松本翔太は普通の男子高校生だ。身長もルックスも平均的で、特別運動も勉強も出来るわけではない。それでも、彼は自分を悲観することもなかった。
 別に、たいしてやりたいことがあるわけでもなければ、何となく毎日を生きて行ければよかった。
 それは一般的な高校生だろう、と自分でも思っていた。翔太はふぅと小さく息を吐きながら川原沿いの通学路を夕焼けの中を家路に着いた。
 毎日毎日、同じ道を自転車で通る。そのなかでも翔太は川原とから墓地にかけて通るときだけは好きだった。地元の夏祭りの会場にもなる川原は季節によってその風景を変えるし、川原の後に通りかかる墓地は静かに全てを受け入れている。例えば10年後に同じ道を通ったとしても、ここは変わらないだろうと確信すら持っていた。
 何の変哲もない毎日といつも通りの道。いつも通りの道でも構わないのだが、その時翔太は変化の乏しい日々に飽き飽きとしていた。毎日同じことの繰り返しではつまらない。何か、日常からかけ離れた出来事が起こらないか、と思いを馳せる。翔太は墓地の入り口と道を分かつ十字路を通り過ぎながら、小さくつぶやいた。
「もう少し、面白いことがあればいいのに」



 その日は晩夏らしく、空気は秋の香りを運び始めていた。部活のせいで夕闇が迫った道を自転車で走りながら、翔太は自転車を漕ぐ。ハードルの片づけをしていたら思っていた以上に時間が経っていたため、少々慌てていた。
「せっかく今夜はテレビでもみようと思ったのに」
 自転車を漕ぎながらため息と共に吐き出しながらも、過ぎたことは仕方がないと諦めながら家路を急いだ。

 川原に電灯は無く、薄暗い。母親は日が短くなる季節に川原沿いの道を使うことをあまり良しとしていない。翔太とて、分かっていない訳ではないのだが、一番自分にとって通い慣れている道を自然と通っていた。
『おーい』
「ん?」
 思考に沈んでいた翔太の耳が声を捉えた。遠くから呼ばれたような声。ただ、何処から誰を呼んだのかは定かではない。それでも、翔太は一度自転車を停めて周囲を見回した。
「気のせい、か」
 小声で自分に確認すると、再び自転車を漕ぎ出す。そのまま川原を後にする前、もう一度その声が聞こえた。
『おーい』
 さっきよりも大きな声で呼びかけられ、翔太は再び自転車を停めた。
「誰?俺に用でもあるの?」
 幾分警戒心を滲ませながら周囲を再度見回すが、特に呼びかけた人物は見当たらなかった。
「気のせい?か?」
 首を傾げながらも特に人影が見えないことを理由に再び自転車を漕ぎ出す。しかし、それはすぐに止められることになった。
『おーい、あんただよ、あんた』
「やっぱり、誰か呼んでんじゃないか。誰だよ?」
 墓地の前の十字路でかなり近くで声をかけられた翔太は、その十字路に後ろを振り向きながら止まった。そして、周囲に視線を走らせた時に、ぐにゃりと世界が歪み、翔太は自転車と共にバタリと倒れた。

「いたたた……」
 いきなりの衝撃に頭を振りながら立ち上がると、目の前に見えた風景は、見慣れた墓地の前の道とは異なっていた。いや、何かおかしいものがあるとか、そういうわけではない。毎日通っている道だからこそ気がつける、微かな違和感が翔太を襲ったのだ。
「な、何だ?」
 何かがおかしいのに、それが何かわからない。その違和感を突き止めようと周囲を見回して、翔太は固まった。そのまま、ぐぎぎぎ、という効果音でもつきそうな動作で頭を元の位置、つまり体の正面へ戻した。
「お、俺は何かを見間違えたんだ……」
「なにいっとんじゃい、おめぇ。おれはここにいるぞ」
 小さくつぶやいた言葉にもかかわらず、背後に立つ存在に聞き取られて返事までされる翔太。その声に釣られるようにもう一度振り向くと、その存在が持ち上げていた提灯の灯りに照らし出された顔を見て、叫んだ。
「お、鬼?!」



