。 そこには、鬱蒼と生い茂った森をバックに十人弱の男たちが立っている。 顔にはしる生々しい傷跡や眼帯、そして典型的なガラが悪そうな顔つきからして一般人ではなさそうだ。 彼らはじろじろと舐め回すように見ながら入ってくると、私を取り囲むように円をつくる。
 その視線に含まれるのは身体に対する無遠慮な興味よりも、猿のような欲求。
 いやらしい笑みを口元に浮かべ、下品な笑い声を上げる男たちを冷めた目で見る。 一体、何が面白くてそんなに笑っているのか。
 だらしなく鼻の下を伸ばしているところを見るに、どうやら、脳内の中で既に欲望のはけ口にされているらしい。 よれたズボン越しにしっかりと形作っていたのは一人や二人ではなかった。
「あぁ……、ようやくお目覚めですか。 水見の神子様」
 妙にねっとりとした響きにぞわりと人の肌が泡立って。
 心臓が、一瞬止まる。
「鬼追か」
 数秒の間を置いて私の温度のない唇から吐き出された言葉は、感情が削ぎ落され、氷のように冷え冷えとしていた。
 先に入ってきた男と同じような男二人を両脇に、背中が曲がりかかった老人が歩いてきた。 半襦袢に白衣、そして濃い紫色の差袴という神職装束は、八岐村唯一の神社――水見神社とそこで祀られている水神様、そしてその"神子"である私に仕える証。 皺くちゃの顔には人の良さそうな笑顔が浮かぶものの、その下からどろどろとした欲望が溢れ出ているのは一目瞭然で。
 私はゆっくりと息を吐き出す。 心臓は時折軋みながらも、平常のペースで動いていた。
「何の真似だ」
 鬼追は、何も知らない人から見れば優しそうなお爺ちゃんだと言われそうな――そんな笑みを貼り付けたまま近付いてくるや否や、肌すれすれのところまで顔を近付けてきた。 そのまま下から上へとじっくりと視線を這わせる。
 荒い息。
 ハリを無くした口元に浮かぶ、笑み。
 ……気持ち悪い。
「何が狙いだ、鬼追。 この私にこんなことをして、ただで済むと思っている訳でもあるまい」
 鋭利にそう言うと、ようやく鬼追は顔を上げた。 その薄汚い顔に吐き捨てるように続ける。
「私は神の子ぞ」
 存じておりますとも、と鬼追は白々しく頭を垂れた。
「ヒトとヒトの間に、千年に一度産まれるという神の御子……。 その子は頭に角を持ち、皮膚は鱗で覆われ、そして竜のごとき尾を持つとされる。 あなた様はまさに伝承通りのお方。 まごうことなき"神子"だということは、お生まれになってからというもの、陰日向にお仕えしてきましたこの鬼追めが一番分かっているつもりです」
 ですがね、と。
 大仰に力を込めて伸ばした両腕をどさりと落とした鬼追は、芝居がかった口調を引っ込め、唇を釣り上げた。
「ご存知の通り八岐村はひどく寂れた村になってしまった。 村自体は皆好きと言ってくれますが、子どもが生まれても、やれ学校だぁなんだ言って町の方へ行ってしまう……――県からのダム計画はご存知でしょう?」
「…………」
「このままでは水神様をお祀りする由緒正しきこの村は死んでしまう。 そこで我らが神子様のことをお話したところ、この者たちが是非一目会いたいと申しまして、ねェ」
 ヒヒっと笑った鬼追に続き、男たちのくぐもった笑いが起きた。
「もうじき入水の儀、でしたかね? しかし神の御子様の御前を許されるのは限られた人のみ……」
「何が言いたい」
 鬼追と周りの男たちは、問いに対して笑うだけだ。
 それらを眺めながら、私は再度息を吐き出す。 仕えてきた中で一番の古株であるこの老人も、結局は私という存在を利用しただけなのだ。 あの、大好きだった巫女のように。