「妖怪の運動会、すか」
「そう、翔太さんが人間代表なの」

 提灯を持った赤鬼に連れられて墓地の敷地に足を踏み入れると、翔太は再び絶叫し、あまりの光景に意識を飛ばした。赤鬼は苦笑しながら慣れた手つきで翔太を抱え、自身が属する組の観客席に向かい、レジャーシートに転がす。そして近くにいた少女に世話を頼むと、運営テントへと足を向けた。
 そのまま、少女は翔太を介抱し、気がついた翔太に説明をしたのだ。
「それにしても、妖怪の世界は俺のいる世界にそっくりなんだな、えーと……」
「ろくろ首の髏華(ろっか)です」
「俺は、って、もう名前は知ってんだよな」
 自分も名前を告げようと口を開いたところで、翔太は先ほど自分の名前を呼ばれたことに気がつく。そして、疑問の視線を髏華ヘ向けた。
「何で俺の名前知ってるんだ?」
「赤鬼の桃太郎さ「ちょっと待ってくれ」
「はい?」

 翔太は衝撃的な名前に僅かな頭痛を感じながら髏華を遮る。きょとり、と翔太を見つめた髏華に、可愛いけどそういう問題じゃなくて、と幾分くたびれた表情の下で思考を切り替えた。
「桃太郎ってのが鬼の名前なのか?」
 その疑問に髏華はうなずく。
「昔話で鬼を退治する奴じゃなくて?」
「その桃太郎ですよ?」
 翔太はなぜ鬼にが桃太郎と名乗るのか聞きたくなった。だが、それが今重要な事ではないと気が付き、慌てて首を振って気を取り直す。そして、髏華に謝った。
「話の腰を折って悪かった。赤鬼が俺の名前知ってたんだよな?」
 確認する翔太に頷く髏華。心なしか髏華の顔からうれしさがしみだしている。そして、はにかみながら次の言葉を口にした。
「桃太郎さんは翔太さんの事をどこにでもいる普通の高校生みたいだけど、私たちのことを悪く言う人じゃない、って。それは、翔太さんに実際に会って同じように思いました。びっくりされてたけど、拒絶はなかったなって」
 喋りながらどこか恥ずかしげにうつむき始める髏華に、翔太は頬に熱が集まるのを感じた。可愛い女の子(それがたとえろくろ首だとしても)にこう言われて照れたのだ。
「俺はまだ髏華がろくろ首っていうのも信じられないんだけどな」
 特に取り繕いもせず、自分の思っている事を素直に伝える翔太に、髏華は素直に好感を抱く。確かに、自分の今の姿では普通の女子高生のように見えるだろう、と納得もした。それでも、彼らの周囲には、幽霊をはじめとした妖怪たちがいるのに、翔太は今は物珍しそうに眺めているだけだ。
「今の私だとそうですよね。でも、周りの皆さんを見ても怖くは無いんですか?」
 髏華の素朴な疑問に、翔太は少しだけ考えてみた。なぜ自分がこんなにも冷静に今の周りの様子を受け入れているのか、を。
「多分……頭の片隅で、自分の知らない世界を見てみたいって思ってたからじゃないか、な」
 どことなくはにかみながら自分なりの考えを口にする翔太に、髏華は頷いた。
「それは分かります。私も、翔太さんの住む世界に行ってみたい」
「髏華なら問題なく溶け込めると思うけど」
「首さえ、長くならなければ、ですね」
「ああ、首さえ長くならなければ、な」
 はにかみながら2人が顔を合わせて笑い合う。翔太は自分の心臓がいつもよりも早く脈打っていることにきがついた。とくとくとくとく、と速いテンポで聞こえてくる心音に、照れてるのかな、確かに髏華は可愛いし、と考える。そうしながら目が合うと、さっと髏華の頬が紅色になり、なおさら照れてしまうのだ。

「仲良くなったみてぇだなぁ」
 くすくすと笑い合っていると、翔太の後ろから先程の赤鬼ともう1人、天狗がやってきた。その天狗の赤い顔と黒い翼に、翔太は図らずもおお、と感嘆の声をあげる。
「あ、桃太郎さんに飛天さん」
 髏華はぺこり、と体の大きな2人にお辞儀をすると、にゅ〜っと首を伸ばす。そして、赤鬼の桃太郎と天狗の飛天の顔と同じ高さまで自分の顔を持っていくと、そこで小さな声で話し始めた。

 翔太は髏華の首が予告なく伸びて大きな体の鬼と天狗の顔の辺りまで移動する行動には流石に驚きを顔に出したが、それだけだった。その後は3人の話が終わるまで待ちながら、周囲を眺める。こうやって見ると実に様々な妖怪がいるのだな、と痛感した。
 運動会と聞いただけあり、そこかしこに居る妖怪たちは赤か白の鉢巻を巻いている。自分も参加するならば、どちらかの色をつけるはずだ。まだ知り合いらしい知り合いが髏華ぐらいしかいない翔太としては、可能ならば彼女と同じ鉢巻をつけたいと思った。
 そこまで思考が進んで、初めて髏華がどちらの色の鉢巻を巻きつけていたのか見ていなかった事に気が付く。先程まで面と向かって話していたというのに。自分の詰めの甘さに苦笑を零した時、目の前に髏華の顔が現れた。

「うわっと、髏華。音もなく動くんだな」
 驚いた声をあげればくすくすと笑う少女の顔がある。長い首をぐるりと翔太の体に巻きつけるようにしてまで自分の顔を真正面から覗き込んでいるのだ。翔太の頭の中では、髏華はろくろ首であるという事実は本当に何の意味も持たなかった。可愛い女の子に下から覗きこまれる、という構図(ただし、体の周りには彼女の首)に一瞬驚き以外の要因でも心拍数が上昇したと感じた。先程のように、心音のテンポが上がる。
「驚かせてすみません」
「別に、いいよ。それで、話は終わったの?」
「はい。翔太さんは飛天さんと同じ白組です。私は桃太郎さんと同じ赤組なので」

 告げられた組み分けに内心落胆をしながらも、翔太は「ん、了解」と言いながら立ち上がった。
 立ち上がって初めて、飛天という天狗と桃太郎という赤鬼がいかに大きな体躯を持つのかのか、痛感した。平均的な男子高校生である翔太は身長170p前半だろう。その翔太の軽く2倍はありそうな身長と、それに見合うだけの横幅を有している2人に、思わずひくりと口元が引きつった。
 これから行われる競技でこの2人みたいなモノと対戦することになったらどうしよう、とあまり心配しても仕方がない事に想いを馳せた。
「松本翔太だったな。飛天だ」
「もしかして、白組の団長とかだったりします?」
 髏華には同年代の意識が働き、敬語の存在を忘れていたのだが、飛天に腕を組んで見下ろされるとそれだけで敬語で話しだしてしまう。そんな翔太に髏華はころころと声を出して笑い、桃太郎もかっかっかと豪快に笑った。威圧感を出している飛天本人も笑い声をかみ殺せていない。

「何がそんなに面白いんです?」
 敬語の対象者としてインプットされた飛天にまで笑われてしまえば、おもしろくないのは翔太だ。敬語を使ってはいけないというような礼儀作法でもあるのか、と髏華を見つめれば、その視線に気が付いた髏華の頬に朱が差して目をそらされる。自分の思っていたことが通じてしまったのだろうか、と一瞬きょとりとした翔太だが、今は本来の目的を達成することにした。
「笑ってちゃ笑われてる理由が分からないんで、すみませんけど教えてくれますか?」
 笑う事によって威圧感が薄れてきた飛天に向かって声をかければ、もはや隠すこともしなくなった爆笑が答えとして返ってくる。桃太郎も笑いが止まらないらしく、大きな声で笑い転げていた。

「いったい、何なんだよ……?」
 理由も分からず大きな妖怪に笑われ続け、髏華には顔を朱くされながら目をそらされ、どうしたらいいのか分からない翔太はそのままレジャーシートの上に再び腰を下ろしたのだった。



「どうだい、この運動会もなかなか楽しいだろ?」
「ああ、屋台まであるんだな。ここが墓地だって忘れちまう」
「墓地?ここはこの世界だと学校だぞ?」
「……違和感の正体はそれか」
「なになに、お前のとこだと、ここ墓地なの」
「ああ……」
「世の中の不思議だねぇ……」
 何とか白組が勝った綱引きから帰ってきた翔太を迎えながら河童が話しかける。それに釣られるようにレジャーシートに腰掛けながら、次の競技である騎馬戦を眺めた。

 飛天と桃太郎は一笑いして落ち着いた後、じとりとした目線を寄越してくる翔太に、まず詫びた。いわく、今まで連れてきた人間がいきなり運動会の話をすることがまずないらしく、新鮮すぎて笑いが込み上げてきたのだとか。普通は家に帰せとかここはどこだとかわめくと言われて、翔太はああ、と思ったものだ。
 最初こそ、自分はめまいを起こしただけだと思ったのだからびっくりした。しかし、ここまでいろいろな妖怪がいると分かり、髏華と話している最中に眺めただけで多種多様な妖怪を目の当たりにし、ある意味理解することをあきらめはじめたのかもしれない、と思っていたのだ。それならば、理解できることを理解しよう、と。
 その前向きとも後ろ向きとも取れる翔太の言葉に、連れてきた桃太郎はもちろん、先程まで話し込んでいた髏華も飛天も笑みを深くする。そして桃太郎は「今回はあたりだったろう」と胸を張った。