 勿体付けるように唇を閉じた鬼追が私の膨らみかけたそれを撫でる。 両脇からバージスラインにかけて皮膚が竜化し、鱗に覆われ始めているものの、そこはまだヒトとしての器官だった。 今度はそろりと反対側の手が私の腹を撫で始めた。 そこからまさぐるように徐々に下へ、したへ。
 周りの男たちは皆一様に老人の手に注目している。 誰かが生々しい唾の音を立てた。 室内に沈殿していた異様な熱気が、徐々に渦を巻いて高まっている。
 望んでこんな躰に生まれてきたわけじゃないのに、と、奥歯が軋んだ。
 ミコは純潔でなければいけないと、幼少の頃からきつく言い聞かせたのは鬼追ではなかったか。 俗世の者と交わると穢れるからと、穢れてはミコになれぬからと、神社の一角に座敷牢として軟禁し続けた結果が、これか。
 そこで、はたと気付く。
 純潔を捨てればミコにはなれず、私は、神と同格の存在から人へ堕ちることができるのだろうか。
 皺だらけの指はもうすぐそこまで迫っている。
 脳裏にほんの一瞬、彼の姿がちらついた。
「古の竜と同化したこの身体、加えてこの美貌……売ればさぞかし値が張るだろう。 村の財政は潤い、野蛮な政府からこの村を守れる。 ねェ、ミコ様。 神様とは私らヒトを守る存在なのでしょ? ならば……」
 嗜虐的な笑みが伝染し、充満する。
 手が、指が、すんでのところで止まった。 名残惜しげに離れたその指をぱくりとくわえた鬼追は、まるで人形のように動かなくなった少女に聞かせるようにわざとらしく水音を立てながら舐める。 取り囲んだ男たちの目はらんらんと輝き、狗にでも成り下がったように口はだらしなく開かれ、荒く短い息を繰り返していた。
「お前たち、存分にやってやれ」

 その時だった。

「――――こんなところにいたのか、汐梨」

 道理で神社にいないわけだ、と続けられた声は聞き覚えのあるバリトンボイス。
 私は閉じた目蓋を開いた。 闇の中に光が差し込む。
 彼だ。 そこに、彼がいた。
 外見的には三十代後半〜四十代前半といったところか。 いつものように少々くたびれたスーツを着た彼は、くわえていた煙草を地面に落とすと適当に靴で踏み消してから室内に入ってくる。
「おい、なんだオッサン」
「姫を守る騎士とでも言いてーのかよ、くそ寒ィよォ?」
 彼が歩みを止める。
 ゲラゲラと下品に笑う男たちなど気にもとめず、ただその目は真っ直ぐに鬼追いを越え、私を見ていた。 そして一瞬――目が合ったその瞬間、唇の端がくいっと吊り上がって。
 私はもう一度目を閉じる。
 視覚がなくなったことで、他の四感が異様に活発に動き出し、闇の中の網膜に情景を映し出した。
 パン、と鼓膜を震わせたのは乾いた銃声音だ。 誰かがドサリと崩れ落ちる。
 室内に走る動揺。 幾千もの修羅場をくぐり抜けてきたであろう男たちの自負が霧散し、代わりに恐怖が漂い始める。
 妙な緊張感に、その場が凍り付いたように動きを止めた。 ――そこで誰も動かなければきっと、肉塊は一体で済んだのかもしれない。 だが、別の誰かが獣の彷徨のような雄叫びを上げて彼に突進した。 直後、我に返ったように続いた荒々しい声や動きは、その場にいた男たちが一斉に拳を振り上げてかかっていったものだろう。 暴力の世界で今まで生きてきた矜持みたいなものが、ぽっと出の、よく分からないオッサンによって一瞬でも手折られたことに、我慢ならなかったのかもしれない。
 けど、彼はただのオッサンではなかった。
 肉弾音。 銃声。 その合間から漏れるのは、「ぐえぇ!」だの「ふごっ!」だのという声と、重く鈍い衝撃音だ。 何かモノが、床に落ちる音。
 すべての物音が止むと、誰かが私に近付いてくるのが気配で分かった。 頭上から何かを切る音が聞こえる。 数秒後、縛り上げられていた両手首の枷が取れ、私は全部終わったのだと悟った。
 目を開けようとして、しかし、温かい掌にまたもや視界は覆い隠されてしまう。