 それから飛天は白組の団長で確かに相違ない事、運動会が終わったら翔太はちゃんと帰れること、ただし記憶を消すのがルールということ、運動会で自分が所属している組が優勝したら記憶を消さない事も可能である、という事を教えてもらった。
 それを聞きながら、つまりここで何が起こってもそれを覚えておくためには優勝して消さないでくれと頼むしかないのか、と翔太は納得する。あるいは、金輪際忘れたい思い出になったら、消してもらえばいい、と。どちらにしても、優勝すれば、選ぶことができるわけだ。

 飛天に連れられて白組の陣地に向かった翔太は白組のメンバーに迎えられ、いつの間にか競技が始まっていた。見たこともない妖怪の数々に目を見張りっぱなしだった翔太は、とんとんと肩をたたかれて集まってきた妖怪たちの輪を抜けた。
「目を回してないか?見てるだけで面白いところだけど、疲れちまうぞ」
 気さくに話しかけてくる河童の青年に、翔太も小さく息をついた。
「ほんとっすね」
「コウってんだ、オレ」
「知ってると思いますけど、松本翔太です」
「おお、知ってるとも。今年は白組団長である飛天が赤組団長の桃太郎に勝ったから、お前はこっちにいるんだ」
「はぁ、前哨戦か何かすか?」
「……ま、飲み比べと力比べ、だな」
「……そ、っすか」

 何処でも大人のやることは同じか、とあきれた視線を大玉ころがしに参加している飛天に向ければ、コウは苦笑を返した。
「桃太郎さんと飛天さんは親友だからさ。毎年赤組と白組でどちらが人間代表を味方につけるか争うんだ」
「なんで?俺はただの高校生だぞ?」
「ご利益って言うか、その年の運だめし、も兼ねてるらしいぞ?」
「……俺って、もしかしてお守り感覚にされてる?」
「あー、否定できねーなー」
 からからと笑うコウに、翔太も苦笑をこぼした。そして、自分の年齢に近いコウにも親近感を覚えたのだった。

「でもあれだろ、お前は髏華ちゃんが気になってるんだろ?」
「へ?あ、いや、髏華はかわいいし、いい子だよなとは思ってるけどっ」
 コウに話を振られたとたんに顔を赤くして否定する翔太。その無意識の行動に、翔太は照れ以外の感情が見え隠れしていることに気が付く。それを自覚した途端、さらに頭から湯気が出るほどに顔を赤くした。
「そんな風に必死にならなくていいぞ〜」
 コウはまだ翔太が照れてるだけだと思っている。その様子にほっと胸をなで下ろしながら、翔太はふと会場に目を向けた。
「あれ、子供たちが一列に並んで……パン食い競争?」
 大玉ころがしはどうやら終わったようで、その次の選手が入ってきたところだった。コウがその方向を向くと、確かに竹竿にゴムで取り付けられた洗濯バサミにビニール袋に入ったあんパンをつけている係員がいる。それを見て、コウは1人納得した。
「あれで小豆洗い達が疲れた、って言ってたんだな」
「あ、あんぱんの餡」
「みたいだな〜。あれ、手作りみたいだしよ」
「すごいな」

 パン食い競争を見守っていると、一度に赤組と白組、2人ずつが並ぶ。始めのうちは幼稚園生ぐらいの子供たちが母親の元に向かう途中に飛び上がりながらパンに食らいついていく。その様子は、とても微笑ましい。
「こうやってみると、種族も知らない妖怪ばかりだな」
「有名どころは見て大体わかったりするだろ?そりゃあメディアの露出が高いんだ」
 ぼんやりとつぶやいた翔太に、コウはにかりと笑いながら話した。
「オレの種族も沢があったり川岸にコンクリートっての、あれが取り付けられる前は良く人間の世界の川に居たんだと」
「なるほどね。ということは、実は妖怪の世界と俺のいる人間の世界って、簡単に行ったり来たり出来るのか?」

 その質問に、コウは目をすーっと細めた。そして、ゆっくりと翔太の方を向く。
「人間の世界からこの世界に来るには、普通じゃない力が必要だ。だけど妖怪が人間の世界に行くのは、ルールさえ守れば基本的に問題ない……けどな、今はほとんどそっちに行こうって輩はいないよ」
「理由を聞いても?」
「理由なぁー、強いて言えば、最近の人間は妖怪なんて信じないだろ?だから驚かしに行くこともばかばかしいし、時代が違うんだよな、じーさんばーさんたちとは」
 肩をすくめながら答えるコウに、翔太は人間の世界も同じだ、と思った。時代は移っていく。人を驚かすのをばかばかしいと言い切ってしまうコウは、まさしく彼の祖父母の世代とは折り合えない世代なのだ。
「……そういうのはどこでも同じなのか」
「そういうこと」
 自分の事を考えながら小さくつぶやくとコウも小さく答える。それが、本音なんだろうな、と翔太は感じた。

「お、あれ髏華ちゃんじゃないか?」
「え?」
 パン食い競争の選手たちは子供たちから女性たちに移ったらしい。高校生から大人までの女性たちが並んでいる。その中で、今まさにスタートラインに立った赤組の女性の一人は間違えなく髏華だった。
「なんで相手チームなのに?」
「お前が知ってる顔も知ってる妖怪はまだそんなにいないだろ?知ってる妖怪が出るなら応援したくなるじゃんか。っつっても、白組の猫娘も同じところに居るから、髏華ちゃんが勝てるかどうかは分からないけどな」

 まっすぐな目でパンを見つめる髏華に、翔太の目は奪われた。可愛くて守ってあげたいと思えるような子だという印象はあったけど、今は決意に満ちている顔だ。そんな凛々しい顔も好きだと素直に思えた。
「位置についてー、よーい、どん!」
 名前の知らない妖怪の合図に合わせて髏華は走り出す。その隣を先程コウが言った猫娘が走り抜けた。その様子にはっとした顔をする髏華は必死に走る。
 翔太はその様子を眺めながら、一生懸命な髏華も素敵だな、と思った。周りにいる女子に無気力な人が多いからか分からないが、何かに一生懸命になっている女の子の姿をあまり見ていないせいかもしれない。素直に素敵だと思うし、そんな髏華を慕わしいと感じる。
“ああ、なんだ。俺最初から髏華の事、好きなんじゃん”

 今まで気が付かないふりをしていたのに、気が付いてしまえばそんな恋心なぞ無視できるものではない。さすがに敵である赤組の髏華の事を口に出して応援することはできないが、心の中で応援する。真剣に頑張っている髏華のために、翔太も真剣になって。
 コウは猫娘の事を応援しながら、隣に座る翔太の雰囲気が急に真剣みを帯びたことに気が付いた。そして、内心ほくそ笑む。初めから髏華が翔太に気があるのは分かっていた。写真を提示されたときに何かを感じたんだと思う。一目ぼれか、と桃太郎にからかわれても、否定することもなかった。そんな翔太の人柄にも触れて、さらに好きになったのだろう。妖怪だからといってとやかく言うようなタイプではなく、流されつつも適当にあしらいつつも自分の大事な事は見失わないようなタイプだ。それは分かる。
 だから、この2人がくっつけばいいのに、なんて思っているのはコウの秘密だ。翔太の事は本当にわずかしか知らないが、そんな気がしたのだ。

 髏華は自分の精いっぱいのスピードで、走る。ひたすらに目の前にぶら下がるパンを目指して。きっとこの競技を見ているであろう、翔太に活躍するところを見せたくて。少し前には猫娘の背中を見つめ、その先にあるパンの事を見据えた。そして、体はそのまま走りながら、自分の首を伸ばした。
 どよめきが会場から起こる。もちろん、その程度の事に集中力を削がれるような髏華ではない。そのまま猫娘の横を通り過ぎ、パンを目指した。
 その間も体は前へ前へと走り続ける。顔は早くもパンに食いつこうとしていた。それを邪魔するかのように両端で竹竿を支える小鬼たちが上下に揺する。それでも首が柔らかいことを良い事にひたすらパンの袋に食いつこうと必死になった。