「悪かったな、怖い目に合わせた」
「……別に、慣れてるから」
「相変わらず可愛げのねェガキだなお前。 とりあえずさっさと出るぞ、こんな廃屋。 胸糞悪ィ」
 そう言ってひょいと私を抱き上げると、彼は無言で歩き出した。
 彼の名前は秋蒼真。
 これで私に仕える者は、蒼真ただ一人になった。
 蒼真に連れられて神社に戻った私は、そのまま水見ノ間へと向かった。 間といってもそれは部屋ではなく、水見神社の裏手にある鍾乳洞のことを差す。 本来ここは神域として神子以外立ち入ることはできないようだが、蒼真だけは勝手に私が許可している。
 清められた巫女服やタオルを持って、蒼真が私の後に続く。
 しめ縄が張られた入口の前で立ち止まり、一礼。
 中はそれほど広くなく、そして狭いわけでもなかった。 天井は高く、上からはまるで氷柱のように垂れ下がった石灰岩がいくつもある。 先端から、ぽたりぽたりと水滴が落ちる度、その不規則な落下音は鍾乳洞内に反響して独特の雰囲気を醸し出している。
 ひんやりとした冷たい空気が、足の裏から伝わってくる神聖な何かが、私の身体に溜まったヘドロのような汚いものを浄化してくれるような気がして、ここだけは嫌いではなかった。 けれど今日は、鬱々とした何とも言えない感情が沈殿するばかり。
 水に入って禊でもすれば少しは晴れるだろうか。
 中央には水縹色をした地下水が溜まった部分がある。 澄んだ水はとても美しくて綺麗だ。 不意に喉の乾きを覚えた私は、両膝をおり、掌で掬いとって口を付ける。 冷えた液体が喉を通り、胃の中へ滑り落ちていった。
 特に意味も無く覗き込んでみると、水面に写った無表情な私が私を見返していた。 無風に静まり返ったそこへ、上から水滴が落ちて波紋をつくる。
 歪む、私の顔。
「何か視えるのか」
 水見をしていると思ったのだろう、後ろから蒼真がそう声をかけてきた。
 ――水見とは簡単に言えば未来予知の流派のひとつであり、そして同時に、古来よりその常人ならざる力をもってして歴史を裏で操り、今なお政治に多大な影響を及ぼす五行家の中の一つを指す。 不浄のない澄んだ神聖な水を用いた“水鏡ノ卜”は五行家の中でも特殊で、代々、水見の巫女として目覚めた者だけが行えるらしい。
 神の御子、神子、そして水見の巫女……――"ミコ"。 そのたった二文字が、私という存在を表す言葉。 名前。
 そこに汐梨という人の名をくれたのが蒼真だ。
「人にはみんな名前がある。 だからシオリ――汐梨がお前の名前だ」
 そう言ってくれたが、彼は私をそう呼ぶとき、私を通り抜けてどこか遠くを見つめている時がある。 たとえその両目に私の姿を写していても、彼の目にはきっと、私以外の誰かが写っているのだ。 すべてを見通す水鏡をもってしても、その誰かはわからない。
 そういう時、決まって胸を締め上げるような痛みを感じる。 それは、自分の姿を客観的に見た時のそれとよく似ていた。
「汐梨?」
 聞こえていないと思ったのか、蒼真が名前を呼ぶ。
「――別に」
 どう返せばいいのか分からず、数秒の沈黙の後、唇から零れた言葉はひどく素っ気なかった。
「鬼追のこと、気にしてるのか」
「あなたには関係ないことよ」
 人間のあなたには、と思わず付け加えてしまった言葉は彼の耳に届いてしまったのだろうか。 不安になり、気付かれないようにそっと振り返ってみるが、蒼真は出入口付近で私に背を向けたまま立っているだけ。
 内面の柔らかい部分がぶるりと震える。
 ミコとは純潔でなければいけない。 何故なら、神と同格だから。 そしてゆくゆくは本当に神になるから。 ……穢してはならないから。 穢れていては神になれないから。
 私は、わたし――――は。
「汐梨は人間だ」