 髏華がパンのところに誰よりも早くたどり着いてパンを加えようとしていると、白組の猫娘もたどり着き、パンにじゃれはじめた。それを見て翔太はぷっ、と吹き出してしまい、コウに至っては天を仰ぐ。
「目の前でああいう風に動かされちゃうとじゃれちゃうのって、猫だよね」
「ああ、猫娘だからな……」
「おい、美尾!じゃれてないでちゃんと競技しろ!」
 座り込んでいる翔太とコウに影が落ちたと思ったら、背後の人物が猫娘の美尾に怒声を飛ばした。その声は飛天の物だな、と大きな音に耳を塞ぎながら翔太は分析する。コウもちょっと迷惑そうに後ろを振りかぶり、口を開くかどうするか、考えているようだ。だが、確かにいきなり競技中にじゃれはじめられたら困るだろう。だからこその怒声なのだろうが。

「あ、髏華の体が追い抜いた」
 そんな中でも髏華の事を見続けていた翔太がポツリとつぶやく。確かに、美尾がパンにじゃれついている間に追い抜いたようだ。そして、首はようやく斜め上に移動して袋にかみつき、パンを咥えた。そのまま引っ張りパンを取ると、今度は前を走る体に戻るべく、首を縮め始める。しゅるしゅると縮めながらも体は全速力で走る。ゴールテープ目前で体に追いついた頭は、きちんとパンをくわえてゴールした。
 その一部始終をしっかりと目に焼き付けながら、翔太は自分が好きになった子は、本当に妖怪なんだよな、と改めて痛感していた。それでも、この気持ちに気が付いてしまったのだから、偽りたくないというのが本心で。どちらにしても、白組が勝たないとすべてが水の泡になるんだよな、と気を引き締め直したのだった。



 その後もいくつか競技に参加して、最後から2番目の競技がやってきた。白組と赤組の点数はほぼ同じ。きっと結果は最後のリレーにまでもつれ込む。白組には猫娘の美尾や鎌鼬と言った素早い妖怪が多いが、赤組にも火車をはじめとした走るタイプの妖怪が多いので、実際に走ってみるまでだれも結果を予想できそうもなかった。
 翔太はこれからの競技である借り物競争が最後の出番になる。自分がここで1番になることがとりあえず優勝へ近づき、この素敵な思い出を覚えておくためには必須条件だった。

 髏華は出場する競技はすべて終わり、後はチームの勝敗を見守るだけだ。翔太が自分の事をどう思っていても、一時の恋である事は自覚している。自分たちは住む世界が違うのだから。それでも、覚えて帰る可能性があるなら、覚えていてもらいたい、と思ってしまうのはわがままだろうか。
 そんな淡い想いを胸に抱えながら、髏華は翔太がフィールドに向かうところを見つめた。

「位置について」
 どくん、どくん
 緊張するなんて、俺らしくない、と翔太は思う。柄にもなくこの勝負ですべてが決まる気がしてくる。本当はリレーまであるのに。
「よーい」
 どくん、どくん
 心臓の音を聞くのなんて、そう滅多にあるもんじゃないな、と自嘲気味に思ってから、目線をフィールドに戻した。
「どん!」

 勢いよく振り下ろされた旗の合図と共に、翔太は飛び出した。陸上では長距離走よりも短距離走の方が得意だが、妖怪たちと走っていると自分が部活でも早い部類に入るのが嘘のように感じられるから不思議だ。それでも、自分は出来る事をやる、と決めていた。
 先に借り物が書いてある紙にたどり着いた妖怪たちからどんどん観客席や自分の組の席に向かう。横一列で6人ぐらいがいる中、真ん中あたりの順番で紙を手にした翔太は、書いてある文字を見ると真っ先に赤組の席に向かった。そして、体の大きな桃太郎を見つけると、近くに目的の人物がいないか探す。

 自分たちの方に走ってくる翔太を見た桃太郎はわずかに首をかしげつつも、どうしたのか問おうと口を開きかけたとき、翔太の声に遮られた。
「髏華、いた!来てくれ」
「え、え?」
 桃太郎とは少し離れていたが座っている少女を見止めると、翔太は叫ぶ。自分自身はまだ赤組の席の前に移動中だ。それでも、声は届いたのだろう、髏華が慌てているのが見える。
「俺の借り物、髏華だから!来てくれ!」

 なぜ自分なのか。それに疑問を持ちながらも、髏華はフィールドに向かった。
「わ、私なの?」
「ああ、俺にとっては」
 髏華の所にたどり着いた翔太は短く告げると、手を握って走り出した。それにつられて走る髏華。自分が想い人と手をつないでいる事実に、髏華は顔からは火が噴きだしそうだと感じた。それでも、手を繋いで前を向く翔太は真剣で決意に満ちた顔をしており、髏華は彼に見とれ、をどんどん好きになって行く。熱に浮かされたよなぼんやりとした頭の中で、夢の中に居るみたいな気持ちになって。
 きっと、彼が記憶を無くすことになっても、自分はずっと想い続けるんだろうな、と確信する。それほどに翔太の事が好きだった。

 翔太は髏華の手を握って走りながら、早くゴールしないと、という焦燥ともう少しこのまま手を握っていたいという相反する思いに苛まれていた。本当は走ってなんかいないでこのまま抱きしめてしまいたい。それを手を握った時に思った。髏華の体温を感じる手はとても優しくて、この手の記憶を忘れてたまるか、という決意もした。彼女の強さも優しさも、全てが好きで。「借り物だから来てくれ」という言葉だけしか伝えていないのに素直に来てくれた彼女を本当に愛しく思った。
 話したいけど、この気持ちを伝えたいけれど、まずはゴールを目指さないと。そして周りの妖怪たちを追い抜いた翔太と髏華はその走者の中では1番にゴールした。

 歓声が上がる中、翔太は息を整える。右手には髏華の左手が、左手には借り物の指示をする握りしめられた紙があった。まだ手をつないだままの翔太の右側では髏華も息を整える音が聞こえた。そのまま1番を示すポールの後ろに座らされた2人だが、会話は無い。お互いに何を言うべきかは分かっている。でも、髏華はあまりヒトが多いところで聞いてはいけないのではないか、という気がしたのと翔太は気恥ずかしくて人が大勢いるところでは言いたくなかったのだ。
 そのまま2人は特に言葉を交わさないまま借り物競争が終了し、リレーの準備に取り掛かる、とアナウンスがあった。まだ手をつないでいたことに気が付いた翔太は慌てて手を離すが、髏華は逆に寂しそうな顔をする。どちらにしてもここに居てはリレーの邪魔だから、と髏華は人気のないグラウンドの隅に翔太を連れて行った。

「さっきはいきなりごめんな」
 向かい合って立ちながら、翔太は髏華に向かって口を開いた。
「ううん、大丈夫。でも、借り物が私って、どんな借り物だったのか聞いていいですか?」
「ああ……。えっと、「好きな人」だよ」
「え?」
 歯切れ悪い口調、なおかつ小さな声で告げた翔太に、髏華は聞き返す。それをもう一度言うのは抵抗があるのか、翔太は左手で握りつぶしていた借り物を指示する紙を髏華に渡した。
しわくちゃになっているその紙を丁寧に開きながら、髏華はその借り物の指示を見て、唖然とした。
「え、えっ!?」
「……髏華」
 慌てる髏華を翔太は落ち着いて決意に満ちた目で見つめる。そして、ゆっくりと名前を紡いだ。
 その声に髏華は背筋を伸ばすと、翔太の方を向く。そして、その目に期待を宿して翔太の次の言葉を待った。
「ついさっき会ったばかりなのに、何言ってるんだって思うかもしれない。でも、俺は、髏華の事が好きだ。髏華といると落ち着くし、真剣な時は……かっこいいと思った。女の子に言う言葉じゃないけど。俺はあんたが好きだ」
 一大決心で紡いだ言葉に、髏華は感極まって翔太に抱き着いた。いきなりの事に慌てるが、翔太よりも小柄な体をなんとか支える。そして、髏華の言葉を待った。
「私も、翔太さんの事が好きです。私たちが妖怪だって分かっても友達みたいに接してくれたり、真剣な横顔がかっこよかったり。大好きです、翔太さんのこと大好きです!」

 髏華からの告白に、翔太は笑顔になり感極まりながら髏華を抱きしめた。同じように抱きしめ返す髏華。会場は皆リレーに釘付けで2人の事を見ているモノはいない。2人はそのまま、抱き合っていた。



「いろいろありがとうなぁ、翔太」
「楽しかったからいいよ。でも、俺のチャリは?」
「あそこによぉ、ちゃーんとあんだろ?」
「大丈夫ですよ、翔太さん。何かあったら桃太郎さんが責任を取りますから」
「そっか。ならいいけど」
「はっ、桃太郎はそんなことできないだろ」
「コウ、よく言った!それでこそ白組だ!」
「飛天、やめてくれよ。俺が白組のままなのは美尾がいるから「何、コウってあの猫娘の事が好きなの?」
「結構有名な話です」
「そうそう、美尾がなかなか振り向いてくれなくて…って、お前らぁ!」