 まるで私の心を読んだかのようなタイミングで蒼真が言う。 
「変なこと考えるな、馬鹿が。 そういう大事なもんはそこらへんのクズにおいそれと渡していいもんじゃねーよ」
 蒼真と私が小さく呼ぶと、彼は組んでいた腕を解いてゆっくりと振り返った。 
 頭に二本の角を持ち、皮膚は硬い鱗に覆われ、よくファンタジーの中で描かれるような竜に似た尾を持った、私。
 彼に会ってからこの十数年、相対するときは大抵巫女服を着ていたし、禊の儀式の時も彼は後ろを向いてばかりだから、きっと、真正面からまじまじと見たことはないだろう。 ――否、私自身がこうして向き合うことを避けていたのかもしれない。 本当の祖父のように接してくれた鬼追の優しさが脳裏をよぎる。
 足が震える、身体が震える。
 だが――、私は唇をきゅっと結ぶと真っ直ぐに彼を見つめた。
「こんな姿のどこが人間なのよ」
 そう、問う。
「ミコ様ミコ様と崇められ、まともに外に出歩くことも許されず、神社に作られた座敷牢で一人暮らしてきた私の、どこが人間だって言うのよ」
 あなたはいつも私を人間だと言って慰めてきた。
 どうせそれも偽善なんでしょ? 唾棄するように言ってやる。
「あなたも鬼追と同じ、――――ニンゲンでしょ?」
 蒼真はひどくゆっくりとしたスピードで瞬きを一度すると、一歩、私に近付いてきた。
「やめて」
 静止の言葉は何故か震えていた。 歪んだ声はわんわんと反響する。
 蒼真はまた一歩、足を踏み出す。
「やめなさいよ」
 もう、一歩。
「やめなさいってば」
 さらに、一歩。
「私は神よ! 神においそれと近付くんじゃないわよ!」
 そして、
「まぁ、そう意固地になるなって。 汐梨」
 ふわりと笑った蒼真は、何のためらいもなく私の竜化した身体をあやすように叩くと、目元を指で拭った。
「お前は人間だよ、そうやって感情があるんだからさ」
「感情、なんて」
「ないって言うのか? ――お前、泣いてるのに?」
 そう言うと、蒼真は私の半分竜化した腕を取り、顔をなぞらせる。
 そこに流れていたのは冷たい水とは違う、ほんのりと温かい雫。
 私ははっと息を止めた。
「いいか? お前には感情がある、だからお前は人間だ。 見た目が少々ファンタジックだからって関係ないね。 ……一応、この十年ちょっと、ひとりの大人として、子どものお前に関わってきたつもりだったんだがな」
 後半は、少し笑い飛ばしたように蒼真は言った。
「いずれお前は、この水の中で水神様とやらになるんだろう。 ……でも、それはお前の死後の話。 お前は人間として生まれて、人間として生き、人間として死ぬんだ」
「でも! 私の身体はッ!」
 涙に遮られて言葉が出ない。
 蒼真は静かに息を零すと、片膝をおり、私に視線を合わせた。 そしてコツンと額と額を軽くくっつける。
 優しい体温。 私が今まで感じたことないほど熱いそこは、しかし、不思議と嫌いではなかった。
「お前のその身体のことは知ってる、いっつも苦しそうだもんな」
 優しく頭を撫でながら、ぽつりと、呟くように彼は言う。
「けどな、お前の知らない場所で、お前の知らない誰かもまた、そういう痛みを感じてんだよ」
 言葉がすぐそこまででかかって、
「シオリ」
 まただ。
 私ではない誰かを見るような眇められた目に、言葉は言葉になる前に霧散した。 私はゆっくりと口をつぐんで、唾と一緒に飲み込む。
「――……そう」
 ぽたり、と水滴の音がする。 石灰岩から落ちた雫か、唾液が胃へ落ちた音かは分からない。
 水面に波紋を作ったそれは、静寂の中で同化し、やがて姿を消した。


―― 乙女と読むか処女と訳すか



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