 妖怪の運動会も終わり、翔太が自分の世界に帰る時間がやってきた。帰り方を桃太郎に教えてもらわないと分からないと翔太が言えば、ならば見送りに行きたいと髏華が言い、コウと飛天も便乗したのだ。ちなみに、翔太と髏華は自然と手を繋いでいる。もちろん、桃太郎と飛天、ひいてはコウにまでいろいろと言われ、からかわれた後のため、開き直っていた。
「忘れられない思い出だな、翔太」
「そうだな」

 桃太郎と飛天がなにやら「帰る準備」をしている間、コウは翔太の隣で成り行きを見守る。髏華は桃太郎に呼ばれてしまったので部外者の2人状態だ。白組がリレーを僅差で勝ち、その結果はそのまま総合的に白組が勝ったことを示した。白組はみな拍手喝采で宴会状態になり、翔太は髏華に連れられて赤組の陣地に戻ったのだ。白組の陣地が落ち着いたら飛天あたりが探しに来るだろう、と桃太郎が言えば、翔太はそうだなと納得しておとなしく待った。その時に想いが通じ合ったことがバレ、別の意味で赤組の陣地が騒がしくなったところに飛天とコウがやってきて、からかわれたのだ。
 そこまで含めて、忘れられない思い出であることは確かだ。そう思いながら3人を眺めていると、桃太郎に手招きされる。コウと顔を見合わせた後に桃太郎の所まで2人で向かった。

「あそこだけ、ちょいと色が違ぇのがわかるか?」
 薄暗い道の中で、一カ所だけ確かに色の濃さが違う場所がある。
「ああ、分かる」
「あそこから帰れる。記憶は……聞くまででもねぇなぁ」
「捨てられるかよ、これしか俺には残らないんだから」
 憂いを帯びた顔で拳を握りしめる翔太に、飛天は顔を翔太の耳元に持っていき、小声で言った。
「実はな、人間が自由にこの世界に来ることは出来なくても、人間をこの世界に呼ぶことはできんだ」
「まぁ、そうじゃなきゃこんなことできないよな」
「それもそうなんだが、もうちょっと簡単になるな。お前はこっちに一度来て、さらに記憶も持ってる」
「つまり……」
「今生の別れじゃないさ、ってことだ。一定のランク以上の妖怪が3人集まればお前を呼ぶことができる。ただし、多くても月に1回だけどな」
「ほ、本当か?」
 飛天の言葉にらしくもなく声が一瞬震えた。また、会える。つまり、まだ想っていていいってことなのか、と。

「本当です、翔太さん」
 はにかみながら髏華が肯定すれば、翔太は髏華の手を取った。
「あんたのこと、好きでいていいのか?」
「翔太さんのこと、好きでいていいですか?」
 同じ質問をする2人に、自転車を支えている桃太郎と飛天が微笑む。コウも初々しい2人を見ているとやっぱりこの2人はくっついて正解だった、と内心ほくそ笑んだ。

「時間だぁ、翔太。ほれ」
 いつまでも見つめ合っていそうな2人に、桃太郎が声をかけて支えていた自転車を渡した。それを受け取りながら、翔太は1人1人の顔を見つめる。最後に髏華と目を合わせると、にかっと笑顔を見せた。
「じゃあ、またな!俺の事、呼んでくれよ?」
 皆に向かってそう言うと、そのまま翔太は自転車にまたがる。そして、桃太郎が言っていたところに向かって、後ろも振り返らずに自転車を走らせ、自分の世界へ帰って行った。



「うー寒、木枯らし一号って吹いたっけ?」
 独り言をこぼしながら翔太はいつもの河原の道を自転車で走る。季節が季節だけに、周囲はすでに暗い。
『翔太ぁ、しばらくだな〜』
 そんな時、遠くから自分を呼んだ声が聞こえた気がした。
「うん」
 逸る気持ちを表すように、翔太はペダルをこぐスピードをあげた。そのまま、墓地の方向へ向かう道を降りる。
『翔太、安全運転な』
「十分安全速度だよ」
 さっきよりもはっきり聞こえた言葉に返してやる。きっと、ちゃんと聞こえてる。
 墓地の前の十字路まで来たとき、すぐ近くで大好きな恋人の声が聞こえた。
『翔太さん、怪我したら承知しませんよ?』
「怪我しないから怒らないでくれよ、髏華」

ぐにゃりと世界が歪む。その視界の向こうには文字通り首を長くして待っていた恋人と、妖怪の仲間たちの姿があった。


――妖怪の大運動会



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